軍人、寝込む④
シエラはアレンたちを見送った後、シビの実を摘んでいた。
「そういえば町でも病が流行ってるって、お医者さん言ってたっけ。ちょっと多めに貰っていこう」
十分に採集したシエラは、シビの実をリュックに詰め込み立ち上がる。
あとは帰るだけ。
コンパスを片手に、元来た方角へと戻り始めようとした瞬間である。
ゴゴゴゴゴ、と地響きが聞こえてきた。
「な、何……?」
尋常ではない雰囲気に、シエラは思わず立ち止まる。
ギャアギャアと獣の鳴き声まで聞こえ、地面も揺れていた。
何か良からぬことが起きている……警戒するシエラの前に、森の奥、茂みの中から何かが飛び出してきた。
「君は……まだここにいたのか!?」
出てきたのはアレンと、兵たちだった。
皆、ボロボロになりながら走っていた。
「……一体、何があったの?」
「魔獣だ! 魔獣の群れがこちらに向かってきている!」
「な……!?」
ずずん! と一際大きな音が鳴ると、森の木々から鳥たちが飛び立つ。
バキバキと枝を折り、葉を散らせながら長い首を持ち上げたのは青い鱗を持つ大蛇――青大将であった。
青大将はシエラたちを睨むと、獲物を狙うように赤い舌を動かした。
「とにかく逃げろ!」
「わかってる」
言われるまでもなく、シエラは橋に向かって駆け出した。
……どれくらい走っただろうか、何とか橋を渡り切ったシエラたちは息を荒らげていた。
落とした橋の向こうでは、十体を超える魔獣たちが集まりつつある。
魔獣たちはシエラたちに向かって、ギャアギャアと吠え声を上げていた。
「……それで、一体何がどうなったわけ?」
呼吸を整えながら、シエラが尋ねる。
「魔獣どもが現れたのだ」
肩を落とすと、アレンはぽつりぽつりと語り始める。
「君の知っての通り、我々は皇子から任務を受けていた。レギオスを捕らえて来い、とな。しかし彼の言う通り、よく考えてみればおかしな話だ。故に我々は皇子に色々と疑問を書いた手紙を送ったのだよ。……それから数日後、届いた便りにはこう書かれていた『私を疑うというなら仕方ない。勿論無理にとは言わない。だが兵たちにはとある任務を課してある。よければそれだけでも付き合って貰えないだろうか?』とな」
「それがさっきの……」
「あぁ、この先にある遺跡に魔石を嵌め込んで来い、というものだ」
その言葉にシエラはハッとした。
「それって……」
「あぁ、ゲートだよ」
苦虫を噛み潰したように、アレンは吐き捨てた。
――ゲートとは、失われた古代魔術、『転移』を作動させる為の大規模装置である。
現在は遺跡として残されており、特定の遺跡同士を瞬時に移動する事が可能なのだ。
大抵は魔力切れで動かなくなっているが魔石を嵌め込めば使用可能となる場合が多く、現代でも使われているゲートは幾つか存在する。
だがそれはごくわずか。
殆どのゲートは閉ざされており、起動される事はない。
どこに通じているかもわからないゲートをむやみに起動すれば、魔獣の闊歩する危険地帯に繋がる可能性がある。
むしろ、現状使われてないゲートであれば、危険地帯と繋がる可能性は高いと言える。
十分に調査し、万全の体制でなければ起動してはならないのだ。
「だがこの男はそれをした」
「うぅ……」
アレンが中年男の背を叩く。
恐らく魔石を嵌め込んだであろう、男は嗚咽していた。
「し、仕方なかったんだ! そうしなければ娘を皇子に差し出さなければならなくて……う、うぅ……」
シエラが何度も見てきた、ミザイのやり方だった。
弱者を虐げ、弱みを握り、無理難題を押し付ける……会ってすぐにその性格を知ったシエラはミザイに何度も注意をした。
やめて、よくない、罰が当たる。と。しかし結局、それが治る事はなかった。
それが原因で、こうして今も悲劇が起きている。
シエラは自分の無力さを悔いた。
「まぁこいつを責めても何も出てこん。とにかくあの魔獣どもを何とかせねば……む」
アレンが向こう岸を睨みつけた時である。
ずずん! と轟音が鳴り、崖が崩れた。
「な、何だ!?」
「見て、魔獣が!」
崖から何かが飛び立つ。
それは三対の薄い翼を持つ、平べったい蛇だった。
「蛇蜻蛉……!」
――蛇蜻蛉は大陸奥深く、太古の樹林に生息する翼の生えた大蛇だ。
大樹の隙間を縫うように飛び、獲物を一口で飲み込む。
体長は15メートルを超え、飛竜にも劣らぬ巨体である。
その性格は獰猛、動くものなら何でも捕らえ、食らう。
「シャアアアアアア!?」
けたたましい悲鳴が上がる。
見れば蛇蜻蛉は、青大将を丸呑みにしつつあった。
「お、おい見ろよ。あのバカでかい青大将を……」
「あぁ……とんでもないバケモンだ……!」
他の魔獣たちは、蛇蜻蛉を恐れたのか逃げ出していた。
ごっ、ごっ、と蛇蜻蛉は青大将を飲み込んでいき、その巨体が倍ほどに膨れ上がった。
食事を終えた蛇蜻蛉はげふっと大きく息を吐き出すと、今度はシエラの方を向いた。
六枚の翼を波打つように動かしながら、泳ぐようにゆっくりと飛んでくる。
「シュー……!」
瞳孔を開き、舌を出し入れしながら、蛇蜻蛉は向かってくる。
その目はシエラたちを、完全に獲物と認識していた。
まるで蛇に睨まれた蛙のように、兵たちは怯えすくんでいた。
「狼狽えるな! 迎え撃つぞ!」
それをアレンが一喝する。
「相手が飛んでいるなら銃を使え! 銃を持っていない者は、弾込めしている者を守れ! 翼を狙えば落とせるはずだ! 落ち着いて冷静にやれ!」
「は……ハッ!」
指示を飛ばされ、兵たちは何とか士気を取り戻す。
銃を持つ者は弾を込め、他の者たちは武器を構えて蛇蜻蛉に備える。
「シャアアアアアア!!」
甲高い声を上げながら、蛇蜻蛉は長い尻尾を振るう。
「避けろぉ!」
尻尾は鋭い鱗がびっしりと生えており、判断が遅れ回避出来なかった者たちが吹き飛ばされた。
鎧の上から切り裂かれ、深い傷を負っていた。
それでも躱した者たちは弾込めが終わり、反撃の用意が完了する。
「弾込め、終わりました!」
「よし、撃て、撃てぇ!」
どん! どん! どどん! と、立て続けに破裂音が鳴り、蛇蜻蛉の翼に火花が爆ぜる。
「『雷撃』っ!」
加えて、シエラの追撃も。
雷光が蛇蜻蛉を貫き、砲撃の火薬と混ざり大爆発を巻き起こす。
「やったか!?」
兵たちが固唾を飲んで見守る中、煙が収まっていく。
その中から何か、巨大な影が見えた。
長細い、平べったいものが千切れて落ちていくのを見た兵たちから、歓声が上がる。
「やった! 倒したぞ!」
「うおおおおおおお!」
ひらり、ひらりと舞い落ちる、蛇蜻蛉だったもの。
だがそれを見たシエラは違和感を覚える。
確かに薄い身体だったが、あそこまでだったろうか。
もうもうと立ち込めていた煙が晴れていく。
「な……!? ば、馬鹿な!」
煙が晴れ、姿を現したのは先刻と同じ姿の、否、むしろ色鮮やかになった、蛇蜻蛉だった。
蛇蜻蛉は瞳孔を開き、敵意たっぷりといった目でシエラたちを見下ろしていた。