8話・あっさり陥落されていた殿下
「父上。お呼びでしょうか?」
「おまえを呼んだのは他でもない。許嫁のアリーズに婚約破棄を言い渡したと言うのは本当か?」
王宮の謁見の間。玉座に腰掛けた王とその隣の椅子に座している王妃さまの前にわたしより遅れて王太子ジグモンドが入室して来た。約束の時間をとうに過ぎているのにそれに対して謝罪もないばかりか衣服を着崩した状態で現れた。上着のボタンが上から三つほど外されていて首もとのクラバットがだらしなく結ばれもせずに首にかけられている。その首にはちらりと赤い痣のようなものが見えてわたしは軽く眉を顰めた。
彼がここに来るまでの間に何をしていたのか明白である。それをジグモンドは隠そうともしないので目に付いた。
その彼は部屋に入室するなりわたしと目が合うとおまえか? と、睨みつけて来る。恐らく彼はわたしが陛下に告げ口したから呼び出されたものと思っているらしかった。でも陛下は事情をすでにご存知だった。彼より先に入室していたわたしにも同じことを聞いたのだから。恐らく誰かに詳細を聞いたのだろう。その誰かというのはわたしには心当たりがあった。
なぜならこの場はわたしたちが用意したようなものなのだ。リベンジの為に急遽用意された舞台。彼の手をとったあの日から早くも数週間が過ぎていた。あの日からわたしたちはちょくちょく会ってこの日の為に計画を練って来た。その経過で手の者を使いジグモンドの周辺を探らせていたところ、彼が許婚であるわたしを断罪する気でいる。と、きな臭い情報が出てきたのでわたしたちは向こうよりも先に仕掛けることにしたのだ。
わたしはその殿下の行動に注目した。殿下はわたしから目を放すと陛下にとぼけて見せた。
「いったい何のお話でしょう? 父上。身に覚えがありませんが?」
「おまえのしたことについては報告を受けているし、ここにいるアリーズからも確認をとった」
なあ? と、陛下に話を振られ、わたしは頷いた。わたしには後ろめたいことなど何一つない。殿下がわたしを断罪する気でいるのならこっちもそれなりの報復をさせて頂きます。と、挑戦的な微笑を浮かべて彼を見た。そのわたしに殿下は眉を顰めながら陛下に向かって言った。
「何かの誤解ではないでしょうか? そのような軽率な行動をこの私がするはずがないでしょう? 父上」
「余もそう願っておった。なにかの間違いであればよいがと。そなたたちの婚姻は余が決めたものだ。聡明なそなたならこの婚姻の意味を知らぬわけがあるまい? まさか余が従姉姫との約束でそう決めたなどと信じ込んでいるのではあるまいな?」
「分かっております。父上。アリーズとの婚姻は私個人の感情でどうにか出来るものではないことは」
わたしたちの婚約は表向きは王が亡くなった従姉姫の意向を汲んで。と、いうものだったがなんて事はない。王宮内で強い発言力を持つ野心家の人物が二名いて、その彼らが自分の娘をぜひ殿下にと陛下に勧めていた。彼らは互いにけん制しあい、王宮を二分する勢いになっている。そんな彼らの勢力を削ぐ為にもわたしという存在は丁度良かった。
どちらの派閥にも属していない父は伯爵の地位でしかないが陛下のご学友であり現在侍従長の地位にある。母は陛下とは従姉弟同士でわたしには王族の血が流れている。血筋からいっても申し分ない立場にあった。王族はあまり姫に恵まれず王子ばかりで殿下の周囲にちょうどいい年回りの女子がわたし以外にいなかったのもある。
殿下は両親を前にしてるせいか、いい子ちゃんになりきる様だ。そういえば外面は前世同様、大変良かったよなぁ。と、思うわたしの前方から鋭い指摘の声があがった。
「じゃあ、なぜあなたの宮殿にギタ国の第一王女がずっと滞在してるのかしら? わたしの元へは一度もご挨拶がないようだけど? あなたの宮殿に我が物顔で住んでるらしいわね? まさかあなたは許婚であるアリーズを差し置いて彼女と不適切な関係を築いてるのではないでしょうね? 襟元がだらしないこと」
王妃が誤魔化すのはお止しなさいと殿下の首元を扇子で差す。さすがは王妃さま。手抜かりはございません。母親の指摘に慌ててクラバットを押さえ結ぼうとする殿下。母の怒りが相当に深いことを感じ取ったのだろう。その手元は震えてなかなか結べないようだ。見かねて結んであげましょうか? と、言いたくなったけど相手はわたしを嫌っているのだ。そこまでしてあげる義理もないか?
わたしはギタ国の第一王女が遊学していた事は知っていた。ギタ王女に心酔している兄上情報で。でもその王女が王妃さまに何の断りもなく、殿下のいる王太子の宮殿に滞在していたとは思わなかった。
殿下は成人の折に、それまで住んでいた王宮から出て同じ敷地内にある王太子の為の宮殿に移っていた。許婚であるわたしでさえまだ一度も王太子の宮殿には入ったことがないのにギタ国の王女を連れ込んでいたとは節操がない。と、思われても仕方のないことだ。
陛下が顔を顰めていた。
「そなたは許婚でもないギタ国の第一王女殿下を自分の宮殿に住まわせていたのか? それは由々しき問題だ」
「父上。それには訳があるのです。彼女は国許で命を狙われていまして、彼女のことは彼女の義兄であるギタ国王から託されているのです。どうか彼女のことは寛大なお心で対処して頂けますようにお願い致します」
「それは本当のお話なのかしら? もし、そうだとしたらなぜこの国の王である陛下に直接お話がなかったのかしら? ギタ国王から本当にあなたが託されたの? 王女殿下を?」
王妃さまは眉根を寄せていた。殿下の言い分を信じきれてないようだ。長いこと欺かれてきたのだ。それは仕方ないように思われた。
社交界では殿下が王女を連れまわす姿を貴族らに見られているのだから当然のことだ。殿下は王女にお世話係りとして外交官の夫を持つ某侯爵夫人を紹介していたので皆が騙されたのだ。てっきり王女は離宮に滞在し侯爵夫人にお世話されているものと。わたしも信じていた。
ところがエドと色々と調べてゆくうちにそれは表向きの話で、最近離宮には王女は全く帰って来ないばかりか王太子のいる宮殿に泊まり込んでさらにはそちらで暮らし始めて一年になると知らされたときには唖然とした。
前世で言うならこれは親の許可なく同棲だろうが、彼らは自分の立場というものをどうも軽く考えているふしがある。ブロワ国に遊学目的で訪れていた王女がこの国の王太子と懇ろな仲になりまして……なんて誰も祝福はしない。
まず王族の結婚とは国の利益になる為に行なうものであり、わたし達の場合は国内の亀裂を避けるために用意されたものだったけど、実はギタ王女が絡んできた裏には懸念していた勢力の一つの方のボスが付いてたりする。事実を知ったときにわたしは情けなく思った。あっさり陥落されてくれるなよ。殿下。
気をつけないとこのことは両国の外交問題にまで発展するかもしれないのだ。
陛下は黙って王妃と殿下の話を聞いていた。当然、わたしも口を挟めなくて話に耳を傾けることぐらいしか出来なかった。




