第八話 お願いだ……俺のために死んでくれ
興味深そうにこちらを見るセルタの人間たちに指示を出してから、ラピスは人知れず深いため息をついていた。
一国の次期王が都を出て調査隊を率いることに、王宮内ではものすごい反発があった。
王都が発展しているのはひとえにラピスあってこそのもので、王子に何かあったら途端に都の反映と発展は停滞するだろう。
命を落としてしまえば王都全体に行き渡らせたラピスの恩恵が消え、停滞どころか衰退してしまうだろう。
ラピスはその全てを押しきってここに来ていた。
ラピスにとって何よりも重要なものがある日突然観測できなくなったからだ。
はやく見つけなければ……。
生きているのか、死んでいるのか、はっきりさせなければ……。
そんな焦りと共にセルタへやって来た。
「ラピス様!!」
町民を調べていた調査隊の一人が自分の名前を呼んだ。
"ソレ"がいるのはビーグリッドのはずだったが、どうやらセルタまで降りてきていたらしい。
早足で調査員の方へ向かう。
そして赤髪の少女を見た。
状況がよく分かっていない少女は戸惑いながらも、隊員に逆らうことなく腕を引っ張られていた。
その髪にエメラルドの石が飾ってあるのを見て確信を得る。
間違いない。あの少女だ、とラピスの本能が叫んだ。
ラピスが許可を出していないのに喋った少女のふくらはぎを、隊員が鞘で叩く。
王族が許可を出していないのに勝手に声を出すとはあまりに無礼な行為だ。
これくらいの折檻は普通だと思って見ていたが、その瞬間こちらの様子を見守っていた町民たちから驚くほどの怒気が膨れ上がった。
これ以上この少女を傷つけるのなら王族であろうと容赦しない。そんな気配を感じてラピスは慌てて隊員を嗜めた。
「良い。お前は下がっていろ。コレは大切な鍵だ。二度と無礼なことをするな」
こうでも言わないと、今にも後ろから刺されそうだった。
これ以上この場に留まろうという気もしなかったので、少女に家まで案内させた。
町の北口でふくよかな金髪の女性とその子供に睨まれながら、緩やかな丘を登っていく。
町人にしては立派な家に連れていかれた。
玄関を開けた少女が唐突にピタリと止まる。
「どうした?」
「あ、あの。少し待って貰っても良いでしょうか?」
「なぜだ?隠したいものがあるのか?怪しいな」
「別に疚しいものじゃないんですけど……。その、ちょっと恥ずかしいと言いますか……」
「気にするな。ほら、早く入れ」
トン、と止まった背中を押して家へ入る。
玄関へ足をいれた途端なにかが足に当たる。
見るとそれは洗濯籠だった。
乾いて下ろした洗濯物が入った木で編まれた籠だった。
そこはなにも問題ではない。
問題は、洗濯物の内容だった。
「おい」
「ひっ……」
「十四歳の女の下着にしては、少し……質素じゃないか?」
なんの柄もなく、素材になんの工夫もない、白い綿パンツが籠からこぼれていた。
ラピスの指摘に赤髪の少女は顔を面白いくらい真っ赤にさせると、こちらの肩をバシリと叩いた。王族の肩をそれはもう力強く。
「もう!バカーー!!だから待ってって言ったんです!」
腕が霞む早さで散らばった洗濯物を回収すると、「すぐそこの客間で待っていてください!!」と言い残して家の奥へ消えていった。
「王子よ……。指摘したあなた様までお顔を真っ赤にされるくらいなら、なにも言わないであげた方が……」
小さい頃から面倒を見てくれた爺にそう言われて、ラピスは珍しく子供っぽく唇を尖らせた。
「赤くなってなどいない。帰ったら有能な目の医者を紹介してやる」
まだなにか言いたげな爺を残して、入ってすぐにある客間のソファに腰かける。
数日ぶりの柔らかい椅子に知らず硬くなっていた体がほぐれていく。
「お、お待たせ致しました。粗茶ですがどうぞ」
数分すると、お茶が入ったコップを盆に乗せた少女が入室してきた。ご丁寧に爺の分まで用意してくれたらしい。
老体に旅はキツかっただろう。
茶を啜った爺はラピスのそんな視線に気づいた途端、半目になった。
「そろそろ隠居でもしたらどうだ?と言うような目でこちらを見ないでくださいませんか?」
「いや、気のせいさ。俺は爺を見ていただけだ」
僅かに笑いながらコップを口許に持っていく。
唇から口内に滑らせようとして、ある失念に気づいた。
「爺、毒は?」
「たった今飲みましたが、その類いの症状はこざいません。安心してお飲みください」
「毒なんて盛りませんよ。お茶が勿体ないですから」
数分前の自分と似た顔をした少女は、ラピスの前の椅子に静かに座るとじっとこちらを見つめてきた。
「なんだ?ジロジロと不躾に」
「え?何かお話があったのではないのですか?」
「あぁ。そういえばそうだったな」
久しぶりに居心地の良い空気だったので、本題を忘れてしまっていた。
爺を除いて、調査隊メンバーはラピスに何かあってはならないと常にこちらを見張っている。その日数、およそ五日。
自然と緊張もするし見られるのは嫌いだ。
ここに来てようやく心が休まったらしい。
頭を本題に切り替えながらまずは少女の名前を聞いた。
「お前の名前はなんと言う?」
「リーシェです。両親はいません。数週間前からこの町で暮らしています」
「では、リーシェ。セルタに来る前はどこにいた?」
「おそらく、ここより川の上流にある村、ビーグリッドからです。場所があやふやなのは川に流されてセルタに来たからです」
「ビーグリッドの前にどこかにいたか?」
「出身はビーグリッドではありませんが、正確なことは分かりません。獣道に捨てられていたそうですから」
「そうか。では……」
一通りの質問を終えて、ラピスは虚空から分厚い本を出現させた。
赤い表紙に緑色の宝石が埋め込まれた本だ。
それをリーシェに見せて問う。
「この本に見覚えはあるか?」
知らない内に喉がゴクリと鳴る。
リーシェの答えで、これからラピスが取る行動が大きく変わってくる。
爺も緊張した面持ちで、部屋はピリピリとした雰囲気に包まれた。
そして、少女は答える。
「いいえ。知りません」
「そう、か……」
あぁ。嫌だ。まさか、あの作戦を実行しなければならないなんて……。
隣が居心地の良いこの少女にあんなことをしなければならないなんて。
だが仕方ない。そのためにラピスはここに来たのだから。
「リーシェ。今から俺が言うことをよく聞け」
「は、はい」
「死んでくれ」
「え……?」
「俺のために、お前は死んでくれ」
その瞬間、リーシェの翡翠の瞳が大きく見開かれた。





