殺し屋令嬢は恋をしない
メインではほのぼの小説を書いていますが、毛色の違うものを書いてみました。
宜しければご覧ください。
冷たい大聖堂の中、アイリスは片膝をつき頭を垂れていた。
ちらちらと揺れるまばらなろうそくだけが、熱と光を放っている。
今日は十六才の誕生日。いよいよ待ちに待った叙任の儀式だ。
公爵令嬢として生まれながらも、アイリスが十才のときに家は断絶されてしまった。
財産も没収されて、残された道は平民として生きるか、国外に逃れるかの二つしかない。
しかし、アイリスにはまれに見る魔術の才能があった。
親は多額の金と引き換えに、あっさりとアイリスをこの《影の貴婦人》へと売り払った。
それ以後、地獄の日々が続いた。アイリスにとってではなく、同じく売られた少女達にとって。
アイリスと同じような少女は、他にもいたのだ。
しかし訓練についてこられない少女、少しでも反抗や逃亡の気配をみせた少女は容赦なく消えていった。
文字通りある日の朝に、全ての痕跡が消えてしまうのだ。そして、二度と彼女達が戻ってくることはなかった。
しかし、アイリスにとっては何ら苦痛ではなかった。もとより魔術師になりたかった。
公爵家でそれを言うと、理由も言われずえんえんと説教をされた。
隠していた自作の実験器具は叩き壊され、詠唱を見られた日にはきつい折檻をされたものだ。
それに比べれば《影の貴婦人》で過ごす日々は非常に窮屈だが、ある意味思い通りに生きられた。ついに、魔術師としても一人前として認められたのだ。
しかし、いささか退屈でもあった。訓練で人を殺しても、それはただの作業に過ぎない。
吹き出る血をどれだけみても、意外でも恐ろしくもない。
予測不可能なことなんてなく、全てはそうなるべくしてそうなる。
《影の貴婦人》こそ、まさにその不規則を防ぐ為の組織なのだから。
物思いに耽っていたアイリスだったが、微かな足音で現実に引き戻された。
監督役の婦長が現れたのだろう。儀式の手順は熟知している。
彼女の名前を、アイリスは知らなかった。『婦長』、それだけが彼女の呼び名だった。
「顔を上げなさい」
応じて、アイリスは顔を上げる。
三十後半くらい、いつも通り氷のように冷たい目をした婦長が立っている。
人間味を欠片も感じさせない瞳で、アイリスを見下ろしている。
婦長はバケットから、濁った紫の液体の入った小瓶を渡してきた。
儀式はすでに、始まっていた。
「そなたの肉は、何を守るか?」
「天におられます主に誓って、王国です」
これは聖句。これまでの訓練の日々に、何万回と繰り返してきた言葉だった。
自分達の立場を忘れないよう、様々な言い回しで聞かされ、言わされてきた。
それは、自分が何者に飼われているかの確認でもあり、何者にならなければいけないかの明示でもあった。
次に婦長はバケットから真新しい短剣を取り出し、手渡してくる。
「そなたの血は、誰のために流されるか?」
「天におられます主に誓って、国王陛下です」
最後の聖句が近づいてきた。それが終われば、アイリスは生まれ変わる。
哀れな捨てられた侯爵令嬢ではなく、闇より国に仕える殺し屋として。
美しい肉体、優れた魔術、揺るがない意志を備えた令嬢になるのだ。
「そなたの命は、いつ捧げられるか?」
「天におられます主に誓って、今この時より」
雲が晴れ、夜空から青白い月光が差し込む。
婦長の足元を照らした光が、アイリスの横顔と肢体をあらわにする。
腰までの流れる金髪、たおやかな腕と体つき。
儚げながらも、言い知れぬ刃のように鋭い瞳、それがアイリスであった。
◇
王都の舞踏会は絢爛豪華、極まるものだった。
無理もない、前線から戻った第三王子エルスの祝賀も兼ねているのだ。
近頃、戦争に負け知らずのエルス王子が話題にならない日はない。
今回の戦争も勝利に終わり、日和見の貴族もわらわらと集まっていた。
エルスは、集まった令嬢や婦人と片っ端からダンスを踊っている。
顔繋ぎ、あるいは話題集めか。ただ、誰でも一曲か半曲で終わりのようだ。
すぐにアイリスの番がやってきた。
「レディ、一曲どうですか?」
互いに自己紹介をして、一礼する。
エルスは美形だが線が細く、一部では姫王子とも揶揄されていた。
確かに男性というには線が細すぎ、顔が整い過ぎていた。
演劇の俳優でもこれほど絵になり、美しい男はまずいない。
アイリスの任務は、彼に近づいて弱みを握ることだった。
もちろん、婦長からの命令であるが、誰が元締めなのかはわからない。どうせエルスの兄二人の、どちらかだろう。
「もちろん、お受けいたしますわ」
エルスはアイリスの手を取り、踊り始めた。音楽に合わせて、華麗にステップを刻む。
しかし、ただ踊るだけで終わっては失敗だ。
次に繋がるきっかけを掴まなければならない。
「随分お上手なんですね」
「あら……嬉しいですわ」
エルスが感心したように呟いた。アイリスの鍛えられた身体は、外から見るだけでは決してわからない。
厳しい訓練の中でも、他人の目が触れるところには傷一つない。
軽やかなステップを決め、奏でられた音楽に頷きあう。
社交人としても一流を求められるのが《影の貴婦人》だった。
周囲の貴族達もちらちらと、エルスだけでなくアイリスも見ている。わずかな躍りだけで、注目を集めていたのだ。
「エルス様……もう少し踊りませんか?」
アイリスが、ねだるように言う。
「光栄ですね……しかし順番待ちがありますゆえ、また後程にお願いしましょう」
エルスはそういって離れようとする。その瞬間、アイリスは目線を下げ小声でささやいた。
「……ガルバス伯爵様の怖い噂を聞きましたの」
ガルバス伯爵は第一王子ドゥーアの側近だ。あまりに俗物で移り気な大貴族だが、ゆえにドゥーアと気が合うらしい。
「ほう……」
ぴくり、とエルスの眉が動いた。
ガルバス伯爵はもとより悪評が歩いているような男だが、いままで尻尾を掴ませたことはなかった。
王位継承でちょっとでも優位に立ちたいのなら、まず周りから切り崩すのが最前の筈だ。
「なら、一曲だけお供しましょう」
エルスはそういうとアイリスの手を取り、踊り始めた。
いくぶんか、先程よりも顔が近い。秘密の話をするのだから、当然だった。
「どうもガルバス伯爵様は、ターニャ殿下を連れ出しているそうで……」
ターニャは王族の端くれだが、男遊びが過ぎて国王の怒りに触れた女性だった。
今は王国の北で謹慎中であり、人前に出てくることはない。
「……北の宮からガルバス伯爵の居城に移っていると?」
「どうやら、そうらしいですわ……今はまだターニャ殿下もお静かにされているようですが」
「面白い……実に面白い噂ですね」
このネタは《影の貴婦人》が掴んだ秘話だ。
最もすでに流石のガルバス伯爵も、ターニャ殿下を送り返そうとしているらしいが。
エルスはこのところ反乱の鎮圧や他国との戦争で、社交場へは顔を出せていない。
エルスが動き出すころには、何事もなかったかのように終わっているだろう。
「私、どうも聞き役としていいようで、色々なところで、様々な話を聞きますの」
まずはひとつ餌をぶら下げた。最終的にどう使うつもりであれ、食いついてくるだろう。
あとは《影の貴婦人》から教えられた情報を適度に流し、信用を得ていくだけだ。
なんというルーチンワーク、いっそ誰でもいいような仕事だった。
しかし破滅の日まで、アイリスはエルスの近くにいなければならない。
軍事に長け器量も良いエルスは、戦乱の時代なら王にもなれたかもしれない。
しかし、今は戦争といっても総力戦には程遠い。小競り合い程度だ。
いずれエルスは潰されるに違いなかった。
月が映えるベランダで――あるいはベッドの上で、エルスの心臓にナイフを突きたてるのは自分かも知れないと、アイリスは思った。
今のエリスの勢いなら、そう遠い日ではないだろう。
勢いよく飛ぶ鳥ほどよく目立ち、射ち落されるものなのだから。
くるくると回っていると、曲の終わりに近づいてきた。
今日はあくまで顔合わせだ。じっくりと食い込み、近づいていく。
最後に顔を近づけた時、エルスはにこやかに微笑みかけてきた。
「また会えるでしょうか、レディ」
「……光栄ですわ、王子様」
「その時に、また面白い噂でもお聞かせください」
笑顔を絶やさず、歯を見せながら笑いかけてくる。
「お美しい《影の貴婦人》、またの再会を楽しみにしてますよ」
「――!?」
そういうと、手を振って王子は背を見せ遠ざかっていく。
アイリスは愕然としていた。
いったいなぜ、どうして、どこから?
アイリスの頭の中には疑問が次から次へと沸き起こる。
だが、答えがあるはずもない。
一つだけ、決まっていることがある。
影は影でなければならない。もし正体が露見しても《影の貴婦人》は助けてはくれない。
そして、任務は遂行しなければならない。
エルス王子に近づくこと。それを放棄することは、許されない。
絶望的な状況はずなのに、アイリスの鼓動は不思議と高鳴っていた。
これはゲームだ、命と国を賭けたゲームなのだ。
エルスは想定より遥かに度量があり、頭も切れる。
今夜アイリスを捕らえないのは、彼もまたアイリスを利用するからに他ならない。
アイリスはいままで捨てられ、暗殺者にまで身を落としたのだ。
にもかかわらず、結局《影の貴婦人》でも自由はない。
命じられたことをこなすだけの日々だ。
そこまで振り返ると、アイリスは思い直し始めた。
たとえ最後は悲惨な末路でも――退屈よりはずっといい。
影の中で寂しく死ぬよりかは、ずっといいと。
アイリスは胸に手を当て、次の計画を考え始めていた。
もっと、エルスの側へと行くために。