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ふざけるなよ

 体を鈍器で打つような鈍い痛みは徐々に収まっていく。

 しかし、まるでキージスの神性が体に馴染んでいくかのような錯覚に陥り、リーシェは唇を血が滲むほど噛み締めた。


「おやおや。そんなに噛んではいけませんよ。せっかくご両親に頂いた命と体、もっと大切に扱ってください」


 地にひれ伏すリーシェの前で膝を着いてしゃがんだキージス。動けないのを良いことに、彼はなんの躊躇もなくリーシェの顎を指で持ち上げた。


 両親を殺した手。今まで何度も悪事を働いたであろう手。

 リーシェにとって汚物以外の何物でもない手すら、今の体では振り払うことが出来なかった。


 一年をかけて溜め込まれた男の神性。

 十数年、特に意識せず少しずつ貯蓄した少女の神性。


 明確の悪意のある神性はリーシェの神性を食い荒らそうと牙を剥く。

 右手の指に嵌められた指輪のせいで、リーシェの抵抗は抑制されていた。


 数分してようやく痛みが完全に収まった。

 神性の争いが無くなった体をユラリと起こして、少女は男を睨みつける。


「あなたの神性で私を操ろうとしたのですか」


「本っ当に強靭な精神をお持ちですねぇ。わたくしの計画では、リーシェさんの自我なんて残っていないはずなんですが」


 体は問題なく動く。

 だがキージスに対する敵対行動を全て封じられていた。

 隙を見て彼を倒す計画が破錠してしまったのだ。この体をどうにかしなければ、リーシェはずっとキージスに刃を向けることはできないだろう。


「わたくしの神性が精神に刻まれたことで、あなたはわたくしの命令に逆らえなくなりました。どうです?親の仇の良いように扱われる気分は?」


「最悪ですね。今すぐあなたを絞め殺したいのに、体が一切動かないのですから」


 いつの間にか手に持っていた魔杖で体を支えながら立ち上がる。

 実は今の短い会話の間に、リーシェは新たな属性を獲得していた。


 宝石が本来の主の元へと返された。それは十数年溜め込まれた少女の神性が、器へ戻ったことを意味する。

 宝石は主の精神を蝕む神性を認識するなり、貯蓄していた神性を一つにまとめた。


 愛する者たちを守るために自らを犠牲にしてきた少女へ、『亜種属性』の祝福を授ける。

 新たな属性の名は『斬守(ざんしゅ)』。


 万物を両断する長剣が使用可能になり、万物を守護する障壁が誰にも気づかれることなく周囲に展開される。


 そしてさらにもう一つ。これはキージスの神性から創られたものだ。

 その名は『神威(かむい)』。


 貯蔵庫たる宝石が返還されたことで、元々リーシェの中で生成されていた神性と宝石の神性。それとキージスの神性が混ざり合い、リーシェの身は半神半人へと昇華されていた。

 神の眷属の神性が伝説の存在の神性と融合し、オーラとなって属性化したもの。それが『神威』だ。


 神の領域に足を踏み入れた者しか纏えない覇気となり、脆弱な精神の持ち主は問答無用で戦意を削がれるらしい。


 誰もが感じられるものであるため、『神威』を獲得したことは隠蔽できなかった。


 キージスは格段に強くなった手駒を見て、興奮したように頬を上気させた。今すぐ少女の全力戦闘が見たくなり、何か良い案はないかと思案する。


 そしてちょうど良いタイミングでラピスたちの気配を察知した。


「リーシェさん。あなたに初めての命令を与えましょう」


 心底忌々しい見慣れた笑顔を見て、リーシェは再び唇を噛み締めた。


 ☆*☆*☆*


 異次元に入りかなり長いこと歩いていると、突然ラピスの目の前に翡翠の宝石が出現した。

 なんの前触れもなく現れた宝石は、間違いなく『知』の力の神性石だった。


 キージスに奪われた可能性が高いと踏んでいたのに、まさか今発見するとは思わなかった。

 もしくは。


「キージスの心境に何らかの変化があり、こっちの石はいらなくなったってことか?」


 ラピスの予想をアズリカが代弁する。

 黒髪の少年が宝石に触れると、違和感なく体の中へ消えていった。


 力が漲ってくるような不思議な感覚に、ラピスは思わず声を上げる。


「おぉ……!」


「感心している場合か。先を急ぐぞ」


 先頭を歩くフェンリルを追い先の見えない空間を歩き始める。

 何故か疲れも空腹も感じないため、休みなく歩いた。そうしてどのくらい時間が経ったのか。

 前方に人影が見えた。

 近づくにつれてその詳細が明らかになっていく。


 深紅の長髪。翡翠の瞳には輝きがなく、細身の体を黒いシフォンドレスに包んでいる。

 左手に持っているのは青白い三日月のような長い杖。


「リーシェ!」


 ようやく見つけた目的の人物に、ラピスの顔が嬉色に染まる。

 だが違和感のある様子を見て駆け寄ることはできなかった。


 浅く息を吸ったリーシェが無言で杖を一閃する。少女と少年の間の白亜の床に、一筋の切れ込みができた。


「この線を超えたら私はあなたたちを攻撃します。交戦を避けたいのなら、今すぐ引き返すことをおすすめします」


 半目になった瞳が冷たくラピスたちを見る。先程からリーシェから感じる威圧にラピスは生唾を飲み込んだ。


「不味いな」


 冷や汗を流すラピスとアズリカの隣でフェンリルが爪を噛む。

 何が、と問いかける視線に青年は短く答えた。


「神性が規定量を超えて半神半人へと昇華している」


 合成獣のような存在から真の伝説の存在へ至ったということか。

 ラピスの無言の問いにフェンリルは微妙な顔をした。


「『技』の方は元々半神に近かった。どういう理由か、身に宿す神性だけで規定量に達しそうだったからな。それが今、満を持して己を昇華したのだ」


「半神半人になると人格が変わったりするのか?」


 あまりにも変わってしまった少女の様子に、アズリカが青ざめながら言った。フェンリルは首を横に振り、人格には影響がないことを示す。


 であればなぜリーシェはラピスたちに攻撃の意志を向けるのだろう。


 考える暇もなく、リーシェは口を開いた。


「相談は終わりましたか?選択を聞きます」


 答えなど最初から決まっている。

 異質な威圧に足を踏ん張りながらラピスは手を差し出した。


「リーシェ。一緒に帰ろう!」


 真っ直ぐ伸ばされた指先が、ほんの僅か線を超える。

 それを悲しそうに見つめたリーシェは魔杖を天へと掲げた。


「交戦の意思を確認しました。これより……殲滅します」


 魔杖が勢いよく振り下ろされる。

 途端、雨のように炎が降り注いだ。『焔刻』で間違いないはずだが、昇華した影響か威力が比べ物にならないほど高くなっている。


 ラピスは咄嗟に『知の力』を展開し、炎の雨を防御する。


「スペースエンチャント"リフレクション"!」


 ラズリで猛威を奮った放射系攻撃を反射する付与によって、雨は天へと返っていく。はるか上空で大爆発が起こり、熱風がリーシェの髪を揺らしていた。


 凄まじい温度の風を涼しい顔で受けている少女。よく見たらその周りを氷の膜が覆っている。風の温度を下げ適温の突風にしているのだろう。


「ラピス。去ってください」


 表情の読めない顔でリーシェが言った。切願にも似た響きの声音は、ラピスとアズリカの心に深く穿たれた。


「アズリカ。もう私のことは放っておいて良いのです。だから二人とも、もう自由に生きてください」


 自由に生きろ。

 その言葉がラピスたちの心に火をつける。


 最初に反論したのはアズリカだった。

 リーシェに対して荒らげることのなかった声を張り上げ、少女の精神に訴えかける。


「自由に生きてるだろ!俺はお前の隣にいたくているんだ!」


 ラピスも続いて叫ぶ。


「俺はお前と一緒にいたい!リーシェを守りたいんだ!」


 少年と青年の意志をリーシェは鋭い視線で拒絶し、二人よりも大きく声を張り上げた。


「それが!!嫌なんです!!私は私が嫌いだから!こんな私のために二人に傷ついて欲しくないんです!!ラピスを愛しているから!アズリカを認めているから!あなたたちにこれ以上苦痛を味わって欲しくないんです!私の我儘に付き合って欲しくないんです!!」


「「!?」」


「もうやめてください!お願いだから、もう私を見捨ててくださいよ!身勝手な私を罵って行きたい所へ行ってください!!」


「……リーシェ。お前、勘違いしてないか?」


「アズリカ?」


 予備動作を一切なく鎖を放ったアズリカが、静かな怒りを浮かべた瞳でリーシェを見つめる。

 飛来した鎖を間一髪避けたリーシェは、冷たい視線に困惑の表情を浮かべた。


「さっきも言っただろ。俺は俺の自由意志でお前の隣にいる。お前に救われたこの命を、俺が望まないことに使うわけないだろ」


 牽制の意味を込めて放出した鎖を回収しつつ、青年は口を動かし続けた。


「お前のためじゃない。俺は俺のためにお前を助けてるんだ。それを否定するなら、リーシェは俺の自由意志を否定することと同じだぞ?」


「アズリカはやっと自身を認めることができたんです。辛かった子供時代を誇りに変えて、平和に生きることを望んでいた。だからあなたがこれ以上戦う必要は……!」


「口説い!!」


 アズリカの怒鳴り声にリーシェが肩を揺らす。


「だから平和にするための戦いに参加してるんだろうが!!お前だけ戦わせるなんて俺はできない!俺はなリーシェ!お前のことが好きなんだよ!」


「な、なにを……」


「ラピスに取られたがな!俺はずっとお前が好きだった。好きな女くらい守ったっていいだろ!お前が嫌いなお前が俺は大好きなんだよ!!人の好きなもん、勝手に否定してんじゃねぇよ!!」


 ピューイと空気を読まず口笛を吹いたフェンリルを、ラピスが引っぱたく。

 少年は歩を進めるとアズリカの肩に手を置いた。


 そしてラピスにしては珍しいニヒルな笑みを浮かべる。


「俺に取られたけどな」


「うるせぇよ!!」


「リーシェ。俺もアズリカと同じだ。俺は好きでお前と一緒にいる。傷つくことは怖いが、リーシェを失うことの方がもっと怖いんだよ」


「ラピス……」


「俺が辛かったら一緒に泣いて、面白いことがあったら一緒に笑ってくれるんだろう?なら隣にいなきゃな」


 リーシェが魔杖から手を離す。得られた答えに何を感じているのか、座り込んだまま顔を俯かせた。


「ほら、帰ろう。リーシェ」


 さっきは拒絶された手をもう一度差し出す。

 しかしその手は、またもや引っ込めざるを得なくなった。


「いけませんねぇ!リーシェさん、これで終わりですかぁ?」


 リーシェとラピスの間に忌々しい男が音もなく降り立つ。どこかで戦況を見守っていたのだろう。

白手袋に包まれた右手で口元を隠すように笑う男は、ラピスを見て笑みを深めた。


「お久しぶりですラピスさん。ご機嫌いかがですか?」


「最悪だな」


「フフフッ……。そうでしょうねぇ!さてリーシェさん。命令です!彼らを殲滅しなさい!」


 やはり何か仕掛けがあったようだ。キージスの言葉を聞いたリーシェが、ブルブルと震える手で再び杖を持つ。


 少女の右手に輝く指輪が煌めきを増していくのに比例して、リーシェの震えも大きくなっていく。


「嫌……です」


「命令に逆らえる立場ですか?どうせ抗っても無駄なんですから、さっさと遂行してくださいよ」


 愉しそうに笑うキージスにリーシェが殺気を込めた視線を向ける。そして次の瞬間、意を決したようにカッと翡翠の瞳を見開いた。


 魔杖が一閃される。

 ボトリ、と何がか落ちた音が聞こえた。

 大きく丸くなったラピスの月の瞳に、指輪が光る右腕が写っていた。


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