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ラピス・ラズリの苦悩

 街に出てリーシェがまず始めたのは身支度だった。


 寝ている間に体は拭いてもらっていたようだが、服はあの戦いの日から変わっていない。

 汗臭いし砂埃や血のシミができている。


 セルタで好んで着ていた服だったが、染み抜きもできないし補修用の布の端くれもない。これ以上愛用するのは無理だった。


 昨夜の豪雨から一夜明け晴れ渡った空の下、賑わう出店通りで新しい服を購入した。

 王都の観光もしようと思って持ってきた貨幣が役に立った。


 喉の息苦しさを紛らわせるように首には桃色の布バンドを装着する。

 動く時に布で制限させれないよう袖は広がったものにし、同じ理由で下はスカートにした。


 首以外は濃い緑色の服に身を包んだリーシェは、合わせて行った情報収集の成果をまとめていく。


 まず、あの対峙の日から既に十日の日数が経過しているらしい。王城で戦闘音が響いていたのを聞いていた都民が言っていた。

 豪雨はその間ずっと続いており、本日は久しぶりの晴れなのだという。


 王が世代交代したという話はなかった。ラピスの言った通り非公式の交代なのか、そもそも世代交代自体が嘘なのか。


 都民からの情報だけでは世代交代についての有益な情報は得られなかった。

 ただ一つ、気になったことがある。


 ここ二ヶ月で王都の騎士や兵士が頻繁に都を出入りしていたらしい。

 周囲の集落で問題が起きたわけでもないのに、ひと握りの騎士を除いて城の護衛は数を減らしたようだ。


 これはキージスの策だと考えた。

 万が一、ラピスがキージスを裏切り多数の騎士や兵士で反撃しないように少年の手数を減らしたのだろう。


 スティは死神としてそれなりの強さだったが、あの男はそうでも無いのだろうと自分を納得させた。


 露店で購入した控えめな量の朝食を咀嚼しながら情報を確認し終える。そしてアズリカたちがいる建物の方向に視線を向けた。


 これはリーシェとラピスで決着をつけなければならないことだ。

 アズリカはもしもの時に都民を避難させてくれればいい。助っ人の二人も命をかけてもらう必要はない。


 この戦いはリーシェに売られた喧嘩だ。買ったのはリーシェだ。


「……まぁ、負ける気はないですけどね」


 虚ろな意識に揺蕩っている間、少しだけ聞こえたことがある。

 ラピスのあの強力なエンチャントについてだ。あの情報をヒントにすれば攻略もできるだろう。


 口の端に着いた調味料を指の腹で拭う。


 この瞬間、既にリーシェのスイッチは切り替わっていた。意識をして切り替えたわけではない。『伝説の存在』同士の戦いに、力自体が反応したのだ。


 王城はすでに目と鼻の先。

 正門は次の角を曲がった先にある。


 裏路地で一連の流れをしていたリーシェは無言で蒼槍を生成すると、丸裸の正門へ向かった。


 左手で硬い扉に狙いを定め右手で槍を構える。斜め後ろに身を大きく逸らすと一寸の躊躇いなく投擲した。


 爆音が周辺を揺らす。

 賑わっていた人々が突然の破壊音に避難を始めた。音の発生源から遠くへ行き、あたりはすぐに静寂に包まれた。


 大破した扉の残骸を踏みしめ少女は堂々と城内へ侵入した。


「出合え!リーシェ・フィリアル・アクレガリアインが侵入してきたぞー!」


 ひと握りの護衛に選ばれた優秀なのであろう兵士たちがいち早く侵入に気づいた。

 一切の油断なく剣を構え攻めかかってくる。


 リーシェはそれをひどく静かな目で見ていた。

 歩みは止めず、両手には雷を纏わせる。


「あなた方に用はありません。どいてください」


 制圧は一瞬だった。

 光速で廊下中を埋めつくした雷撃が、向かってきていた兵士たちを一人残らず気絶させる。


 威力を調整したものなので内蔵などに傷は入っていないはずだ。ただ少しだけ痺れて動けなくなるだけだろう。


 都民が言った通り城内は驚くほど護衛兵が少なかった。

 城のかなり内部まで行くと全身武装の騎士たちが現れようになったが、全員氷漬けにして動きを止めた。


 そしてあっさりリーシェは「王の間」へ辿り着いた。

 天井は吹き抜けになり、床も所々が砕けている。


 それでもなお存在感を放つ玉座に、十日前と変わらない様子でラピスはいた。


「ラピス様。十日ぶりですね」


 静かでありながら、燃えている感情が見え隠れする声でリーシェは話しかけた。

 ラピスは冷酷な表情だが無理して作っているようにしか見えなかった。

 きっと十日前にあの辛そうな顔を見ているからだろう。


「お聞きしてもよろしいですか?」


「……あぁ」


「私が憎いのですか?だからこんなことをするのですか?」


 肘掛に乗せられた少年の指がピクリと震える。

 静夜の満月のような瞳は、鏡のようでありながら何も写していなかった。


「俺はお前が憎い。これは本当だ。だがそれが理由でお前と戦っているわけではない」


 これが少年の真意なのだろう。

 憎しみで攻撃をしている訳では無い。だが憎しみは確かに抱いている。


「憎いと言っても、本当にお門違いな憎しみだ。お前は何も悪くない。だが俺はお前にこの感情を向けてしまう。きっとこれは"八つ当たり"なんだろうな」


 達観したような口調で彼はそう言った。

 そこまで自己分析をしておきながら、ラピスはリーシェを憎んでしまうというのだ。


「それはなぜ?」


「リーシェはリーシェで、ラピス・ラズリは何者でもないからさ。なぁ、俺はどこにいるんだ?俺は一体何なんだ?」


 変声期を迎えたばかりの声が震える。

 ラピスの顔が苦しそうに歪み、骨ばった男らしい指が黒髪を掻き乱した。


 その様子から、少年はずっとこんな葛藤をしてきたのだと悟る。

 いつだったかラピスが言っていたことがある。


『苦手なんだよ。この場所が』と。


 あれは確かリーシェが初めて王都に来た時だったはずだ。

 あの時少年はとても冷めた様子で城での時間を過ごしていた。

 最初に出会った時もラピスは元々傲慢不遜な性格だった。傲慢不遜でなければ生きていけないのだとでも言うように、性格は気難しかった。


 その印象は間違いではなかったのだろう。

 ラピスという名前の少年は態度で精一杯の見栄を貼らなければならない状況にずっと居たのだ。


 それはなぜか。

 彼が『知の力』の持ち主だから。

 記憶にある知識を最大限発揮すること方向に特化した力を持っていたから。


 そしてその記憶はラピス自身のものではなく、『前世』の記憶を応用しているものだ。

 別人格である前世の記憶を利用して都市を発展させ、多くの人々から支持を得る。


 きっと本人からしてみれば何も嬉しいことはないのではないか。


「今まで利用してきた記憶は全て『前世』の知識だ。この知識がなければ俺はここまで活躍できなかった。じゃあ俺には?ラピス・ラズリという人間には何が残ってる?『知の力』は『前世』の知識があるから効果を発揮している。それがなきゃ俺には何も残らない……!」


 別人格の知識。

 同じ心にあるのに明らかに別の考え方。

 それはラピスにとって『他人』に他ならない。


 であれば、これまでの功績も成果も満足感も達成感も、得られた幸せも肯定感もすべてラピスのものではなく『他人』のもの。

 ラピスがしていたことは、知識を自ら叫ぶことの出来ない『他人』のために代わりに答えを発表するのと変わらない。


 言ってしまえばカンニングと何も変わらなかった。


 生まれた頃から『他人』と一緒。

 問題に対する答え。疑問に対する仮説と証明。評価に対する感情。功績に対する自己肯定感。

 少年の何もかもが『他人』あってこそのものだとしたら……。


 ラピスが自身の存在意義が不明確になるのも納得出来た。

 道具だと思って使っていたはずが、自分が使われていた道具だったのだから。


 ラピスは声を届ける『拡声器』として。

 別人格の『他人』はラピスを操る『模範解答』として。


「俺から解答を取ったら一体何が残る!?俺から『他人』の記憶を取ったら俺は何も出来ない!ただの意地っ張りで見栄っ張りの生意気な餓鬼だ!『知の力』だってまともに使えない!俺にはアズリカのような『魔法』も!キリヤのような『技』も!ましてやリーシェのような『強さ』も『優しさ』もない!俺はぁ!ラピス・ラズリは天才なんかじゃない!俺はただの道具なんだよ!」


 激しい慟哭が「王の間」に悲痛に響き渡る。

 その感情は『嫉妬』と『不安』だ。


 同じ器に入っている別人格への『嫉妬』。

 唯一縋れるものがありながら唯一を認められなかった青年への『嫉妬』。

 刀一本で強大な敵を切り払っていく金髪の少年への『嫉妬』。

 強さも優しさも根性も持ち多くの人に好かれ、居場所も勝利も自分の力で勝ち取っていく少女への『嫉妬』。

 何も無い自分自身の存在の『不安』。


 多くの負の感情に押しつぶされた少年は、キージスの言葉に逆らう余裕もなかった。逆らえる自身もなかった。


「この状況を自分で解決するには『知の力』を使わなければならない……」


 打って変わって静かな口調で少年は言う。


「俺はもう疲れたんだ。もうこんな在り方は嫌なんだ。だから、お前と出会ったこの季節を最後に消えることにした」


「それが、理由ですか」


「あぁ。そうだ。リーシェ、頼むよ……」


 少女は強く唇を噛み締める。

 聞きたくなかった続きの言葉を少年は一拍置いて口にした。


「俺をお前の手で殺してくれ」

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