05.幼馴染と木剣
Chu! 短くてごめん
ラウエン家が代官を務める開拓村とエーベルハルト村は、地図で見れば指でちょんと押さえられるような距離だ。
馬でひと走り――速い馬なら、四半刻もかからない。
互いの村を結ぶ細い街道には、畑と林と小川が交互に連なり、季節によって風の匂いがくるりと変わる。
大陸暦二九七年の青の節。
春の霧が薄れ、草地に小さな花が咲き始める頃だった。
ラウエン家の館の前で木剣を振っていたアルノルトの耳に、遠くから馬の蹄の音が届いた。
ぽっ、ぽっ、ぽっ――。
軽いリズム。重い軍馬ではなく、軽くてよく跳ねる若駒の足音だ。
「アルノルトーっ!」
風と一緒に、透き通った声が飛んできた。
月毛の馬に跨った銀髪の小さな影――
エーベルハルト男爵家の令嬢セリーヌだ。
九歳になったばかりだが、堂に入った騎乗ぶりだった。
今日の彼女は、いつもの上品なドレスではなかった。
膝丈のズボン、動きやすいチュニック、そして左腕には丸い小盾。
腰には子ども用の木剣。
(また、男の子みたいな格好だ……)
呆れたような、でもどこか嬉しい気配が胸にこみ上げる。
セリーヌは軽やかに馬から飛び降りると、靴についた草をぱんぱんと払いながら言った。
「ねえアルノルト、今日こそ勝負よ!」
「……またですか。セリーヌ様、女の子はそんな乱暴な――」
「言うじゃない!でも、わたしは騎士になるんだから!」
小さな肩をそびやかし、銀髪を揺らす。
アルノルトは木剣を軽く振り、構えを整えた。
「では、いつものところで」
「ええ、庭の稽古場ね!」
二人は馬房のすぐそば、館の裏手にあるラウエン家の稽古場に向かった。
簡素な木柵と、踏み慣らされた円形の土。端には木盾が立てかけてあった。
◆
木剣と木剣がぶつかり、乾いた音が響く。
カンッ。
セリーヌは小柄な体で、猫のように素早く動いた。
足さばきが軽く、正面からぶつかるよりも、横へ回り込むことが多い。
一方アルノルトは、十歳にしては力が強かった。
腕も肩も鍛えられており、打ち込むと木剣が深く響く。
カン、カンッ!
「ちょっと、力が強すぎる!」
「セリーヌ様の動きも速すぎます」
「動かなかったら、あなたの力で押し切られちゃうもの!」
言いながらも、セリーヌの青い瞳はきらきら輝いていた。
アルノルトは汗をかきながら、相手の足の向き、肩の傾き、木剣の角度を観察する。
それが楽しくて仕方がなかった。
三合、四合、五合。最後は鍔迫り合いになる。
そうなると、どうしてもアルノルトの力が勝ってしまう。
押し切られたセリーヌは、自分からバッと後ろへ跳んで距離を取った。
「……今日はここまでにしてあげるわ」
「負けそうだったからでは?」
「違う!暑いからよ!」
そう言い張る頬は確かに赤い。
けれどアルノルトには、悔しさを隠すための赤さにも見えた。
「でも……楽しいわね」
ぽつりと漏れた言葉に、アルノルトはつられて笑った。
「はい。僕も、楽しいです」
その瞬間、春の匂いと草の匂いを含んだ風が、ふわりと二人の間を吹き抜けた。
◆
木剣の音に混じって、大人たちの低い笑い声が、どこかから聞こえていた。
二人が稽古をしているのを、馬房の影から眺める影が二つ。
ヘルマン・ツァ・ラウエンと、娘の様子を見るため追いかけて来たエーベルハルト男爵である。
「お互い、まあ……元気な子を持ったものだな」
「全くだ。うちの娘は、そろそろ貴族らしい振る舞いを覚えさせたいのだが……」
二人は苦笑し、その視線の先では、木剣を構えた二人の子どもが再び向き合おうとしていた。
「しかし、あれは……放っておいてもいいのか?」
「うむ……問題はないだろう。セリーヌ嬢は負けん気が強いし、アルノルトも手加減を覚えてきた」
「そういう意味ではない。あの二人……このまま育てば、歳頃になって――」
ヘルマンは言いかけて肩をすくめた。
「身分がな。あの二人は、年頃になれば理解せざるを得ん」
「うむ……男爵家の娘と、士爵の子か」
大人の目には、その差は歴然である。
どれだけ仲が良くとも、越えられる壁ではない。
だが、庭で笑い合う二人の子どもに、その現実はまだ遠い。
エーベルハルト男爵は、娘を見つめながら小さく息を吐いた。
「……それでも、今は良いか。あれほど楽しそうな顔をする娘を見るのは久しぶりだ」
「うちの息子も、あんなに笑うのは珍しい」
二人はしばし黙り、木剣がぶつかる音を聞いていた。
そして胸の内で、それぞれ同じことを思う。
(将来、厄介なことになりそうだな……)
◆
稽古を終えると、二人は草の上に座り込み、息を整えていた。
「アルノルト」
「はい?」
「わたし、きっと騎士になるわ」
「決意はお固いのですね」
「お父様を助けて差し上げたいの。弟はまだまだ小さくて、お父様を助けることができるのは、きっと私だけだから」
幼い顔に浮かぶ決意は、年齢以上のものだった。
「アルノルトは?何になりたい?」
「僕は……父上のような人になりたいです。村を守って、戦うときは前に立つ人に」
「じゃあ、同じね!いつか一緒に戦えるかもしれないわ!」
「……そうですね」
二人は無邪気に笑い合った。
その笑顔の奥にある、いつか訪れる現実など知らずに。
「ねえ。あなたのこと、アルノって呼んでもいい?だって、アルノルトって長いんだもの」
ねだるような上目遣いでセリーヌが見上げる。
(アルノって、母上にしか呼ばれたことないんだけど……)
少しどぎまぎしながらも、「構わないですよ」と返すのだった。
その日、アルノルトは「父のようになりたい」と、小さな誓いを胸に刻んだ。
セリーヌもまた、自分の中に芽生える強い憧れを抱きしめていた。
風に揺れる草の匂いの中で、ふたりの子どもは、初めて“未来へ向けた約束”を交わしたのである。
ここでは作品を書くにあたって設定した内容を記載しておきます。
架空世界なのですが、なかなか現実世界の感覚から離れられず、デタラメな部分も多数存在します。
今回は度量衡・時間です。たまに忘れます。
距離 リューグ。約1.2km。旅程の基準。
距離 ストラ。約120m。城壁・陣地の尺度。
距離 シェル。約1.2m。補助尺。
距離 サフォ。約1.2cm。補助尺。
時間 ベル。約1時間。鐘の単位。
時間 ティク。約1分。
時間制度 1日=24ベル。昼夜分割制(12ベルで分割)
重量 カロ。約1kg。兵糧・荷物。
重量 ミルカロ。約10g。薬・香料。
重量 ミカロ。約1g。微量単位(薬・香料)。
重量 カロル。約10kg。家畜・荷物の重量。
面積 フローネ。約0.5ha。農地。
容量 タルン。約1L。酒・水。
容量 バルカ。約20L。樽容量。




