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前編

久々に投稿します

 その青い肌をした、絵に描いたように怪しい大男は、おネエ言葉でこう言った。


「さあさあ、あなたの願いを何でも三つだけ叶えて差し上げますわよ~。なんでも言って、ほら早く~」


 その時の私の心境を想像してほしい。

 あなたならどう答えるのだろうか。


◆◇◆


 毎日が日曜日の年金生活者の、それはちょっとした出来事から始まった。


 ピンポーン、ドアのチャイムが鳴る。

「はーい」

 と立ち上がる。

 痛たた。急に立ち上がると膝が痛む。雨の降りそうな6月にはよくこんな痛みが足腰に走る。

 ドアの向こうからは「宅配便でーす」と若い男の声。


 ……宅配便、何か頼んだかしら誰からかしらと、ドアを開けると小さめの箱を配達員が抱えていた。

 送り状を見ると、……そうだった。先日遠出した際に、ショッピングセンターで買ったいくつかの食器を買ったのだ。

 それを送る手配をしてもらっていたのを、すっかり忘れていた。

 受け取りにサインをして箱をそのまま玄関口においてもらう。やれやれ、ホントに色々と忘れっぽいわね。まあ忘れっぽいだけじゃ済まなくて、最近じゃ頭も鈍い婆さんになってるけど……と思いながら、75歳の老人にはこんな小荷物でも重たくて取り落とすといけないので、玄関口で開梱して中身を居間に運ぶ。


 ハサミの先をガムテープに当てて切れ目を入れ、段ボール箱の蓋を開く。中には伊万里の染付け風の湯のみ茶碗と平皿が数枚。

 十日ほど前、洗い物をしていたら手が滑って食器のいくつかを割ってしまったのだ。それを補充するためにいろいろ買いこんだのだ。

 かさばるし、重いからその場では持ち帰らずに、お金を渡して家に宅配してもらうことにしたのだった。


 こんな良い器でお茶を飲むのも悪くないわね、こんなお皿がちょうどあったらいいなと思ってたのよ、と思いながら箱から出して器を出す。

 もちろん良い器といっても所詮はスーパーの品。値段もたかが知れている。でもそんな程度でいい。だって一人暮らしの年金生活者だもの。


 身寄りのない年寄りは贅沢せずに普通に暮らして、なるべく人に迷惑かけないように暮らして行くのが一番望ましい。将来孤独死する未来しか見えてないけど、それでもいい。

 まだ若いころのはるか昔に夫に先立たれ、子供もないまま、親戚とも疎遠になった。今さら縁遠い親戚も、私なんかに頼られても迷惑だろう。

 ただ、ときどき思う。一人で暮らし続けて痴呆症とかになったらどうしようか。うっかり火事でも起こしたら、こんな今住んでいる築年数30余年の木造アパートなんか、あっという間に全焼するかも知れない。

 最近、同じ年頃で近所に住んでいる同年代の大家さんが、アパートを見回りながら、私のことを心配そうに見ている。大家さんはあたしが心配なんじゃなく、私が歳をとってきているから、耄碌したあげく何かとんでもないことやらかさないか、不安に思い警戒しているのだろう。

 歳を取るっていうのは、何もしなくても人に迷惑かけるものなのよねぇ……。

 今さら何千万円もかかる有料老人ホームに入るだけのお金も残ってないし。


 そんなことを考えながら新しく手に入った食器を軽く洗い、お茶の準備をする。

 電気ポットのお湯の量と温度を確かめて、急須に煎茶の茶葉を入れる。

 あ、そうだ、空箱の段ボール片付けなきゃ、と思い玄関に放置してあった段ボールを持ち上げると、ゴロン、と何かが転げる音がした。


 あら、変ね。


 先ほど届いた茶碗と皿は、全部流し台に移したはず。まだなにか入っていたかしら? と段ボールの箱の中を検めると……何か金属製の容器が入っていた。


 最初に見た印象は、食堂で出てくるカレーライスの、カレールウを別皿で持ってくる、あのカレールウ専用容器かと思った。

 だって形がそれに似てたから。

 でもこれは取手があって細長い口がある。よく見たことのあるカレールウの器と違うのは、それに蓋があるってことか。

 細長い先は、急須のような注ぎ口のようになっているようにも見えるし。

 これ、どこかで見たような器だけど、外国の紅茶を淹れるポットか何かかしら。


 困ったわね、と独りごちる。

 こんなの注文した覚えもないから、あのショッピングセンターの店員が間違えて入れたに違いない。返品したほうがいいのだろうか。返しに行くとしてもショッピングセンターは自宅からは結構遠い。でも送り返すのも費用がかかる。着払いで受け取ってくれるだろうか。


 持ち上げて底を見てみたり、蓋を開けてみたりした。中も外も薄汚くて、煤けた感じの器だ。

 こんな金属製の汚れた器と私が頼んだ陶器を一緒にして送ってくるなんて、と店の店員の杜撰な仕事ぶりに不愉快になる。

 面倒だからこのまま送り返すのはやめにしてこっそり貰っておこうか、という考えがチラッと頭に浮かんだが、すぐに追い払う。

 そんなことをして何かのトラブルになっても困る。自分でトラブルの種を蒔くことはない。

 どう見てもガラクタにしか見えないが、価値があるものなのかどうかは私では判断できない。


 余計なことはしないほうがいい。

 年寄りにとって何事もない平和が一番、普通が一番だ。

 このガラクタについては、ショッピングセンターに問い合わせて対応を決めるとしよう。


 はぁ、面倒な、とため息をついてその器をよく眺める。どこかで見たような形だけど思い出せない。これは何だっかな、何に使う容器だったかな……と思いながら付着した汚れが気になって無意識にティッシュペーパーを手に取り、ゴシゴシと擦ってみる。もちろん自分のものではないから傷が付くほど強くは擦らない。

 汚れが落ちて外側が銀色に輝くのを見て、「これ意外と綺麗じゃない」と呟く。


 その時だった。


 その器が光り輝き、注ぎ口のような口から煙のような気体がモクモクと、どんどん湧いてきた。


 そして。


 ……それは姿を現した。


 私は、大きく息を吸い込んで何か「ヒェっ」とか「ヒャっ」とか悲鳴をあげたような気がするが、よくは覚えていない。

 何しろ年寄りだから、絹を裂くような可憐な叫び声は出そうと思っても出てこない。


 煙はどんどん部屋に充満するとやがて一つの場所に集まり、煙から何者かが出てきた。

 何これ、何でこんなマジックショーが私の部屋で行われてるの? と目を丸くしてその光景を見ていた。


 中から現れたのは……不気味な青い肌をした、やたらと濃い顔立ちの、胡散臭くて怪しげな、ニヤついている見上げるような巨漢の男だった。


 青い肌!

 こんな青い顔料を肌に塗りつけて健康に悪くないのかしら。

 それにしても背の高い男だ。


 こんなあからさまに怪しい男は、長い人生でも見たこともなかった。

 不審者であることは間違いない。

 だから今すぐに悲鳴をあげて助けを呼ばなくちゃ。

 そうは思ったが、あまりの非現実的出来事に何もできずに呆然とするしかなかった。

 どうせ金目当ての侵入者だろうが、こんな大男がその気になったら、悲鳴をあげる前に私など昏倒させられてしまうだろう。

 落ち着いて冷静に話し合い、この男の要求を聞いたほうがいい。

 恐怖で体が動かなかったということもあるが、あまりの状況に硬直している今のこの状態なら、落ち着いて話ができるかもしれない。


 だが私が口を開く前に、青い肌をした、絵に描いたように怪しい大男はニヤニヤ笑いながらこう言った。


「さあさあ、あなたの願いを何でも三つだけ叶えて差し上げますわよ~。なんでも言って、ほら早く~」


「は?」


 思わず間抜けな声が出た。

 言ってる意味がわからない。

 しかもおネエ言葉だ。


 ええと、何かの……こういうの、こすぷれ、とかいったかしら。たまに街中で見かける、変な格好して変なポーズを極めている人達がいる。

 この人もその、こすぷれ、に成り切って何かの役を演じてるのかしら。

 でもこの人、こんな人の部屋に勝手に上がりこんで、こすぷれ、とかいう遊びをやるなんて。何て図々しい。

 だが不審者であることは変わりないが、少なくとも暴漢ではないらしい。

 ただ、こすぷれ、の遊びで人の家に不法侵入して変なセリフを口にする、ある意味暴漢より危ない人かもしれないけれど。


 ひょっとしたらこの人、こすぷれ、にハマった挙句、現実と妄想の区別がつかなくなった人かもしれない。


 私は恐る恐る男に言ってみた。


「あ、あの。こすぷれ、ならどこか他所でやっていただきたいんですけど……」

「あっはっはっ、面白いことを言うご主人様よね~」


 と青い男は私に向き直り顔を近くに寄せた。あらやだこの人、濃い顔だけど案外ハンサムね。


「この状況下で、私が何者なのか全く分かっていないようなのね~?」


 青色の肌をした巨漢は快活に笑う。

 いやあの、あまり大声出されると近所迷惑に……あ、今はご近所さんが不審に思って、様子を見に来てくれたほうがいいのだろうか。


「ご主人様」


 巨漢は妙に人懐っこい、しかし怪しげな微笑みを浮かべて厚かましく言いたいことを言ってくる。


「あなたも聞いたことくらいあるでしょう? 私はこのランプに住まう魔神で~す。人はランプの精とかいうこともありますけど~」

 青い怪人はうっふっふと笑う。

「しかしここは格調高く、私のことは『アンティークランプの魔神』と呼んでちょうだ~い」


 はあ?

 ランプの魔神? ランプの精?


 男をよく見てみる。

 筋骨隆々のその上半身は裸で、妙な装身具で体を飾り、頭にはターバンのようなものを巻き、下半身は……下半身は足がない。

 ないというか、この奇妙な器から出てくる煙が凝縮して、この男の体を形作っている。

 こんこんと湧き出る煙はこの器——男に言わせるとこれはアンティークのオイルランプなのだろう——から出ており、それが上に登って渦巻き、集まり、男の体を形成しているようだ。


「私、知りませんでした。幽霊って、こんなに青い顔をしているんですね……しかも筋肉たくさんついてて上半身が裸なんて……」


 状況に頭がついていかずにぼうっとしながら思いついた言葉が口から出る。こんな若くて逞しい男の裸を見るのは久しぶりで何だか少し嬉しい気分になりそうだが、これは怪奇幽霊現象だ。気を引き締めなくては取り殺されるかもしれないとは思うものの、頭はとっ散らかって思考がまとまらない。


「いや、だから! 幽霊じゃなくて! ランプの魔神ですってば! いやもうランプの精という認識でもいいわよ……とにかく願いを言ってくださいよ!」


 青い半裸の幽霊がいささか焦り気味に語る。

 は? 願い? 何それ。


「おとぎ話で聞いたことあるでしょう? 何でも願いを叶えてくれる魔法の精ですよ! あたしゃ人の願いを叶えないと、この封じ込められたランプから自由になれない可哀想な魔神なんですよ! だから何でもいいから願いを言って! 何かあるでしょう、ほれ!」


 ひぇっ、と青い幽霊の勢いに、私は思わずのけぞる。

 怖い。

 迫力にただならぬものを感じる。

 今からでもいいから警察が来て助けてほしい。


「えーっと、なら……け、警察を呼んでもらえますか」

「却下」

「え?」

「却下ですよ、そんなもん」

「え、でも、あの、今、何でも願いを言っていいって……」

「あなたね、たった三つしかない大切な願いをそんなことに使ってどうするんですか。そもそも警察来たら後の二つはどうなりますか。そのまま、このランプ没収されたらどうなります? なにもかも台無しじゃないですか。何が何でも三つ、ちゃんとした願いを言ってくださいよ」


 やれやれ、と大袈裟に肩をすくめて青い男はこぼす。


「三つも願いが叶うんですよ~?

一つだってとんでもないラッキーじゃないですか~。とりあえず何かあるでしょ? 目も眩むような大金とか、素晴らしい恋人とか」


「え、あの、私は老い先短い年寄りなんだから、そんな大金使うなんてことはないし、恋人なんて今さら、あの、その」


 おー・まい・まじーん、と青い男はわざとらしく天を仰ぎ、嘆く。


「こんな無欲な人、なかなかいませーんねー。

豪華客船で世界一周旅行、とか、孫に超ゴージャスなスポーツカーをプレゼント、とか、何でもいいでしょうに」


 旅行は趣味じゃないからこんな老骨に鞭打って世界一周旅行に行く気は無いし、子供や孫のどころか甥っ子も姪っ子もいないのだ。

 一体どうしろと。


「人間なんだから何か願いがあるでしょう。ほれ、言いなさい、言え! さあ吐け、吐くんだ! 今サクッと吐くならサクサクの揚げたてカツ丼もサービスでお付けしますよ~」


 吐いたらカツ丼どころじゃなかろうに。

 一体なにわけのわからないことを言ってるんだこの幽霊は。

 そもそもカツ丼なんて胸やけするもの、もう何年食べてないやら。若くないんだし。


 あ。


 そういえば、膝や腰が痛いのが辛かったんだ、と思い至る。

 年寄りだもの。

 もしも若い頃のように足腰の不調が感じられなくなるようにしてくれる、というなら、それが私の願いといえば願いなのかもしれない。


「あ、あの」

「ほいきた! 何でしょうか! さあ早く言って。さあさあさあさあさあさあ!」


 青い男はにじり寄りながら回答を迫る。

 その勢いに引き気味になりながら、私は緊張した声で言った。


「あ、あの、このところ膝や腰が痛いので、若い頃のように痛まないように、あの、若い頃に……若くしてもらえますか」


 最後は緊張のあまりしどろもどろだ。


「キターーーッ!」


 男は叫ぶ。もうちょっと静かにしてくれないと近所迷惑……いや誰かうちに来て。お願いだから警察を呼んで。


「来たよ来ました定番の!」


 男は欣喜雀躍してその場をクルクルと回り。


「若返りが!」


 ピタッと止まってポーズを決める。


 あれ、そんな話だったかしら?


「さあ、久しぶりにこのランプのまーじーんーのミラクルマジックショータイム! 目ん玉かっぽじって、とくとご覧あれ!」


 キラキラと星くずが七色の光を放ちながら散って、私の周りに集まり回り始めた。


 私はまたも大きく息を吸い込んでできる限りの悲鳴を上げようとしたら、その光は唐突に終わり、消えた。


「さあ、希望を叶えましたよ! 残りの二つも、早よう早よう、今すぐどうぞ!」


 あまりの勢いにポカーンと口を開けて男を見つめる。


 ふと衣服に違和感を感じ、スカートのウエストの周りをずり上げる。と、そこで見た自分の手は……シワもシミも全くない、若鮎のようなピチピチの手の甲だった。


 まさか……私は慌てて洗面所に行き、鏡を見る。あれ、ぼやけてよく見えない……老眼鏡を取り外して、改めて鏡を見直した。

 そこに映っていた顔は、私と全く別の顔……いや、かつての私だった。

 私がまだ十八歳になるかならないかの頃の若い顔。


 私は大きく肺に息を吸い込むと、今度こそ全力で悲鳴を上げた。


 若い頃、女の子同士でふざけあったり、芸能人にキャーキャー言ったりしたことはあったけど、本気で絶叫したのはこの歳にして初めての体験だった。


 絹を引き裂くような叫び声ってこんな声なんだな、と全力で叫びながら頭の片隅で他人事のように思った。

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