07.収穫祭
かーっ! 見んねコンラート! 卑しか女ばい!
大陸暦二九八年、白の節 凩の月。
朝の空気には、秋の終わりの澄んだ冷たさがあった。
ラウエン家が代官を務める開拓村とエーベルハルト村、二つの村が同日に行う、年に一度の収穫祭――白穂の祈祷の日である。
エーベルハルト村の中心に据えられた祈祷台には、白い穂束が積まれ、その周囲に村人や領主家の従者たちが静かに並んでいた。
アルノルトは父ヘルマンとともに、代官家の列へ立つ。
その向かい側、男爵家の列には――銀髪を結ったセリーヌがいた。
彼女はこちらに気づくと、厳粛な場にふさわしく、ほんのわずかに微笑む。
アルノルトもまた、小さく頷き返した。
やがて光祖教の司祭が祈祷文を唱え、冬を越すための白穂が高く掲げられる。
空気が澄んでいるせいか、祭壇の白布がより明るく見えた。
祈祷を終え、列がゆっくりと動き始めたころ――
肩のあたりに他者の気配を感じ取る。
いつの間にか、セリーヌが歩調を合わせて横へ並んできたのだ。
後ろには侍女がついてくるが、セリーヌは気に留める様子もなく、耳打つような小声でアルノルトへ話しかけてきた。
「今日の力比べ、見に行くわよ。おじさま、絶対に勝つと思うの」
セリーヌはなぜか自分のことのように得意げに胸を張る。
「父さんは強いですから。……見ててくれると、嬉しいです」
アルノルトも父の勇姿を見るために、もちろん観戦予定である。
◆
祈祷が終わると、村の目抜き通りには白の市が立つ。
木工品、果実、乾燥肉、手織りの布。
活気にあふれた声が飛び交い、祭りの匂いが風に混じった。
アルノルトとセリーヌは、自然と並んで歩いていた。
その後ろを、セリーヌの侍女が控えめに付き従う。
手彫りの小物を取り扱う露店を目にし、二人は足を止める。
「見て、あれ。小さな騎士像よ」
「本当だ。盾まで削ってあるんですね」
「あなたに似てると思わない?」
「そんなに勇ましくないですよ、僕は」
くすくす笑うセリーヌ。
その笑顔につられて、アルノルトも口元を緩めた。
果実菓子の屋台に立ち寄り、セリーヌは二つ買って、ひとつを当然のように差し出す。
「はい。甘いけど……美味しいわよ」
「本当だ。セリーヌ様が好きそうな味です」
アルノルトも干し果物を口に放り込んだ。
「でしょう?」
頬をふくらませてもぐもぐと食べる様子は、先ほどの大人っぽさとは無縁の、年相応の少女そのものだ。
しばらく歩いたあと、アルノルトはふと思い立ち、腰袋から小さな布包みを取り出した。
銅貨で買った――素朴な護符だ。それを、そっとセリーヌへ差し出す。
護符は、小さな布袋に白穂と石、そして光祖教で聖別された塩が入っているものだ。
「これ……冬の間、守ってくれるらしいです」
「え?」
「安物ですから、効果は期待しないでください。でも……失くさないでくださいね」
セリーヌは一瞬だけ目を瞬かせ、やがてふにゃりと頬をゆるませる。
「……ふふ、ありがとう。大事にするわ」
宝物を拾った子どものような表情だった。
◆
正午になると、村はずれの広場では力比べが始まる。
合図とともに丸太を肩まで担ぎ上げ、いちばん長く立っていられた者が勝ち――それがこの村の力比べだ。
乾いた土の上に白い縄で円が引かれ、周囲を樽と露店が取り囲むように人垣ができていた。
人垣の内では、男たちが丸太を抱え、腕を組み、笑いながらも互いに牽制し合う。
ヘルマンも、当然そこにいた。
筋骨隆々とした腕をまくり、余裕の表情すら見せている。
「父さん、負けないだろうな……」
「負けるわけないわ!ほら、がんばれーっ、おじさまーっ!」
セリーヌの声が響く。
隣でアルノルトも声を張る。
「父さーんっ!!」
ヘルマンもその声に、アルノルトとセリーヌを見つけ、軽く片手を挙げた。
やがて試合が始まると、ヘルマンは丸太をまるで木の枝のように持ち上げ、他の男たちを圧倒していった。
歓声がわき、セリーヌの瞳が輝く。
「本当に強いわ。ちょっと感動しちゃった」
激賞とともに拍手を贈っている。
「……なんてすごいんだ」
アルノルトも恍惚とした表情で、父を憧れの瞳で見つめている。
そのとき――
広場の端から、ひときわ背の高い影が現れた。
肩幅の広い大男。
旅用の粗末な外套に身を包み、腕には戦傷の跡が見えた。
どう見ても、この村の者ではない。
大男はにやりと笑い、勝ち抜いたばかりのヘルマンへ向けて顎をしゃくる。
挑発だった。
腰の革帯に下げた短剣の柄へ、大男の指が一瞬だけ触れた。
ざわ……と空気が揺れる。
祭りの最中に乱入する無作法さを、誰もが感じ取っていた。
ヘルマンは冷静に大男を見据える。
その沈黙が逆に、緊張を張り詰めさせた。
大男は結局、村の顔役ら周囲の説得で引き下がったが――
幼い二人の胸には、不安の種が確かに残った。
◆
夕方、白穂の娘が選ばれる。
祭りの象徴として、最も美しい少女に白い穂飾りが捧げられる儀式だ。
選ばれたのは、ラウエン開拓村の織工の娘――
長い金髪に白布の衣がよく映え、まるで陽だまりのように明るかった。
セリーヌはじっと見つめ、小さくつぶやく。
「きれい……。わたし、あんなふうになれるかな」
「……もう、なってますよ」
間髪を容れぬアルノルトの言葉に、セリーヌの顔が真っ赤になる。
「へ、変なこと言うのね……!」
◆
夜――火祭り「白の炎」が始まる。
焚かれた火の前で、村人たちは順番に炎を飛び越える。
その一年の厄を火に預け、冬を無事に越せるよう祈るのだ。
「ちょっと……高いわね、この炎」
「大丈夫ですよ。僕が一緒に飛びますから」
アルノルトは手を差し出した。
セリーヌは迷いながらも、その手をぎゅっと握る。
二人は息を合わせて――跳んだ。
ふわりと風が舞い、火の粉が夜空へ散った。
着地した瞬間、お互いに顔を見合わせた。
「やった……!」
「うまく飛べましたね」
セリーヌが笑った。
◆
次は子ども向けの輪舞「白風の舞」。
簡単なステップを踏みながら、手をつないで円をつくる。
セリーヌは少し緊張した様子で、アルノルトの袖を引いた。
「アルノルト……一緒に踊ってくれる?」
「もちろんです」
手をつないだ瞬間、二人とも顔が赤くなる。
けれど、手を離す理由もない。
白い灯りが揺れ、影が輪のように回る。
その中で、二人は少しぎこちなく、しかし確かに歩調を合わせた。
曲が終わると、セリーヌが小さな声で言う。
「今日……すごく楽しかった。あなたのおかげ」
「僕もです。……来年も、一緒に来たいですね」
「ええ。絶対よ」
◆
深夜。
祭りが終わり、家々の灯が次々と消えていく。
村への帰り道で、ヘルマンがアルノルトの肩に手を置いた。
「セリーヌ嬢……良い子だな。大事にしろよ」
「……父さん」
「からかってるわけじゃない。お前にとって、大事な子なんだろう?」
アルノルトは照れくさくて、返事ができなかった。
そのころ、屋敷へ戻ったセリーヌは、寝台の前で侍女に小さな護符を見せていた。
「これ、アルノルトにもらったのよ」
その声は、冬の夜風よりあたたかく、どこか誇らしげだった。
窓の外には、祭りの火の名残がまだほのかに揺れていた。
ヘルマンが代官を務める開拓村はまだまだ新興であるため、収穫祭は隣村のエーベルハルト村のご厄介になっています。




