第十五話 どうか、生きてください……
リーシェが連れ拐われてから既に二日が経過しているセルタは、みんな表情が暗かった。
少女のことを特に気にかけていたアンという名前の女性は、空元気な笑顔を浮かべて息子のシュウに接していた。
子供というのは妙に鋭いところがあり自分の母親が暗いのをしっかりと感じ取っていた。
だからこそ、自分だけは明るくしていようといつも通りを装って駆け回っている。
賢い子供たちの笑い声が響く町から少しは離れたリーシェの自宅前では、調査隊のメンバーが集合し会議を行っていた。
簡易的な机のうえに地図を広げて、難しい顔でそれを覗き込む。
黒い石は調査隊を表し、赤い石はリーシェの位置を示していた。
「本によってリーシェの位置が割り出された。場所は禁足地"魔境谷"だ」
ラピスの言葉に隊の面々の表情がさらに翳る。
よりにもよって、立ち入りを禁止されている場所へ連れていかれてしまったので簡単に迎えないところだった。
「生命反応は確認できている。だが二百年前に精鋭を全滅させたあの未開拓領域で、いつまでも無事でいられるとは思えない。すぐにでも救出に行きたいが……」
「危険は図り知れず、生還できたとしても先々代の王命に逆らった罪により厳しく罰せられ、最悪、処刑されることも有り得るでしょう」
ラピスが言おうとして言えなかった言葉を引き継いだのは、隊のメンバーの一人であるルブリスだ。
調査隊の序列三位である彼は、ラピス・ラズリ、爺……正しくはディリシャに続いて発言力の大きい人物である。
ルブリスは結婚したばかりで、都に生後九ヶ月の娘と奥さんを残してきている。
他の隊員にも、恋人や家族がいて守りたい生活があった。
そんな彼らにどうして言えよう?
「何もかも捨てる覚悟で僕についてこい」と。
言えるわけがなかった。
数日前の自分なら少し悩んだだけで……悩んだフリをしただけで、無慈悲に命令しただろう。
だが、セルタで過ごすうちにラピスは思い知ったのだ。
人との交流が、子供の笑い声が、どれほど心に余裕と安楽を与えてくれるのかを。
ラピスは弱くなった。切り捨てることなど、もうできなかった。
でも、リーシェを助けたいのも覆せない事実だ。
理性と本能の狭間で迷子になり唇を噛むラピスに、ルブリスは言った。
「王子よ。我々は罰を受けようと構いませぬ」
その言葉に思わず顔をあげて、青年の青い瞳を見つめる。
そこには、年相応に表情を豊かにし、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした自分が写り込んでいた。
「我ら隊員は、王子を常に見守り有事の際には死守せよ、とアレク王から命令を受けております。本当なら止めるべきなのでしょう。しかし、我々は王命を破ることを承知の上であなたについて行きます」
セルタで過ごすうちに自分に変化があったように、彼らに1人ひとりにも変化があったのだろう。
ルブリスに追随するように、他の隊員たちも一様に頷いていた。
常日頃から相手の表情を観察し、本性を見抜く術を身に付けてきたラピスだからこそ彼らの想いをまざまざと感じ取った。
「「「我ら一同、ラピス様に従います!どうかご命令を!!」」」
一斉に響く声で隊員は言う。
諦念も、自棄もない、晴れ晴れとした笑顔で言うものだから、ラピスも笑って命令してしまった。
「お前たちの覚悟、確かに受け取った!ゆえに問おう!お前たちは、僕のために命を投げ出せるか!?」
「「「いいえ!!」」」
「あぁそうだ!それでいい!僕のために命を投げるな!命を捨てる覚悟など川にでも捨ててこい!何があろうと、生き抜く覚悟をした者だけ俺についてこい!!」
「「「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!」」」
全員が高々と拳を突き上げる。
野太い歓声は町まで届き、その声に人々はようやく明るい表情を作った。子供たちも満面の笑顔になり一緒になって歓声をあげる。
ラピスも拳を作ろうとしたその時だった。
再び、あの巨大な梟が現れたのは。
「あいつは……!」
忘れるはずもない。リーシェを連れていった梟だ。
人間が2人乗れそうなほど大きな梟は、調査隊のすぐ真横へ着地すると口に抱えた水晶玉へ視線を集めた。
写ったのは、いかにも性格の悪そうな男だ。
『ご機嫌麗しゅう、調査隊の皆様。それとラピス王子殿下。わたくしはキージスと申します。お見知りおきを』
録画なのか、隊員の顔は見ず一点に視線を留まらせながらキージスは言った。
『あなた方がお探しの赤毛の少女ですが、わたしくしが魔境谷にてお預かりしております。ですがご安心ください。無理をして山をいくつも越えずとも、迎えの梟を用意させていただきました。防寒装備を十分に整えて空の旅をお楽しみください。それでは、また八日後にお会いしましょう』
映像はそこで途切れる。
なにも写さなくなった水晶は梟によって飲み込まれ、代わりに十羽の梟が次々と降り立った。
一羽に二人乗れば、ちょうど隊員が全員乗れる数だ。
ルブリスに人数分の防寒具を町で調達してもらってから、ラピス率いる調査隊メンバーは魔境谷へ出発した。
☆*☆*☆*
<時を進めること八日 魔境谷>
リーシェは祭壇のようなものがある部屋の中央で、ずっと待機していた。
母の姿はない。命令に従うと言った後、すぐに引き離されたのだ。
この八日間、リーシェは与えられた「技の力」をさらに研究し〔焔刻〕以外の力も使えるようになっていた。
望むものを焼き付くす〔焔刻〕とは真逆の氷の力である。
使う時は刻一刻と近づいてきている。
キージスによれば今日、ラピスたちが魔境谷に到着しこの祭壇にやって来るという。
入ってきたら、逃げられないように部屋の出入り口を凍らせるつもりだ。
ちょうど、八日前にリーシェがいたあの氷の部屋のように。
(あぁ。足音がします。ついに来てしまったのですね……)
扉の向こう側から荒々しい足音が少女の鼓膜を揺らす。
リーシェは静かに詠唱を唱え始めた。
「青く 蒼く 碧く 凍れ
古よりこの身に刻み込まれた 悪魔の絶氷よ」
勢いよく扉が蹴破られる。
リーシェの姿を確認した隊員たちが安堵した表情を作り、最後に入ってきたラピスがこちらの異変に気づいて眉をひそめた。
リーシェは虚飾の笑みを浮かべて、逃げ道を封じる言葉を唇で刻んだ。
「氷刻」
祭壇は絶対零度の処刑場へ変貌を遂げた。
「『知の力』を保有する伝説の少年、ラピス・ラズリ並びに、この場にいるすべての人間へ告げます」
頬の上を冷たい涙が滑る。
壊れた人形のような乾いた笑顔で、自分も含めたすべての者の心を抉る宣告を告げた。
「これより、あなた方を殺します。なのでお願いです……どうか、死んでください……」





