重力の女王
『魔境谷』で合流を予定していた戦力は、『魔人族』の女王と魔法兵士一千人。それ以上の投下は無いだろうと考えていたラピスの目の前には、意外すぎる人物たちがいた。
真紅の髪の少女と金髪を揺らす二人の少年だ。少女を視界に入れた瞬間リーシェとの再会を期待したラピスだったが、似ているだけの別人物に肩を落とした。
「不敬者め。こやつ、わしを見て明らかにガッカリしておる」
切り揃えた前髪の下で翡翠の両目が胡乱気に細められた。その隣で宥めるように苦笑するのは、共にダンジョンを攻略したキリヤだ。
「リーシェ様と似ているのですから無理もありませんよ。いっそ、その紛らわしい髪色やら目の色やらを変えてみてはどうです?」
「馬鹿め。色が同じと言うだけで顔は似ておらんじゃろが」
若干毒が強い少年の提案に少女シュウナは唇を尖らせた。確かに優美なリーシェと比べると、どちらかと言えばシュウナは鮮烈な美を備えている。
僅かに吊り上がった目に慢心はなく、その風貌は民を従える女王の空気を放っていた。
リーシェは少し垂れ目で、笑うと下がる眉毛が可愛い。一瞬でも間違えた自分を呪いたくなった。
「お前ら、喧嘩は別の時にやれよ。ほら、竜王が早く話を進めろって圧かけてやがるから」
「やがるって何だい?君の方こそ不敬者だね」
シュウナとキリヤの笑顔の応酬を止めた吊り目の少年だったが、悲しきかなここでも喧嘩に発展しそうだ。
そういえば、とふと思い出す。
東の大陸はラーズを使って南の大陸の情勢を監視していた。リーシェから聞いた話によると、ラーズに指示を出した王はシルビアの停滞を願っていたとか。
東の大陸には六人の王がいる。一体誰がラーズに指示を出したのだろう。
ラピスの疑問は指示を出した王自ら明かすことで解消された。
「そっちの女王サマは、てっきりずっとうじうじと家に籠ってると思ったんだけどな」
事実そうであっただろうシュウナは、レウスを不敵に笑いながら睨みつける。
次の瞬間にでもバトルが始まりそうな緊迫感だ。
「貴様の方こそ、時が来ない限り湿っぽく陰気臭い城で退屈そうに過ごしているだけじゃと思ったがな」
「せっかく嫌がらせにそっちの国ボロボロにしてあげようと、ラーズを送ったのに。これだから完全な『伝説の存在』は面倒なんだ。半年で綺麗に建て直しちゃってさ」
「それは褒め言葉と受け取っても良いかの?」
「へぇ。そう聞こえた?」
緊張感がこれでもかと言うくらい高まる。
予備動作もなくレウスが拳を打ち出した。白い華奢な腕が霞む勢いで迎撃する。
たったそれだけで、二人の足元の地面が何層か粉砕された。
強さこそが全てという国で、揺るぎない頂点に君臨する二人の絶対王者。唐突に始まった王者同士の戦いを、力づくで止めたのはアズリカだった。
殴り合う王者たちの間に、何の言葉もなく幾本の剣を炸裂させる。舞う土埃の中でレウスとシュウナはアズリカを見た。
肩を震わせて苛立つ青年は勢いよく二人を指差して叫んだ。
「俺からしたらどっちも引きこもり王だ!くだらねぇ喧嘩で体力使ってんじゃねぇよ!」
普段なら勝手に放置した喧嘩だが、今は神討伐に向かう道中だ。レウスとシュウナは間違いなく主力で、彼らの戦い様で勝率が変わってくるだろう。
少しでも神討伐の可能性を上げたい今、アズリカの言い分は最もなものだった。
光となって溶ける剣の残滓を浴びるように、キリヤも王たちを制止した。
「そうですよ。お二方は神討伐における最大の戦力。その力は未だ実力の知れない神にぶつけてください」
不満そうにしていたシュウナだったが、ゼキアに腕を引かれれば素直に従った。レウスも鼻歌を歌いながら先に進む。
止まっていた進軍が再開され、しばらくするとダンジョンの入口が見えてきた。
前回はリーシェとラピスとアズリカとキリヤ。途中までだが『ルナ・シュヴァリエ』の助けがあってようやく十五階層まで踏破した。
この戦力ならば数時間とかからないだろう。
入口を睨みつけていると、後方から軍隊の足音が響いた。振り向くと、千人の魔法兵士を連れた赤髪の女性が微笑んで立っている。
グレイスは女性の傍に駆け寄り、恭しく頭を下げた。
「母上」
「頭を上げなさい、グレイス。これより先はそのような体裁など関係なくなる戦いが待っていますよ」
つまりあの女性がリーシェの祖母であり、アクレガリアイン家で絶対の地位にいる女王。レイラ・フィリアル・アクレガリアインだ。
レイラに命を救われているアズリカも、挨拶と共に軽く頭を下げた。
「元気そうですねアズリカ。そういえば、数時間ほど前にリーシェがベリアの城に来たそうですよ」
思わぬところから出てきたリーシェの目撃情報に、アズリカと同時にラピスも食いつく。
一気に顔つきが変わる二人の少年を、レイラはリーシェとよく似た微笑みで見つめた。
「残念ながら私はもう出陣していたので会うことはできませんでしたが。イグレットが言うには、何だか寂しそうな顔をしていたと」
「今はどこにいるか分かりますか?」
ラピスの質問にレイラは申し訳なさそうに首を振る。
「ごめんなさいね。あの子の気配が一度途切れてしまってから、生きているというのに気配を感じ取れなくなってしまって」
その理由はすぐに察せれた。リーシェが世界のシステムから外れたからだろう。ラピスの予想だと、『魔人族』の感知能力はシステムに介入しているから可能にしているのだと思っている。ネットワークに入り込める力、と言えば分かりやすいだろうか。
リーシェは一度死んだことでシステムから外され、ネットワーク自体から存在が消えたのだろう。
前例のない状態になっている少女のことがますます心配になりながら、ラピスは憂いのため息を吐いた。
ラピスの胸中を知っているアズリカが、励ますように肩に手を置く。
リーシェの行方は以前として分からないままだが、神を討伐しているうちにフラッと現れてくれるだろうか。リーシェのことだ。きっと一番美味しいタイミングで現れてくれるに違いない。
ダンジョンの入口を前にして、レウスが場をしきる。
「それじゃ、ダンジョン攻略の作戦を説明するよ」
「いいえ。レウス王、それには及びません」
「レイラ女王。それはどういうことかな?」
一階層から攻略の手順を説明しようとしたレウスに、穏やかな表情のままレイラが待ったをかけた。
「わざわざ正面から行かずとも、私が最下層になるべく近い階層を引っ張りあげましょう」
「重力操作でそんなことが可能なのか?」
「舐めてもらっては困りますよ。私はすべての魔人の女王。深き大地を持ち上げるくらいできて当然です」
レイラは自信満々にそう言うと、表情を引き締め両腕を重々しく上へと向ける。
地響きが鳴り地割れが起こる。入口より少し先の地面が盛り上がり、ダンジョンの下層部が丸々と抉り出される。
パッと見た感じ三十階層分が掘り起こされただろうか。
「このダンジョンは百階層で構成されていたようですね。七十階層分は楽できますが、残り三十階層は頑張って攻略しましょう」
「さすが。年季が違うね。……さて、道は拓かれた!戦意滾らせる者たちよ!勇猛なる力を奮え!」
神討伐への第一歩が踏み出された。





