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am7:20のシンデレラ・5




 家に着いて鍵を開けた。

家に誰もいなかったので玄関に入って、靴を履いたままぐったりと座り込んだ。

 「あー・・・痛かった・・・」

そんな風に呟きながら靴を脱ぐ。両足の踵は、見事に皮が剥けていた。

 「あらら。こりゃ痛いはずだわ」

言葉が誰もいない家に空しく響く。その場に座り込んだまま足と靴を見比べていると、段々涙が溢れてきた。


 帰り道、一人でとぼとぼと歩いてる間に、段々と両足を痛みが襲ってきた。新しいパンプスで歩き、立ち続けたせいだろう。もともとパンプスとは今までも相性がよくなくて、最初はいっつも靴擦れに悩まされていた。そのため、今回はかなり用心してサイズを選んだはずだったのだが。結局今回もいつもと同じだった。

 でも。


 足以上に痛いところがある。



 もはや、何に対して泣いているのかわからなかった。足に対してなのか。それとも、彼に対してなのか。


 すべてが、元に戻った気がした。

魔法にかけられたような、夢見心地の日々が消えた。脱ぎ捨てられたパンプスを見つめる。グラウンドに立ち続けたせいでヒールに土がこびりついていた。

 私は一人、自嘲気味に笑った。一日を振り返って、馬鹿みたいに思う。一人で舞い上がって、期待して・・・・。


 お城から逃げ帰ったシンデレラは、どんな気持ちだったのかな。


 ようやく立ち上がって部屋に上がりながらそんなことを考える。シンデレラは幸せだったかな。だって彼女は王子様と言葉を交わし、ダンスをすることまでできたんだから。私は声をかけることすらおろか、彼に覚えてもらうことすらできなかったのだ。ガラスの靴を履いたまま帰ってきてしまった私は、この先王子様に見つけてもらうことなんてきっとできないだろう。

 自分の部屋に辿りついて、ようやく一息つく。涙を拭うこともないままベッドに倒れこんだ。何もない天井を見つめながら、彼の表情を思い出す。試合中の真剣な表情、目が合ったときの反応、そして・・・・一番最初に会ったとき、ボールをぶつけてしまった私に謝る姿。

 目を閉じて、小さく息を吐いた。心の中が空っぽになったような空虚な気分が私を襲う。動き出す気になれない。けれど目を閉じてもなお彼を思い出してしまい、耐え切れずもう一度目を開けた。



 「・・・・・好きです」



誰もいない部屋で、ただ白いだけの天井に向かって呟いた。行き場のない言葉が耳に響く。

 まだ、たった一度しか言葉をかわしたこともないけれど。私のことを覚えてもらうことすらできていないけど。名前も性格も知らない、学年だってはっきりとわからない。それでも・・・・。


 「どうしてこんなに好きなんだろう・・・・」



 わからない。わからないけど、確実にわかっていることがある。私の気持ちは本物だということ。ようやく、出会えたのだ。本気で好きになれる人に。ようやく、憧れていた日々が訪れたのだ。

 けれどあんなに憧れていたのにもかかわらず、簡単に飛び込むことができなくて。自分の情けなさ、不甲斐なさにほとほと呆れてしまう。涙は止まることなく流れ続けている。とにかく疲れた。朝からバタバタして、今までにないほど緊張して。ショックをうけて靴擦れを引きずりながら帰宅して。精神的にも肉体的にも疲労しきった私は襲ってくる睡魔に耐え切れず、いつの間にか深い眠りに落ちてしまった。



 


 次の日、いつも通りの時間に目覚めた私は時計を見ながら考え込んでしまった。早起きをしてグラウンドを眺めることが日課になっていた最近。けれど、今日はどうしたらいいのかわからなかった。

 彼を見たいとは思う。けれど、昨日の出来事はまだ心に残っている。彼を見ればまた昨日のことを思い出してしまうだろう。へこんだ気持ちを背負ったまま学校に行くのは憂鬱でしかたがない。

 けれどたとえ見ようと見まいと暗い気分はどうせ消せない。昨日から何につけてもやる気がおきなくて困っているのだ。それならばいっそ見に行ってしまおうか。案外、見てしまえばあっさりと立ち直れるかもしれない。

 

 それが、諦めの思いになるか再チャレンジの気持ちになるかはわからないけれど。



 悩んでいる時間が思ったよりも長かった。急いで準備を済ませて家を出る。少しだけ騒ぎ始めた心臓をなんとか落ち着かせようとしながら、暖かな日差しの中を一人歩いた。しかし努力もむなしく、高校に近づくにつれ心臓の音は増すばかり。別に向こうは私に気づかないんだからドキドキする必要なんかないのに、と思わず苦笑してしまう。全く、どうして私はこうなんだか。いちいち深く考えすぎてしまうのだ。


 桜の色が変わり始めていた。花弁の散る量が増し、ところどころに鮮やかな緑色が覗き始める。

 「もう散っちゃうんだ・・・・」

桜が散る姿はとても綺麗で、同時にひどく切ない。今年は格別だ。なぜなら、もうすぐこの花弁の下で駆け回る彼を見れなくなるのだから。花吹雪の間から彼を覗くのがとても好きだったのに。

 考え事をしながら歩くときはいつも驚いてしまう。自分のいる位置が思っていたよりも進んでいて、にもかかわらずそこに至るまでの周りの景色が全く目に入っていないのだ。今回も気づけばもう、北高校のグラウンド前まで来ていた。

 

 昨日が試合だったにもかかわらず、北高校のサッカー部は今日も朝練をしていた。彼の姿を探す。けれどなかなか見つからなかった。

(いないの・・・?)

ほっとしたような残念なような。とても複雑な思いのまま、グラウンドから目を離した。振り返って散りゆく桜を見上げる。


 もしも魔法使いがいるのなら、心から願いたい。

私に魔法をかけて。ガラスの靴を彼に届けて。彼を私のもとへつれてきて。

 願うだけで、待ち続けるだけで王子様を手に入れたシンデレラのように、私にもチャンスをください。


 


 そのとき、風が吹いた。



 一瞬強い風が吹いて。荒れ狂う髪の毛を鞄を持っていない左手で押さえようとする。花弁が惜しげもなく舞い散って、まるで嵐のようだ。そしてそれと同時に、私の足に何かが触れる感触を感じた。


 首だけで振り向いて見下ろした。サッカーボールだ。



 「すみません!」



 聞き覚えのある、声と台詞。反射的に体ごと振り向いた。前を見た私の瞳に飛び込んできたのは、一番会いたいと願っていた人。

(嘘・・・・)

 強いデジャ・ヴに襲われて、眩暈がした。必死で自分を支えて、なんとかボールを拾う。今にも取り乱してしまいそうだった。心臓の鼓動は荒れ、喉が渇く。ボールを持っている手は今にも震えだしそうだ。


 そんな私に気づかずに、彼は私のもとまできてボールを受け取った。この間よりも、ずっと近い位置で。

 「すみません」

もう一度謝りながら私を真っ直ぐ見た。そして、あれ?っという表情になる。

 「・・・昨日、試合見に来てませんでした?」

唐突な質問に、私は言葉の意味をはっきりと理解できなかった。パニック状態の自分をなんとか制御し、慌てて質問に答える。

 「あ、はい!見に来てました・・・」

彼の表情を真正面から見るのが精一杯で。返事は尻すぼみになってしまった。けれどそんなことはお構いなしに、彼は私の返事ににこりと微笑んだ。

 「やっぱり。それともしかしてこの間も、ここでボールにぶつかりませんでした?」

 「覚えてたんですか!?」

 覚えててくれた・・・・?

 すると彼は少し苦笑して答えた。

 「昨日は思い出せなかったんだけど。今のこの状況とそっくりなことがあったような気がして。今思い出しました」


 昨日と、そして今朝の重い気分が一気に吹き飛ぶ。昨日は思い出してもらえなかった。けれども、彼の頭の片隅には残っていたのだ。それだけで十分嬉しかった。思わず私も笑顔になる。


 「それじゃあ。二回も迷惑をかけてすみませんでした」

 早く練習に戻らなければならないのだろう。そう言って走り出そうとする。背中を向けた彼を見て、私はどうしようもない衝動に駆られた。

 「あ、あの・・・!!」

 走り出した彼を思わず呼び止める。さっきよりは少し離れた距離で、彼は振り向いた。なんだろうという表情の彼に、私は精一杯の思いで言葉を押し出した。

 「あの・・・!私、宇佐美楓っていいます・・・・!」

落ち着いて考えれば、いきなり自己紹介されても困ることぐらい気づくだろう。けれどいっぱいいっぱいだった私はそんなことにも気づけなかった。そして名前のあと、何から言えばいいかわからず続きが紡げない。

 けれどそんな私の様子に、彼は優しく笑っていた。

 「・・・俺は富樫祐樹。ボールありがとう」

 「・・・どういたしまして・・!」


 そう返した私の表情は、おそらく満面の笑みだっただろう。彼の優しい笑顔と言葉に、空っぽだった心が暖かく満たされていった。


 走り去る彼の後姿を、そのままじっと見ていた。

もう一度魔法にかかる。桜は私の思いを乗せて、ボールはガラスの靴になる。彼を私のもとに呼び寄せる。


 

 

 

 もう一度、舞踏会を開きましょう。

 ドレスアップをして、ガラスの靴を履いて。

 馬車に揺られて、あなたのもとへ。

 12時の鐘はならないから。

 もう二度と逃げ出したりはしないから。

 タイムリミットのないダンスを、私と。

 

 

 


 その場にいつまでも留まっていたい思いをなんとか振り切り、私は歩き出した。いつもの電車には乗れないかも。でも、どうせ早く着きすぎてしまうのだから関係ない。私は携帯を取り出して、無機質なディスプレイを覗いた。


 


 画面に表示されていた時間は、7:20だった。


    Fin.

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