am7:20のシンデレラ・4
「おはよ。いい知らせがあるの」
挨拶もそこそこに裕美子は切り出した。
「知らせって・・・」
「本当は昨日メールしようかと思ったんだけど。聞いたのが夜中だったのよね」
言いながら私の机の横に鞄を置いて、ブレザーを脱いだ。
昨日と同じように向かいに座る私は、そのわけがわからない表情のままその行動を見つめた。
「あー教室ってなんでこう暑いんだか・・・」なんて言って、私が手渡した下敷きで仰ぎ始める。そうしてようやく裕美子は本題を話し始めた。
「あのね、昨日の夜椎名とメールしてたんだけど」
椎名、というのは他校にいる裕美子の彼氏のことだ。
「椎名の友達にね、サッカー部の人がいるの。それで来週の日曜日に試合があるんですって。さて、相手はどこの高校でしょう?」
考えるまでもない。ここまで言われて全く予想がつかないほど私も鈍くはない。
「つまり・・・・相手は北高のサッカー部だと・・・」
「その通り。しかも会場は北高のグラウンドのほうですって」
なんだか頭がくらくらしてきた。あまりにもタイミングがいいというか都合がいいというか。
裕美子のこの様子じゃあ、次に来る台詞はもちろん・・・・・
「ってなわけで、来週の日曜のプランは決定ね」
・・・やっぱり。
「ちょっと裕美子、本気で言ってるの?」
「当たり前じゃない。どうして?まさか行かないなんて言わないわよね?」
確認というよりは強制の意味を含めた裕美子の言い方に、思わず私は言葉を濁す。
裕美子はひとつため息をついた。
「ここで行かなくてどうするのよ!せっかく堂々と彼を見れる機会なのに。ってゆーか私がその人を見たいから行くの」
「そっちの都合!?」
すでに「どんな人なのかなー」なんてうきうき状態の裕美子。今度は私がため息をつく番だった。テンションの上がっている裕美子に声をかける。
「ねえ裕美子。普通に考えて、他校の私たちが見に行ってたらおかしいでしょ」
「私服で行けばわからないって。しかも椎名から聞いた話によると結構そういう人いるみたいよ。椎名のとこのサッカー部って人気あるらしいし」
私の抗議なんかなんでもないように裕美子はあっさりと言った。そして私に顔を近づける。
「・・・楓だって本当は見たいんでしょ。彼を」
一瞬真面目になった瞳に、結局それ以上反論できなかった。
確かに、口では無理だ無理だと言っていても、心の奥では行きたいと願っている自分がいる。
裕美子の言うとおり、これはまぎれもないチャンスだ。ようやく、一歩前に進むことができるかもしれない。
もとより断るなんて選択肢は存在していないのだ。別に行ったからといっていきなり告白する羽目になるわけでもない。こうなったら答えるべき答えはひとつしかなかった。
「・・・わかった。行くよ」
「そうこなくっちゃ」
裕美子はにっこりと微笑んだ。
さっきっから、何度鏡を覗いたかわからない。
早く来て欲しいような、でも来ないで欲しいような。複雑な思いのままあっという間に日曜日は訪れた。出かけるまであと30分。すでに服も髪もメイクもすませている。
けれどもどうしても気になってしまう。どこかおかしいところはないか。他の人たちから浮いてしまわないか。
何回見ても、結局もとの自分は変わらないのだから仕方ない。そう思っていても気になってしまう。まあ結局メイクなんて自己満足なものなんだけれど。
とりあえず、スポーツ観戦ということで派手過ぎない格好を選んだ。シンプルな黒のカットソーにジーンズ。その上に今年購入した白いニットのロングコートを羽織って、首元にはシルバーのクロスネックレスを選んだ。
けれど、一番のポイントは足もとだった。シンプルにまとめた服の中で唯一、サッカーの試合に履いていっていいものか何度も迷った物。
つい3日前に買った、新しいパンプスだ。本来ならグラウンドで見るのだからスニーカーなどのほうがいいのだろう。けれどもこれはどうしても諦められなかった。
3日前、たまたま立ち寄った店で一目惚れした。その華奢ですらりとした形と、キラキラと上品に光るシルバーブルーが印象的なパンプス。目にして、思わず思ってしまった。「まるでガラスの靴のようだ」と。
もちろん、ガラスでできているものなんかではない。けれど、私の中にあるイメージに限りなく近く感じたのだ。シンデレラが魔法使いからガラスの靴を与えられたときの気分がわかるような気がするほどに。
昔、何かの本で読んだことがある。どこかの国では、「女の子は綺麗な靴を履きなさい」と言われるらしい。綺麗な靴は女の子を自然と素敵な場所に導いてくれるから、と。
この靴に出会ったとき、ガラスの靴のイメージと同時にこの言葉を思い出した。もしこれを履いて彼を見に行ったら、何か良いことがあるかもしれない。この靴は私を彼のもとに連れて行ってくれるかもしれない・・・・。あり得ないと思いつつ、そんな思いは拭えなかった。
落ち着かない気分のまま鏡の前を行ったりきたりしているうちに30分たった。鞄を持って、新しいパンプスに足を通す。
深呼吸をひとつして、私は家を出た。
「なかなか・・・。すごいギャラリーね」
グラウンドの入り口で裕美子が呟いた。
確かに裕美子の言うとおりだった。大きな大会でもないのに関わらず、グラウンド周りには大勢の人がいた。
裕美子に聞いていた話によると、彼女の彼氏である椎名君の高校とこの北高校は昔からライバル関係にあるらしい。両校サッカー部はレベルが高く、大会でも毎年上位を狙ってくるほどだという。そんな2校の試合とあって、他校のサッカー部からの偵察がところどころに散らばっていた。おまけに、両校なかなかルックスのレベルが高い。おそらくそのせいだろう、他校の男子生徒に混じって同人数ほどの女の子が黄色い歓声を上げていた。
「ほんとに。こんなに盛り上がってるなんて珍しいわね」
「まあ周りはどうでもいいわ。それより楓のお目当てはどれ?」
言いながらさっさとグラウンドの奥へ進み、ゴール付近から試合を覗き始めた。選手のユニフォームによるとこっちは相手高のゴールだ。
私も試合を覗き、彼を探す。試合中選手はほぼ絶えず走り回り、二種類のユニフォームが交錯する中たった一人を探すのは少し困難だった。
「あ・・・・」
思わず声を漏らす。一瞬にして視界に飛び込んできたその姿。
彼がいた。
10番のユニフォームを身に着け、声を張り上げながら走り回っている。一度目に付けば、もう見失うことはなかった。彼から視線がはずせなかった。
「いた?どれ?」
裕美子が私の声に気づく。
「あれ。あの青のユニフォームの・・・ええと10番」
「10って花形じゃない」
「そうなの?」
「確か。うちの兄が言ってた気がする」
人並みにサッカーに興味は持っているけれど、詳しいかといわれれば全然詳しくない。背番号のいいかわるいかまでは全く知らず、裕美子のその言葉にただただ驚いた。
そんなすごい人だったの・・・・?
確かに、周りの女の子に注目してみれば彼が近くを走るたびに歓声があがる。相手高の制服の女の子が通りがけに「あの10番かっこよくない?」なんて呟くのも聞こえた。
「ふーん。結構かっこいいね。背高いし。おまけにサッカーが上手いとなればポイントは一気に上がるわね。騒がれるのも無理ないわ」
冷静に分析してみる裕美子。グラウンドを駆ける彼は声をあげ、静かな炎をたたえる瞳はゴールを見据えてる。サラリとさわり心地のよさそうな髪は風に遊ばれ、汗が首をつたい光る。彼女が言うとおり、今現在グラウンドで走っている彼は最初の印象より更にかっこよかった。
数分間、そこに突っ立ったまま試合を見ていた。今はまだ0-0の膠着状態。何度も惜しい場面と危ない場面が繰り返されるのをドキドキしながら見ていた。
そしてそのとき、ホイッスルが鳴った。選手がみんな、私たちの立っている側のゴール付近に集まってくる。私たちは邪魔になると思って体を引いた。
コーナーキックだ。
コーナーを蹴りにきたのは彼だった。
それはつまり、私たちが立っている方向に走ってくることを意味した。左コーナー付近に立っていた私たちのほうへボールが転がされ、彼が走ってくる。私は真っ直ぐ彼を見た。
目が、合った。
心臓が跳ね上がった。音が耳まで聞こえてきそうなくらいで、喉が渇く。どうしよう。何か声をかけるべきか。でも、集中しなくていけない場面で迷惑はかけられない。それより彼はどんな反応をするだろう・・・。
そんな私の心配は、すべて骨折り損で終わることになった。
確かに目が合ったはず、けれど彼は何事もなかったようにすぐに視線を逸らしたのだ。
確かに、あり得ないことだろう。あの朝一言かわしただけの私を覚えているなんて。私が絶世の美人であればまだしも、平均並みだとも思えない自分を覚えているなんて無理な話だ。
わかっていたはずだった。けれど、心の奥底でずっと願っていた。彼が覚えてくれていたら、と。
試合中私に気づいて、思い出してくれたら。声をかけてほしいとまでは言わない。ただほんの少しでも、私を見て表情を変えてくれたら。笑顔を向けてくれたら。
そう思っていた。
新しいパンプスに込めた願いはあっさりと壊された。彼はかけらも私を覚えていない。突きつけられた現実が、ただただ痛い。
わかっていたはずけど。でもやっぱり。辛い。
これ以上は無理だった。
「・・・ごめん裕美子。私、今日は帰るね」
「え!?なんで?まだ試合終わってないわよ。ってゆーかまだ前半・・・」
「ごめん。今日はこれ以上無理」
あまりにも私の表情がひどかったのだろう。裕美子はそれ以上何も言わずに、歩き始めた。私も何も言わずに後をついていった。
私が突然帰ると言い出した理由を、裕美子がわかっているのかはわからない。でも何も言わずにいてくれるのが有難かった。今はきちんと説明できそうになから。
説明しようとすれば、今にも泣き出しそうだった。
校門前で私たちは別れることになる。裕美子は駅へ、私は家へ。
彼女は私の顔を覗き込んだ。
「大丈夫・・・?」
裕美子までもが悲痛な表情をしている。私はなんとか笑おうとして、でもそれは苦笑にしかならなかった。
「大丈夫。ごめんね、付き合ってもらったのに」
「それは気にしなくていいけど・・・」
「じゃ、また明日ね」
私がそう言うと、裕美子もそれにならった。「じゃあね」とだけ言って駅に向かって歩き出す。私も家へ向かって歩き出した。