十九話 私を見守っていてください
『おとうさん、おかあさん。天国はどうですか?辛くはありませんか?嫌なことはありませんか?二人、一緒にお過ごしでしょうか。
私はセルタという町で、平穏に暮らしています。おかあさんとおとうさんの元を離れてから十年、私はビーグリッドという村にいました。そこでは辛いことばかりだったけど、私、今はあの日々があってよかったと思っています。
ビーグリッドでの毎日があったから、今の私があります。もう、"捨てられたくない"と泣いてばかりの私ではありません。
本当は、おかあさんとおとうさんにもセルタで穏やかに暮らしてほしかった。生きてほしかった。でも、それはもう叶わない。だから私は二人の分まで幸せに生き抜いてみせます。そして、ずっと遠い未来で、また会えることを願っています。
せめて、二人の死後が穏やかなもので満ち溢れていますように。ただそれだけを、墓前にて祈っています。 リーシェより』
母と父が眠るお墓の前に、思いを書き綴った手紙を置くとリーシェはそっと手を合わせた。
隣り合って埋葬された二人が、どうか天国では平穏に暮らせますようにと願いを込めて目を閉じる。
あの事件の後、父母の遺体が発見された部屋の隅に隠されるようにして、一通の手紙が発見された。
そこには、リーシェの記憶を消した方法や、自分達の出生、さらにリーシェ捨ててからの状況が事細かに書いてあった。
その手紙の内容によると、どうやら母は人間とは別の種族である魔人族だったらしい。
魔人族と言っても別に悪い種族というわけではなく、人間と違って神秘の力を扱うことができるそうだ。
伝説の力と神秘の力は少し違うようだが、それはラピスが解析を進めてくれている。
魔人の住んでいる場所は、《西の大陸》ではなく《北の大陸》で母は父とお互いに電撃的な恋に落ちて駆け落ちしたそうだ。
異種族同士の結婚は珍しいというだけで悪ではなく、しかしハーフの希少さはとてつもなく高いため"魔境谷"で隠れるように暮らしていた。
そうして生まれたのがリーシェであり、伝説の片割れだったというわけだ。
つまりリーシェは、人間と魔人のハーフという血統的に非常に珍しい存在だった。
自分の根底を理解して修行すれば、伝説の力と神秘の力を同時に使えるようにもなると少年は言っていた。
そのためには神秘の力が何たるかを解明しなければいけないため、同時使用する危険性を知るためにもラピスは奔走中というわけである。
「おかあさん、おとうさん。恋をするというのは、どんな感覚なのですか?生まれた故郷も、恩ある家族も捨てて駆け落ちしてしまうほど、強い感情なのですか?」
それは一体どんな感覚だろう。
リーシェには分からない。少女にあるのは、野菜に対する愛おしさと、人々に対する感謝の念。ラピスに対する仲間意識だけだ。
いつかアンがこんなことを言っていた。
「恋はいつだってハリケーンなんだよ!」と。
ハリケーン……恋は嵐ということらしい。
自分もいつか、その感覚が分かる時が来るのだろうか。
「生きている間に分からなかったら、ぜひ二人のお話を聞かせてくださいね。おかあさん。おとうさん」
翡翠の瞳をリーシェは自慢に思う。
同じ色の父の双眸はとっても美しく、優しかったから。
緋色の髪をリーシェは誇りに思う。
同じ色の母の絹髪はとっても温かく、強い意思を宿していたから。
最期は首を切られた父も、拷問の末に息絶えた母も、きっと今は優しい世界にいるのだろう。
「私を生んでくれてありがとう。どうかゆっくりと眠ってください」
深々と頭を下げて、少女は優しい空気に包まれた墓場を後にする。
森で囀ずる鳥たちの声に耳を傾け、鼻腔を擽る草木の香りに意識を委ねる。
なんて穏やかなんだろう。なんて平和なんだろう。なんて幸せなんだろう。
このまま、ずっと続いていけばいいのに。
不意に、リーシェの胸が激しく痛む。
「くっ……!」
突き刺されたように。握り込まれたように。
呼吸が乱れて、顔が苦痛に歪む。
胸元の服の布を手が白くなるほどキツく握り、ようやく収まった痛みに脂汗をかいた額を腕でぬぐう。
「また、痛み……」
ここ最近、原因不明の胸の激痛がよく起こる。
今のようにすぐ収まることもあれば、なかなか収まらないこともあり、二週間後の収穫祭に無事出られるかという不安を抱いていた。
しかし、痛み以外に異常があるわけではないので誰にも言っていない。
動悸が収まった後ふと足元を見ると、緑地が僅かに凍りついていた。
瞬きのうちのすぐ元通りになるが、明らかに〔氷刻〕の効果だった。
「ラピス様が収穫祭に来たら、知らせましょう。おそらく、神秘の力が原因でしょうから」
今は大事にしなくても大丈夫だ。
そう後回しにしたことをすぐにリーシェは激しく後悔することになるが、もちろんこの時、少女は予想できていなかった。





