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43話・ある宰相一家の最期

ちょっと残酷な話になります。

 薄暗い森のなか。国家反逆罪で国を追われた元宰相の姿は家族と共に不可侵の森にあった。ブロア国には死刑という刑は公には存在しない。この国の守り神である白狐神キュンティアさまが人間が同族を処刑にて殺す行為を禁じているからだ。

 キュンティアさまから見た人間の歴史というものは血生臭いもので王となったものは、自分に逆う者を容赦せず次々に彼らの正義の名のもとに粛清という言葉をかかげ葬ってきた。そのなかで恨みを買いさらに血生臭い抗争は途切れることはない。一時、粛清がおさまったかと思えば何代かごとに再び繰り返される。

 強いものが弱いものを従える。しかもそれは一代限りだ。それを自然の掟として受け入れているキュンティアさまから見れば実に脆弱な存在に思われる人間たちが王位という権力を求めてしかもその地位にしがみつき、自分達の血統を残す為に他の者たちを排斥する行為は理解しがたいものだった。

 だからと言って罪を犯す人間を野ばらしにする気もなく自然の摂理として裁くことを彼女は現王に提案していた。その事情は知らずとも殺人を犯した者や重大な罪を犯した者が送られる場所。それがこの不可侵の森だということは元宰相にも分かっていた。


「辛気臭い場所ね。お母さま」

「そうね。あの人たちもどうせ送ってくれるのならこんな辺地な場所ではなく港まで送ってくれたら良かったのに」


 高位貴族の出で他の貴族同様に着飾ることしか頭にない妻は、その複製のように良く似た娘と共に嘆いていた。彼女達は夫が仕出かした罪をよく理解してなかった。


「フロアがもっと上手く立ち回ってくれていればこんな場所にわたし達が置き去りにされることもなかったのにね。お母さま」

「そうよ。あのあばずれがしっかりジグモンドさまの気持ちを捕まえていてくれれば安泰だったのに悔しいわ」

「よさないか。おまえたち」


 だって。ねぇ。と、お互いに顔を見合す母子には今後の不安は感じ取れない。まるで迎えの馬車が来なくて早く来ないかしら? と、世間話でもしてるような様子で軽いのだ。自分達が罪人だとは理解してない様子だ。


「はああ。せっかくあのアリーズからエドバルトさまを引き離せたと思っていたのに。なによ。あんな子。どこがいいのよ。男とばかり話してるような子」


 宰相の娘が文句をぶつぶつ言う。完全に八つ当たりだ。彼女は以前からエベルー伯爵令嬢のことをよくは思っていなかった。彼女にとってアリーズと同じ年なのが災難だったのだ。社交界デビューの日に今をときめく宰相の娘として華々しくデビューを飾るはずだったのに、王太子に手を引かれて登場したアリーズに話題を掻っ攫われた。皆が彼女に注目し同じ日にデビューした彼女のことなど男性貴族は誰も注目しなかった。

 そのことでショックを受けた娘は、アリーズのことをよく思わなかった母と共にフロアを王太子に近づけることに積極的に協力しあった。

 自分が宰相の娘ということに傲慢になっていて周囲の男性を見下した態度を取り嫌味な発言ばかりしていたので社交界で嫌われていたとは知らずに。


「そうよ。あなたのほうが王太子妃に相応しかったわ。ジグモンドさまは見る目がなかったのよ。あなたを選ばなかったなんて」


 社交界デビューの日にアリーズを伴ない現れたジグモンドを昨日のことのように思い出して元宰相夫人は顔を顰めた。


「これからあなたどうなさるの? まさか一生こんな場所で暮らしてゆくわけではないですわよね?」


 妻が鬱蒼とした森のなかを見上げて金切り声をあげる。元宰相は苦笑した。


「それも良いかも知れぬな。無事にここから出れるかどうか分から…」

「ふざけないで。早く出ましょう。こんなところ」


 妻は宰相の話を最後まで聞かなかった。こんな森に閉じ込められるだなんてお断りだと先に立って歩き出した。もう少し他に気を回せる女性だったなら夫がすでに諦めていることに気がつけただろうに。


「お母さま。お腹すいたわ」

「我慢なさい。一食抜いたぐらいで人は死なないわ」


 妻の気の強い発言に元宰相は苦笑する。確かに一食ぬいたぐらいでは人は死なない。でも何が起こるか分からないのだこの森は。

 そのことを伝えるべきか危惧した元宰相の視界の隅で娘が身を屈めているのが見えた。


「どうした?」

「ご不浄ですわ。こっちへ来ないで。お父さま」


 娘の背後の茂みで何か揺らいだような気がして宰相は慌てた。


「駄目だ。ミレル。こちらへ来るんだ」

「なにをおっしゃっていますの? お父さま。ご不浄くらいゆっくりさせてくださいな。早くあっちへ行って。お父さま」


 これから用を済ませるから向こうへ行けと娘のミレルに追い立てられては宰相は何も言えなかった。

すごすごと引き下がった彼の背後できゃあっ。と、娘の悲鳴があがった。同時になにか物を引きずるような音もした。


「ミレル?」


 慌てて彼女のもとへ戻るとそこにミレルの姿はなく…


「痛い。痛い。離して。やだぁ。離してよ。痛い! お父さま。助けてぇ!」

「ミレル? ミレル? どこだ?」


 娘の助けを求める声に娘の姿を捜すと茂みがごそりと動いた気がした。なにか娘の身に危険なことが起こっている? 元宰相は足元に転がっていた木の枝を掴むと恐る恐る娘がいると思われる場所へと近付いた。


「おい。ミレル? そこにいるのか?」


 恐る恐る近付いた宰相の目に映ったものは娘の上に乗りあがる巨大な熊の姿でそれを見た途端、宰相は木の枝を放り上げその代わり娘のドレスの切れ端を手にして駆け出した。


「ミレルが…ミレルが…!」

「あなたどうなさったの?」


 妻が切り株に腰掛けて待っていた。その姿に安堵したものの危険と隣り合わせのことを知らせなくてはいけない。元宰相は血の滲んだミレルの着ていたドレスの切れ端を妻に見せた。


「ミレルが熊に食われた」

「ええ?」


 初めは信じがたい様子を見せていた妻もそれを見て息を飲んだ。


「おお。ミレル。なんてこと…!」


 あの子にはまだ未来もあったのに。泣き崩れそうになる妻にここにいては危ないと立ち上がらせ歩き出す。


「あの熊がまた来ないとも限らない。行くぞ」

「うう…」


 泣きながら妻が後を付いてくる。先ほどまでの暢気な発言をしていた娘がもういない。あっけなく熊に襲われて食べられてしまった。娘の食われるさまを目撃してしまった元宰相はせめて娘が気を失っていたことが救いだと思った。

熊は鋭い歯を娘の体に突きつけていた。どんなにか痛い思いをしたことだろう。痛みに苛まれて死ぬよりは気を失った後で貪られる方がまだましだろう。彼は涙にくれ背後の妻を気遣うまで頭が回らなかった。

気が付けば自分ひとりでいて元宰相は妻の姿を捜した。


「どこだ? お~い」


 彼は知らなかったのだ。熊は自分の唾液の匂いにつられて彼らの後を追って来ていた事に。娘のドレスの切れ端にその唾液の匂いが残されていたことに。

 それからしばらくしてすきっ腹であてもなく森のなかを彷徨い歩いた彼は物言わぬ遺骸と化した妻の姿を発見して天を仰いで泣いた。


「次はわたしか? 次はわたしの番なのか?」


 何と恐ろしい罰なのだろう。こんなことなら国家反逆罪として皆の前で見せしめに一気に処刑されたほうがまだましだったかもしれぬ。いつ来るか分からない恐怖に恐れおののき眠ることも出来なかった。

喉が渇けは川の水を飲み、お腹が空けば木の枝を揺らして木の実を落として食べた。日が経つにつれて衣服はぼろぼろになり体を洗いたくても、川に入ってる時に熊に襲われたらと思ったら体を洗うことも出来なかった。すぐ側で熊が待機していて彼が隙を見せた途端に襲い掛かってきそうで気が抜けなかった。

夜には娘や妻の最期の姿が目の前でちらついて忘れられなかった。どんどん体は衰弱してゆき生きてることに疲れきった頃、それは目の前に現れた。


「待っていたよ。なるべく痛みは少なく頼む」


 そう言って熊を前にした元宰相は笑みを浮かべた。それががりがりに痩せた彼の最期だった。



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