最終話 眠りと目覚め
神は全てを見渡すことができる。
見よう、と思うだけで視線をどれだけ遠く離れた場所でも飛ばすことができた。
神は全てを見ていた。
平穏に生きたいと願い、川に身を投げて辿り着いた始まりの町。そこに住まう人々が、運命に翻弄された赤髪の少女を綺麗に忘れ去ったことを。
何を捨ててでも幸せな家庭を築きたかった女性が、幸福を捨てることを覚悟して守り抜いた少女がいたこを、地下の人々は覚えていなかった。
力の限り戦い国の未来のために身命を投げ打ってまで、荒れた日常を平定させた少女がいた事を、復興に汗を流す人々は知らなかった。
誰もが絶望し溶け死ぬ結末を確信した『竜陽』の落下を、たった一人で食い止めた勇気ある少女がいた事を雨に打たれる人々は認識していなかった。
涙も枯れ、心が疲弊した神は、多くの悲しみを目の当たりにした戦場に、虚穴に吸い込んだ『竜陽』を浮かべた。まっさらな地面に、家と畑を設置した。揺れる草花や囀る小鳥はホログラフで動かした。神は自分とよく似た少女を作り出す。幽霊のように半透明の、ホログラフの分身だ。分身は思いのままに偽物の家で平穏に暮らすだろう。
家の一室に寝かされた若草髪の青年に近づく。
布団の上で穏やかな眠りにつく青年の胸に手を当てると、その上空に十歳ほどの少年を作り出した。
眠る青年が子供になった姿に、神は弱々しい笑みを浮かべる。
緋色の髪を揺らして神は、自らの体を水晶の中に閉じ込めた。
いずれ来る『その時』まで何も見えないように、意識のない世界の調律器へ成り代わる。
しばらくして、緑の瞳を開いた少年が水晶を見上げ第一声を紡いだ。
「あぁ。守るさ。その時が来るまで、お前のそばにいる」
☆*☆*☆*
カーテンの隙間から射し込む朝日が、起きたばかりの目を焼いた。眩しさが鬱陶しくて毛布を頭まで被る。
通学路に面している我が家は、朝になれば小学生のはしゃぐ声がよく聞こえる。今日は平日。興奮に身を任せた叫び声はまだ聞こえない。
……いや。
嫌な予感に顔を出し、棚の上のデジタル時計を睨んだ。時刻は十時過ぎ。なるほど、子供の声が聞こえないわけだ。
今頃通っている高校では、出席簿に遅刻か欠席かの印がつけられていることだろう。
「大遅刻じゃないか……」
諦めを多めに含んだ呟きが自室の壁に吸い込まれた。
急いでも手遅れなので緩慢な動きで起き上がり、リビングへ降りる。両親は出張で、家には一人だけだった。道理で毎朝響く怒号がないと思ったのだ。
ご飯を用意する気にもなれず、顔を洗うために洗面所に向かう。綺麗好きの母が毎日磨いている鏡は、寝ぼけた顔をよく映していた。
日本人特有の漆黒の髪は、寝癖で気まぐれに跳ねている。この手の跳ね方は治すのに時間がかかるから面倒だ。
長めの前髪の下で欠伸の涙で潤む目が二つ。遠縁の血が出たのだろう、と言われている金の目はすぐに洗顔料の泡から逃げるために閉じられた。
手元のスマートフォンが鳴動する。
画面を見てみると、仲良くしている友人の名前が表示されていた。
「あ〜……もしもし?」
『もしもしじゃねぇよ!今どこだ!?事故ってないだろうな!!』
「元気に家にいるよ。今から行くから」
心底心配していたという電話相手の声に、乾いた笑いを零した。
『ったく!心配する俺の身にもなれよな!ま、心配するのも友達としての宿命!心配料は別にいらないぜ!数学のノートで勘弁してやる!』
「いや要求してるだろう。じゃ、切るぞ。また後でな」
時計を見ればそろそろ三限目は始まる時間だった。電車に乗ることを考えれば、四限目の半分くらいの時間に学校に着くだろう。
『おう!待ってるぜ〜!じゃあなラピス!』
いわゆるキラキラネームという名前を呼ばれて最後に電話は切れた。
顔を洗ったら脳が起きたようで、空腹を自覚する。食パンでも焼こうか、と動き出した。
【伝説の少女は平穏に暮らしたい(第一部)】はここで完結となります。これより先の展開は【少年は伝説へ至る】という題名に変わり第二部のストーリーとして更新していきます。(第一部も誤字脱字等の改稿していきます)
新しく作品を作る形で投稿していきますので、ぜひ第二部も読んでいただけたら幸いです。連載開始は九月初旬予定です。
ここまで読んでくれた読者の皆様に、この場を借りてお礼申し上げます。更新が不定期でありながら、リーシェたちの旅を見届けて下さり本当にありがとうございました。
繰り返しの宣伝になりますが、ぜひ第二部作もよろしくお願い致します。
また本編では語りきれなかったキャラクターの裏話も、外典ストーリーとして新しく連載していきます。こちらは二部ストーリーに直接的な関わりは無いため更新頻度は低いかと思われます。ほかの魅力的なキャラクターたちに焦点を当てたお話も楽しんでいただければ嬉しい限りです。
長くなりましたが、ここまでの道を共に歩んでいただき本当にありがとうございました。また第二部作でお会いしましょう。





