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消えて消えて消えていく

 長い回廊をいくつもの足音が進んでくる。

 命懸けの攻撃に防御は破られてしまった。来てしまう。彼らが来てしまう。

 この恐怖を知っている。この焦燥を知っている。この諦念を知っている。一年前も似たようなことがあった。神殿で怯えながら到着の時を待ったことがあった。

 もう止める手段はない。この椅子は離れられない。離れてしまえば、世界は舵を失い滅びの一途を辿ってしまうから。


 持ちうる手は迎撃。暴力による蹂躙と、恐怖による撤退。

 さぁ。心は決まった。弱音は吐かず、最悪の瞬間が来る前に少年たちの心を叩き折ってやろう。嫌われたって構わない。睨まれたって気にしない。

 どうせ誰もが存在を忘れるのだから。


 ☆*☆*☆*


 呼吸をすることが億劫になるほど肺が軋む。心臓が破裂しそうなほど拍動を刻み、足はもう感覚がなかった。

 それでも走り続けた。走り続ける先にリーシェが待っているのなら、疲れなんてどうでも良かった。


 回廊の先に淡い光が見えた。ようやくの出口に全員の顔が明るくなる。

 力を振り絞って速度を上げていく。予想より早く光の先へ出た。


 そして……。

 息をつく間もなく、出た途端に強力すぎる焔の攻撃が視界を埋めつくした。


「〜〜〜っ!!?」



 回避または衝撃で一行はバラバラに散っていく。アズリカも軽い火傷を頬に負いながら、何とか直撃を免れた。

 しかし、襲いかかってきた雷撃までは躱すことができなかった。

 死を間近に感じた。胸どころか体すべてを消し飛ばしかねない太い稲妻に、目と意識が釘付けになる。


 避けられないと確信した瞬間、アズリカを避けるように稲妻が消え去った。

 ラピスたちも似たような状況に陥ったのか、呆気に取られた顔で互いの顔を見合わせている。


「ライヴィス」


 凛と張った声が邪鬼の名を呼ぶ。


「ルシャ」


 温度を感じさせない声が名を呼んでいく。


「レイラ。グレイス」


 迷いのない響きが王族を呼ぶ。


「キリヤ。ゼキア。シュウナ」


 無機質に点呼の声は移動していた。


「アズリカ」


 すぐ近くで空気が震えた。


「ラピス」


 向かって正面。高い場所から声の主は姿を現した。


 真っ赤な髪。色が変わった瞳。目元は険しさを湛え、引き結ばれた唇は拒絶を示す。

 フワリと空に浮くリーシェは、装いを大きく変え神々しい姿になっていた。

 翡翠の装飾が控えめに施された白亜の衣。地面に立てば引き摺ってしまうであろう裾は、羽のようにリーシェが放つ圧力で遊んでいる。


「招かれざる者たちよ。立ち去りなさい」


 震えない声。ピクリとも動かない表情。そして挨拶のように繰り出された攻撃。

 虚勢じゃない本心の言葉に、アズリカとラピスの肩が揺れた。

 負けじとラピスが声を張る。


「俺たちはリーシェを助けに来たんだ!そこから降りて、一緒に帰ろう!」


「助ける?一体なにから?帰る?一体どこへ?私の居場所はここ。あなたたちの帰る場所はここではありません。故に……」


 足元の床が赤熱し膨れ上がる。戦慄を感じた瞬間には既に激痛がアズリカたちを襲っていた。


「あなたたちの役目はここにはない。これが最後の警告です。死にたくなければ立ち去りなさい」


 黒煙が晴れる。誰一人無事でいるものはいなかった。シュウナですら、傷を負い膝をついている。

 肉を焼かれた左足を引き摺ってアズリカは、たどたどしくリーシェに近づいた。


 鬱陶しそうに目を眇めるリーシェ。ようやく見せた感情が望んでいないものだった色であることに、青年の胸はひどく傷んだ。

 あと一撃加えようとした少女に襲いかかる者がいた。


 飛び上がり、何の躊躇いもなくメイティアの金棒を振りかぶったのはライヴィスだった。

 殺す気しかない攻撃にアズリカの背中を冷や汗が伝う。


「何やって……!」


 危うげなく避けたリーシェが、足をしならせ金髪の青年を蹴り飛ばす。地面へ力づくで戻されたライヴィスは、口から勢いよく血を飛ばした。


 猛撃はまだ続いた。

 リーシェの周りの空気が不自然に歪む。『重力魔法』だった。同じく魔法で対抗する少女は涼しい顔で地上を見下ろした。


「母上!?おやめください!!」


 グレイスの制止に魔法を行使するレイラは厳かに告げる。


「なぜ?あれは神。討伐対象でしょう?我らと同じ赤髪であることがとても気に入らないわ。早く消してしまいたい」


 絶句した。アズリカの直感が最悪の状況を察する。

 ライヴィスとレイラからリーシェの記憶が消えているのだ。

 真顔のままの少女は死角から迫ってきた斬撃を、氷の盾で弾いた。

 赤黒い剣で神を叩き落とそうとしたのはルシャだった。ルシャからもリーシェの記憶は消えていた。


「一つ」


 小さな呟きがリーシェの口から零れる。戦いの音に紛れることなく、はっきりと言葉は耳に届いた。


「また一つ」


 盾で剣を押し返したリーシェに飛来する刀が一振。

 桜のような花弁を撒き散らして回転した刀は、大した驚きもなく指で止められた。

 目つきの悪い少年が荒々しく舌打ちをする。


「やめろゼキア!」


 キリヤが血相を変えてゼキアに掴みかかった。しかし力はゼキアの方が上なようで、僅かな拮抗の末に逆にキリヤが抑え込まれる。


「邪魔だ!神を討伐すんだ!あいつ殺さなきゃ、シュウナの望みが叶わねぇだろうが!!」


「殺す必要はないって言ってただろ!?リーシェ様を説得するだけでいいんだよ馬鹿!!」


「はぁ!?敵に情けかけるってのか!ってかリーシェ様って誰だよ!!?」


 義兄弟の掴み合いに呟きが落とされる。


「消えて消えて消えていく」


 アズリカとラピスは同時にリーシェを見上げた。能面のようだった顔は、いつの間にか辛そうに少しだけ歪められていた。

 リーシェは知っていたのだ。彼女の軌跡が消えていくことに。だから必死にアズリカたちを遠ざけようとしたのだ。

 生きた道のりを無駄に思えるこの光景を、こころに刻みつけてしまわないように。


 アズリカたちの顔面は蒼白だった。

 上からそれを見た少女神は僅かに笑みを浮かべる。


「立ち去りなさい」


 言葉は同じ。けれど意味合いは大きく異なって聞こえた。

 どうするべきか、迷いが生じる。リーシェを連れ帰れは誰も覚えていない世界でリーシェは生きることになる。リーシェはもう、独りでいるしか平穏に生きることができない。

 血が滲むほど唇を噛む。


 口の中に鉄の味が広がった時、朗々とした詠唱がリーシェへ向けられた。


「邪剣、抜錨」


 漆黒のオーラがシュウナの体から吹き出る。彼女が腰に差したまま使うこともなかった刀が、闇色を纏って刃を光らせていた。


「神は滅する。疾く死ぬが良い」


 リーシェが初めて本腰を入れて防御に入る。ただ構えるだけだった盾をシュウナに投げつけ、雷から斧を形成させた。

 完全なる『伝説の存在』が高く飛ぶ。裂帛の気合いを張り上げて禍々しい刀を一閃させた。


 斧の刃が刀と衝突し、目が眩むほどの火花を散らす。

 記憶を消されたシュウナの神への殺意は空気を揺るがすほどだ。シュウナは誰よりも重く、ルキアの願いを受け止めているからこその重圧だった。


 全力のシュウナと拮抗するリーシェだったが、『重力魔法』への抵抗が揺らいだのか地上に緩やかに降下してくる。足が触れた瞬間、目を見開いた少女が神業とも言える回避行動を取った。


 真横から迫った銀光に気づくと、シュウナを押し飛ばし体を捻ってスレスレで避けた。失敗していれば首が飛んでいただろう一撃を繰り出した人物を見て、リーシェが目を伏せる。


「そう……。あの後、頑張って強くなってここまで腕を上げたのですね。キリヤ」


「?あなたは僕を知っているのですか?僕は神と会うのは初めてなはずですが」


 あまりにも無慈悲な言葉。

 見ていられなくなったアズリカは、鎖を展開させ捕獲可能な者を縛り上げた。


「何をするのです!アズリカ!恩を忘れたのですか!?」


「おい離しやがれ!」


「アズリカさん!何を考えているんですか!!神を殺さないと……!」


「だまれ!!!!」


 抵抗するレイラとゼキアとキリヤは、アズリカの腹の底からの怒声に口を閉じる。

 怒りと悲しみで息が上手く吸えないながらも、青年は必死に訴えた。


「俺たちのリーシェに!俺の恩人に!これ以上、手ぇ出すんじゃねぇよ!!」


 素足を地上につけたリーシェを背に庇ってアズリカは叫んだ。鼻水混じりの涙声だったが、体裁などこの際全く関係無かった。

 そうしている間にグレイスからも記憶が消えたのか、剣を抜いて動こうとする。見逃すはずもなく第四の鎖で動きを封じた。


 ラピスはシュウナと睨み合い、ライヴィスとルシャはリーシェの隙を探していた。

 アズリカの背後で少女の声が響く。


「システムは……私と心の底からぶつかり合った者の記憶を最後に消します。アズリカたちが私を忘れるまで時間はないでしょう。だから、早々に立ち去りなさい」


「うるさい!いいかリーシェ!俺はお前に救われてばっかりだ!だからたまには俺にもお前を救わせてくれよ!」


「これは!!」


 苛立ったリーシェの大声がプレッシャーとなって大気を震わせる。


「救済とか!恩とか!そういう話じゃないんですよ!!あなたたちがいなくなりさえすれば、全部解決するんです!」


 リーシェが声を荒らげる。アズリカたちを去らせたい、という一心で叫んだリーシェにできた、一秒にも満たない隙を、シュウナは見逃さなかった。


 青年の目の前で赤い血が舞う。

 黒い刀で脇腹を切り裂かれたリーシェが僅かに顔を歪めた。


「まずは一太刀」


「……っ!」


 揺らいだ体に凶悪な金棒が襲いかかる。迎撃から殲滅へ意識を切り替えたリーシェが、斧で金棒を粉砕した。

 遺品を砕かれたことに思考を奪われたライヴィスの腹部に、深々と斧が斬り込まれる。

 薙ぎ払われた邪鬼はそれきり動かなくなった。


「リーシェ……?」


 ライヴィスの息の根を止めた少女に、震える声をラピスがかける。出血による興奮ゆえか瞳孔を開いたリーシェは黒髪の少年に一瞥を向けた。


「フッ……あぁ、本当に可笑しい」


 神の足が地を離れる。再び浮遊すると自嘲気味な笑みを微かに刻んだ。


「少し前の私であれば、それがあなたたちのためならばと命を差し出したでしょうに。本当に笑ってしまいます」


 空気が豹変する。

 肌を刺す神威を放ちリーシェは表情を消す。


「でもコレはだめ。この命だけは、私から奪わせない。立ち去らないというのなら、諸共に眠ってください」


 少女の両手が叩き合わされた。小気味良い音を鳴らす。たったそれだけだった。記憶を消した者たちが力なく倒れたのは。

 シュウナもルシャも、レイラもグレイスも、ゼキアもキリヤも、眠ったまま動かなくなった。

 キリヤの口元に手を近づけて呼吸を確信したアズリカは、ここ一番の衝撃を受ける。


 誰も息をしていなかった。眠るように死んでいた。


 アズリカとラピスだけが立っている地上を見下ろし、じっと目を閉じているリーシェ。その額には汗が伝い、彼女は彼女で何かに抵抗しているようだった。


 一人、目に見えないものに抗う少女が何かを察知し口を開きかける。

 その腹に三日月の剣が突き立てられた。


「………………………は?」


 緩慢な動きで剣が投げられた方向を見る。見なくたって分かった。この場で生きているのは、アズリカとリーシェ以外にラピスしかいないのだから。


「あぁ……シュウナの攻撃が効きましたね……。システムへの抵抗が緩んだ一瞬で、抹消はラピスにまで追いついてしまった」


 フラフラと落ちながら分析したリーシェの言葉は、アズリカの耳には全く届いていなかった。

 なんで、という絶叫だけが頭を支配していた。


「神がいない世界を作る。神の時代は終わり、これよりは人の文明が発展する世界になる。その実現にお前は邪魔だ。唯一絶対神」


 涼しい顔で剣を放ったラピスは、あまりにも明確すぎる敵意をリーシェに向ける。プツンと何かが切れる音が聞こえた。

 次々と涙を零し嗚咽を漏らすリーシェ。


 ラピスとリーシェが心の底からぶつかったのは、半年程前のラズリでの一件の時だ。順番的には、戦人族より先に記憶を抹消されるはずだったが、リーシェがシステムに抵抗したことでついさっきまで覚えていたのだろう。真っ暗になる頭の片隅は冷静に答えを出した。


「嫌だ……」


「アズリカ、早く武器を取れ。あいつを殺……」


「嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ!!リーシェを忘れるなんて絶対に嫌だ!リーシェに救われた命なのに!リーシェのために生きることを選んだのに!リーシェを忘れたら、俺はどう生きればいいんだよ!!」


「アズリカ……何言ってるんだ?リーシェは知らないけど、今はまず神を倒さなきゃならないだろう」


 嘘偽りなくリーシェを知らないと言う少年。

 アズリカはもうラピスには目を向けず、リーシェに懇願した。


「頼むリーシェ!俺を……俺の魂を凍らせろ!」


 アズリカの言わんとすることを瞬時に察したリーシェは、血相を変えて首を振った。

 魂を凍らせる。それは、人としての生活ができなくなる。成長も心の機微も寿命も無くなるかわりに、死体判定となりシステムから外れた存在になる。この考えに至れたのは、システムに近い種族ゆえに起こせた奇跡であった。


「クソッタレな世界のシステムが、俺たちの絆に追いつく前に!頼む!!!」


 状況が飲み込めないラピスを置いてけぼりにし、リーシェの肩を掴んだ。アズリカの覚悟を感じ取った少女は、冷たい表情で立ち上がる。幽霊を彷彿させる滑るような動きでスルリとラピスに肉薄した。


 驚愕した少年がアクションを起こすより早く。

 ――――リーシェが指先で触れたラピスの体が、跡形もなく消える。


「『異世界転送』……来るべき時までサヨナラです」


 こちらに振り向いたリーシェが、ラピスを消した指をアズリカの額に突きつける。

 たったそれだけだった。ブツンと頭の中に音が響いて、感覚が消え失せる。

 最後に残った聴覚に、涙混じりのリーシェの天啓が焼き付けられた。


「約束です。その時が来たら私を―――――てください」


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