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第九話 翡翠の瞳に導かれて

 "死んでくれ"と言ってからしばらく沈黙が続いた。

 重々しいものでもなく、かといって心地よいものでもなく。なにも読めない沈黙が客間を満たす。

 

 言葉が聞こえなかったのだろうか?

 理解が追い付いていないのだろうか?


 キョトンとした真顔のまま表情が一切変わらないリーシェを、ラピスはなぜか不安になりながら見つめた。

 やがて……。


「ラピス様。外をご覧ください」


「……は……?」


 唐突に席を立ったリーシェはラピスたちの後ろにある大きな窓に向かって歩く。咄嗟のことで反応できず、自分も爺も彼女を引き留めることができなかった。


 客間の窓はほぼ床と同じ高さに窓枠の底辺があるため、縦長に切り取られた向こう側へ少女は軽やかに出ていった。

 素足で柔らかそうな草を踏みしめて、こちらに背を向けたまま伸びをする。


 今日は快晴。真っ昼間の太陽は何にも遮られることなく地上を照らしている。

 殺害予告を受けたにも関わらず、両手をあげて暢気に日光を浴びていたリーシェはこちらを振り向いた。


 やっと感情の読み取れたその顔は、ひたすらに穏やかで。

 逃げようだとか、ラピスに危害を与えようとか、そういった邪念は全くなかった。


「ほら。空が青いです。世界は今日も、こんなにも美しい」


 晴れ渡っている。ただそれだけだ。

 彼女はいったい何を言っているのだろう。こんな当たり前の天気を、さも一度しかない特別な日のように語っている。


「目を空に向ければ高く澄みきった青が視界いっぱいに広がります。耳を澄ませば町の喧騒が聞こえます。両手を地につければ暖かな大地の脈動を感じます」

 

 言葉を紡ぐ度に、言葉通りの行動をするリーシェはまるで踊っているようにも見えた。


「患う病も、痛む部位も、憂う悩みもありません。こんなに素晴らしい日に、あなたは誰かを殺すのですか?」


 命乞いをしているのかと思ったが、彼女の目を見る限りそうではないようだ。

 純粋にラピスが……もしくはその側近が手を血に染めることを心配しているようだった。


 一体なぜそんな考えに至るのか、ラピスにはまるで分からない。

 しかし、リーシェの緑の瞳を見ていると不思議と自分に素直になれた。


「俺だって、誰も殺したくない。でも殺さないといけないんだ。お前を殺さないと、俺が殺されるから」


 日の下にいるリーシェと、家のなかにいるラピスの立ち位置はまるで「光と影」のようで、光に導かれるようにすらすらと口が滑っていく。


「お前は……お前と俺は、伝説だから。本当は俺だけのはずだったのに、神様の悪戯で伝説は二つに別たれてしまった。伝説は半分では性能を最大限発揮できない。不完全を完全にするにはどちらかが死んで、能力を譲渡しなければならない」


 次々と機密事項を喋る王子を、側で控えている世話係でもある側近は止めなかった。或いは、止められなかったのかもしれない。あの知性を塊にしたかのような爺も、少女が放つ不思議なプレッシャーにあてられたのかもしれない。


「伝説であると、自分を正しく認識している者を優先させて生き永らえさせ、自分を正しく認識できていない者は即刻殺し能力を返してもらう。そういう目的で、俺たちはここに来た」


「覚えているかどうかの確認が先ほど見せてくれた本だった、ということですね?」


 無言でうなずくと、リーシェはやはり微笑を浮かべながらそっとラピスに近づいた。

 

「なるほど」


「分かってくれたか?」


「いいえ。まったく」


「え」


 こちらの目的を全て話したのに、なにも理解できなかったという少女に王子も爺も目を点にした。

 

 ラピスは生まれたその瞬間から、自分の片割れが世界のどこかにいるのだと悟っていた。


 『太陽が夜空に輝き、月が青空を照らすとき、神の申し子が世界のどこかに降り立つだろう』


 いつの間にか歴史に残らないくらい自然に人々の口で語り継がれ、文字で書き継がれた短い一節の伝説。

 この伝説で語られる出来事が起こったときに誕生した子供には超常の力が与えられ、神の意思によってそのときだけは世界中で一人の子供しか生まれない。

 

 だが、ラピスは知っている。

 伝説の子供は自分だけではない。もう一人、自分とは別に伝説の子供がいる。

 

 ラピスが物心ついたころから出し入れが可能になった本と意識を同調させれば、その存在がどこにいるのかすぐに知覚できた。

 また、あの本を使えば伝説の子供が二人いた場合の能力の状況も読み取れた。

 それこそが、互いの能力の大まかな部分を把握していることだったので、ラピスはリーシェに本について質問したのだ。


 表紙の中央に翡翠の宝石が埋め込まれた本こそ、ラピスが伝説の少年たる理由であり証明だ。

 お互いのことをある程度知っているというのなら当然、ラピスの能力の大前提となる本のことも知っているはずだ。

 

 だが彼女はなにも知らなかった。

 本のことも。そして、もしかしたら……。


「自分の正体も知らないのか……?」


 漠然と呟くと、彼女は小首をかしげて眉を八の字にする。

 嘘はついていない様子だった。


「私はリーシェ。四歳の頃から十年間ビーグリッドにて過ごし、つい最近、ここセルタにて新しい人生を始めました。私が自分について語れるのは、この程度のことだけです」


 零歳から三歳までの間に何があったのか詳しく調べる必要がありそうだ。

 ひとまず死んでもらうことは後回しにして、ラピスは調査隊をビーグリッドに向かわせるべく、リーシェ宅を後にした。

 

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