第十二話 運命のときはすぐ近くです
ラピスを含めた調査隊が3階を借り切っている宿は、四十代の夫婦を中心に一家が切り盛りしている場所だ。
仲が良い夫婦だが少し注意深く観察すれば、夫のほうが嫁に尻に敷かれているのはすぐに分かった。
他所の夫婦関係に口を挟む気は毛頭ないので、一階エントランスで賑やかにしている彼らに挨拶をしてから、ラピスは自分が借りている部屋へ向かった。
ラピスが借りているのは三階の一番奥の部屋なので、必然と隊員たちの部屋の前を通ることになる。
ありがたいことに一人一人に個室が割り当てられていて、廊下に面した扉の奥からは個人や複数人の気配がした。
自分の部屋にいくには真っ直ぐ通った一本の廊下を通らなければならない。
その何でもないことが、ラピスをげんなりとさせていた。
表情を微妙なものにしながら廊下を一歩、踏み出す。
その瞬間。
「「「おかえりなさいませ!ラピス様!!」」」
ワァァっと一斉に顔を出す隊員。
酒を飲んでいるのか、みんな赤ら顔でテンションが異常に高い。
普段は真面目なだけに、酒に酔ったときの弾けっぷりは半端なかった。
ましてやラピスは14歳。酒が飲める年ではないので、酒で酔うことの愉しさを知っているわけがないので、ネジが飛んだように笑う彼らに分かりやすく顔を青ざめさせた。
「「「今日も一日ご苦労様でした!一緒にお酒なんかどうですか!?」」」
「お前たち!一語一句きれいにハモらせるな!妙に面白い……じゃなくて気持ち悪い!それと、僕はまだ十四歳だ!酒盛りに誘うんじゃない!」
「「「まぁまぁ!そんなこと言わずにグイッと!!」」」
「お主ら飲みすぎじゃぁぁ!」
背後で石像のように待機していた爺が一つ一つ部屋に入り、ご丁寧に一人一人締めていく。
これ以上、ここにいたら切り盛りしている一家にも迷惑がかかると思い、ラピスは走って建物を出た。
条件反射で町を出る方向……リーシェの自宅へ向かうが、丘を登る直前で足を止めた。
「今行っても、リーシェに気を使わせるだけだからな……」
ただでさえ、今日一日ずっと一緒にいて気を使わせてしまったのだ。一人の時間を静かに過ごしたいだろう。
畑の様子を見に来たと言ってもついさっきまで弄っていたばかりだし、どちらにしろリーシェは近くで様子を見守っているはずだ。
どこに行こうかと意味もなく暗くなった空を見上げたとき。
星空の下から何かが頬に落ちてきた。
ポツリと一滴だけ降ってきたそれに最初は雨かと思ったが、指先で降れてみて絶句した。
紅く、変にさらさらとしていて、少しだけ鉄臭い……血だった。
すぐに虚空から本を出して、自分に暗視能力と遠見能力を付与する。
ラピスの本は思い描く通りの能力を自分に付与することができる。また本を使えばもう一人の伝説の存在……リーシェの位置もある程度認識できる。さらにラピス自身にも、遠い未来の技術の知識が備わっていてそれを使って王都を発展させてきた。
付与の効果は絶大で、夜なのに昼間のように視界が明るくなる。
そして、ラピスは見た。
一羽の巨大な梟の足に掴まれて連れていかれる赤毛の少女を。
掴まれた時に鋭く尖った爪が肩をかすったのか、左肩が真っ赤に濡れていた。
衝撃か、別の作用か意識を失い昏倒しているリーシェはピクリとも動かず北のほうへ連れ拐われていった。
それを確認すると。
やけに冷静な頭で緊急弾を空へ放った。
小気味良い音だが、静まり返った町中に響く。静かだったセルタは瞬く間に巣をつつかれた蜂のような状態になった。
「ラピス様!どういたしましたか!」
酔った隊員を締めていた爺が真っ先に駆けつける。
「リーシェが拐われた……」
「はっ!?一体、いつ」
「たった今だ。大きな梟に掴まれて北へ」
暗視能力も遠見の付与も切れたが、梟が飛び去った一点を睨みながら指差す。
今すぐ救助に行くことはできない。
少なくとも半日、リーシェが同じ場所に留まらなければ本で居場所を確認することはできない。
あの忌々しい梟が目的地に降りリーシェの位置が確定しなければ、追うことも叶わなかった。
だから。
「……今夜はゆっくりしていろ。場所が確定次第、隊を編成して救助へ向かう。酔っぱらいどもにもそう伝えておけ。いいな」
今すぐ助けに行きたい気持ちを抑え込み、ラピスは肩を震わせて命令を出す。
素早く動き出す爺と反対方向へ歩く。
今度こそ、リーシェの家に辿り着くとどのように連れていかれたのか現場を調べた。
開けっぱなしの玄関の前にある小さな血溜まり。左肩から流れたものだろう。
主がいなくなった家は今だけ寒々と暗闇に佇んでいた。
☆*☆*☆*
ひどい寒さと痛みを覚えてリーシェは気だるく目を開ける。
包帯が巻かれた左肩は、ろくに消毒されなかったのか熱く熱を持っていた。
不思議な場所にいた。
凍った岩肌が剥き出しの洞窟のような空間。
他の人間も、生き物もいない、もちろん植物も生えていない寂しい空間。
歯が鳴るほど寒く、呻吟を漏らしてしまうほど傷が痛む。
ここがどこかも分からない。
恐怖だけがリーシェの心と頭を支配し、沈黙と不気味さが空間を支配する。
「嫌だ……嫌だ……誰か、助けて……」
呻吟の隙間から誰でもない誰かを思い描いて、少女は体を縮めた。





