am7:20のシンデレラ・1
am7:20のシンデレラ・1
季節はめぐり、また春がやってきた。
少しずつ暖かくなり始めたある朝、私はいつもより早く家を出た。時計が指すのは7:10。普段より20分早い。
はぁ、とひとつため息をついて歩き出す。教科書なんてほとんど入っていないのに、何故か重みを感じる鞄を担ぎなおした。
4月半ば、新しいクラスに少し戸惑いながら、それでも同じリズムを繰り返す毎日を過ごしている。けれど3年目となれば、それもそろそろ飽きてた。
期待に胸をふくらませて入学した高校。しかしその生活は大して中学と変わらなかった気がする。変わったのは制服と、鞄と、校舎。それから、周りの人々。
それ以外は変化がない。朝起きて学校へ行って、部活がある日は部活に出て。家に帰ってご飯を食べて宿題をして、お気に入りのドラマを見るか本を読むかして眠る。
よく言えば平和な毎日。大きな問題もなく、順調に進んでいる人生だと言えるだろう。けれども、それに不満を持ち始めている私がいる。
それはやっぱり、我侭なのかな。当たり前の生活ができることが幸せなんだということはわかっている。けれどどうしても、それだけでは満たされない。
友達の話を聞いても、みんな色々忙しそうだ。友達関係、家族、そして恋愛。大変そうに話す彼女達が、私にはとても羨ましかった。
わざわざ苦労に憧れても仕方ないことは、私もわかっている。けれど、あまりに平凡に過ぎていく毎日は面白味がない。もちろん、時々は私だって友達のことで悩んだり、家族と喧嘩したりもする。
けれども、それは大概些細なことで、すぐに解決するようなものばかりだ。こうして考えてみると、我ながら本当に恵まれた環境に生きているのだと思う。
苛められることもなく、両親は私に理解を示してくれている。
でも、どうしても足りない。何か日常生活に彩りを添えてくれる、スパイスのようなものが。
恋愛、という名のスパイスが。
高校生活に最も期待したのは、ずばりこれだった。
何事もなく、女友達と遊ぶだけで終わっていった中学時代。それはそれでとても楽しかったけれど、段々と恋に一喜一憂し始める友達を見ては、羨ましく思った。
恋には憧れていた。けれども、本気で好きになれた人はいなかった。というより、自分自身でブレーキをかけていた気がする。「自分には無理だ」と。
理由は簡単。自分に自信がないからだ。
私の友達には、何故かいつも可愛くて人気のある子が多かった。私も友達が可愛い子だとなんだか少し自慢になって嬉しかった。
でもいつしか、そんな素直な感情は薄れていった。いつだって私の隣の女の子は人気者。でも、私は?いつだって彼女達の影にいる気がしてならなかった。
一度卑屈になってしまうと、そこからなかなか抜け出せない。自信を持たなきゃ、なんて思っても、そんなに簡単にはいかない。
私の隣にいる女の子を好きになった男の子に、邪魔者扱いされたことだってあった。あからさまに何かされたわけではなかったけど、そんな風に思われていたことが私にはとてもショックだった。
私が自分の友達と仲良くすることがそんなにいけないことなの?
周りの視線が、男女含めて私の隣に注がれるたび、私の「自信」なんて崩れていった。
やがて、新しい希望を抱いて入学した高校。でも、現実はそう甘くない。事実、2年かけて変わったことなどほとんどない。
「自信」だって、取り戻せていない。むしろ広い世界で、ますます自分を押し殺すようになった。
友達と過ごす日々はいつだって楽しいもので、当たり前にそんな日々を過ごせているだけいいのだろう。苛められてるわけでもなければ、成績だって悪いわけじゃない。
部活でも女の子達とは仲良くやってるし、上手いわけではないけどそれなりに楽しんでいる。
それでも、人間は手に入らないものほど憧れてしまうのか。映画や小説や漫画に影響されて、恋に対する憧れは増すばかりだった。
地元の駅まで大体15分。思っていたより準備が早く終わったため、ゆったりとした足取りで歩いていた。
今日から3日間、私は日直だった。新学期早々日直が回ってきてしまうのは、出席番号が早い人間の宿命だ。
<宇佐美楓>それが私の名前。
結構この名前は漢字が面倒くさい。小学校のときのお習字の時間に、いつも苦労させられた名前だ。そんなこといってもしかたないのだけれど。
あったかくなってきたなあ・・・。
日差しが明るくなっていく空を見上げて、私は思った。
面倒な日直仕事のために早起きして、人もまばらな道を一人歩く。住宅街を抜けて、小さな公園を横目に過ぎる。人が増えてきた。コンビニやピザ屋なんかの前を通って、目指す駅はもう少し先。
去年の担任だったら、遅れても何も言われなかったのになあ。今年は厳しいし。遅れたら延長らしいしな。3日以上やるなんて嫌。
そんなどうでもいいことを考えながら歩いていると、ふと、満開の桜が目に入った。
今年は桜が咲くのが少し遅かった。新学期初めに学校に行くときには、まだ5分咲きくらいで。見ごろはいつかな、なんて考えながら歩いていた気がする。
私は桜が大好きだった。華やかな、淡いピンク色の花の集まり。たくましい大木に咲いているはずなのに、風に乗って花弁が舞う姿は胸が締め付けられるかのように切なく、儚い。
やっと満開になったんだ。そんな風に思って、一度立ち止まった。
一本だけ、大きく咲いた桜。ちょうど駅から少し離れた、都立高校のグラウンドのすぐ手前に咲いている。なんでこの一本だけ、ここに植わってるんだろうと、いつも思う。他の桜はグラウンド内に植わっているのに。
けれど、それは私にとって好都合だ。だって、朝の登校途中にゆっくりと、綺麗な桜を満喫できるのだから。
時間は7:20。駅まではもうあと2,3分で着ける。予定の電車までまだ余裕があることを確認して、私は満開の桜を見つめた。
綺麗・・・・。
いっそのこと、このままここで桜を眺めながら一日を過ごしてしまいたい。春休みの生活に慣れた体は毎日重く、学校に行くことを楽しみだとは思えない。
逃げ出してしまいたい。そうしたら、この単調な日々も少しは崩れるかもしれないのに。
そんな風に思っても、本当にそんなことはできない。結局のところ、私は根が真面目らしい。学校をサボることは愚か、宿題を全くやっていかなかったり、ノー勉でテストを受けたりなんてことはできないのだ。
そろそろ行かないと。頭の中ではそう思っているのに、なかなか足が動かない。
その時だった。
サァっと風が吹いて。桜の花弁が一段と空に舞った。−−−−−−−−それと同時に、私の頭に鈍い衝撃が走った。
「!?」
何かが当たった。たいした痛みではなかったが、突然のことで思わず驚いて振り返った。
「すみませんーー!!」
そう言いながら、私のいる方向に一人の男の子が駆けてきた。
彼は、桜の木の根元に転がっているサッカーボールを拾って、私に向き直った。どうやら私の頭に当たったのはあのサッカーボールらしい。
「大丈夫ですか?」
私の顔を覗き込み、彼は聞いた。綺麗な二重まぶたが印象的な、人懐っこそうな顔立ち。けれども背が高くて、子供と大人が絶妙に入り混じったような印象を受けた。
「あ、大丈夫です・・・」
おそらく、私はとても間抜けな表情をしていただろう。突然現実に引き戻された同様と、臆せず私に話しかけてきた彼にただ驚き、目をまるくして突っ立っていた。
人にボールをぶつけてきたのだから、謝って大丈夫かどうかを確認するのは当たり前だ。けれど元々男の子と話すこと自体苦手な私は、突然現れた彼に最低限度の返事をすることで精一杯だった。
「本当にすみませんでした。それじゃあ」
もう一度謝って、彼はグラウンドに戻っていった。部活の朝練の最中なのだろう。
颯爽と現れて颯爽と去っていった彼とは対照的に、私はその場から動けなかった。彼が走り去っていった方向を見つめ続ける。
まるで、何かの魔法にかかったかのよう。どうしよう。動けない。
そんな風に立ち尽くしていると、私の鞄のポケットの中で携帯が震えた。
我に返って携帯を開く。同じクラスの、もう一人の日直の子からのメールだった。
<ごめん!!私今日の日直間に合わない!>
メールを見て、私ははっとした。左上に表示されている時間を確認する。
(嘘!電車間に合わないかも!?)
心の中で悲鳴をあげて、私は一目散に走り出した。
−−−−−−−まるで、12時の鐘の音とともに駆け出した、シンデレラのように。