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ボクはもう終わりにする

 長い間、閉じていた瞼をあげた時、アネロは何十回目か分からない後悔をした。


 また迷惑をかけてしまった。

 傷はなくとも、不安そうに見てくる顔を見るだけで何が起きたのか分かってしまう。分かってしまえるだけ、自分は多くの後悔をしてきた。


「ラーズ……」


 愛しい彼の名前を呼ぶ。翳っていた青年の顔が安堵に包まれて、笑顔が咲いた目の下には赤く泣いた痕が着いていた。

 実は泣き虫なのに、アネロを守るために青年は無茶をする。無茶をして、無理をして、傷つくことも厭わずに、いつも背中に自分を庇ってくれる。


 甘えていた。その大きな背中に。

 甘えていた。守られることに。

 甘えていた。それが許される立場に。


 馬鹿だ、とアネロは唇を噛む。

 姉の勝手な我儘で、一体どれだけの人が傷ついているのだ。誰もがたった一つの命しかないのに、守られることが当たり前なわけない。


 結婚、という『手段』でアネロは大切な人と結ばれた。幼少の頃から傷つきながら守ってくれていた男を、甘えと我儘で縛り付けてしまった。


 だけどもう終わりにしよう。

 何よりもラーズが大切だから。彼を守りたいから。


 気が抜けて眠そうにしているラーズに微笑みかける。


「ありがとう。ボクは大丈夫だから、眠って休んで?」


「うん。どこにも、行かないでねぇ……」


 ゆっくりと目を閉じるラーズに無言で笑いかけて、起こさないようにそっと寝台を出る。

 住み慣れた家を大股で歩き、アネロの我儘で揃えたペアのアイテムを指先で撫でていく。たくさんの思い出が詰まった家だ。同時に、アネロの自分勝手な我儘で造られた箱庭だ。


 ラーズにとってあの暮らしはただの契約だった。

 獣人族にとって大事な能力を保有する姉が、力を貸す代わりに求めた交換条件。それが妹であるアネロの保護。

 姉アルロの言があったから、あの穏やかな日々があったのだ。アルロにとってラーズは都合の良い存在で、ラーズにとってアネロは幼馴染であると同時に、ただの守護対象でしかない。


 苦痛だっただろう。

 異性として好きでもないアネロと結婚し、あったかもしれない幸せを手放すのは。

 疲れただろう。

 アネロの我儘な好意で物を揃え、気の抜けない生活を送るのは。


 たくさんの品々に視線を向けて、玄関の前でリビングを一望する。


 そして、踵を返した。


 家を出る。

 竜陽に照らされた眠らない都市を早足で歩き向かったのは、『イーライ』の王が住む城だ。


 石造りの王宮の門前まで行くと、アネロに気づいた衛兵が裏口まで案内した。

 歩き慣れた城だ。何度も往復した。


 アルロは王城の奥深くに大切に匿われている。来る戦いのために力を貯めているのだ。


 厳重な警備を素通りしてアネロは、アルロがいる部屋の前に立った。

 重厚な扉を叩いて中の主を呼び出す。


 扉はすぐに開いた。

 アネロとよく似たオレンジ色の髪。アネロより少し色素の薄い桃色の瞳。


「姉様。ご無沙汰だね」


「アルロ!急にどうしたんだい?まさか、誰かに泣かされたりしたのかい?」


 早速部屋の中に招き入れられ、茶とお菓子を用意される。過保護な姉はアルロの切迫した表情に心配した。


「姉様。お願いがあって来たんだ」


「可愛い妹の頼みだ。可能な限り、何でも叶えよう」


 深呼吸を挟む。平穏で幸福だった毎日を思い出す。ラーズが笑った顔、怒った顔、拗ねた顔、喜ぶ顔……色々な表情を思い起こし、そして胸の奥へしまった。もう二度と思い出すことのないように。


「ラーズと離婚させてほしい」


 その言葉に、二人の両片想いを知るアルロは大きく目を見開いた。


 ☆*☆*☆*


『イーライ』の茶屋で、リーシェたちは情報を共有していた。メンバーはいつもの三人に加えルシャがいる。シノブにはレヴィアタンが入っていった建物を見張ってもらっていた。


「七つの大罪……神官として動いている彼らは、『セブンスロード』という名前で通っている」


「シノブに憑依していたのは、多分『憤怒』の眷属だな。ってことは、倒すべき敵は減っているのか」


 ルシャの基礎知識の説明にアズリカは顎を撫でる。戦いの最中の口振りに思い至る部分があったらしい。


「その通りだ。『セブンスロード』は現在、『傲慢』『怠惰』『貪食』『嫉妬』『強欲』の五人になっている」


「五人?『憤怒』はアズリカが滅ぼしたが、『色欲』もいないのか?」


 思っていた数字より一人少ないことにラピスが首を傾げる。

 これまで会った眷属の面々を思い出してリーシェはハッと察した。


「まさか……スティさんが『色欲』だったんですか?」


「スティ、というのは真名を隠すための偽名だな。アイツの本名はアスモデウス。『色欲』の眷属だったが、禁忌を犯して力を大きく減衰させられていた」


「禁忌……?」


「本来司っていた感情を改変させたんだ」


「……!」


「そんな事が可能なのか……?」


 リーシェの無言の驚きを代弁するようにラピスが言った。実際に成されているのだから可能なのだろう。

 ルシャはコーヒーを洗練された所作で嚥下する。


「意図せず改変してしまったらしい。幼いリーシェを拾い育てていく過程で、眷属の役割と元の人格の人柄の間で、矛盾が生まれた結果だろう。『色欲』は改変され、『慈愛』……『母性』とも言えるものになった」


「……ですが結局、神の圧力には逆らえずあのような真似をしたんですね」


 虐待し育てた上、ダンジョンの支配者に据えようとした。

 神を脅かす可能性がある半神に至った伝説の存在を、始末することが眷属たちの存在意義。恐らくスティはリーシェが多くの戦いを経て半神へ昇華することを危惧した。半神半人になれば眷属たちから命を狙われる。彼女の『慈愛』はリーシェの敵に回ることを恐れた。

 だから、半神になる前にダンジョンの支配者という名目で地下深くに閉じ込めることにしたのだろう。


 この予想が正しければ、リーシェは改めて再確認することになる。

 本当に不器用な人だ、と。


「……レヴィアタンはスティさんを目の敵にしている様子でしたが」


 話を進めるためにリーシェは、先刻対峙した美しい少女のことを思い出す。ラピス曰く『銃』と呼ばれる武器を扱うレヴィアタンは『嫉妬』を司る眷属だ。


「レヴィアタンとアスモデウスが憑依した人物たちは、知己だったと聞いている。異世界から転生し、眷属に目をつけられたようだ」


 何度も聞いた単語にリーシェはラピスと揃って目を瞬いた。リーシェはコメットを前世に持っている。ラピスはコメットと衝突し死亡した男性の人格と共存していたが、先の戦いで無事に統合された。

 また、シルビアにいるゼキアも、過去の世界で死亡した後、記憶だけを消され今世に転生しているらしい。シュウナがゼキアに強く出れないのは、生前の大恩があるからだ。


 リーシェの場合は感情がない飛来物からの生まれ変わり。

 ラピスの場合は人格だけがこの世界にやって来た男性との共存。

 ゼキアの場合は記憶だけをリセットされた状態での、過去からの転生。


 記憶も体もそのままで転生するというケースに会うのは、初めてだった。


「異世界のことは俺も詳しくが知らないが、『嫉妬』を司るあの者は、転生する前からアスモデウスの依代となった者を強く妬み嫉んでいたのだろう」


 ルシャがそこまで言うと、突然個室の扉が勢いよく開いた。

 物凄い勢いで現れた紫髪の青年に、半目になりつつもアズリカが紅茶を差し出す。


「どうしたラーズ。アネロはどうした?」


 冷えた紅茶を飲み干し、荒々しい息をも飲み込んでラーズは叫んだ。


「アネロが!アネロがいないんだ!!」

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