4話・婚約破棄を通達されました
「アリーズ。結婚したいひとが出来た。おまえとは婚約破棄する!」
ある晴れた空の下、わたしは珍しくも許婚である殿下からの呼び出しを受け王都の中央にある薔薇公園までやって来ていた。ところが許婚の姿は見当たらず、待ち合わせの噴水前でわたしを待っていたのは許婚の乳兄弟である殿下付きの騎士ダニエルだった。
ダニエルは甘く芳しい薔薇の花が美しく咲き誇る公園にて殿下のお言葉だ。心して聞けとばかりに婚約破棄の言葉を声も高らかに宣言してくれた。別に大声で宣言することでもないだろう。観客はわたし一人なのだから。
王太子殿下はご丁寧にも長い間、婚約関係にあったわたしへの気遣いなのか、この公園を貸しきって下さったらしく他に人は誰も見かけなかった。しかし無駄だよなぁ。非常に無駄。こんな浪費をするぐらいなら王妃様を見習って孤児院に寄付や保育園経営ぐらいしたらどうなのだ。あの馬鹿王太子めが。
最近、お気に入りの王女さまに貢いでるらしいからそんな頭は回らないか。憤りを感じて立ち上がったわたしをダニエルが慌てて引き止めにかかった。
「まっ。待てよ。どこに行くんだ? アリーズ嬢」
「どこって帰るんですけど?」
「まだ用は済んでないのだぞ」
「わたくしの用は済みました。こんな誰もいない公園に一人呼び出され滑稽な芝居に付き合わされた時間が実にもったいないですわ。今日は午後より王妃様よりお招きを頂いてますの。もう良いですわよね?」
「あ。うん」
王妃さまの名を持ち出せば騎士である彼は引き下がることをわたしは知っていた。彼は殿下付きの騎士だが、もともと彼の母が殿下の乳母をしていた縁で王妃様には頭が上がらないのだ。なぜなら彼を殿下の学友として引き立てお側付きの騎士にしたのも王妃さまなのだから。
しかし、こんな風に公園に呼び出して乳兄弟にわたしへの婚約破棄の件を申し渡させるなんて一体、何を考えてるんだか。あの顔だけ王太子。
つくづく腹が立ってくる。前世の記憶が蘇ってから四年。現在十八歳になったわたしはもうあいつのことなんてなんとも思っていない。四年前に前世を思い出したわたしはあんなやつに夢中になっていた自分を恥じて卒倒しそうになった。
「これは悪夢の続きですか? 誰かわたしの頭を殴って目を早く覚まさせて下さい」
などと口走った時にはそれを聞いていた今生の父がおいおいと泣いた。でも仕方ないではないか。あれほど好きだった殿下がなんと前世ではわたしを苛めていたあの名高君だったなんて。しかも彼の側に遣えているダニエルは伊達君で、わたしの兄に至っては赤坂君だったのだから。これはもう昼ドラで言えば悪キャラが揃い踏みで悪夢の続行としか思えなかった。現実逃避で夢の中へと逃げ込みたい状況でもあった。あの前世はわたしのなかで黒歴史として葬ってしまいたい過去と成り果てた。
どこか解せない。なぜだ? 今生までも彼らと関わっているだなんて。誰の企みなんだ? 巧妙に仕掛けられた罠だとしか思えないではないか。しかも前世とは違うこの世界で。こんなことなら前世の記憶なんて蘇らなくても良かったのに。知らなければそれなりに幸せだったかもしれないのにさ。
ふとあの頃は良かったよな。なんて現実逃避してみたくなる。幼い頃はジグモンドも素直で可愛かった。幼い頃の殿下は、ウェーブがかった金髪に青い目の美しい少年で天使のように愛らしかった。 今生ではふたつ年上の彼はわたしに非常に優しくて「きみはかわいいおはなのようせいさんみたいだ」なんて嬉しいことを言ってくれちゃってさ。「ぼくのだいじなおひめさま」と、呼んでそれはそれは真綿にくるむように大事に優しく包み込むような態度で接してくれていたってのに。わたしの髪や瞳の色が変わったあの日から掌を返したように別人のように冷たくなってしまった。
ひどくない? わたしのこと大事に思ってる。アリーズが大好きだ。早く結婚したい。って言ってたのにあれは口だけだったんだな。
幼い時からずっと側にいた。だからかな? 婚約破棄と言われてもなんだかスッキリしない。前世の記憶を取り戻したわたしにとっては大嫌いな相手に成り下がったはずなのに。世の中、上手く出来てるよな。自分の身に起きた異変で許婚の心変わりを知りその上で嫌われていた前世を思い出させてくれたのだから。
神さま。ありがとう。おかげで許婚の心変わりを知っても悲しむ要素がさっぱりありません。
しっかしさ、一方的に嫌われるのも癪に障るのよねぇ。これでは前世を再現してるようなものじゃない? 相手は違うけどあの名高君に振り回されてるようで面白くないわ。
あれからジグモンドはわたしのことを呪われた女と言い出して、取り巻きと一緒になってわたしに「寄るな」「触るな」「近付くな。災いに見舞われる」と、意味不明なことを言い出しちゃったりして。前世での虐め再現か?
あの時は「デブス」「力士」と、わたしを呼んで辛かったり虐めたりしてたよな。生まれ変わって前世とは姿形が変わっても人間の本質というのはそんなに変わらないものらしい。
ジグモンドがわたしの黒い髪や黒い瞳を貶す度にわたしのなかで彼への評価がドンドン下がってゆく。黒い髪に黒い瞳のどこが悪いんだ。人種差別か? おいこら。おまえだって前世日本人だっただろうが。それを泥のような色とはなんだ。全ての日本人に謝罪しな。
「あ~。むしゃくしゃするっ。それやっぱり貸して」
「お。おい。アリーズ嬢?」
わたしは段々と腹立しくなって来た。神様の掌で転がされてるってことか? でもこのまま思惑になんて乗ってやらない。前世デブスなわたしにだってプライドくらいある。幸せになる権利くらいあると思うの。負けないんだから。
ダニエルが差し出してきた紙をわたしはクシャクシャと丸めた。そして利き足を後方へ引き、腕を大きく振り被ったのと同時に前へと大きな一歩を踏み出した。まずこの国の貴族の令嬢ならまずやらない行動だ。いや、他国の令嬢でもやらないだろう。
わたしの行動にダニエルが目をパチクリさせていた。わたしが力いっぱい遠くに放り投げた紙のボールは天高く遠くへ飛んでゆく。
「ふっざけんなぁ! ばかやろうっ。おととい来やがれってんだっ。わたしの十年を返しやがれ!」
「ひっ。ひぃいいいい。勘弁してくれぇええええい」
ダニエルは大声をあげたわたしに対し、普段は大人しい令嬢が豹変したと驚いて慌てて駆け去って行った。わたしはダニエルの後姿を見送りながらパンパンッと手を叩いてはああ。スッキリしたと髪を搔きあげる。なんだか悪役令嬢にでもなったような気分だ。
さあ。用は済んだ。さっさと帰ろうと振り返った瞬間、そこに一人の男子の姿を認めてわたしの唇は戦慄いた。
彼はパチパチと両手を打っていた。