決意、そして出会い
視界も足場も悪い平野に珍しく戦闘音が響き渡る。
いつもは雨音だけが奏でられている場所で、二人の青年が激しくぶつかり合っていた。
緑髪の青年は幾本もの鎖を自由自在に操り。
紫髪の青年は凶悪な鎌を巧みに振り回す。
一見、攻撃範囲的に鎖の方が有利に感じられる。しかしそれは大きな間違いであることを、緑髪の青年は痛いほどに感じていた。
自らが射出する鎖をかの青年は軽々と回避し、あっという間に自身の刃が届く距離まで肉薄するのだ。
狐を思い起こさせるしなやかで素早い動きはまるで芸者のようであった。
急接近するラーズから距離を取り、鎖で迎撃を試みる、という一連の行動を繰り返すアズリカ。
いつしかラーズの顔には退屈そうな色が滲んでいた。
「遅いんだよぉ」
霧の向こうでラーズの体が霞んで消える。
次の瞬間、アズリカの腹に重い衝撃が走った。
「がはっ……!」
肺から酸素が逃げていき視界がチカチカと明滅する。鎖も光となって霧散し、アズリカは丸腰になった。
必要以上に痛めつけるな、というリーシェの言葉があるためかそれ以上の追撃はない。だがアズリカはそれが何よりも屈辱的だった。
アズリカは正直、リーシェやラピスと比べればそこまで強いわけではない。ラズリでの一件で無力を痛いほど自覚している。ラピスの力を借りてようやくマシな戦いができる、というのが現実だ。
だがそれではダメなのだ。
これから、今までとは比べ物にならないほどの強者が次々と出てくるだろう。その戦いにリーシェは必ず巻き込まれる。もしかしたら、惨禍の中心にいるかもしれない。
リーシェを守る。気持ちだけは一丁前にアズリカは奮闘してきた。自己流で魔法を鍛錬したこともある。だけどそれも限界だ。
強くなりたい。何かを圧する強さではなく、大切なものを守れる強さが欲しい。
「俺は……!」
崩れた状態を起こそうとぬかるんだ地面に両手を着く。
ようやく空気を取り込んだ肺から出す声はみっともなく掠れていた。それがどうしたと言わんばかりに、アズリカは身を起こし声を張り上げる。
「強くならなくちゃいけないんだっ!」
「ああ」
少し離れたところで鎌に寄りかかっているラーズが、真剣な眼差しでアズリカを見つめる。そこに嘲笑や侮蔑の光はなく、まるで遠い昔を見るような顔だった。
「俺には『拘束魔法』しかなかった!けど、そんなのは甘えだよな……。リーシェもラピスも、どんどん殻破って強くなっていってるのに、俺だけ甘えてるわけにはいなねぇよな……!」
アズリカは迷うことなく起こしたばかりの状態を地面に擦り付けた。
額を泥で汚し、リーシェが懐かしむようによく触れていた髪を雨水に浸す。
「頼むラーズ!俺に戦い方を教えてくれ!」
しばしの沈黙。やがてラーズが土下座をするアズリカの前にしゃがみこむ。
「アズリカ、だっけ?いいよぉ、お前に向いてる戦い方、オレが教えてやる」
「……!」
「おら、立てよ。土下座のままじゃ何もできねぇだろ」
最初は修行のつもりだった戦いが、この瞬間から指南へと変わる。手を取り合う二人は、仲の良い兄弟のようにも見えた。
☆*☆*☆*
一方その頃、完全個室に残されたリーシェとラピスは真顔で向かい合っていた。
最初に言葉を発したのはリーシェだ。
「ラピス。私が聞きたいことは分かりますか?」
『神威』を発しているわけでもないのに有無を言わせない声音に、ラピスも淡々と受け答えする。
「あぁ。俺が『亜種属性』を二つ持っていることについてだろう」
「フェンリルの嘘かとも思いましたが、あの時のラピスの様子から事実であることは察せられます。あなたが持っている属性について聞いても良いですか?」
問題ない、と少年は頷いた。
「一つは『森羅万象』。この世全てのものに干渉できる属性だ。エンチャントで空間などを利用できるようになったのも、この属性のおかげだな」
追加で頼んだ紅茶を飲んでからラピスは続ける。
「そしてもう一つは『空間』だ」
「『空間』……ずいぶんざっくりした属性ですね?」
「転移ゲートの下位互換のようなものだ。一度行ったことがある場所ならすぐに転移できる」
それならばリーシェも経験したことがあるはずだ。と言っても、ラズリからセルタに緊急転移した時なのでリーシェは意識を失っていた。
「隠していたわけじゃない……というと言い訳みたいに聞こえるかもな」
「『知の力』の本懐は『付与』です。『技の力』のようにはっきりとした属性がない以上、それが『亜種属性』だと気づくのは難しいかもしれませんね」
「ラズリでの一件の時は俺の精神も不安定だった。そこから来る影響がエンチャント効果に及んだのだろうと勝手に結論づけていたんだ」
「『亜種属性』だと気づいたのはいつですか?」
「それこそフェンリルに言われた時だな。リーシェ、本当にすまなかった」
唐突に頭を下げられてリーシェは慌てた。リーシェとしては、隠し事をされていたことが不愉快だっただけで、相手に悪気がないのなら怒る要素は何も無いのだ。
「顔を上げてくださいラピス。聞きたいことはもう一つあります」
「なんでも答えよう」
「ラピス。あなたの神性はどうなんているのですか?」
「どうって?」
「その……半神になってから神性を明確に感じるようになったのですが。フェンリルが言っていた通り、あなたの神性が驚く程に低いんですよ」
『亜種属性』を二つ入手している者とは思えない神性の量に、リーシェは違和感を感じていた。
実際の真偽は不明だが、仮に『亜種属性』を三つ獲得すると半神に昇華する、というフェンリルの話を事実だとしよう。
神性の量が一線を超えれば、心身は半神半人へと変わる。『亜種属性』の数は目安のようなものだろう。この属性が増えるほど神性は増えるはずなのだ。
だが少年の場合は違った。
既にその身に『亜種属性』を二つ獲得し、本来ならば神性も高くなっている。それがラピスには一切ないのだ。
キージスから神性石を返された今、何かしら変化があるかと思ったがそんな様子もない。
リーシェは氷へ変わった右腕をラピスへ差し出した。
「ラピス。神性石を見せてください」
少年は虚空から石を出現させた。青い髪の男は宝石を本から抜き取っただけなようで、一年前に見た赤い本を再び見ることはなかった。
店の光で乱反射するクリアブルーの手のひらの上に、複雑なカットが施された神性石が乗っかる。
空いている左手で髪をまとめていた髪留めを取る。そこには、ラピスの宝石と一つだけ違う神性石があった。
中央部分が少しだけ黒く靄がかかっている石に、ラピスは首を水平に傾げる。
「なんで黒いんだ?」
「キージスの神性の影響です。大方、あの男の心根を表しているんでしょう」
ラピスやアズリカは異空間で起きた全ての事の顛末を知っている。
少年は苛立ちのこもった視線でリーシェの宝石を睨みつけた。
「ぱっと見た感じ何か細工がされているわけでもなさそうですね。しかし、石自体に含まれている神性もさほど多くない……」
「あぁ、もしかしたら」
「何か心当たりが?」
「あくまで突拍子もない推測だけどな。伝説の力が精神に大きく影響されるなら、人格にも大きく影響されるんじゃないのか、と思ったんだ」
なるほど。確かに有り得る話だ。伝説の力は所有者の本質に左右される。精神の在り方は人格と一心同体のようなものだろう。
ラピスの中にはセト ダイキという前世の人格が存在する。リーシェにも前世があるが、宇宙を漂うコメットだったので人格はない。
リーシェとラピスで違いがあるとしたらそれくらいだろう。
となると、本来ラピスが持つはずの神性を前世の人格が横取りしている可能性が高い。少年が言っていた通り、これまでのラピスの実益はセトの知識を多く借りている。決してありえないことだと断言するには、可能性が大きすぎる。
「ラピスの中の話なら私は支えることくらいしかできないですね」
リーシェから宝石を受け取った少年が、頷きつつ躊躇うように口を開く。
「あぁ。リーシェ、半神半人っていうのは実際どんな感じなんだ?」
ラピスにしては珍しい抽象的な質問にリーシェは己の右腕を見つめた。
「思っていたより、不快感はありません。ただ、気配が明瞭に感じられることになったことで、視覚からの情報ばかりに頼らなくなりました。身体能力も大幅の向上したみたいですね」
「そうか。……右腕は?」
「正直、氷の腕を作っている間は『焔刻』と『氷刻』を同時に使い続けているので、常に気を使います。ですがこれも慣れですね。そのうち、自動的に維持できるようになりますよ」
「そうか。痛みはないんだな?」
神経ごと凍らせているので痛みは全くない。何度でも破壊でき再生できる分、肉の腕より使い勝手はいいかもしれないとリーシェは割り切っていた。アンたちが見たらきっと驚いて腰を抜かすかもしれない。
個室に穏やかな空気が流れる。ふと窓の外を見ると雨がいくらか弱まっていた。
飲み物も飲み終えた。リーシェとラピスは都を散策することにしてカフェを出る。予め、壊れない氷で作った花の彫刻を売って金銭を補充していたので、支払いは難なく済んだ。
二人っきりで静かに都を巡る。時々店に立ち寄っては、試着をして楽しむなど何気ない日常を楽しむ。
意識しないうちに手を繋いで歩いていると、目の前の角からオレンジ髪の少女が飛び出してきた。
「おぉっとごめん!ぶつからなかった?」
背丈はリーシェとほぼ同じ。長い髪をツインテールで結び、紅桃色の瞳には快活そうな色が宿っている。
赤い衣を追いついてきた風に揺らしながら、少女は顔の前で両手を合わせた。
「本当にごめんね!お詫びとして何か食べようぜ!」
「ぶつかってないので本当に大丈夫ですよ」
「んん〜じゃあ、匿うのも兼ねてちょっと付き合ってちょうだい!」
何かから追われているらしい。人助けとなれば断りきれないのがリーシェとラピスだ。
ラーズの時とは逆の状況になり、リーシェたちは再び先程と同じカフェに入ることになった。





