迎撃
峨門が頭を抱えたのと同時に伊織は抱えていた頭を勢いよく上げた。
「うん!わかった!無駄なことは言わないよ!」
あまりにも唐突な発言に涼も極楽寺さんも目を丸くした。瑠姫は相変わらず無表情のままだったが。
「こんなとこでグダグダしてたって仕方ないじゃない?ロイヤルがクロウクローのことを捕まえてくれるわけじゃないしさ。だから、涼くん、頑張って?」
「こんなとこで悪かったね。」
と極楽寺さんが呟くが伊織はスルーする。
「あっちは瑠姫ちゃんが欲しいんだからさ、おびき寄せるのは簡単なわけだしさ。」
伊織は満面の笑みをこちらに向けてくる。その笑顔だけなら百点満点、どんな男も頷いただろうが、発言内容が赤点以下だ。
「さっきの俺の話聴いてなかったのかな?勝てるかわからないって言ったよね?もし負けちゃったら瑠姫が奪われちゃうよ?」
「そこは大丈ー夫!
瑠姫ちゃんは別のとこで私と一緒にいるから!」
さらっと笑顔で酷いことを言うが、まあそれも仕方ないというか当然の作戦だ。もし涼がやられてしまったとしても瑠姫さえ奪われなければ、負けではない。
「いえ、私も、その場にはいきます。いざとなったら闘えますし。」
瑠姫が静かに、だが強い声でそう言った。
「「いや!それは違うだろ!」」
涼と伊織は同時に言った。伊織は酷いなぁと思ったが、さすがに瑠姫の考えがいいとは言えない。
伊織が必死に説得するが、10分後、テコでも動かないことが分かると渋々諦めた。
「わかったよ〜…。じゃあ私も同行するからね。
…じゃあ作戦はこう。涼くんと瑠姫ちゃんの目撃情報をそれとなくあっち側に伝わるように流す。もちろん瑠姫ちゃんの正体は隠してね。ケースの中身を知っていたクロウクローならきっとピンとくる、そ〜んな感じの絶妙な情報をね!そしてノコノコやってきたクロウクローを涼くんがボッコボコにしちゃうという内容でいきましょう!」
作戦て言えるのだろうかそれは…あまりにザックリとし過ぎていると思うが口には出さない。瑠姫も異論はないようで黙ったままだ。
だが不満が顔に出ていたのだろう、伊織に指摘される。
「涼くんはまだ決心がつかないのかな?往生際が悪いなぁ。キミの仕事はなんだっけ?報酬を忘れたのかな?」
仕事の話を出されると困る…
「俺の仕事は…Blood Bank。血のためなら何でもする裏銀行だ。」
「Blood Bank…(ブラッドバンク)?」
瑠姫が不思議そうに尋ねる。
「そうだよ、Blood Bank?まあ頭取兼行員の一人銀行ですけどね。」
そう、涼が自分自身で立ち上げた銀行だ。もちろん真っ当な銀行などではなく、裏社会でのみ通用する銀行である。
取り扱っているものは現金などではなく、血である。何故血を取り扱っているかというと、血は金になるからだ。もちろん赤色の血ではなくて、colorsのものがだ。
主血のものとなると破格の値がつくが、さすがに主血のものはまだちゃんと手に入れることができていない。
だが、隷血のものでも十分な値がつく。研究所や暴力団等々、欲しがるところはいくらでもあるからだ。
「…わかったよ。やるよ。」
涼は頷く。今回の報酬は青血の隷血という話だった。今から考えれば、この報酬を聞いた時に青血絡みだと気づくべきだったのに…久々の上等な報酬に目が眩んでしまっていたようだ。
「よし!そうと決まれば早速、作戦開始!
情報操作は任せて!あと決戦の場所も!」
高らかに言い放ち、伊織は携帯をすごい勢いで操り出した。
……
2時間後、涼たちは伊織が用意した決闘場所の前まで来ていた。極楽寺さんのバーからは少し離れていたので、移動には先程失敬した車を使った。
「…ここ?」
見間違いであってくれと願いながらサイドウィンドウを開けて確認する。
伊織が連れてきたのは都内の繁華街にある、そこそこ有名なクラブだった。
開けたウィンドウからは様々なライトの光や人々の喧騒が飛び込んでくる。
本当に平和だよな、この国は。とつくづく思ってしまう。
涼が呆れていることを察したのか
「こんなに呑気でいられるのも今の内だけよ。colorsが、しかも黒血が現れたなんてわかったら、パニックになるに決まってるんだからさ?」と伊織はタバコをふかしてノンビリと言う。
「なんであのクラブにしたの?」
「ん?あぁ、あそこはさ、若い女の子や男の子捕まえてきて、金持ちの変態どもに売りつける商売しててさ。まあそんな店は他にも腐る程あるんだけど、最近あそこはやり過ぎてるからねー。たぶん強気に出れるようなバックがついたんじゃないかな?だからバックもろともお仕置きしないとさ、いけないじゃん?」
強気に出れる程のバック…黒血のことか。もし黒血の組織が関わっているなら伊織の流した情報も相手に届きやすいだろう。
「まあそんな店だからさ、瑠姫ちゃんいると入りやすいのよ。あっちが売り物と勘違いしてさっさと入れてくれるってわけ。」
なるほど。涼と伊織はともかく、瑠姫をどうやって入れるつもりなのかとは思ったが心配無用だったようだ。
作戦を聞いた時は不安を感じたが、しっかりと考えられている。十中八九、クロウクローも情報に釣られてやってくるだろう。
「じゃあいこうか。」
そう言って車をでてクラブへ向かう。
涼は極楽寺さんに用意してもらったありふれたネイビーのスーツを、瑠姫も黒っぽい服装にして髪が極力目立たないようにニット帽を被っている。
すごいのは、伊織だ。胸元が大きく開いた青色のワンピースにサングラス、それに細くて高いピンヒールを合わせている。
いつもは、この目立つ姿が仕事上芳しくはないのだが、今回ばかりは役に立つ。
纏っているオーラが一般人のそれとはあからさまに違うので、カタギではない人たちには話が早い。
クラブに入るとそこには円形の受付ロビーがあり、先客たちがボディチェックなどをガタイのいい外人にされているところだった。店の奥は暗幕がかかっていて見えないが、騒々しい音楽が漏れている。
受付のお兄さんは伊織をみると少し待ってもらうよう小声で話し、先客たちをさっさと店内に入れてしまった。伊織、おそるべし。
「お待たせ致しました。本日はどのような御用ですか?」
改めて受付のお兄さんが伊織に尋ねる。左耳についた数え切れないほどのピアスが痛々しい。
「ええ、今日はちょっとこの娘をね…。」
瑠姫の方をちらっと見ながら答える。その口調は普段のものとはうって変わって上品そのものだ。
「左様でございますか。ですが、お客様はご存知のことかと思いますが、酒宴が始まるのは零時を過ぎてからでございます。
お時間にはいささか早いのでないかと。」
「ええ、そうね。
でも今日は少し飲みたい気分だったから…個室を用意できるかしら?」
「かしこまりました。少々お待ちいただけますか。」
そう言ってインカムで少しやりとりすると
「お待たせ致しました。ご用意が整いましたのでご案内させていただきます。
ですが、その前にお持ちの荷物をチェックさせていただきます。もちろんお連れ様お二人についてはボディチェックもさせていただきます。」
そう言って壁際で待機していた外人二人に目線で合図を送る。
隣で瑠姫が少し身を固くしたのが伝わった。伊織のワンピース姿は隠しているものがないのは一目瞭然だからだろう、ボディチェックをスルーだ。だが、瑠姫は違う。もし帽子がとられたりしたらバレてしまう。
どうするだー!?と涼がドキドキしていると伊織がお兄さんに耳打ちする。
「…かしこまりました。
ボディチェックはそちらのお兄さんだけでいい。」
そう言い放ち、伊織と瑠姫を暗幕の前まで誘導する。
涼は念入りにボディチェックをされるが、予想していたことなのでなにも持ってきてはいない。無事チェックを終えた。
「失礼致しました。それではどうぞ、楽しんできてくださいませ。」
お兄さんのお辞儀に見送られて暗幕を通ると、そこは大きな円形のダンスフロアが広がっており、多くの人が踊っていた。1階のダンスホールの周りにはいくつか階段があり、2階、3階、4階へと続いている。上の階は全てテーブルやソファで埋めつくされ、観覧スペースとなっているようだ。
個室は一番上、4階にあるということなので階段を昇る。
階段を昇っているとダンスフロアの奥の方が見えてきた。一段高くなったお立ち台の上で年頃の女の子たちが裸で踊っていて、その前には男たちの群れが出来上がっている。
これは瑠姫の教育上良くないんじゃないか?
涼は謎の親心を発揮し、チラッと瑠姫の方を伺うと思いっきりお立ち台の方をみているではないか!
「わぁー!」
涼は思わず瑠姫の目を塞いでこちらに引き寄せる。
「な、なにをするんですか!?」
瑠姫は大声を出しジタバタも抵抗したが、そのまま抱きかかえて個室までいく。
個室に入ったところですぐに離してやると
「…全く…一体……私を、誰だと…思っているんですか?!」
瑠姫は顔を真っ赤にして抗議する。
「いやキミが青血の主血なのはわかってるけど、それとこれとは話が別だろ。あんなのは年端のいかない子供が見るもんじゃないの!この部屋で大人しくしてなさい!」
「わ、私はもう15です!子供じゃありません!」
「な、じゅ…」
「あーはーはっはっは!」とそこで
伊織の笑い声に遮られ、涼は言葉を切る。
「全く二人とも緊張感ないなー。
これからクロウクローとやり合うっていうのにさー。」
二人とも伊織に笑われてしまってので黙り込む。
「…そ、そういえばあのお兄さんにはなんて言ったんだよ?」
話題を逸らしたくて涼は伊織に問いかける。ボディチェックされるはずだった瑠姫をスルーさせるためになんと言ったのか気になっていたのだ。
「んーあれ?
簡単だよ。この娘は髪がとっても綺麗でみんなを驚かすために隠してるの!だから今ここで広げないでねって。
見た目にも服の下になにも隠していないのは分かるからね。
まあ商品に野暮なことはしないもんだよ。そんなとこだけは紳士なんだよねー、まったく。」
なるほど。それでスカートじゃなくてスキニーパンツにシャツという色気もなにもない格好にしたのか。
伊織の事前準備に感心したところで腕時計をみる。
…そろそろスタンバイしといた方がいいかな?部屋を出ようとすると
「じゃあ涼くん、しっかりとお姫様を守るんだよ?」
ウィンクしながら伊織が送り出す。
「はいはい。」
かっこいいナイトとは程遠いなと思いながら苦笑いで返す。
「無理はしないでください。いざとなれば私が闘います。」
瑠姫が真剣な眼差しでこちらをみている。
「そのいざって俺が死んだらじゃん。縁起でもない。」
ヘラヘラと笑いながら涼は部屋を出る。
瑠姫を闘わせるわけにはいかない。涼は階段を降りながら心の中で強く、自分に言い聞かせる。
瑠姫は間違いなくcolorsの中でも最強の中の一人だ。だが、その能力の性質故、持久戦は不利である。
クロウクローただ一人きりを倒せば終わりということであれば、瑠姫が出ればものの数秒で決着は着く。
しかし、それで一件落着にはならないはずだ。
今回、ここへはおそらく失敗を拭うためにクロウクローだけが来るだろうが、瑠姫がそれを倒したと分かれば黒血たちが押し寄せて来るだろう。
能力を使えば使う程自分の血を体外に放出してしまう瑠姫には人海戦術が効果的だ。もう瑠姫の周りに護る者がいないと分かれば、すぐにでもその作戦で来るのは火を見るよりも明らかである。
だからこそ、瑠姫ではない、誰かが倒さなければならない。まだ瑠姫の周りに仲間がいると分かれば、あっちも無闇に人員を投入出来ないはずだ。
2階まで降りたところで、踊り場に一番近く、ダンスフロアも見渡せる席に腰掛ける。
飲み物も飲んでいない姿は不自然かなと思い、タバコに火をつける。周りの音楽や笑い声に耳が慣れ出したころ
そろそろ…かな…?
煙を吐き出しながら涼はそう考える。いや、感じたと言った方が適切かもしれない。
こうやって何度も物騒な仕事をやっていると、不穏な空気や悪い予兆というものを感じ取ることができるようになるのだ。
今、涼はなんとなくだが、もうすぐこのクラブにクロウクローがやってくる気がしたのだ。
そして、その予感は正しかった。
テーブルについてから3本目のタバコが吸い終わる頃、時間にして15分程度だと思われるが、ダンスフロアにクロウクローの姿が見えた。
フロアを周り、瑠姫たちを探しているが、思うように探せていないようだ。この音と人だし、まあ仕方がないだろう。
フロアを回ることを諦めたクロウクローが階段を登ってくる。
上からなら見つかりやすいと踏んだのだろう。予想通りだ。
涼は段々と心臓の鼓動が早くなってくるのを感じる。何度体験しても、この闘う前の興奮というものには慣れない。
クロウクローは階段を上がりながらフロアを見渡し、瑠姫を探している。そしてクロウクローが2階に上がりきった瞬間に涼は顔面めがけてドロップキックを放った。
ぐしゃっとなにかが潰れるような音と共にクロウクローは手すりを越えて、ダンスフロアへ落ちて行った。
鈍い衝撃音があり、ダンスフロアを覗くとクロウクローが仰向けに倒れていた。
下には誰もいなかったんだな、ラッキー。
内心でホッとしていると、フロアで騒ぎが起き出した。
「なんだ?」
「人が落ちてきたぞ。」
「え?どっから?」
「おいみろよ。落としたの、あいつじゃねえか?」
「ケンカかよ?」
「なに?ケンカか?やれやれ!」
騒ぎに気づいたガードマンの男がクロウクローに近づいていく。もちろん、涼の方にもだ。
クロウクローはゆっくりと起き上がり、首を鳴らした。そしてギロっと涼の方を睨みつけた。
二人の視線がぶつかった瞬間、近づいていたガードマンが涼とクロウクローのそれぞれの肩に手をかけた。
涼は右肩にかけられた手を左手で掴み、捻り上げながら身体を反転させる。
うおぉとガードマンが唸るのが聞こえたが、構わず拳を素早く鳩尾に叩き込む。そして呻いてるところでハイキックをお見舞いして階段へ落とす。
いろんな音を立てながらガードマンは転がり落ちて行き、階下で無様に伸びた。手加減もしたし、死んではいないだろう。打ち所が悪くなければ…
クロウクローに手をかけたガードマンはどうなったかと下を覗くと案の定、バラバラに切り裂かれていた。
その光景を見た客たちは悲鳴をあげてパニックになりながら店を出て行く。
一瞬、電車の時と同じように客たちにも手にかけるかと思ったが、クロウクローの視線は涼に固定されていた。その眼には狂ったような光が見て取れる。
「…始まったみたいね。」
部屋の外の悲鳴を聞きながら伊織はグラスを傾ける。その顔には特に焦った様子はない。
一方、瑠姫はなにも手につけずにじっと座っている。
「心配?」
「ええ、それはもちろん…。
元々関係なかった人ですし。もしこれで死んでしまったら…」
「あーそれは言ったらダメよ。
こっちは仕事で引き受けてるんだし、涼くんもそんなことは分かってることよ?」
それはそうかもしれないが、それではい、そーですねと割り切れることではない。瑠姫が少なからず、焦ったさを感じると伊織が続けて言う。
「それに涼くんは負けなからさ。」
「…随分と信用しているんですね?」
「んーまあ長い付き合いだしね。
もちろん理由はそれだけじゃないよ?
涼くんがそんじょそこらの隷血なんかに負けるなんてことはありえないもの。」
「…どういうことですか?
たしかに血の衝動を感じない特殊なcolorsの様ですが」
「あーそれは私も詳しいことはわかんないから!ははっ。
…瑠姫ちゃんて主血でしょ?主血が隷血に負けるなんて考えられる?」
「……?」
質問の意図が分からず瑠姫は黙る。
余程優れた隷血でなければ、主血を倒すことはできないだろう。元々のスペックが違いすぎる。そんなことは誰でも知っていることだ。
「どうしてそんなことを…?」
「うん、涼くんは厳密に言うと主血じゃないんだけど、主血みたいなもんなんだよね。だから負けないよってことさ。
んー我ながら少しばかり無茶苦茶なこと言ってるか?」
あははと笑いながらグイッと酒を煽るが、瑠姫は意味が分からず混乱する。
主血ではないけど…主血みたいなもの…?どういうことなの?
「よう…黄血。あれは痛かったぜ…銃弾なんざ食らったのは久しぶりだった。」
全ての客が避難し終え、静まり返ったフロアでクロウクローは話しだす。
「どういうカラクリか知らねえが、てめえからは血の衝動を感じねえ。少しばかり物足りなさはあるが、この傷の痛みがその物足りなさを埋めてくれてるぜ…
だが、てめえを殺す前に一つ聞いておく。あの青血はどこにいる?」
「この上にいるよ。もちろんお前が会うことはないけどね。」
「そうか、そうか…いるんだな?
それじゃあ殺させてもらうぜ。このエセcolorsがぁぁぁ!」
「なんだ、よく喋るヤツだったんだな。」
涼が言い終わるか終わらないうちに、爪が伸びてきた。
シャンっ!
爪は手すりを斬ったが、涼は上に飛んでかわした。
…おそらくすでに避難した客がロイヤルに通報しているだろう。
時間はあまりない…
涼は右手首にある12連リングのブレスレットに魔力を込める。
すると一番先にあるリングが輝きだし、魔法陣が出現する。
出現した魔法陣は回転し始め、バチッバチッと雷を発生させる。
右腕を突き出して、雷をクロウクローへと放つが、クロウクローは後ろへ飛んで躱した。
「ふははは。やはり雷を操る能力だったか!あの時、銃に電気を帯びさせてレールガンのようにしたんだろ?
だが、その程度の電撃ならば、恐るるに足らず!」
クロウクローが繰り出す攻撃を涼は躱し続ける。躱しながら懐に潜り込もうとするが、自在に伸びる爪をうまく活かして涼の接近を防いでる。最初に作られた微妙なスペースのせいだ。
徐々に涼のスピードに慣れてきたのか、爪が涼の身体を捉え始める。
「ふふふ、電撃を溜める隙を与えなければいいだけのこと!
それに雷では爪は防げやしないだろ!」
「ああ、たしかに一つじゃお前の爪は防げないみたいだ。」
「…なに?」クロウクローの顔がゆがむ。
涼は一旦距離をとり、再びブレスレットに魔力を込める。
二つ目のリングが光だして、一つ目と同様に魔法陣を創り出す。
「こけおどしだ!」
涼を貫こうと右手の爪を伸ばすが、涼はこれを躱す。間髪入れずに左手の爪が伸びてくるが、これを
電撃を帯びた右腕で払い、避ける。
爪の伸ばしてしまったクロウクローには涼の拳を止める術はない、あとはこの拳を叩き込むだけだ!
ニヤッとクロウクローは笑い、右足を出す。
「爪は手だけじゃねえんだよ!」
「!!?」
ブーツのつま先を破って爪が伸びてきた。距離を詰めていたので、躱すことはできない。
「廻れ!」
涼が呟くと、二つの魔法陣は回転を速めた。生み出される雷が勢いを増し、涼の拳を覆う。
「雷迅拳!」
涼に向かってきた爪に拳をぶつける。
ビキビキッ…バリ…バリ
数瞬力が拮抗したように見えたが
、爪は折れて涼の拳がクロウクローを捉える。
「ぐはっぁ!?」
ボキボキッと肋骨が折れる音がして、クロウクローは後ろの壁まで吹き飛ばされる。
壁に叩きつけられたクロウクローは息はあるが、意識は飛んだようだ。
「はぁーーー」
涼は深〜く息をついて、頬から流れていた血を拭う。
すると遠くからサイレンの音が聞こえてきた。ロイヤルのおでましだ。ゆっくりしてはいられない。
階段を駆け上がり、瑠姫と伊織の待つ部屋へと向かう。
扉を開けると伊織は飲みかけたグラスを戻して、
「お!お疲れ様!」と快活に言った。
瑠姫の方はなんとも言えない表情をして涼を見ている。
涼はなんと言っていいかわからずに黙っていた。
涼は身体中ズキズキしているが、なにかしらアクションを起こさねばと思い、できる限りの笑顔を作って瑠姫に向ける。
「…心配して損しました。」
「それはあまりに酷いんじゃ…」
酷い言いように思わず反論しようとするが、ここでのんびりしている訳にはいかない。ロイヤルが近づいている。
「これで任務完了ね。」伊織は嬉しそうにそう言って退散の手順を説明した。二手に分かれることにして、落ち合うのは明日。涼は屋上から、瑠姫と伊織は非常階段を使って。もし見つかっても二人は客のフリをするつもりらしい。
屋上から隣のビルにうつって、テキトーに走り回った後、涼はオフィス兼自宅に帰った。尾けられていることはまずないだろうが、念を入れた。
傷の数は多かったが、浅いものばかりだったので、医者はいいやと思い自分で手当てをした。
手当てをした後も、まだアドレナリンが収まらず、酒を煽っていると伊織からメールが届いた。
無事に逃げられた旨、明日の待ち合わせ場所、時間を確認すると、涼はベッドへと倒れこんだ。
翌朝目が覚めると、待ち合わせ時間まであまり余裕がなかったので慌てた。
どうやら思った以上に疲れていたらしく、目覚ましに気づかなかったようだ。
熱いシャワーを浴びて(傷はほとんど治っている)ネクタイを締めずにジャケットを羽織るだけにして出かけた。
道中、涼はあまり仕事の達成感を実感できずにいた。なんとなく、見るもの聞くものが遠くに感じるのだ。
待ち合わせのカフェは若い人向けの騒がしい店だった。伊織や涼の趣味ではないが、こういったうるさい場所の方がかえって、周りを気にせず話が出来る。
カフェに入ると、奥の席で待っていたのは伊織一人だけだった。
何故か分からないが、少しの落胆を覚えながら涼は席につく。
「あら、残念そうな顔して。
瑠姫ちゃんがいた方が良かったのかしらー?」
ニヤニヤしながら伊織にいじられるのが気に入らず、この落胆は有名人に会えた方が嬉しいに決まってるという一般人の心理のせいだと自分に言い聞かせる。
「それで、今回はこれで完了?」
「うん。
クラブでの一件はクロウクローが捕まってとりあえずは落着。ロイヤルの方でもクロウクローから情報を吐き出させようとしてるみたいだから、無闇に涼くんを探すようなことはしないはずだよ。」
「それは良かった。
割と多くの客に顔を見られたからね。協力する人なんかが出てくると困るとこだった。」
ここで一旦二人ともコーヒーを飲んで黙る。伊織がわざと瑠姫の話をしてこないのは癪だったが、仕事をやった立場として訊く権利はあるはずだ。
うん、そうだ。断じて気になるわけじゃないぞ。
「んで、瑠姫はどうしたの?
やっぱりまだ黒血に狙われてるから外は出歩けないのかな?」
「んーまあ気軽に外は歩けないかもしれないけど、ここに来てないのはそういう理由じゃないよ。」
「え?じゃあどうして?」
「それがね、昨日涼くんにメールした後に依頼主の隷血から連絡があってさ。
瑠姫ちゃんにも確認してもらって間違いないってことだったから引き渡したの。
さすがに主血をずっと預かってるわけにはいかなかったから、正直助かったわよ。
おかげで今日は寝不足よー。」
アクビをしながら目尻に涙を浮かべる。アクビをしても絵になる女というのはすごいのでは?
「じゃあ、そういうことだからさ。
これ、今回の報酬!隷血のとはいえ、青血は珍しいから良かったわね。
あ、瑠姫ちゃんがありがとうって伝えてくれだってさ。」
カバンから取り出した小さな箱をテーブルに残して伊織は颯爽と店を出ていった。
残された涼はカップに残ったコーヒーをゆっくりと飲み干してから店を出る。
オフィスに帰るまで、涼は行きと同様ぼんやりとしていた。いつも仕事が終わった後は伊織と一日中酒を飲んだり、車でどこか遠くへ行ってのんびりするのだが、今回は全くそういう気分になれなかった。
colors絡みの仕事というのも初めてというわけでもなかったのだが、なにか今回はいつもと違う心境だった。
気づくとオフィスの前に着いていて、鍵を開けて中に入る。
オフィスは中央の少し手前に来客用のソファがテーブルを挟んで向き合っており、奥の窓の方には頭取席としてそこそこ立派な机と椅子が置いてある。
ソファのところまでくると、座るでもなくポケットから先ほど伊織から受け取った小箱と、もうひとつ、別の小箱を取り出す。
「まあ今回はこれで良しとするか。青血の隷血と…主血も手に入れることができたんだから。」
報酬は青血の隷血のみだった。
主血はもちろん、瑠姫のものだ。本人の了承を得たわけではなく、あの時、スーツケースを開けた時、気を失っている瑠姫を見た瞬間に、反射的に血を採取してしまったのだ。申し訳ないことだが、職業病というのは恐ろしいものである。
主血は今までに数回手にしたことがあったが、それも仕事の一環で手にしただけだったので、すぐに手元を離れてしまった。
なので、今回手に入れたこの主血は涼が保有し続けることができる貴重な財産である。
それほどのものを手に入れたというのに涼の気分は重く、深いため息をつく。伊織が聞いていたら、また怒られそうなものだ。
「ため息をつくと幸せが一つ逃げていってしまいますよ?」
…え?伊織?
驚いて声の方を見ると、頭取席の椅子がくるりと周った。
そこに座っていたのは伊織ではなく、美しい銀色の髪をした少女だった。
「……瑠姫?」
ポカンとした涼の口からかろうじて名前だけが出てくる。
「それに、その程度の血であなたは満足なのですか?Blood Bankというのなら、もっと在庫があった方がいいのではありませんか?」
ただでさえ、状況が飲み込めていない涼に瑠姫はさらに意味不明な言葉を投げかける。
「Blood Bank頭取、巽 涼。私を雇いなさい。期間は私の隷血たちが集まり、再び青血としての機能を復活させるまでです。その代わり、雇用期間中は私の血をあなたに差し上げます。」
瑠姫の力強い言葉と眼差しを受けて、ショート寸前の涼の頭に浮かんだのは
給料はいくらにしよう?
ということだった。