18話・嵐の夜の訪問者
文面を一部改稿しております。m(__)m
「はああ」
「アリーズさま。そんなにため息をついてると幸せが逃げて行ってしまいますよ」
「だって……」
わたしは何度目とも知れないため息を漏らしマーナに同情の目を向けられていた。あまりにも退屈だ。一日が長く感じられる。
趣味のハーブ入りのサッシュ作りも手が進まない。縁取りの刺繍を縫い付ける手が何度か止まりかけていた。なんだか気乗りしないのだ。出来上がったらエドにあげようと思っていたけれど。
窓の外は真っ暗で強風に煽られて窓枠がガタガタいっていた。
「さあ。就寝時間ですよ。アリーズさま。もうそろそろお休みなさいませ」
「そうね。着替えるわ」
わたしは刺繍の手を止め、マーナに手伝ってもらいながら寝巻き用のドレスに着替える。胸に抱えるものはもやっとした思いだ。
三日と日を空けずにわたしのもとを訪れていた彼の訪れがぴたりと止んでいた。わたしの吹き荒れる気持ちを表すかのように外の風がどんどん強くなってるような気がする。
「今夜から明日にかけて嵐になるそうですよ。ベン爺が言ってました」
わたしが何度も窓の方を見てたせいかマーナが教えてくれた。ベン爺とは庭師のおじいさんのことだ。ベンは好々爺やで口元が白い髭に覆われてるのでサンタクロースみたいとわたしは密かに思っていた。彼は屋敷の庭の手入れを任されているが天候を読むのに長けていた。
「明日まで続くのかしら? ベンは何か言ってて?」
「明日の朝は雨になりそうだと。それでも風はまだ強いだろうって言ってました」
「いやあね。暴風雨になるかしら?」
別に出かける予定もないのに天候が崩れるのは嫌だな。と、思う。単に気持ちの問題なのだが。
「そうかもしれませんわね。ではお休みなさいませ」
マーナが退出していってから静かな部屋のなかにガタガタごとごとと、いう荒れ狂う風の音が煩く響き渡る。ベッドのなかで布団を被ったわたしは音が気になって寝れずに居た。そこへくうううううん。と、何か生き物の声が聞こえたような気がした。荒れる風の音に混じって犬の弱弱しい鳴き声のようなものが混じってるような気がする。それはベット側から聞こえた。
エベルー伯爵では狩猟犬を買っているが皆、その専用の小屋に入れられていて主人達の住まいの屋敷には入って来た事はない。その辺は犬遣いの従僕が躾けているので間違いはない。
ここにこの部屋のなかにいるはずがないのだ。でも犬の鳴き声は止まなかった。くうん。くうううん。と、悲しそうな鳴き声はまるで助けを求めてるようにも聞こえてわたしはこのまま寝てる気になれなかった。ベッドから起き上がり鳴き声の主を捜す。ベッド下やクローゼットの中など覗いて見たがそれらしいものは見つけることは出来なかった。
気のせいかしら? と、ベットに再び入ろうとしたところできゃん。と、鳴き声が聞こえた。
「どこにいるの?」
もしかして外? わたしは風の抵抗を受けながらそおっと窓を開けてみた。するとそこに身を丸めた存在があった。本来ふさふさであるはずの毛がこの暴風にさらされてよれよれ状態で転がっている。
「あなたね? わたしを呼んだのは?」
「……くうううん」
その動物がわたしを見上げた時、わたしは驚いた。
「あなた……狐?」
狩猟犬ではなかった。野生の狐と思われる生き物がそこにいた。茶色の毛が打ちひしがれている。わたしはその存在を抱き上げた。毛が所々毟られていた。
「ごめんなさい。もしかしてうちの犬にやられたのかしら?」
この狐は間違って狩猟小屋に入り犬たちに噛まれたのではないかとわたしは思った。そのままにはしておけず部屋の中へと連れ込む。本当は屋敷内に動物を入れるのはあまりよくないだろうが外は嵐だし、こんなに元気のない狐を外に放り出すのも可哀相に思われた。
わたしは入浴を済ませてしまったのでお風呂場には残り湯があったはずだ。狐を洗ってそれから傷口に薬を塗ってあげようと思った。ベン爺から切り傷に塗るとよく利く軟膏をもらってるのでそれを傷口に塗ってあげたらいいかもしれない。
わたしはてっきり狐は野狐かと思ったのだけど狐はおしゃれにも首に革の首輪をしていた。表面には赤いベルベット地が巻かれた見るからに高級そうな首輪だ。恐らく特注だろう。この狐は誰かに飼われてるようだ。
でも狐は自分の首に巻かれた首輪に抵抗があるようで頭を床に擦り付けたり後ろ足で蹴ったりしていた。首輪の表面には狐がつけたらしい切り傷が付いている。明らかに嫌がってる様子だ。わたしはこれから浴室で狐の体を洗ってあげる気でいたのでその間だけでもと思い外してあげた。
するとどうだろう。狐は元気を取り戻したようにすくっと立ち上がり、自ら浴室へと向かいわたしを振り返る。わたしがこれから自分を洗ってくれると分かってるような様子が少し滑稽に思えた。
狐の要望通りに浴室で寝巻きの裾をたくし上げ石鹸を泡立てて洗ってあげると狐はたらいのなかにお行儀よくお座りする。そのなかにお湯を張って欲しそうな顔をして待っている。
我が家の狩猟犬よりもお利口さんかも知れない。わたしはこの狐が気に入った。湯船のお湯を桶ですくいたらいのなかに流し入れて上げると狐は気持ち良さそうに目を閉じていた。わたしを信頼しきった顔である。
浴室から出た後は狐をタオルに包みベッドまで運んであげた。毛を乾かしてあげると本人が毛づくろいを始め、毛がふわっとして来る。茶色の毛が白金色に変わっていた。茶色に見えていたのは汚れのせいだったらしい。綺麗な毛並みだった。思わずさわってみたくなるほどに。
傷口に塗り薬を塗ってあげるとぎゃんっと悲鳴のような声があがってわたしを見る金色の目が非難してるように見えた。
「ごめんなさい。痛かった? あなたの傷に薬を塗ったのよ。沁みちゃった?」
狐はわたしを横目にくすりを塗った部分を鼻先でふんふん。と、追った。わたしの言ってることが分かったようだ。わたしが自分を害そうとした行為ではなかったと分かってか安心して体を丸める。
「あなたはどこから来たの? 可愛い狐さん?」
狐に問うと答えの代わりに顔を上げぺろりと舐められた。なんだか人慣れしている狐である。
「珍しいわね。人に慣れているなんて。警戒されると思ったのに? あなたは賢い狐さんなのかしら? わたしが危険のない人間だと一目で見抜いたのね」
わたしはお利口さん。と、狐の頭を撫でた。狐は目を細めて笑ってるように見えた。
「外は嵐だしね。しばらくうちにいるといいわ。元気になったらお帰りなさい」
わたしは欠伸が出てきて寝台の上で丸くなる狐をよそにベッドのなかに入った。