表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

殺し屋令嬢は恋をしない

メインではほのぼの小説を書いていますが、毛色の違うものを書いてみました。


宜しければご覧ください。

 冷たい大聖堂の中、アイリスは片膝をつき頭を垂れていた。


 ちらちらと揺れるまばらなろうそくだけが、熱と光を放っている。


 今日は十六才の誕生日。いよいよ待ちに待った叙任の儀式だ。


 公爵令嬢として生まれながらも、アイリスが十才のときに家は断絶されてしまった。


 財産も没収されて、残された道は平民として生きるか、国外に逃れるかの二つしかない。


 しかし、アイリスにはまれに見る魔術の才能があった。


 親は多額の金と引き換えに、あっさりとアイリスをこの《影の貴婦人》へと売り払った。



 それ以後、地獄の日々が続いた。アイリスにとってではなく、同じく売られた少女達にとって。


 アイリスと同じような少女は、他にもいたのだ。


 しかし訓練についてこられない少女、少しでも反抗や逃亡の気配をみせた少女は容赦なく消えていった。


 文字通りある日の朝に、全ての痕跡が消えてしまうのだ。そして、二度と彼女達が戻ってくることはなかった。


 しかし、アイリスにとっては何ら苦痛ではなかった。もとより魔術師になりたかった。


 公爵家でそれを言うと、理由も言われずえんえんと説教をされた。


 隠していた自作の実験器具は叩き壊され、詠唱を見られた日にはきつい折檻をされたものだ。


 それに比べれば《影の貴婦人》で過ごす日々は非常に窮屈だが、ある意味思い通りに生きられた。ついに、魔術師としても一人前として認められたのだ。


 しかし、いささか退屈でもあった。訓練で人を殺しても、それはただの作業に過ぎない。


 吹き出る血をどれだけみても、意外でも恐ろしくもない。


 予測不可能なことなんてなく、全てはそうなるべくしてそうなる。


《影の貴婦人》こそ、まさにその不規則を防ぐ為の組織なのだから。



 物思いに耽っていたアイリスだったが、微かな足音で現実に引き戻された。


 監督役の婦長が現れたのだろう。儀式の手順は熟知している。


 彼女の名前を、アイリスは知らなかった。『婦長』、それだけが彼女の呼び名だった。


「顔を上げなさい」


 応じて、アイリスは顔を上げる。


 三十後半くらい、いつも通り氷のように冷たい目をした婦長が立っている。


 人間味を欠片も感じさせない瞳で、アイリスを見下ろしている。


 婦長はバケットから、濁った紫の液体の入った小瓶を渡してきた。


 儀式はすでに、始まっていた。


「そなたの肉は、何を守るか?」


「天におられます主に誓って、王国です」


 これは聖句。これまでの訓練の日々に、何万回と繰り返してきた言葉だった。


 自分達の立場を忘れないよう、様々な言い回しで聞かされ、言わされてきた。


 それは、自分が何者に飼われているかの確認でもあり、何者にならなければいけないかの明示でもあった。


 次に婦長はバケットから真新しい短剣を取り出し、手渡してくる。


「そなたの血は、誰のために流されるか?」


「天におられます主に誓って、国王陛下です」


 最後の聖句が近づいてきた。それが終われば、アイリスは生まれ変わる。


 哀れな捨てられた侯爵令嬢ではなく、闇より国に仕える殺し屋として。


 美しい肉体、優れた魔術、揺るがない意志を備えた令嬢になるのだ。


「そなたの命は、いつ捧げられるか?」


「天におられます主に誓って、今この時より」


 雲が晴れ、夜空から青白い月光が差し込む。


 婦長の足元を照らした光が、アイリスの横顔と肢体をあらわにする。


 腰までの流れる金髪、たおやかな腕と体つき。


 儚げながらも、言い知れぬ刃のように鋭い瞳、それがアイリスであった。



 ◇



 王都の舞踏会は絢爛豪華、極まるものだった。


 無理もない、前線から戻った第三王子エルスの祝賀も兼ねているのだ。


 近頃、戦争に負け知らずのエルス王子が話題にならない日はない。


 今回の戦争も勝利に終わり、日和見の貴族もわらわらと集まっていた。



 エルスは、集まった令嬢や婦人と片っ端からダンスを踊っている。


 顔繋ぎ、あるいは話題集めか。ただ、誰でも一曲か半曲で終わりのようだ。


 すぐにアイリスの番がやってきた。


「レディ、一曲どうですか?」


 互いに自己紹介をして、一礼する。


 エルスは美形だが線が細く、一部では姫王子とも揶揄されていた。


 確かに男性というには線が細すぎ、顔が整い過ぎていた。


 演劇の俳優でもこれほど絵になり、美しい男はまずいない。


 アイリスの任務は、彼に近づいて弱みを握ることだった。


 もちろん、婦長からの命令であるが、誰が元締めなのかはわからない。どうせエルスの兄二人の、どちらかだろう。


「もちろん、お受けいたしますわ」


 エルスはアイリスの手を取り、踊り始めた。音楽に合わせて、華麗にステップを刻む。


 しかし、ただ踊るだけで終わっては失敗だ。


 次に繋がるきっかけを掴まなければならない。


「随分お上手なんですね」


「あら……嬉しいですわ」


 エルスが感心したように呟いた。アイリスの鍛えられた身体は、外から見るだけでは決してわからない。


 厳しい訓練の中でも、他人の目が触れるところには傷一つない。


 軽やかなステップを決め、奏でられた音楽に頷きあう。


 社交人としても一流を求められるのが《影の貴婦人》だった。


 周囲の貴族達もちらちらと、エルスだけでなくアイリスも見ている。わずかな躍りだけで、注目を集めていたのだ。


「エルス様……もう少し踊りませんか?」


 アイリスが、ねだるように言う。


「光栄ですね……しかし順番待ちがありますゆえ、また後程にお願いしましょう」


 エルスはそういって離れようとする。その瞬間、アイリスは目線を下げ小声でささやいた。


「……ガルバス伯爵様の怖い噂を聞きましたの」


 ガルバス伯爵は第一王子ドゥーアの側近だ。あまりに俗物で移り気な大貴族だが、ゆえにドゥーアと気が合うらしい。


「ほう……」


 ぴくり、とエルスの眉が動いた。


 ガルバス伯爵はもとより悪評が歩いているような男だが、いままで尻尾を掴ませたことはなかった。


 王位継承でちょっとでも優位に立ちたいのなら、まず周りから切り崩すのが最前の筈だ。


「なら、一曲だけお供しましょう」


 エルスはそういうとアイリスの手を取り、踊り始めた。


 いくぶんか、先程よりも顔が近い。秘密の話をするのだから、当然だった。


「どうもガルバス伯爵様は、ターニャ殿下を連れ出しているそうで……」


 ターニャは王族の端くれだが、男遊びが過ぎて国王の怒りに触れた女性だった。

 今は王国の北で謹慎中であり、人前に出てくることはない。


「……北の宮からガルバス伯爵の居城に移っていると?」


「どうやら、そうらしいですわ……今はまだターニャ殿下もお静かにされているようですが」


「面白い……実に面白い噂ですね」


 このネタは《影の貴婦人》が掴んだ秘話だ。


 最もすでに流石のガルバス伯爵も、ターニャ殿下を送り返そうとしているらしいが。


 エルスはこのところ反乱の鎮圧や他国との戦争で、社交場へは顔を出せていない。


 エルスが動き出すころには、何事もなかったかのように終わっているだろう。


「私、どうも聞き役としていいようで、色々なところで、様々な話を聞きますの」


 まずはひとつ餌をぶら下げた。最終的にどう使うつもりであれ、食いついてくるだろう。


 あとは《影の貴婦人》から教えられた情報を適度に流し、信用を得ていくだけだ。


 なんというルーチンワーク、いっそ誰でもいいような仕事だった。



 しかし破滅の日まで、アイリスはエルスの近くにいなければならない。


 軍事に長け器量も良いエルスは、戦乱の時代なら王にもなれたかもしれない。


 しかし、今は戦争といっても総力戦には程遠い。小競り合い程度だ。


 いずれエルスは潰されるに違いなかった。


 月が映えるベランダで――あるいはベッドの上で、エルスの心臓にナイフを突きたてるのは自分かも知れないと、アイリスは思った。


 今のエリスの勢いなら、そう遠い日ではないだろう。


 勢いよく飛ぶ鳥ほどよく目立ち、射ち落されるものなのだから。


 くるくると回っていると、曲の終わりに近づいてきた。


 今日はあくまで顔合わせだ。じっくりと食い込み、近づいていく。


 最後に顔を近づけた時、エルスはにこやかに微笑みかけてきた。


「また会えるでしょうか、レディ」


「……光栄ですわ、王子様」


「その時に、また面白い噂でもお聞かせください」


 笑顔を絶やさず、歯を見せながら笑いかけてくる。


「お美しい《影の貴婦人》、またの再会を楽しみにしてますよ」

「――!?」


 そういうと、手を振って王子は背を見せ遠ざかっていく。


 アイリスは愕然としていた。


 いったいなぜ、どうして、どこから?


 アイリスの頭の中には疑問が次から次へと沸き起こる。


 だが、答えがあるはずもない。


 一つだけ、決まっていることがある。


 影は影でなければならない。もし正体が露見しても《影の貴婦人》は助けてはくれない。


 そして、任務は遂行しなければならない。


 エルス王子に近づくこと。それを放棄することは、許されない。


 絶望的な状況はずなのに、アイリスの鼓動は不思議と高鳴っていた。


 これはゲームだ、命と国を賭けたゲームなのだ。



 エルスは想定より遥かに度量があり、頭も切れる。


 今夜アイリスを捕らえないのは、彼もまたアイリスを利用するからに他ならない。


 アイリスはいままで捨てられ、暗殺者にまで身を落としたのだ。

 にもかかわらず、結局《影の貴婦人》でも自由はない。


 命じられたことをこなすだけの日々だ。



 そこまで振り返ると、アイリスは思い直し始めた。


 たとえ最後は悲惨な末路でも――退屈よりはずっといい。


 影の中で寂しく死ぬよりかは、ずっといいと。



 アイリスは胸に手を当て、次の計画を考え始めていた。


 もっと、エルスの側へと行くために。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 設定かなり好きです [一言] 長編化可能ならぜひ続きが見たいです
[一言] 没落貴族の娘が工作員として養成され、任務に臨むまでというコンセプトは、とても興味深いです。
[気になる点] タイトル詐欺、でも俺得。 [一言] 続きが見たい件について。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ