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結婚する権利を売られましたが、自分を買い上げたので勝手にさせていただきます。

作者: ぽんぽこ狸
掲載日:2026/05/10




 両親が死んだ。


 それも同時に、馬車の事故であっけなく天国へと旅立ってしまった。


 それはあまりにも突然で、衝撃を受けている間にアイヒベルガー子爵夫婦の葬儀はあっという間に終わっていた。


 そもそもそのスピード感こそが、異様な出来事の始まりだったのだが、それからクリスタは大きな波のような悲しみにさらわれて戻ってくることができなかった。


 しばらくしてから、やっと波が引いて立ち上がることができたころ。


 婚約が解消された。


 婚約者であるディートリヒに理由を聞いたところ「お前の気にすることじゃない」と言われて初めて不信感を持った。


 それからクリスタは動き始めた。


 現在クリスタは、父と母が仕えていたフロイント伯爵家の屋敷でお世話になっている。


 葬儀のことについても彼らが即座に手を貸してくれて、クリスタはフロイント伯爵家の次男であるディートリヒと婚約関係だった。


 家臣の一族が大変な時にはすぐに手を貸してくれて、なんと熱い人たちなのだろうと思っていたがどうやら違う。


 探り始めて二週間ほど、やっとそれらしい会話が出てくる。


 深夜の屋敷の談話室。


 使用人も寝静まったころのこと、警戒心を忘れたディートリヒとフロイント伯爵の声が扉に耳を当てずとも聞こえてきた。


「クハッ、ハハハッ、ハ~……本当に笑いが止まらないな。アイヒベルガー子爵夫婦には本当に頭が上がらない」

「まったくだ! ディートリヒ。何もかもうまくいっている。それもこれもあの連中がそろって死んだおかげだ!」


 酒に酔っているのか声が大きく、彼らは父と母の死を喜んでいる。


 それだけでもクリスタは、足下がぐらりと揺れるような感覚に襲われた。


 クリスタの血筋は、代々フロイント伯爵家に使えてきた土地を持たない貴族だ。


 主が王都へと足を運んで社交をしている時の管理を任されたり、直接領地内の問題を知るために足を運んだりして、領主一族の手足となって動く。


 そういう立場だった。


 父や母からは良い主だと聞かされていたが、どうやらそうでもないらしい。


「あの娘は何もわかっていないのだろう。純粋な顔をして、愚鈍な娘だ。本当にあのアイヒベルガー夫妻の子供か?」

「ハハハッ、さすがに婚約解消には引っかかったようだが、丸め込むことなんて造作もない! どうせバレたってすでに後見権は俺たちのものだ、今更あんな成人もしていない女になんて何もできないのさ!」

「その通り、まったくもって愉快!」


 (後見権…………たしかにそれは、そうですが……)


 クリスタは彼らの言葉の意味がわからなくて、わかりたくなくてなんだか喉が苦しかった。


 しかし、それでもきちんと踏ん張ってその場に立ち、声を聞くことも、考えを巡らせることもやめない。

 

 後見権は両親などを失った子供などに発生する権利だ。


 大体は親類のものが手に入れることが多く、両親に変わって、その子供が持つはずだった資産を守り、両親が行うはずだった養育を両親に代わって行う。


 そういう権利と言うこともあって、クリスタの同意なくフロイント伯爵家が持つクリスタの後見権の効力を使って婚約は解消された。


 後見権は父と母の尽くした彼らならば安心できるから渡した、ということではない。


 フロイント伯爵家の領地内にクリスタの実家があり、実質的に屋敷の維持や資産の管理など、死後すぐに彼らが行ったために実質的に後見権が認められたのである。


 その素早さを考えれば出てくる答えはただ一つ。


 後見権の悪用である。


「数年、養育すればアイヒベルガー子爵家の資産の大方はあの娘の養育と管理に使ったことにできる。まったくもって、これ以上うまい話はない」

「でも、別にすぐでもいいんだろ? 俺は昔っからあの女の婚約者だったが、本当は不気味でしょうがなかったんだ、さっさと消えてほしい」


 たしかにクリスタは、少しばかり変わった派手な容姿をしている。


 髪色は人それぞれだが、真っ白に近いような白髪と金の目という派手な組み合わせを持つ人は少なく幼い頃から目を引いた。


 加えて、実力主義で曲がったことが嫌いな両親から、愛を受けつつも一人っ子で勉強の多い日々だった。


 自ずと無表情でいることも多かった。


 しかし、クリスタも人並みに婚約者に気に入られようとしていたつもりだったし、実際普通の人間である。


「まぁ、言い訳が立てば良いのだ。それに良い金額を提示する人間さえいればむしろ明日でもいい。あの容姿だ、手に入れて愛でるもよし、無理矢理従わせるもよし。すでに話は回している」

「! さすが父上! そうだったのか、きっとすぐに手が上がるだろ、不気味でも、品のある女だ! 大金払ってでも娶りたい男は出てくるはず」


 嬉しそうなディートリヒの声がする。


 (つまり……私の結婚を、売ろうとしている……ということですか)


 クリスタは皆まで言わない彼らの言葉に最終的にそう結論づけた。


 クリスタの後見権を使って資産を養育に使ったことにして、自分の懐に収め、最終的には人身売買のように高い値段をつけた人間のところへと売り払う。


 そういう算段なのだろう。


 そういうことなら、理解はできる。

 

 理解などしたくないし嘘だと叫びたかった。


 けれども、そうはしない、ふらつく足で扉から離れる。


 嘘でなければ、クリスタはもう詰んでいる。


 クリスタは、両親を失い、両親の財産を失い、幸せな結婚も失い、彼らは大きく得をする。


 つまりはそういうことである。


 また、悲しみの波が大きくうねりながら迫ってくる。


 逃げ場などない。


 けれども、一歩踏み出して、堪えてまた一歩踏み出す。


 (……それでも、……それでも父も母も、何も私に与えてくれなかったわけではありません!)


 クリスタは、父と母が死んだとき立ち上がるために考えた言葉を頭に思い浮かべた。


 (父も母も多くのものを私に与えてくれました、それは決して私がいなくならない限りなくならないもの)


 拳を握り、口を引き結ぶ。


 (生きるすべをくれたはずです、私の中に残っているはずです。父と母の生きた証を示さなければふがいない)


 決意を決めても足取りはおぼつかない。しかし迷いはなかった。






 クリスタは、何もわかっていないようなフリをして、久しぶりに友人に会いたいと言って外出許可を願い出た。


 彼らは従順なクリスタに優しい顔をして承諾し、事故などにはくれぐれも気をつけるようにと言って送り出してくれた。


 幸い、この領地は王都に近く、そこにいる友人に両親を失った寂しさを埋めるために会いに行くのは何ら自然なことである。


 しかしクリスタが肌身離さず持っているトランクの中にはどっさりと書類と資料が入っている。


 すでに作戦は立てた。


 後はパトロンを用意する必要がある。


 そのための外出だった。


 期間は短い。しかし当てはある。


 王都の中でもひときわ大きな屋敷、到着するとすでにそこにはシュターデン辺境伯家の跡取り息子であるフェリクスの姿がある。


 遠目からでもすぐに彼だとわかった。


 なぜなら、彼もまたクリスタと同じで容姿によって人から一目置かれる目立つ存在であるからだ。



「久しぶりだね。クリスタ。大変だったとは思うけれど、顔が見られて良かったよ。ずっと心配していたからさ」


 屋敷の中に入り応接室に通されると彼は改めて切り出した。


 フェリクスは真っ黒の髪に黒曜石みたいな瞳をしていてクリスタとは真逆の意味で目立つ存在だった。


 クリスタは純白に金だなんて縁起が良い子供だと言われてきたが、逆に彼は不吉な子供だといわれて、社交界で避けられているところをしょっちゅう見た。


 ちょうどクリスタも変に注目を集めて困るし、人とは違うもの同士、仲良くなったのが始まりだ。


「こうして会いに来てくれたということは、今は落ち着いた生活を送れてるのかな。あ、もちろん忙しい中でも気分転換に来てくれたってんならそれはそれで良いと思う」

「……それは、ええと、なんと言いますか」

「そうだよね。自分が今落ち着いているかどうかなんてわからないか、ごめん、なんか、その……でもないがしろにしたいとかそういうわけではなくて久しぶりに会ったから緊張していて」


 クリスタは、話の切り出し方に迷っていて曖昧な言葉を返すが、フェリクスは緊張に任せてペラペラと口を動かした。


 その自分の挙動が恥ずかしいのか少し頬を染めて、まだまだしゃべる。


「緊張と言っても嫌な緊張ではなくてね。好意的な緊張であっていや、好意的な緊張ってなんだって話だけどさ」

「……」

「ともかく、会えてうれしいということを最初に言うべきだったよね。それに理由があってきてくれたんだから俺ばかり話をしていても始まらないと言うのもわかっているんだけど、どうにもスタンスをね、スタンス。俺のその……」


 フェリクスはなんだか少ししどろもどろになっていた。


 しかしなんとか、自分で持ち直して彼は、強い感情のこもった瞳でクリスタを見つめる。


「俺としては…………会えてうれしいよ。辛い気持ちはないかい? もう消化していると言うならそれでもいいけど、俺は君が心配だった。友人なんだし距離を置かずになんでも……話してほしいと思うぐらい、このときを待ってた」


 瞳からその言葉は本心だと理解できる。


 随分と心配をかけていることも。


 両親が死んでからしばらく連絡を絶っていたのだ。頼ってほしいと望んでいる相手に取ってそれは酷なことだったのだろう。


 クリスタも自分の気持ちに整理をつけるための時間が必要だったが、同時に彼もまた気を揉んでくれていた。


 それに気が付いて、気を使いすぎだと笑ったりせずに、クリスタも真剣に返す。


「今はもう、大丈夫です。整理をつけたので」

「……強いね、君は。とても」


 クリスタが言うと彼はそれ以上、自分の心配や不安を表に出さずに、小さく頷いてクリスタを肯定した。


 フェリクスのクリスタは強いという言葉は純粋に嬉しかったけれども、自分がここへとやってきた理由はクリスタの心情を伝えるためだけではない。


「そうでもありません。私は……人の力を借りないと何もできない人間です」


 小さく首をかしげるフェリクスにクリスタは、背筋を伸ばして切り出した。


「フェリクス様」

「は、はい」


 名前を呼ぶと彼は、生徒みたいにクリスタに注目して返事をした。


「私は今日、今から、あなたに友人としてあるまじき提案をします。許せないと思ったら、縁を切ってください」

「え」

「申し訳ありません。ですが、覚悟を決めたんです」


 クリスタは自分で持って来てそばに置いていたトランクをソファーの座面で広げて本題を切り出したのだった。





 クリスタはフェリクスを信用していないわけではもちろんない。


 しかし、うまくいくかと胸が騒ぐようなドキドキした気持ちを抱えていた。

 

 寝ても覚めても期待と不安が入り交じるような爆発しそうな気持ちだったがそればかりを考えてはいられない。


 クリスタにはクリスタのやるべきことがあるのだ。


 クリスタがしくじっては本末転倒、任せたのだから切り替えて、フロイント伯爵に後見人となってくれている恩を返すというていで、父や母の穴埋めを提案した。


 将来、フロイント伯爵家を支えるために多くのことを教え込まれてきたのだ。


 クリスタの有用性は折り紙付きであり、ディートリヒもフロイント伯爵もこれは嬉しいと飛びついた。


 元々、父は母に文句はあったようだが、重用していた家臣の教えを一心に受けた娘だ。


 できる仕事も多く、クリスタはあっという間に信頼を得た。


 仕事をしていれば、自由が増えるし、彼らの目の届かない部分も出てくる。


 その間に着々と準備を進めた。





 数ヶ月が経過したある日のこと、クリスタの中のざわざわとした気持ちはなくなっていた。


 すでにやりきったような気持ちであった。


 すがすがしくもあり、利用された恨みを晴らすと言うよりも、目的を達成した心地よさにつつまれる日々。


 そんな中、突然、同行するように言われていつも通りに柔和な笑みで対応し、ついて行くと到着したのはシュターデン辺境伯家のタウンハウスだった。


 クリスタは頭の中で散らばったピースからパズルを組み立てて現在の状況を把握した。


 対応したフェリクスは、クリスタと視線を合わせずに、すさんだような目をして、ディートリヒとフロイント伯爵に悪い笑みを浮かべていた。



 応接室に通されると、フロイント伯爵が優しい笑みで「クリスタ」と呼んだ。


「はい」


 クリスタは疑問を持ちつつも、その説明をしてくれるのだろうという期待を含んだ瞳で彼に答えた。


 ディートリヒは隣でニヤニヤしていた。


「これが何かわかるかね」


 それはこの部屋に入ってすぐに、フェリクスとフロイント伯爵の間で結ばれた契約書。


 そしてその契約は結婚に関するものであり、二人の男女が今日を境に結婚したこと証明する結婚契約書である。


「結婚契約書だと思いますが……私の名前?」


 そこには、フェリクスの名前とクリスタの名前が記載されており、そのことに気がついたクリスタは問いかけるように言った。


 すると、優しい笑みを浮かべていたフロイント伯爵は、途端に歯をむき出しにしてニマァととても汚い笑みを見せた。


「っ」

「ブハッ、ハッ、ハハハハッ、ハ」

「アハハハ! ハハハッ、ハ~、間抜けな顔するなよ! アハハッ」

「クククッ」


 つられてディートリヒも盛大に笑い出し、フェリクスはつられるようにして喉をならして笑った。


 クリスタはきょとんとして、不安がるように彼らの様子を見て肩を小さくすくめて「どう、どういうことなんですか」とか細い声で聞いた。


「お前は今からこのシュターデン辺境伯子息の第二夫人となるのだ! この人はお前のために、金貨一千枚も積んだ! 稀代の物好き……いや、両親を失った娘をもらってやる慈悲深い方だ!」

「だ、第二夫人? 金貨?」


 クリスタはフロイント伯爵の言葉を復唱する。


 フェリクスには現在、婚約者もいないし、妻もいないので第一夫人の席は空白である。


 しかしその状態で正妻の席に座らせずに、愛人の枠である第二夫人を娶るなどそれだけで正気の沙汰ではない。


 もちろん、クリスタの身分は低く辺境伯家の第一夫人など納得しない人間が多数だ。


 立場が弱く、社会的にも地位を持たない第二夫人ならば許され、正妻は身分の釣り合う第一夫人と娶るというかたちになることも多い。


 しかしそれでも、第一夫人がいるから第二夫人にするほかなかったと言う建前を作る。


 どちらも平等に愛した上で、順番で差があると言うだけと言う体をとる。


 そして第一夫人もいない上でただ、第二夫人として社会的な地位が低く多くの権利を持たない女として嫁ぐことは最大級にも近い侮辱だ。

 

 大切にしたい相手にはこんなことはしない。


 しかし結婚してしまった以上は縛られるし、フェリクスの子供を産むことも拒絶できない。


 結婚という檻の中に捕らわれて、貴族としての誇りも夢も希望もなく一生を飼い殺される。


 まさしく人生終わり、そんな結婚だ。


「これがどういうことか、お前ならわかるだろう。お前の自由などないのだ。わかるか? クリスタ。両親を失った時点でお前は最大の加護をうしなったんだ」

「……そ、そんな」

「誰にも守られないお前はただ、こうして利用されるだけ、所詮は女、せいぜいうまく媚びて気に入ってもらえ。間違っても反抗しようなどと考えるなよ」


 フロイント伯爵はクリスタを睨みつけるようにして言う。


 続けてディートリヒが口を開いた。


「俺は昔からお前のことが嫌いだったし、お前の両親のことも本当に口うるさくて腹が立ってたんだ、こうして痛い目見てくれてせいせいする! お前には最初から幸せな結婚なんてなかったんだ」

「……」

「何にせよ、こうなる運命だったのさ。最初っからお前の人生なんて終わってたんだ、恨むならこの世に産み落とした両親を恨むことだ」


 彼らはクリスタの心をズタボロにするために言葉を紡いでいる。


 クリスタは言葉を失い、静かに視線をそらす。


 そしてそのままクリスタは侍女を振り返って、手を差し出した。


 侍女には肌身離さず、一番重要な書類を持たせている。


 金庫に入れることも考えたが、持ち歩いていることが何より安全性が高い。


 だからこそ突然のディートリヒとフロイント伯爵の行動にも対応できた。


 二人がなぜ、クリスタに自分たちの行動の意図を明かすような愚行をしたのかも、クリスタの心を折るためであるとわかったことだし、もうこれ以上は取り繕う必要がなかった。


 その書類は折り目がついたり破損しないように賞状筒に入れられており、少し力を入れて蓋をポンッと外す。


「……?」


 突然、何の脈絡もなくポンッと音をさせて筒を開いたクリスタに、彼らは間抜けな顔をしていた。


 クリスタは彼らの顔を見ながら中に入っている紙を取り出し、ゆっくりと広げて見せた。


「これが何かわかりますか? フロイント伯爵閣下、ディートリヒ様」


 そうして彼らがそうしたようにクリスタも彼らに問いかけた。


「叙爵……状、だと?」


 案外素直に、フロイント伯爵が答えた。


 クリスタの言葉に対する返答と言うよりも、思ったことを口に出しただけだったのかもしれないが、クリスタは小さく頷いて続けた。


「はい。私の名前が書いてあります。これが王家の証印、私、クリスタ・アイヒベルガーは先日、騎士爵を賜っております」

「は? はぁ? おま、お前、どう、どうやって?」

「購入いたしました」

「そ、そんな連絡は一切っ」

「直近のことですので、通知がまだ成されていないのでしょう」

「我が家の資金を勝手に――」

「利用していませんし、後見権で渡った両親の財産も使用していません。正当に購入いたしました」

「できるわけがない! そんなこと」


 クリスタは彼らの混乱から出てくる言葉に淡々と応えた。


 できるわけがないと言われても、現実はただここにあるものしかないのである。


 クリスタは騎士爵を購入し爵位を持つ状態となった。


 爵位を持つ人間は成人していなくても女性でも、当たり前のように一般の大人として扱われる。


 父の持っていた子爵の爵位も本来、クリスタのもので継ぐことは可能だがそれは何のかんのと理由をつけられてフロイント伯爵に邪魔をされていた。


「そうおっしゃられましても、この王国にて私は、騎士爵という地位をもっており、そのことをこの証書が証明しているということに変わりはありません」

「っ、……そ、そんなはず」

「嘘だろ……待てよ、それじゃ」


 (そうです。私が騎士爵を持っているというのはつまり。私の後見権は消滅しました)


 ということは、後見権によるクリスタの結婚を決める権利もまた同時に消滅しているのである。


 つまり、結婚契約は不履行であり、目の前には一千枚の金貨をすでに支払ったフェリクス。


 ディートリヒとフロイント伯爵は、油を差していない機械みたいにぎこちない動きでフェリクスの方へと顔を向けた。


 フェリクスは先ほどとは打って変わって、険しい表情をして、地を這うような低い声で言った。


「は? この期に及んで、結婚が実現できないなんて……これはとんだ不手際だね」


 普段はニコニコとしていて、とても怒った姿など想像もできない人物だが、案外すごみがあった。


「これはっ! これはなにかの、なにかの間違いだ! こんなことが、こんなことが起こるはずがない!」

「そうだ、そうだろ!? おかしいだろ、こんなことっ、クリスタ、お前!何でこんなことを」


 フェリクスの言葉に、フロイント伯爵はぐっと拳を握りかぶりを振って否定する。


 ディートリヒは、取り乱す父の姿に混乱しクリスタにわかりきったことを聞いてきた。


 なぜだなんて、状況を考えればわかることだろう。


 ただの復讐である。


「なぜ、と言われましても、あなた方は先ほど自分たちでおっしゃっていたではないですか。私は利用されるだけだと、あなた方は私のことを都合の良い駒としか思っていない」

「っ、」

「それはっ」

「自分を守るために動くのは当然のことでしょう? 当たり前のことをしただけです。親を失ったばかりの子供なら何をしても抵抗も仕返しもしないと思いましたか?」

「お前っ……」

「浅はかですね。侮って覚悟もなしに人をおとしめて……自分たちはそうして人を騙すのに、なぜ自分たちが騙される可能性があることを考えないのですか」


 クリスタは、うっすらと笑みを浮かべて彼らに言った。


 ずっと心の中でいつか言える機会があったら言いたかった言葉だった。


 本来なら、こんなふうに派手に思い知らせるつもりもなくただ、結婚の契約ができないことが露見して、その時には静かに姿をくらませる算段だった。


 だからこそこうして真っ向から思いをぶつけられたことを嬉しく思う。


「敬意も持たず、目の前の利益しか見ていない、だから足元をすくわれるんですよ?」


 フロイント伯爵とディートリヒは最終的にクリスタの言葉を聞いて顔を真っ赤にして睨みつけた。


 しかし言葉は出てこない。


 彼らには打つ手がないからだ。


 打つ手がなくて打開策もないので、否定ができない。


 言葉を失って悔しそうにしている二人に、クリスタはやっとあのとき失いかけた自分の基盤が戻ってきた気がする。


 父や母はクリスタにたしかにきちんと大切なものを残してくれた。それを使って自分を守ることができた。


 それはとても誇らしいことである。

 

 ただし、それで終わりではない。


 (私は私を守りました。父や母の言いつけ通り、しかと正しく物事を解決しました。そしてここからは私の性分)


 クリスタはチラリとフェリクスに視線を向けた。


 すると彼は険しい表情のまま、うんと頷いて、力任せに拳をダンッ! とローテーブルに打ち付けた。


「そんなことはどうでもいいっ!! どおしてくれるんだ!? あれだけの支払いをしたのに!! すでにクリスタを住まわせる別邸も用意したのに!!」


 そうしてフェリクスは自分の髪をぐっと握って発狂したみたいに叫ぶ。


 彼の突然の行動にフロイント伯爵もディートリヒもぎょっとして小さく飛び上がった。


「使用人も、用意してすべての準備を整えたと言うのにっ!! どぉしてくれるんだよぉお!! せっかっくの楽しい新婚生活が台無しじゃないかよぉお!!」


 ぐしゃぐしゃと髪をかき回すフェリクスに、クリスタはおお、と感嘆の声を上げそうだった。


 そのぐらい迫真の演技である。


 素晴らしい。


「も、申し訳、ありません」

「謝罪で済むわけないじゃないかぁ!! ふざけるな!! ふざけるなよ!! 違約金だっ!! 契約しただろ!! 金貨一千枚払うときに契約したはずだ!!」


 フェリクスはテーブルに手をついて立ち上がり、彼らを睨みつけてぐいと体を前に出す。


「っい、違約金……」


 言われてディートリヒとフロイント伯爵ははっとしたように思い出した。


 クリスタはやっと思い出したかと、彼らの顔を見て思った。


 そもそも彼らがクリスタと結婚する権利を売ったのは事実だが、その契約内容と支払い自体は別の体をとっている。


 今回の場合は実在しない家宝の売買。


 その売買によって、法的には金貨千枚をやりとりし、その後本当の契約理由である結婚契約をするという形を取る。


 人身売買は違法ではないがさすがに外聞が悪いのだ。


 だからこそ別のやりとりのように契約書でお金をやりとりする。


 そこで彼らは、手に入る目の前の利益に目がくらみ、どちらか一方の過失によって契約の履行が行われなかった場合の違約金が、契約金の二倍であることを些末なこととして捉えた。

 

 万が一にもクリスタが結婚できないような状況など想定していなかった。


「君らの過失だろぉ! こんなっ、こんな小娘に翻弄されて、管理不足の責任をとれ!! シュターデン辺境伯家の怒りを買ったどうなるか、わからないとは言わせないぞ!!」


 シュターデン辺境伯家はクリスタがパトロンと考えてすぐにフェリクスが思い浮かんだほど経済的に豊かな家系だ。


 領地の一部に魔石のとれる鉱山があり、彼らの恨みを買うと魔法具に使う魔石を仕入れることが困難になる。


 誰だって、そんな相手を敵に回したくはないものだ。


「っ、も、申し訳、ございません」

「すぐに用意して埋め合わせろよ! それが誠意ってもんじゃないのか!!」

「は、はいっ!」


 冷や汗を掻いて青くなりながら、そそくさと二人は応接室を後にする。


 彼らはなんとしてでも、違約金を支払うだろう。


 なんせ彼らからすれば、クリスタとフェリクスの関係はまったく無関係で、自分たちが騙されたとは考えていないからだ。


 しかしここまで含めてクリスタの策である。


 ここまでの流れをフェリクスに話して協力してもらうことに成功した。


 騙すことは悪いことだが、正攻法だけでは損をするだけの場合も多く、それだけでは安寧を手に入れることができない。


 それは父と母の亡き後思い知ったことだ。


 だからこそ、やるならやられた以上に。クリスタはそう決めた。


 ディートリヒとフロイント伯爵が帰ると、フェリクスはふらつくように背後のソファーに倒れ込んで、「っは~!」と息を吐き出した。


「あはは、あ、案外っやればできるもんだね」

「迫真でした。フェリクス様」

「ありがとう。実際、怒ってたってのもあるからさ。最低だ、あの人たち」

「……そうですね」

「なにはともあれ、お疲れ様」


 フェリクスは髪型を整えながら、気が抜けるような笑みを浮かべてクリスタをねぎらったのだった。





 違約金はしばらく後に支払われ、クリスタはそのままシュターデン辺境伯家でかくまってもらい、後見権消失による財産の返還請求を行った。


 父や母が死んでその財産をちょろまかす気でいた彼らにとって、それが大打撃になったことは言うまでもなく、フロイント伯爵家は火の車となりあくせく金策に励んでいるらしい。


 騎士爵を購入するために、フェリクスから借りた金銭は父や母の遺産から支払い、シュターデン辺境伯家は金貨千枚分の得をして、クリスタは爵位と残った資産を自分で管理する権利を得た。


 成果は上々と言って良いだろう。


 手間と心配をかけたが、これからは自分の力を使って生活をしていく段階に入った。


 改めてお礼を言って、これからの展望をクリスタはフェリクスに語った。

 

 彼は、大きく見開いた瞳をパチパチと瞬いて、それからしょんぼりと肩を落とした。


「……ここに残っても問題ないんだよ? 君の功績も生い立ちも説明しているし、仕事だってしてくれている」

「それは甘えになってしまいます。フェリクス様、私はあなたに大きな力を借りた。これ以上頼ってはふがいない」

「でもっ……ついいろいろ、君を引き留める言い訳が思い浮かぶ」

「そう、なんですか……?」


 なんと返したら良いのかわからずにクリスタは口をついてそう言った。


 クリスタの言葉にフェリクスは一つ頷いて、うつむいたまま黒い前髪の隙間から鋭い瞳をこちらに向けた。


「……実は割と本音で、俺は君にずっとここにいてほしくて……」

「嬉しいですが、これ以上は頼れません」

「頼る……とかではなくて。…………関係を壊したくなかったから言わなかったけど、友人らしからぬことをいってもいいかい」


 奇しくもクリスタが彼にパトロンとして協力を要請するときに言った言葉と似ていた。


「……はい」

「俺が君にいてほしい。君が、好きで……最低なんだけど、さ」

「は、はい?」

「金貨千枚で買えるなら安いと思った」

「……」

「それぐらい、焦がれてたから、引き留めてる。クリスタ」


 まったく想定外のフェリクスの発言にクリスタは大きく心臓が高鳴った。


 ぐっと己の手を握り、フェリクスは続ける。


「俺と本当に結婚してほしい」


 とてもまっすぐな求婚と、その黒く吸い込まれそうな瞳に宿っているのは強い劣情だ。


 あまりに直球な言葉と感情にクリスタは動揺して手が震えた。


 けれども一番最初に浮かんだ感情は、やっぱり嬉しいという気持ちだ。友人として複雑な思いもあったし考えるべきことも山ほどある。


 それでも彼の手を取りたいと思ったのだった。







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これ、ご両親をこいつらが殺したのでは……
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