強襲
クロウクローの拷問を終えた司令は再び着替えに司令室へと戻っていった。
その間に早乙女はすぐに動かせる人員をかき集め、出動の準備に奔走する。
おそらく司令はシャワーも浴びるだろうから、30分は時間があるはずだ。
先ほど司令から教えてもらった黒血の潜伏先候補は全部で4つ。
早乙女は該当箇所に赤丸で印をつけ、地図とにらめっこを始める。
どこも数十人は隠れることのできそうな大きな建物であり、もちろん今は使われていない。
幸い、それぞれの距離がそう遠くないので、1つ目か2つ目までなら乗り込むことができるだろう。だがそれ以降となると、勘付かれヤツらを逃がす可能性が高い。
「どこだ?どこにヤツらは潜伏している?」
必死に頭を働かすが、これといったことも浮かばない。すると、横から殿元が声をかける。
「えーと、場所はどこっておっしゃいましたっけ?」
「ん?殿元いたのか。」
没頭していた早乙女は殿元が近くにいることに気づいていなかったので、少し驚く。
まあ元からそんなに存在感のある男ではないが。
早乙女ら殿元に4カ所それぞれの住所を教える。
地図の見えない、いや、見ない殿元に住所を教えたところで無駄だろうが。
「えーと、2番目の建物ですが、そこはクロウクローの一件が起きた場所から一番近いですよね。」
「ん?ああ、そうだな。それなら
ヤツらはついこないだまでこの建物をアジトにしていた可能性が高いかもしれんな。だが、クロウクローが捕まったことは相手側も知っていることだ。とっくに離れているだろう。」
「はい、普通ならそう考えるでしょうね。」
「なんだ?
そうではないと言いたいのか?」
「ええ。私の予想が合っていれば、その建物は他の建物にはないものがあるはずです。」
「他には…ない?」
殿元の言った意味がわからず、早乙女は再び地図を見る。
さっき思った共通点しかわからず、特段目立った相違点は見当たらない。
「殿元、すまんがこれといった相違点は見当たらないのだが…。」
「ええーと…私は地図というものを見たことがないのでわかりませんが、地図には階数などは載っていないのですか?」
「階数…だと?
建物の高さが関係あるのか?」
「ええ、高さではなくて低さ、というのでしょうか?
地下はありませんか?」
「地下だと?」
地下があるかどうかなど、全く気にかけていなかったので少し動揺する。何故地下があるかが重要なんだ?
他の資料で確認すると、殿元が言った通り、2番目の建物、廃工場だけが地下のある造りになっていた。
「たしかに地下があるぞ。たしかに他にはないようだが…どうしてわかった?」
「勘ですよ。ほら、私は目が見えない分、他の感覚が人よりも優れていますから。」
殿元が謙遜して茶化すと、早乙女はキッと睨みつけた。冗談の通じない人である。
「すいません。
今私が担当している件があるでしょう?どうにも、その場所が分からずに探し回っていたんです。
いろいろな機械を使って都内の建物を調べ回ったのですが、見つかりませんでした。
調査員の話によると、調べるに調べられない高層ビルの上の方の階か地下ぐらいしか、もう可能性はないって。
研究施設ですから高いところというのは考えにくい。なので地下にあるのではないかなと。
それにもし研究施設がこの廃工場にあるのであれば、そんなに簡単に移動は出来ないと思うんです。」
「なるほどな。たしかに言われてみれば一理ある。
研究施設がある可能性も捨てきれないとなれば、ここに踏み込むのが妥当だな。」
殿元の言うことは全て可能性でしかなく、確たる証拠などなにもないが、決めかねていた早乙女にとっては十分な理由だった。
「よし、ではこの廃工場に向かうぞ!」
部屋を出ると、廊下の向こう側から司令がこちらに歩いてくるところだった。その身は再び真っ白な死装束に包まれ、先ほどの殺気もオーラも今はない。
「司令!殿元の助言もあり、この廃工場に決定しました。」
「そうか。では行こうか。」
司令は静かに返事をし、車庫へと向かう。
司令はあまり早乙女の作戦などに口を出さない。
普段のロイヤルの巡回決めやcolorsとの交戦など諸々、全て早乙女に任せている。
もちろん、早乙女を信頼してのことだろう。だが早乙女にはそれだけではない、と不安になるのだ。
廊下を司令に続いて歩きながら、その背中を見て早乙女は心のどこかがズキリと痛む。
車庫に出て、車へと乗り込む。車は全部で5台。急遽集めることのできた者たちは合計でわずか20人だけだ。その20人も全てがcolorsというわけではなく、赤色も乗っている。その彼らももちろん、赤色の中ではエキスパートと呼ばれ、優秀な人材だ。だが、やはりcolorsとの戦闘になると基本能力の差が出てしまう。
今回の作戦もいつと通りバックアップが中心になるだろう。
助手席に乗っている司令はぼんやりと窓の外を見ている。窓ガラスにわずかに反射するその顔にはなんの感情も見出せない。
早乙女は思う、司令が戦闘以外、ほとんどロイヤルの司令としての責務を放棄しているのは何故なのか。
それはきっと自分がいついなくなってもいいようにと考えているからなのだろう。
司令はどのcolorsよりも死に近い存在だ。殺す側ということでもそうだし、殺される側としてもそうだと言える。
司令はいつ殺されてもいいと思っている節があるのだ。
普段の食事もまともにとらず、フラフラの身体で戦場に赴くことも多い。そして戦場に赴く時はいつも真っ白な死装束だ。
本人は返り血を見ることで血の衝動を加速させ、より強く恐ろしい力を引き出そうとしているだなんて嘯いているが、早乙女にはそうは思えない。
いつ死んでも、そこが当然に司令の棺の中であると誰かに言っているように見える。
司令とはロイヤル結成から丸4年の付き合いになるが、今だに知らない部分が多い。
まだ20歳なのだから地元の友人や親族もいて当然だが、そういった人達と連絡をとっている姿は見たことがない。
唯一の血縁であるアイツとも絶縁状態だ。私としてはそれで一向に構わないのだが。
「……だ。」
「え?」
司令がなにか言ったが、考え事をしていた早乙女は聞き逃してしまった。
「なんだ、聞いていなかったのか?」
「すみません。」
さっきまでぼぉ〜と窓の外を眺めていたので油断していた。
司令の手には紙が握られ、なにやら走り書きのメモがとってある。それを読み上げたのだろう。
「もう一度お願いします。」
「ふう。
クロウクローから聞き出した黒血たちのリストだ。
それなりのがいると言っただろ?」
「ええ、そうでしたね。一体どんなヤツらが?」
「そうだな。
ジャイアント、アームストロング、髑髏、朱肌、ベアリングと……黒豹だな。」
「黒豹!?
危険度Aランクの隷血ではないですか!
それに他の者もベアリングを除けばBランクですし、この人員では少し司令の手を煩わせてしまうかもしれませんね。」
「……。」
早乙女の心配をよそに、司令はまた興味を失ったようで窓の外を眺める。
40分程すると車は都市部から少し離れた場所に着いた。住宅地の中にある高い壁に囲まれた廃工場である。
正門に車をつけ、皆が武器も持って門の前まで集まるが、壁の向こうからは全く音が聞こえなかった。
耳を澄ませるが、あまりにも静かなので、狙いを間違えたかと早乙女は思ったが殿元が門に近づいて言う。
「中に人がいますね。10人、20人…いやもっと。
足音だけじゃなく、撃鉄を起こす音や指示らしき声も聴こえます。」
殿元の異常聴覚は皆が知るところであったので、全体に緊張が走る。
ビンゴだ。
早乙女としても狙いが的中したのは喜ばしいが、ここからは本格的な戦闘が始まる。決して油断できる相手ではない。
それにこの人員で戦っては捕らえ切れずに逃がす可能性も高く、また、近隣の住民を保護することも難しい。
警察などに助けを出せればいいのだが、急な出動であるし、なにより警察とは決して仲がいいとは言えない。
メンバーを見渡すと、colorsの者たちは落ち着いているように見えるが、バックアップ役の赤色たちには緊張と恐れがみえる。
無理もない、colorsの実力は訓練等々で嫌と言うほど分かっているはずだ。中には今回が初陣という者もいるだろう。
今回の突入で、研究所を発見出来ればいいのか、それともリストに上がったcolorsたちを捕らえればいいのか、どちらが重要なのか早乙女にはわからなかった。
司令の鶴の一声で出動したのはよかったが、急な出動で具体的な内容や目的を考えていなかった自分が情けない。
どうするか決め兼ねていると、司令の落ち着いた冷たい声が響いた。
「花代、キミは少し勘違いしているようだね。」
「え?」
早乙女をはじめ、メンバー全員が司令の方を向く。
「突入するのは私一人だ。
キミたちには基本的には住民の保護にあたってもらう。あとは万が一私が敵を逃がしたら、そいつらを捕まえることだ。」
「な、なにを言っているのですか!?
突入?たった一人で?
いくら司令でもあれだけのcolorsを一人でなんて…。それに赤色も何人いるのか分かっていないのに。」
早乙女は激しく反対するが、司令は聞いているのかいないのか、フラフラと通用門の前まで行く。
「では、頼んだぞ。」
振り返りそう言って、司令は通用門の扉を蹴り飛ばして破壊した。
扉が転がる金属音が静かな空間に響き渡る。
司令が廃工場の敷地内に入っても、黒血たちはまだ隠れているのか、ひっそりとしている。
司令は武器も出さずにゆっくりと歩く。剣を引きずっていないので草履が地面をこする音だけが響いている。
通用門を通ってから50mほど歩き、廃工場の前まで来ると、人の気配がした。何人か、おそらく赤色だろう、銃を持ちながら物陰を移動している。
まだ攻撃してこないところを見ると、司令が誰か分かっているようだ。おそらくcolorsたちに指示を仰いでいるのだろう。
「さあ…始めようか…!」
司令の眼は狂気を帯び、その顔には生気が戻ってきた。
「どういうことだ!?」
廃工場内、武装した男たちの前に立つ大柄な男が怒号をあげる。それは丁度正門に司令や早乙女たちが現れ、その姿を監視カメラで確認したところだった。
「どうして、あの女がここに…?!」
憎々しげに吐き捨てる。身長は190cmはあるだろうか。筋骨粒々の体に短髪、身体中に傷跡があり、軍人のような格好をしている。
「少し落ち着いたらどうだい?
もう来てしまっているのだから、どうしようもないじゃないか。」
「髑髏、てめえ、これご落ちついていられるか?
あのバカが捕まっただけでもまずかったのに、今度はあのイカれ女だぞ?」
髑髏と呼ばれた男は大男とは対照的に、ほっそりとしていてシンプルな白シャツと黒いズボン姿で椅子に座っている。白く長い髪は軽くウェーブがかかっており、まとめることなくおろしている。
「まあまあ、ジャイアント。
そんなに慌ててると、ビビってるようにみえるよ?」
「ァア!?
誰がビビってるって!?」
ジャイアントは髑髏に近づき、すごむ。今にも殴り合いのケンカでも始まりそうな雰囲気である。
「ここには今colorsが5人もいるんだよ?
いくら相手が黄血の主血でも簡単にやられるはずがないじゃない。
黒豹さんもいるんだし。」
髑髏はのんびりと余裕を持った声で言う。
「んなこたぁわかってる!
だが、アームストロングのヤツはいねえし、ベアリングはまだ新米だしよ。」
「ふうぅ。とりあえずさ、キミたちは迎撃の準備をしてよ。
ヤるのは工場内だ。もちろんこの1階だけで地下には入れさせないよ。
僕らは他のcolorsを呼んでくるから。」
武装していた赤色たちに指示を出し、髑髏とジャイアントは工場の奥へと向かう。
「おい、研究所の存在がバレたら俺らもたたじゃすまねえぞ。」
「わかっているよ。
っていうかジャイアントさ、黄血の心配したり、ボスに怒られるの心配したり大変だね。」
「んだと?ケンカ売ってんなら買うぞ。」
「はいはい。今はそれどころじゃないでしょ。」
二人は工場内の奥の事務室に着く。ノックをして入ると、中には3人の男たちがいた。
フードを被った男とジャイアントと同じくらい大柄な上半身裸の男、そして金色のピアスにネックレスをつけ、真っ黒なスーツを着た男が部屋の奥にある机に座っている。
「黒豹さん、黄血のヤツらがきました。しかも主血まで。」
髑髏は机に座る男に向かって報告すると、男は少し眉根を上げて驚く。
「なに?あの狂姫が?」
「はい。まだ突入はしてきていないようなので、とりあえずは赤色たちに工場の入口付近を固めさせました。」
「ふん、赤色のバリケードなどすぐに突破される。
地下に入られてはコトだ。我々もすぐに向かうぞ。」
5人のcolorsたちが事務室を出て工場の入口の方にいくと、赤色の一人が駆け寄ってきた。
「どうしたの、そんなに慌てて?」
「黄血ですが、通用門を通って侵入してきました。
してきたんですが、その…一人だけです。」
「なんだって?」
「侵入してきたのは白い着物を着た女だけです。」
赤色の言葉に4人のcolorsたちは驚いたが、黒豹は違った。
ニヤリと不敵に笑う。
「どうやらここにどんなcolorsたちがいるのかまでは知らないらしい。愚かにも一人とは…。
一気に畳みかけるぞ。主血の首をとったとなればクロウクローの一件も帳消しだ。」
「おう!」
「さてさて、久々に大暴れだね。」
「……。」
「あー!滾ってきたぜー!」
黒血の隷血たちは完全に臨戦態勢に入ったようで、先ほどまでとはまとっているオーラが違う。
5人のcolorsに40人ほどの武装した赤色。これだけの戦力があれば、街一つぐらいは簡単に落とせるだろう。
それほどの戦力に単身立ち向かう司令の頭の中には、しかし恐怖は一欠片もない。
今の司令は血の衝動に駆られた時のあの感覚を思い出し、高揚している。
身体中を走る激しい殺人衝動。抗い様のない衝動に身を任せ、落ちていく脱力感と無力感。その時見る赤ではない血は、蜜のようにあまい感覚を司令に与えてくれる。
最近は少し自我も保つことも覚えたが、あまり意味はない。最後は落ちるのみだ。
他のcolorsたちはこれほど激しい血の衝動は感じないという。
私だけのもの。こんな風になってしまった私の唯一の悦び。いや、こんな風だからこそ、これしかないのか。
自虐的思考も諦念もロイヤルの司令としては相応しくないことは分かっている。だが、仕方ない。そう、仕方ないのだ。
廃工場の扉に手をかけようとしたところで司令は一旦止まる。
ふと、あの男の顔が浮かんだのだ。血の衝動は仕方のないことだと考えが至ると、いつも浮かんでくる様な気がする。不快なことだ。
その不快さを拭い去るために、手で開けようとした扉を思い切り蹴り飛ばす。
扉は大きな音を立てて、転がった。司令が入っていくと、中には何十人かの男たちが銃をこちらに向けている。
それらの男たちの中に、colorsの存在を認め、司令はたちまち血の衝動に、狂気に呑まれていく。
ゆっくりと歩を進めながら、呟く。
「”環刺”」
すると右掌が光り、武器が現れる。それはクロウクローを拷問した時の剣には違いなかったが、数が違っていた。
司令の右手に出現した武器は直径60cm程の環があり、その周りに剣が8本くっついている。武器は司令の手にはなく、手を中心に浮いている。
クロウクローが司令の剣を見たときに違和感を感じた柄についたものは、この環の一部だったのだ。
「撃て!」
武器を取り出し、ゆっくりと近づく司令に向かって黒豹は攻撃を命じる。
何十、いや何百もの銃弾が一斉に司令を襲うが、司令は環刺を高速回転させてその全てを防ぐ。
その光景をみて赤色たちは怯むが、黒豹が喝を入れる。
「怯むな!撃ち続けろ!
左右前後に回りこんで撃つんだ。」
黒豹の命令を受けて赤色たちが陣形を変えようとした瞬間、司令は目にも止まらぬスピードで動き、背後に回ろうとした者たちの首を跳ね飛ばす。
「う、う、うわァァァぁぁ!」
パニックを起こした何人かの赤色たちがさらに弾幕を張るが、司令は冷静に環刺を盾にし防ぐ。
赤色など、なんの足しにもならないのだ。
ふう、とため息をついてcolorsたちの前にいる赤色たちに襲いかかる。
一瞬で20m程の距離を詰め、銃も腕も脚も胴体も首も、同時に斬り落とす。
「さて、と…知っての通り、私は赤では満足できない。早くオマエらの黒をみせろ。」
死装束についた赤い返り血をみながら司令は話しかける。
「残念ながらそうはならねえよ。テメエが見るのは、テメエの黄色い血だ!」
司令の今の動きには一切動じてはいない。あの程度の動きであれば、colorsにとっては造作もない。
「いくぜ、オラァァ!」
ジャイアントが拳を突き出し攻撃を仕掛ける。
司令との距離はまだ数メートル程あったが、突き出した拳は段々と大きくなっていき、その間合いを詰める。
拳は司令の身長と同じくらいまで大きくなり、その身体を襲う。が、司令はその攻撃を躱す。
「ベアッ!」
ジャイアントが叫ぶと、司令が避けた方にフードを被った男がむかっていく。
男の右腕は毛むくじゃらで鋭い爪が見える。熊の腕だ。
ベアリングの攻撃を躱すことはせず、環刺で受け、衝撃を殺すために後方へと飛ぶ。
そこに今度はもう一人の大男が詰めてきた。その身体は熱した鉄の様に赤くなっている。
「ふんっ!」
大男が振り下ろした腕をひらりと躱す。腕はそのままコンクリートの地面に叩きつけられるが、破壊音はしなかった。かわりにジュウゥゥという音がして地面を溶かした。
アイツが朱肌か。体表温度を2000℃近くまで上昇させる能力を持つという。コンクリートや鉄など簡単に溶かす熱量だ。
動きはたいして早くないが、捕まればいくら司令といえども危ない。
朱肌との距離をとりつつ反転し、ジャイアントに斬りかかる。が、ひょろりとした男が間に入り、なんと環刺を受け止める。
受け止めた男は髑髏で、全身を白い殻の様なもので覆っている。骨だ。
「オマエが髑髏か。思ったよりも硬いな。」
身体の骨を自在に動かし、武器とする能力。魔力が高いのか、その骨の強度は司令の予想以上だった。
そのまま斬りつけることはせずに、司令は後ろに飛んで距離をとる。
司令の周りを4人の黒血たちが取り囲む。
「なんだ、オマエはやらないのか?」
司令は涼しい顔をして黒豹に向かい声をかける。
「どうやら4人で十分の様なのでね。
もっとこう…激しいものだと思っていたがね。期待はずれだよ、狂姫。」
4人の黒血たちがジリジリと包囲網を縮めてくる。
「ふふふっ。」
と、そこで司令がふいに笑った。場違いな、年相応な女の子の笑い声だった。だが、その笑い声と笑顔に黒豹を含めた黒血たちは何故か背筋がゾッとした。
司令は環刺の環の一部をといて、両端の剣を両手に持つ。丁度羽衣の様な形になった。
次の瞬間、司令の姿は包囲網の中にはなかった。
「!?!?
うわぁぁ!」
叫び声を上げたのはさっきから一言も発することのなかったベアリングだ。左腕が二の腕のあたりから4つくらいに斬られている。
「ぐぅっ!」
ベアリングが後ろをみると、司令が立っている。刃には黒い血がたっぷりとついている。
一体いつの間に?
そんな疑問に答えるかのように、司令はまたベアリングに向かってきた。
速いっ!
だが、今度は姿を捉えている。
熊の手で迎え撃つが、司令は身体を回転させ、あっさりと躱す。
そしてすれ違い様に腹部を何カ所か斬り、そのままジャイアントに突進する。
「おおぉおぉ!」
ジャイアントは両手を組んで振り上げ、拳を巨大化させて司令に振り下ろす。
凄まじい破壊音がしたが、司令はまたしても躱す。が、司令に朱肌と髑髏が一斉に襲いかかる。
髑髏は掌から出た骨を変形させた剣で司令と斬り結ぶ。そこに背後から朱肌の高熱の拳が幾度となく飛ぶが、司令は後ろに眼があるかのごとく、その攻撃を全て躱す。
「こいつ…!」
「あたらねえ!」
「…もっと黒がみたいな。」
ぼそっと呟き、司令は髑髏の骨の剣を叩き折り、両手に持つ剣を胴体に突き立てる。
「がふっ!?」
先ほどの攻撃を防いだという慢心があったため、髑髏は特別防御しなかった。が、今度の攻撃は先程のそれとは威力が違ったため、骨の装甲を貫き、髑髏の身体に突き刺さる。
だが、髑髏に刃を突き立てている司令の動きはそこで一旦止まる。朱肌はその瞬間を見逃さず、髑髏もろとも焼き尽くす覚悟で拳を振るう。
「全く、仲間意識すらないか。」
呆れたように呟き、司令は両手にある剣を除いた6本の剣を朱肌めがけて発射する。
「!?」
剣は全て朱肌の身体に突き刺さり、その内の一つは右眼に刺さった。
「あぁぁぁあぁぁ!」
一際大きな悲鳴を上げて朱肌が倒れこむ。
そんな朱肌を見て、司令は満足気に笑う。
「調子に…乗るなよ!」
髑髏が骨の刃を再生させ、懐にいる司令を斬ろうとするが、司令は素早く動き、髑髏の両手首を斬り落とす。
「話にならん。」
絶叫しながら膝を着く髑髏を背にして次の獲物を狙う。と、そこにベアリングが逃げ出そうとしているのが見えた。
剣を再び連結させて、ベアリングに襲いかかる。
高速回転した環刺で、真っ二つにしないように気をつけて、ベアリングの背中を削る。
「ぐはぁっ!」
血を吐き出し、倒れるベアリングに向かって司令は言う。
「さあ、立て。
最後なんだ、隷血としての意地をみせろ。」
「う、う、うわぁぁぁ!」
ヤケを起こしたように叫びながらベアリングは司令に襲いかかる。
そんなベアリングの熊の手を環刺が回転しながら真っ二つにする。
そしてまた環をとき、両手に剣を持った状態にしてハサミのようにしてベアリングの首を飛ばす。
黒色の血が勢いよく吹き出し、司令の死装束を染めて行く。
「まず…一人。」
そしてゆっくりと残った4人の黒血たちを順に見つめる。
「このクソ野郎がぁぁ!」
自身の恐怖を振り払うようにジャイアントが雄叫びをあげて、また巨大な拳を突き出す。
司令はジャンプしてその拳の上に飛び乗る。そして大きくなったジャイアントの腕を斬りつけながら走る。
「いてぇな、クソ!」
もう一方の手でさらにパンチをくりだすが、司令は高く飛び上がりそれを躱す。宙に浮いた状態で司令は6本の剣をジャイアントに発射する。
両腕を大きくしていたジャイアントは俊敏に動くことができず、もろに受けてしまう。
司令の剣が両手にあるものだけになったところで、黒豹が初めて動く。
ジャケットを脱ぎ捨て、高く飛び上がる。
黒い艶のある毛が身体中を覆い、顔は豹の様になり、歯は牙へ、爪はより大きく鋭くなっていく。
そして司令へ攻撃を繰り出す。
「!!」
黒豹の攻撃を剣で防いだが、勢いを殺しきれず壁まで弾き飛ばされる。
「ぐっ。……なんだ、やっとか。」
「さぁ、ここからが、本番だぞ?
狂姫。」
倒れていた朱肌も髑髏もジャイアントもすでに立ち上がっている。
ダメージはあるようだが、まだ戦えるようだ。そうでなくては困る。
ドクン、ドクンと脈打つ音が聞こえている。自分自身の心臓の音だ。
血の衝動が臨界点まで来ているのを感じる。工場内に入って黒血たちを見てから起きていたが、ずっと抑えていたのだ。だがもう加減することのできない域に到達した。
司令は気を失ったかのように前のめりに倒れる。が、身体が地面に触れる前に思い切り地面を踏み切り前進する。
黒豹がそれに対応しようとするが、司令は黒豹ではなく、朱肌に向かう。
「斬れるもんなら斬ってみろ!その剣ごと溶かしてやる!」
朱肌の皮膚が一段と赤味を増し、黒い蒸気を上げる。血が蒸発しているのだ。今の朱肌は自身の能力の限界を越えて、体表温度を上げている。
だがその高温にもかかわらず、環刺は朱肌をあっさりと斬りのける。
そして身体を反転させつつ、向かってきた髑髏に右手の剣を投げつける。髑髏は腕を交差させて防ごうとするが、剣は殻を貫通し、腕を串刺しにする。
「!!」
一瞬で髑髏の間合いを詰めた司令は腕に刺さった剣を握って、さらに押し込む。剣が髑髏の喉を捉えて、貫通する。
ゴヒュッというような嫌な音がして髑髏の眼は白くなる。
「てめえは一体なんなんだよー!」
空中で叫びながらジャイアントがコンテナ程の大きさにまで拡大した足で潰しにかかる。
凄まじい音がして司令の立っていたあたり、一面を床もろとも破壊する。
だがジャイアントの感触としては近くにいた朱肌と髑髏の分しか足の下にはない。
「だから、遅いのだよ。」
後ろから声がして振り向こうとするが、その前にジャイアントの首は飛ばされる。
ジャイアントの首から噴き出す黒い血がスプリンクラーの様に工場の床を汚す。
着地した司令はゆっくりと黒豹の方に向き直る。
あっという間の出来事に黒豹も思わず笑ってしまう。
「ははっ!お見それしたよ!さすがは主血だ。だが、このままでは終われんよ。」
そう言って黒豹は前かがみになる。それはまるで草食獣を狩る前の豹の様だ。
司令と黒豹が互いの距離を詰めずに円を描きながら睨み合う。
2秒後、互いに同じタイミングで前へ出る。司令の剣と黒豹の爪が火花を散らしながら、ぶつかり合う。
恐ろしいスピードと手数の攻防が繰り広げられる。最初は全くの互角に見えたが、司令の猛攻に黒豹は段々と押されていく。
「ぐうぅ!」
黒豹の右腕から繰り出される賞底を司令は受けずにかがんで躱し、黒豹の両足の甲に剣を刺す。
「ぬぐっ!?小癪な!」
司令は再び両手に剣を持ち首を狙うが、黒豹は司令ではなく剣に向かって両手を振るう。
黒豹は掌を自ら剣に刺し、司令の動きを止める。司令も予想外だったのか、顔がこわばる。
その一瞬を逃すことなく黒豹は司令の首元に噛みつこうとする。
間違いなく司令の白い、ほっそりとした首元を捉えたと確信したが、牙が捉えたのはもっと硬いなにかだった。
「ッ!?!?」
口の中に一瞬で凄まじい痛みが広がり、その後にゆっくりと鉄の味が広がっていく。
痛みに声をあげたいが、口の中がめちゃくちゃになっていてむせることしかできない。その上、両手両足貫かれているので動くこともできずにただただもだえる。
バカな!いくらなんでもあれに反応できるはずが…!
黒豹は司令の方を見て驚愕する。
司令の左肩からは剣が突き出していた。司令の黄色い血と黒豹の黒い血とが混ざり合って剣から滴り落ちる。だが、司令はそんな傷にも関わらず涼しい顔をしている。
「ハァ、じ、自分の、う、、肩を…?!」
「ふんっ。見事だったよ、黒豹。
手に取るのは間に合わなかったからね、ちょっとばかりショートカットさせてもらった。」
後ろに控えていた剣を手に取るのではなく、背中から刺して俺の攻撃を防いだのか…!
あの一瞬でそれをしたのか…天才なのか、それともやはり狂ってるだけなのか。
「ハァ…ぐっ…うぅ…ごはぁ。」
黒豹は口から黒い血と砕けた牙の欠片を吐き出す。
「ふ、はぁ…狂姫…ね。
俺の負けだ…だが!」
黒豹はポケットからボタンを取り出し押す。
すると、地下の方から爆発音がきこえ、床が揺れだす。
「ふぅ…。なんともテンプレな。」
「なにも、かも…上手くいくと…思うな、よ!」
「その口でよく喋るな。
だがいいさ。研究所があった。その事実だけでも十分収穫なのだから。」
司令はゆっくりと黒豹に近づく。
クロウクローにトドメを刺した時と同じように恍惚とした表情で剣を顔の前に突きつける。
黒豹の荒い息遣いと段々と近づく爆発の音が聞こえる。じきにこの場所にも火の手が回るだろう。
司令はためらないもなく黒豹の首を跳ね飛ばした。
工場の外で待機していた早乙女たちは爆発音を聞いてざわめく。
「司令!」
慌てた早乙女は工場に入ろうとするが、それを殿元が制する。
「ダメですよ、命令は外で待機、
逃げるヤツらを捕まえるんです。
今無闇に入って行ったら、逆に司令にやられますよ。」
「うっ。それはそうだが!」
殿元の制止に関わらず突入しようとする早乙女だったが、工場から小さな人影が出てきたのを見て止まる。
「司令っ!」
早乙女が司令に駆け寄る。
「怪我をされているじゃありませんか!こんなに血を流して!
おいっ!医療班を呼べっ!」
「花代、うるさい。
これくらいはたいした問題ではない。それよりも消防隊を呼べ。
ほっておくと住宅地にまで火が広がる。」
「はっ!」
「全く…。この程度で騒ぎおって。」
「司令、お疲れ様です。研究所は…。」
「ああ、見ての通りだ。
また堂間のヤツにどやされるだろうが、研究所があったことは分かったんだ。研究内容は検討がついているのだし、とりあえずはそれでいいだろ。」
「いえ、絶対にそんな風には堂間さんに報告しないでくださいね。
また怒られますよ。」
「ふん。それよりも殿元。
アームストロングがいなかった。
何人か出して捕まえろ。」
「了解しました。」
司令は空を仰ぎ月を見上げる。三日月が見つめ返す。
血の衝動に駆られた後の顔にはやはり力はなく、なにを考えているのかはわからない。
ピコン、ピコン。
まぬけな電子音に送られコンビニの自動ドアを出る。
涼の両腕にはビニール袋が握られている。片方にはビールが、もう片方にはおつまみ類がいっぱいに詰められている。
「全く、伊織のヤツ!」
苦々しげに呟く。
ビールなら家にあったのに、この限定醸造の七福神さんが飲みたいとか言うので、わざわざ買い出しに来たのだ。
おかげで程良かった酔いも醒めてしまった。
帰路につこうとすると、ボゴンッと突然大きな音がする。
音の方を向くと、なんと車が回転しながら宙を浮いている。そしてあろうことか、その車は涼に向かって落ちてくるではないか。
「ウソでしょ!?」
迷わず前に飛んで車を避ける。
車はコンビニに突っ込み、窓ガラスを破り、棚をなぎ倒す。ガラスの割れる音など物の壊れる音は聞こえるが、悲鳴は聞こえない。
幸いにも店内に客はあまりいなかったようだ。
涼は律儀にビニール袋をしっかりと握って避けていたが、きっとシェイクされているから開けたら大変なことになるだろう。
「てめえが、クロウクローをやったヤツか?」
「ん?」
声がした方を見るといかつい風貌をした男が立っていた。迷彩柄のパンツに黒いタンクトップ姿。軍人の方?それともロイヤルの?いや、ロイヤルがこんな無茶苦茶をするわけがない。となると…。
「えーと、黒血の方かな?」
「ああ、アームストロングってんだ。昨日からずっとてめえを捜してたんだぜ。会えて嬉しいよ。」
「そう、それは光栄だね。
でも残念ながら俺、これから飲み会の続きがあるんだよね。」
「そうかい。そいつは残念だったな。続きはあの世でやりな!」
アームストロングが飛びかかり、常人の2,3倍に膨れ上がった腕を振るう。
予想できていた動きだったので、涼はなんなく躱したが、拳の跡をみてゾッとする。コンクリートの表面を砕くだけではなく、拳が埋まっている。
あんなのまともに食らったら、いくらcolorsの身体でも…!
それに…。チラッと周りの様子をみると、コンビニに車が突っ込んだということで野次馬が集まり始めている。
闘うにせよ、ここじゃまずいな。
もっと人目のないところへいかないと。
涼は反転し、その場から逃げる。もちろんビニール袋は置いていかない。これを持ち帰らなかったらアイツには殺されなくても、伊織に殺されてしまう。
アームストロングは涼が逃げたことに意表をつかれた様で、反応が少し遅れる。が、すぐに涼を追ってきた。
「全く…!今日はため息ついてないぞ!」
涼はため息をつきたいのを我慢して必死に走る。それも出来るだけ、ビールの袋を揺らさないように。
そんな涼のことを、司令が見上げている月が見下ろしていた。