白雪姫と物言わぬ鏡・2
あはははっという軽快な笑い声が、携帯を通して私の耳に届いた。電話の相手はクラスメイトの由香里。
「それで、大声で携帯に怒鳴ってたのを聞かれてお母様にまで怒られたってわけね」
いまだくすくすと笑いながら私に確認する。全く。こっちはそんなに笑ってられる余裕なんてないのに。
「あのね・・・笑い事じゃないんだけど」
むっとした声の私に、ごめんごめんと尚も半分笑いながら由香里は言った。
ひととおり母親に怒られた後、私はさっさとお風呂に入って部屋に戻った。ただでさえイライラとしているときにガミガミ怒鳴られては余計に腹が立つ。おやすみなさいを言うこともなく部屋に入り、化粧水など最低限のことをしてから由香里に電話をかけた。
深夜0時。けれども由香里は3コール目ですぐに繋がった。もともと夜中に長電話なんて、私たちにとっては当たり前のことだ。ただ、今日はこれ以上母親に怒られることだけは避けなければ、と思いいつもより声のトーンは低めだが。
由香里は1年2年と同じクラスの親友だ。初めてのクラスで隣同士の席になり、やがてお互いとてもウマが合うことに気づいた。それ以来、ことあるごとに大騒ぎしながら毎日を一緒に過ごしてきたのだ。明るく所々大雑把で、常にポジティブシンキングな由香里は一緒にいてとても楽しいし気楽だった。実際、私が先ほどの孝也との電話のいきさつを話した後も、私を慰めたり孝也のフォローをしたりする前に何よりもまず大笑いした。私としては不本意な反応だったが、これが由香里なので仕方がない。だいたい、しんみりと落ち込みたいのなら由香里に連絡などしない。私はおそらく、もともと笑い飛ばして欲しかったのだ。気を楽にするために。
「にしても。吉崎君も忙しいのね。ってゆーか高2の夏にこんなに暇なのって私たちくらいじゃないの?」
茶化すように聞いてくる由香里。いつもなら私のその言葉に便乗して馬鹿な話をすることができるのに、今日はそんな気分じゃなかった。
「あのさ由香里・・・・。私は相談をしたいんだけど」
ため息をつきながら私は言った。先ほどの孝也との電話の会話が思い出される。結局デートはキャンセル、休みの予定も白紙。いつもなら「しょうがないなー」なんて思いながらも次の機会を待つことができたはずなのに。今回はなぜかショックが大きい。
由香里がようやく笑いを止めた。
「ああ笑った・・・。それで、結局どうするの?休み中練習の応援でも行く?」
「行けないって。校内で会うだけでも周りがからかうってのに、練習の応援なんか行ったら先輩後輩にまでからかわれて後で余計に孝也に怒られるわよ」
「あ、そっか。んじゃどうするの?暇をもてあそぶの?」
そんなこと言われても・・・。どんなに私が会いたくても孝也は会えないのだ。スケジュール帳をベッドサイドにおいてある鞄から取り出して開いてみる。真っ白な夏休みを再確認して余計にむなしくなった。
「確かに暇だけどさ・・・。だって孝也は部活で遊べないんだし。由香里遊ぼうよ」
「あ、私無理」
由香里はあっさりと私の誘いを断った。てっきりOKが返ってくるものだと思っていた私は拍子抜けした。
「え?なんで?なんかあるの?」
「うん。私夏休みから塾行くことになっちゃってさ。夏期講習」
「さっき暇だって言ったじゃん!」
「それは恋愛面に関してだけです」
わけのわからない理屈をこねながら由香里は言った。それにしても由香里が塾に行くことになっていたとは予想もしなかった。由香里は確かに成績が良いとは言い難いが、少なくとも私よりは遥かに頭がいい。そんな由香里が私よりも早く塾通いをすることになるとは。
「なんで塾?もう受験勉強?」
「受験勉強ってほどではないけど。親が行けってうるさいんだよね。まあ授業は個人でDVDにそって受けるだけで時間と曜日も好きなときに選べるシステムらしいからそこまで大変じゃなさそうだし。夏に試しに行ってみようかと思ってさ」
塾といえば中学のときに高校受験のために通ったようなものしか思いつかない。レベル別に分けられたクラスで、ひたすら勉強の日々。時には生徒よりも講師が熱くなったり、何人かの女生徒は受験を間近に控えても授業中の私語とくすくす笑いをやめなかった。
はっきり言って、塾は嫌いだった。自分の学校にはいないような苦手なタイプもうじゃうじゃいたし、最初は気が合う人もなかなか見つからなかった。ようやく何人かと親しくなってからはまだマシだったものの、今度はそのせいで授業に集中しなくなった。塾での勉強が本当に役に立ったのかはわからない。
もともと、私は人と一緒に勉強するのはあまり得意ではないのだ。学校でもいっつも授業中眠ってしまってるし(これは人が一緒でもそうでなくても変わらないが)テスト前に勉強会でもしようものならお喋りだけで時間は過ぎてしまう。塾でも友達ができてからはそうだった。
・・・・とは言っても、一人だからといってバリバリ勉強するわけではないんだけど。
しかし、今回の由香里の話には興味があった。ただ単に時間が有り余っていて暇だから、という理由もひとつだったが、純粋に一度体験してみたいとも思った。DVDでの個人授業。私の場合眠ってしまうこともあるだろうが、他の子と喋れない分、少しは勉強がはかどるかもしれない。そしてついこの間の一学期末テストの結果を思い出した。みごとに落胆した母の顔。もともと出来がよくない私を知ってるはずだけど、そんな母の表情を見たときにはひどく後悔した。もっと勉強しておけばよかった、と。そんな後悔は一度や二度ではない。毎回テスト後に「次こそは!」と決意するものの、それを実行できたことは一度もなかった。
そろそろホントに勉強したほうがいいかもしれないしな・・・・。
心の中で呟いた。上がるどころか下がっていく一方の成績。はっきり言って毎日遊んでいられる余裕なんて私にはないはずなのだ。
そこまで考えて、私はようやく由香里に返事をした。
「ねえ、私もその塾行ってみたいんだけど」
「・・・・・今、なんと?」
私の言葉に、由香里が一瞬沈黙してから聞き返してきた。私はもう一度、はっきりと言った。
「だから、私もその塾行ってみたいって」
「千晶が!?本気で!?」
「そんなに驚かなくても・・・」
確かに、私が行きたいなんて言い出すことを由香里は思いもしなかっただろう。実際自分でも少しびっくりしている。いつもなら塾なんて絶対に行かない!と公言してはばからない私だったのに。
「どういう心境の変化?吉崎君と私以外に相手いないの?」
なんとも失礼な由香里の発言に、私は少しむっとして答えた。
「そういうわけじゃないけど。でも暇なのは事実だし。そろそろ勉強しないとやばいし。」
私の声色に由香里はようやく私の本気を読み取ったらしい。冗談をやめて、真面目な声で私に確認する。
「んじゃ、体験授業一緒に行く?来週私行く予定なんだけど」
「行く。連れてって」
即答した私。由香里の「OK」という言葉に、少しわくわくした。
「んじゃ詳しいことはまた明日以降にする?もう2時近くになってきちゃってるし」
由香里に言われて、私は時計を確認した。確かに、あと7,8分ほどで2時になる。いつもは大体1時過ぎには終わっていたのに、どうやら今日は私の愚痴に時間をとったらしい。
「ホントだ。悪いね、つき合わせて」
とりあえず謝ってみた。由香里はさも気にしません、と言った感じで大丈夫、と答えた。
「じゃ、また明日。学校でね。1学期の授業も今週で終わりだー」
やったぁ、とまだラストの週が終わっていないというのに喜ぶ由香里に、私は少し笑った。無邪気な由香里の笑い声に私の気分も軽くなる。結局、今夜の私にとって由香里に電話したことは正解だったみたいだ。
「そうだねー。ラストぐらいは授業中起きてるようにしなきゃ。んじゃ、おやすみ〜」
由香里からの「おやすみ」という返事を聞いて、私は携帯を切った。
電気を消して、ベッドに入って。ほんの数十秒、枕元に置いていた携帯を開き妖しい光を放つ液晶画面を見つめていたが、結局孝也からのメールは来なかった。