革命の終わり
重い溜息を吐いたシュウナは、まるで子供に文字を教えるように丁寧に説明を始めた。
「『技の力』の基本的な属性は全部で五つじゃ」
なんだか含みのある言い方にリーシェは小首を傾げた。
「基本的な?」
最初から使える属性は『焔』と『氷』だ。そこから成長するに従い『雷』『風』『癒』の属性を使用可能になる。
リーシェはつい先日の戦いで『雷』の属性を獲得したばかりだ。
「五属性の他にも属性があるのですか?」
「話は最後まで聞かんか。質問は最後に受け付ける」
ピシャリと叱られて項垂れる。
「『伝説の力』は使い手の精神によってその有様を大きく変える。精神が高ぶれば効果は上がり、逆に精神が萎えておれば効果は減衰する。詠唱をするのはそうした方が気分が上がるから、と言うだけの理由じゃ」
確かに詠唱をすると技の威力が上がっていた。これは詠唱に効果があったのではなく、詠唱するという行動に効果があったようだ。気持ちの高まりをコントロールできるようになれば詠唱も必要なくなるのだろう。
「スイッチも精神を高まらせる鍵に過ぎん。つまり、精神状況によってそれぞれの力はいくらでもその姿や在り方を変える。すると、必然的に新しい属性が生まれるのじゃ。わしはこれを『亜種属性』と呼んでおる」
亜種属性。普通ならば存在すらしないはずの属性を発現させるほどの精神の高まり。三日前のリーシェですら新しい属性を解放するに留まった。亜種属性を解放するには、一体どれだけの修羅場が必要になるのだろう。
シュウナは恐らく亜種属性を保有している。
リーシェはそう直感した。
「『亜種属性』に関してはどれだけの種類があるのか知らぬが、わしは二属性認知しておる」
聞かずともシュウナは全て話してくれるようだ。
「一つは『地』の属性。大地そのものを操作することができるが、攻撃範囲が大きすぎるゆえに使い所は選ばなければならん。もう一つは『闇』の属性。これと言って決まった効果はない。あれば何かと便利じゃがな」
想像を絶するほどに強力な属性だった。
能力の効果が分からない『闇』属性はまだしも、『地』属性はひょっとしたら世界そのものを一瞬で破壊しうる能力だ。
地割れで都市ごと奈落に突き落とすこともできる。地震を起こして火山を刺激したり、津波を引き起こすことも出来る。
ある意味、世界を調停するに最も相応しい属性だと思った。
そしてその属性を保有しているシュウナは。『亜種属性』を二つも解放しているシュウナは、本当に神に最も近い存在なのだと痛感した。
何千年も生きてきたからか。それとも『戦人族』という種族だからか。生粋の戦闘の才人にリーシェは改めて恐怖した。
何事もないようにシュウナは話を進めていく。
「基本的な属性と言ったが、必ずしも五属性全てを使えるようになる訳では無い。何事にも向き不向きがあり、使い手にとって扱いやすい属性が解放されやすい。精神の有り様によってそれも変わってくる。平和を望むお前ならば、そのうち『癒』属性も解放できるじゃろうな」
誰かを癒すことのできる力はぜひ欲しいところだ。今回のように怪我を理由に戦力ダウンをするのも避けたい。
そう都合よく解放できるとは思わないが、シュウナが言うのだからきっといつか使える日が来るのだろう。
「『知の力』についてじゃ。これも『技の力』同様、使い手によって効果を大きく変える。使用者の人格や生い立ちによって、基本能力であるエンチャントの向き不向きに違いが出るのじゃ。わしであれば戦闘全般のエンチャントに特化しておる。お前の相方はどうじゃ?」
相方と言われて今の流れで思いつくのは、あの黒髪の少年だ。
今この時も、忙殺されそうな毎日を送っているであろうラピスの顔を思い浮かべながらリーシェは言った。
「なにかに特化している、というのはよく分かりません。あまり近くで見たことがないので」
「そうか。ならば帰ってから聞いてみると良いじゃろう。場合によってはせっかくの力を活かしきれてない可能性もあるじゃろうからな」
そこで話は終わって唐突に沈黙が訪れた。
リーシェも今のところは特に聞きたいことも無い。かと言って部屋を出ようという気にもならなかった。
数分後、ふと思い浮かんだことがあってそれとなく聞いてみる。
「シュウナ様」
「なんじゃ?」
「なぜシュウナ様は私を助けてくれたのですか?」
同じ色の瞳をまっすぐ見ると、リーシェとは全く違う輝きの両目が僅かに揺れた。
数秒の静寂の後、シュウナが答える。
「なんで、じゃろうな。わしもそれを考えておった」
「え」
「……多分、気まぐれじゃろうな。あの金髪の小僧の言葉にそういう気分になっただけかもしれぬ」
「キリヤ様、ですか?」
「あぁ、キリヤというのか。随分とお前を大事に思っているようじゃった」
一体何を言われたのだろう。
首を傾げていると、シュウナからも質問が飛んできた。
「わしも一つ聞くとしよう。お前たち、いつか争うことになる」
「はい?」
「お前とラピスのことじゃ。殺し合いまでは行かずとも、必ずどこかで衝突する。理由は知らぬ。じゃが当たりやすいわしの勘がそう言っている。その時、お前はどうするのじゃ?」
正直、突然そんなことを聞かれても困る。
リーシェとしては少年と争う気は全くないし、少年だってリーシェと争うつもりは無いはずだ。
そういう約束をしたのだから。
「先のことは分かりません。ただ、その時に最善だと思った選択をします」
「そうか……」
再びの沈黙。
今度は控えめなノックで静寂が破られた。
「失礼します。入っても良いでしょうか?」
キリヤの声だ。
特に話すこともないようなので、リーシェはこのタイミングで退室することにした。
「シュウナ様。私はこれで失礼しますね」
「うむ。達者でな」
短い別れの言葉。きっと、もうシュウナと会うことはないのだろう。
『伝説の存在』の先輩であり、神に忘れられた調停者であり、命の恩人であり、最強の女王である容姿が瓜二つの少女に深く頭を下げる。
そうして部屋を出た。
「リーシェ様。お話は終わったのですか?」
「はい。ちょうど終わったところです」
部屋の前で姿勢よく待機していたキリヤと合流して、足の向くままに歩き始める。
「キリヤ様。シュウナ様から聞きました。私を助けるために必死になってくれたと。ありがとうございます」
歩きながら頭を下げると少年は慌てたように首を振った。
「いえ!とんでもないです!むしろ、そんな状況にまで追い込んでしまってすみませんでした」
「私が決めたことです。……革命は成功したんですよね」
「当初の計画とだいぶ大きな過程になりましたが、無事に成功しました。シュウナ様は良き王として国の統治に尽力してくださるでしょう」
キリヤの中でシュウナの評価がだいぶ良い方向に修正されているように感じた。
以前までは突然手のひらを返した身勝手な王、という評価だったはずだ。今は……きっと信頼出来る存在になっているのだろう。
「リーシェ様。この国を発たれてしまうのですよね?」
控えめな言葉にリーシェは迷いなく頷いた。
「はい。私には帰る場所がありますから」
セルタに帰って畑をお世話してアンたちを手伝う。ずっと留守を任せていたアズリカも労って、忙しくしているラピスに顔を見せにでも行こう。
あぁ。穏やかな日常が想像出来ることがこんなにも幸せだ。
キリヤたちとの別れは寂しいがきっとまた会えるだろう。いいや、また会いに来ればいい話だ。
別れは悲しむものではなく、次への楽しみとしておくものだ。
「次に会うまでたくさん面白い話を用意していてくださいね」
「はい」
「何かあったら遠慮しないで私を頼ってください」
「はい。リーシェ様もいつでも頼ってください。戦力として大きな力になりますから」
「はい。寂しくはないですか?」
「寂しいですよ。ダンジョンから国の革命まで、短くも濃い時間を共に過ごしたのですから」
「私も寂しいです。きっと私たち、すぐに会いに行ってしまうかもしれませんね」
穏やかな会話は静かに弾む。ゆっくりとした足取りで街の景色が視界の横を流れる。
革命に旗を掲げた同士たちが、懸命に街を修復している。
道には死体も病人も倒れていない。みんながお互いを支え合い励ましあっている。
最初はあんなに荒れ果てていた。
殺戮がそこらじゅうで起きていた。住民の表情は険しく、子供たちは小さな幸せに縋って生きていた。小さな幸せすら見失ってしまった者は、亡骸に縋って泣いていた。
今はどうだろう。
殺し合いなんてない。悲鳴も死の気配もない。一丸となって明日を見据えている。
なんて素晴らしい国だろうか。なんて美しい大陸だろうか。
ここに来てよかったとリーシェは穏やかに微笑んだ。
街を出て風に揺れる草原を歩く。
花が咲き乱れる華やかな景色に溶け込みたくて、リーシェは草の上に腰を下ろした。
「キリヤ様」
隣に座った少年に優しく声をかける。
春の日差しのように暖かい笑顔で少年はこちらを向いた。
「キリヤ様の昔話、聞いても良いですか?」
「あまり気持ちの良いものではありませんよ?」
「良いんです。私が聞きたいんです」
少しの静寂の後、キリヤはポツポツと語っていった。
幼い頃にレリヤに両親を惨殺させたこと。ゼキアが殺されそうな所を助けてくれたこと。ようやく両親の弔いができたこと。
「ゼキアはずっと責任を感じていたんです。本当は悲しんでいるのに、泣く資格はないとその感情を押し殺していたんです。ゼキアは、いつの日からか狐の仮面の下に自分自身を隠すようになってしまいました」
「あの仮面にはそういう意味があったのですね……」
「でも、あいつはもう大丈夫です。ゼキアはもう前を向き始めました」
「……キリヤ様は?」
「え?」
「あなたは前を向けていますか?」
つい出た質問に困ったように少年は笑う。
いつも大人びたような笑みだったキリヤが、年相応に浮かべた笑顔は儚げだった。
「君は僕のことなんでも見透かしてるんだね……」
リーシェに対しては崩れることのなかった口調が、この時初めて変わった。
きっとこれがキリヤの本当の姿なのだろう。
強がっていたのはゼキアだけではなかったのだ。
「あの日から自分の無力を嘆かない日はなかった。『お前が殺したんだ』と血塗れの両手を伸ばして、グチャグチャに崩れていく両親が夢に出ない日はなかった。僕はずっと、罪悪感に押しつぶされそうだった」
キリヤと二人で路地裏で襲われた際、少年が気を失う直前に呟いていた言葉がずっと引っかかっていた。
『役立たずでごめんなさい』とキリヤは仕切りに謝っていた。あの時も朦朧とした意識の中で、血だらけの両親に会っていたのだと思う。
「僕の周りは強い人ばかりで、僕はこんな自分が嫌で仕方なかった。今回の革命でだって結局僕は足を引っ張ってしまって……」
「それは違いますよ」
聞き捨てならない言葉たちをリーシェは否定した。
「あなたは弱くなんかありません。強さって戦いだけじゃないと思います」
「リーシェ、様……」
「私、ダンジョンであなたの言葉に何度も助けられました。あなたの笑顔に何度も助けられました。あなたの優しさに何度も助けられました。そんな人が弱いはずありません」
キリヤは強い。自信が無いだけで、剣の腕だってかなり立つ。
誰かのために多くを犠牲にできる人が。誰かのためにここまで悩める人が弱いとは思わない。
「ご両親を殺したのはあなたじゃありません。あなたは何も悪くありません。……レリヤ様だって、あんな状況じゃなかったら人殺しなんてしなかったでしょう。悪いのは国だったんです。その国も、今こうして変わりつつあります。だから、もう何も怯える必要はないのです」
「それでも僕は弱い。すぐに涙が出そうになってしまう」
「良いじゃないですか。弱いから泣くのではありません。強いから泣くのです。強いから、悔しいと思って、次こそはと思って涙を流すのです。キリヤ様の涙は過去を悔やみ未来を思って流れているのです」
膝に顔を埋める少年の髪にそっと触れる。
隠れていた目元は赤くなっていた。
控えめになる鈴を一定のリズムで鳴らすと、その瞳にどんどん雫が溜まっていった。
「この鈴、母の形見で小さい頃よくそうやって鳴らしてもらってました」
「心地よい音色ですね」
「僕は小さい頃から泣き虫で頑固でした。よく父に言いくるめられて臍を曲げては母に鈴を鳴らして貰っていました」
なんだか想像できて笑ってしまった。
「今、思い出しました。両親は息を引き取る寸前、僕に『生きて』と言っていました。母は腕を斬り飛ばされ喉を裂かれる寸前まで鈴を揺らしていました」
鮮明に記憶している残酷な過去にも、両親の優しさが滲み出ている。親というのは本当に強いものだ。リーシェは帰ったら久しぶりにお墓参りをしようと決めた。
「全部、僕の妄想だったんですね。両親は僕を恨んでなんかいませんでした」
キリヤのしなやかな指が髪から鈴を取る。
その鈴を果てしない草原へ向けて投げ飛ばした。
「良いんですか?」
「はい。もう僕にお守りは必要ありません。あの鈴には、この豊かな大地で国の行く末を見守っていて欲しいのです」
物には想いが詰まるという。
キリヤは彼なりにあの鈴に何らかの想いを感じ取ったのだろう。
随分とスッキリした表情の少年が軽い動きで腰を上げた。
差し出された手に握ってリーシェも立ち上がると、またゆっくりと歩き始める。
「ありがとうございます。あなたのおかげで僕は父母の想いを見失わずに済みました」
西の大陸へ続く転移ゲートが見えてきた。別れが近づいてきている。
「僕、そろそろ歩き始めます。怯えて泣いてばかりの自分とはここでお別れです」
ゲートの前までやって来た。
まるでリーシェを迎えるようにゲートが眩く光る。
キリヤの後方から見慣れた人影が二つ近づいてきた。
ゼキアとイチカだ。
「おねーちゃん、行っちゃうの?」
思えばイチカとはあまりゆっくり話すことが出来なかった。次に来国した時は活気づいた街を一緒に見て回ろう。
「またすぐに会えますよ。イチカちゃん、キリヤ様とゼキア様をよろしくお願いしますね」
「うん!任せて!イチカ頑張るよ!」
「馬鹿か。俺がお前をよろしくするんだよ」
吹っ切れた顔のゼキアがイチカの頭を小突く。彼の頭の横にはもう狐の面はなかった。
「ゼキア様。お世話になりました」
「おう。また来いよ」
「はい。必ず」
「リーシェ様。どうかお元気で」
「キリヤ様も頑張ってください」
ゲートが輝きを強くする。
三人の姿がどんどん見えなくなっていく。
小さな少女と正反対な二人の少年の姿を心に焼き付けて、リーシェは西の大陸へ転移した。





