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暁の騎士  作者: 満波ケン
第一章 幼き日々
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04.友と馬と

こんなにお馬さんに好かれるのはおかしいよぉ。

こんなの異能ですよ!(バンバン)


誤字脱字など間違いございましたら、ご指摘何卒よろしくお願いします。

 

大陸暦二九七年、青の節 黄金風(アウリス)の月。

二巡り目の《森の曜》の朝──。


御料牧場の草地には、夜露がまだ細かい玉となって残り、陽が昇るにつれて、それがひとつひとつ光を散らしていた。


木柵に囲まれた放牧地では、数頭の若馬が尻尾を振り、馬丁たちが声を張り上げながら、馴致の準備を進めている。


「その腹帯はもう一穴ゆるめろ。膨らませた息を吐いたあとで締め直せ」

「へいへい、分かってますよ(かしら)


賑やかな声と馬の鼻息。

ここへ通うようになって、まだひと月ほどだが、アルノルトにとっては、もういつもの朝になっていた。


彼は柵の外から一頭一頭を眺め、耳の向きや脚の運び、首筋の汗の出方まで、確かめるように視線を走らせていく。


「……今日はみんな、だいぶ落ち着いていますね」


鹿毛の毛並みを(くしけず)ってやりながら独りごちるように呟いたとき、牧場の入口の方から、見慣れぬ一団がやってくるのが見えた。



一行の先頭に立つのは、紺の外套(マント)を翻した壮年の騎士だった。

その背後に、明るい金髪の少年と、平騎士らしい男たちが二人。

さらに、荷を運ぶ従者従卒が続く。


「ツェルバハ様の旗印……」

入口の門扉が軋み、砂利を踏む音が柵の内側へ近づいてきた。


木柵の陰から覗き込んでいた馬丁が、思わず姿勢を正す。

この牧場は、ツェルバハ子爵家が王家から預かる御料地だ。

その家の者が来るのは珍しくないが、今日は見慣れぬ少年が一緒だった。


その少年は、まだ十にも満たないように見えた。

陽光を受けてきらきらと光る明るい金髪に、茶色い瞳は大きく、感情がすぐ顔に出る。


衣服は上等だが、どこか着慣れていない。

腰のあたりをそわそわと撫でたり、靴の先で土を弄ったりしている様子に、興奮と落ち着きのなさが見て取れた。


「コンラート坊ちゃま、あまり走り回られませぬよう」

従者から声が掛かる。


「わ、分かってるよ……」

口ではそう言いながら、視線は落ち着きなく馬の方へ吸い寄せられていく。


(あの方が……ツェルバハ子爵様の三男……)

昨日、牧場の馬丁頭から聞いた話を、アルノルトは思い出した。


『明日な、子爵様の三男坊が見学に来るそうだ。まだ十歳そこそこで、馬はこれからってところらしいが……お前、変なこと言うなよ?誉めるのはいいが、(けな)すのは禁止だ』


(貶すつもりなんて、ありませんけど……)


アルノルトは柵の陰から、そっと様子を見守った。



「こちらが、今年二歳になる若馬たちにございます」

馬丁頭が敬語を使うのは珍しい。

ツェルバハ家の家臣である平騎士が頷き、その肩越しに少年が覗き込む。


「うわぁ……こんなに近くで見るの、初めてだよ」


少年──コンラートは、思わず一歩前へ出た。

鼻先まで近づき、金髪を揺らして見上げる。


「大きい……」

「コンラート様、あまり近づきませぬよう」

平騎士が慌てて肩を押さえるが、コンラートの瞳には好奇心があふれていた。


「僕、乗ってみたいなぁ……」

「コンラート様」

(くら)の上にまたがるだけでもさ。ね?だめ?」


付き人の騎士たちは顔を見合わせた。

本来、ろくに稽古もしていない子どもを、いきなり牧場の若馬に乗せるのは褒められたことではない。


しかし、ここはツェルバハ子爵が管理する御料牧場。

そのツェルバハ家に連なる者の望みを真っ向から否定するのも、また難しい。


「……せめて、一番おとなしいやつに」

付き人の騎士が馬丁頭へ耳打ちする。

「はいよ。あの鹿毛なら、まあ気は優しいですぜ」


馬丁頭が選んだのは、穏やかな目をした鹿毛の牝馬だった。

馬丁や騎士らが引き手を引いてやれば、子どもを乗せても危なげはない……はずだった。



「じゃ、若様。左側から、(あぶみ)に足をかけて……そうです」

「う、うん……」

コンラートは緊張で肩をこわばらせながら、騎士に支えられて鞍へまたがる。


思った以上に高い世界。

さっきまで見上げていた馬の首が、今は目の高さにある。


「わぁ……!」

感嘆の息が漏れた瞬間、コンラートの手のひらは、興奮していたからか手綱を握りしめすぎていた。


「若様、もう少し楽に――」


騎士が言い終える前に、鹿毛の耳がぴくりと後ろへ倒れる。

口元の鉄を噛む音が、かすかにきしんだ。


(……嫌がってる)

アルノルトは柵の影から、思わず一歩踏み出した。


コンラートの腰は鞍の上で固まり、膝と踵にぎゅうっと力が入っている。


「若様、足を突っ張ると――」

その忠告より早く、鹿毛がびくりと身をよじった。

きつく握りしめられた手綱と、強く押しつけられた踵。

「進め」と「止まれ」が同時に飛んできて、若馬の頭の中は混乱する。


「ひ、ひゃっ!?ちょ、ちょっと待って――!」

鹿毛の前脚が大きく地面を叩き、ぐい、と首が上がる。

その勢いに、騎士の握っていた引き手が離れてしまう。


「危ない!」

「手綱を引きすぎだ、若様!」


平騎士も馬丁も慌てて近寄るが、鹿毛はもう混乱と恐怖で白目を見せていた。

頭を振り、歯を鳴らし、ぐるりと半周する。


「うわぁぁぁぁっ!?」

コンラートの身体が浮き上がり、次の瞬間、鞍からずるりと滑り落ちた。


一瞬、牧場の音が途切れたように感じた。


どさっ。


背中から柔らかい草地へ落ちた衝撃に、少年はしばらく目を白黒させていた。


「若様っ!」

「お怪我は!?」

平騎士たちが駆け寄る。

鹿毛は既に馬丁が手綱を取って押さえ込んでいたが、耳はまだ後ろへ倒れたままだ。


アルノルトは、そっとその横へ歩み寄る。



「大丈夫ですか」


アルノルトの声に、コンラートがびくりと顔を上げた。

近くで見ると、少年の顔立ちは整っている。

長い睫毛と、まだ幼さの残る輪郭。

だが今は、情けないほど目尻に涙がにじみ、歪んでいた。


「い、痛い……けど……死んでない……」

「よかったです」


アルノルトは、土まみれの手をためらいなく差し出した。


コンラートは一瞬きょとんとしたが、

やがてその手をぎゅっと握り、よろよろと立ち上がる。


「……見てた?」

「はい。最初から」

「……忘れてほしいな」

「難しいと思います」


きっぱりと言い切ると、コンラートの耳が真っ赤になった。


馬丁頭が苦笑しながら近づいてくる。

「まったく……若様、いきなり力を入れすぎなんですよ」


彼は鹿毛の口元に手を伸ばし、そっと唇の端をめくって歯茎を見た。

「ほら、ここ。真っ赤だ。右手の手綱、ぎゅうぎゅう引いたろ」


アルノルトも、馬の頭の横へ回り込む。

耳の向き、目の白目の出方、鼻の穴の開き具合。


「……鐙の長さも合っていませんでした。短すぎて、若様の足が突っ張ってしまっていました」


彼は騎士たちの顔を見上げながら、静かな口調で続ける。


「馬は、『止まれ』と『進め』を同時にされると混乱します。それで、怖くなって暴れたんだと思います」


馬丁頭が目を丸くした。

「おいおい、ラウエンの坊主……昨日もそうだが、よくそこまで見てやがるな」


アルノルトは少しだけはにかんだ。


コンラートは、その横顔をじっと見つめていた。



「君……名前は?」

泥を払いながら、コンラートが口を開いた。


「アルノルト・ツァ・ラウエンと申します。代官村の、騎士ヘルマンの息子です」


丁寧な名乗りに、コンラートは「ふーん」と頷く。

「僕は、コンラート・ヴェン・ツェルバハ。……知ってた?」

「はい。お顔を拝見するのは初めてですが」


アルノルトがそう答えると、コンラートは少し胸を張って見せた。

少年の身体は、きちんとした仕立ての上着に包まれているが、さっきの落馬で裾は草だらけだ。

茶色の瞳は、泣き笑いのような不思議な表情を浮かべている。


「さっきの……すごかったね。馬が、どういう気持ちなのか、何でもわかっているみたいだった」


「何でもは存じ上げません。経験で知っていることだけでございます」

アルノルトは、鹿毛の首筋をそっと撫でる。

馬はまだ少し緊張しているが、少年の指先の動きに合わせて、次第に呼吸を落ち着かせていった。


「君、馬と話ができるの?」

「できませんよ。ただ……馬の方が、教えてくれるのです」


コンラートはぽかんと口を開け、それから、急に何かを思いついたように顔を近づけた。


「ねえ、アルノルト。僕に……馬の乗り方を教えてくれない?」



その言葉に、一番先に反応したのは平騎士たちだった。


「若様、それは……」

「騎乗の稽古なら、我らが――」


だが、コンラートはめずらしく口を尖らせる。

「だって、さっき僕を助けたのはアルノルトだよ。馬が何で怒ったのか、僕らより分かってるじゃないか」

「若様……」

付き人たちは顔を見合わせ、言葉を詰まらせた。

確かに、先ほど馬が暴れた原因を、ここまで正確に言い当てたのは、目の前にいる代官の息子だ。


(かしら)、あんたはどう見る」

「そうですな……」

馬丁頭は、腕を組んでアルノルトとコンラートを見比べた。


「ラウエンの坊主は、馬にゃ好かれてる。若様、あんたが馬を怖がらねえなら……常歩(なみあし)くらいなら、この坊主に付かせた方が、おっかねえ真似はしねえと思いますぜ」


「ほら!」コンラートの顔がぱっと明るくなる。


「ラウエン殿の息子よ」

平騎士の一人が、改めてアルノルトを見た。

「若様の御稽古を頼めるか。危ないと思ったら、すぐやめさせろ」


「はい。承知しました」


アルノルトは、自然と背筋を伸ばして答えた。

心臓は高鳴っているが、それは恐怖ではなく、自分に向けられた信頼の重さに応えたいという思いだった。



鐙の長さを調整し直し、手綱の握り方を、ひとつひとつ確認していく。


「若様。まず、深呼吸してください」

「い、今?」

「はい。馬は、上に乗っている人の緊張も感じます。若様が息を止めると、この子も苦しくなってしまいます」


「……分かった」


コンラートは、言われた通りに息を吸い、吐いた。

肩の力が、ほんの少し抜ける。


「手綱は、引っ張るものではなくて……『支える』ものです。強く握りすぎず、でも離さず。馬の口の動きが、ここに伝わってきますから」


アルノルトは、自分の手をコンラートの手の上にそっと重ね、適度な力加減を示してみせる。


「そ、そんな器用なこと……できるかな」

「さっきより、もうずっと上手ですよ」


鹿毛の耳が、先ほどより前を向き始める。


「では、少しだけ歩かせてみましょう。踵で強く挟むのではなく、ふくらはぎで、そっと合図してください」


「こ、こう……?」


コンラートの足が、恐る恐る馬体に触れる。

鹿毛は一瞬だけ耳を動かし、それから、ぽく、ぽく、とゆっくり歩き始めた。


「……動いた」

「はい。コンラート様の合図が、ちゃんと伝わりました」


平騎士たちが、安堵の息をつく。

馬丁頭も腕を組んだまま、口の端を上げた。


柵の周りを、ゆっくり一周。

最初はおそるおそるだったコンラートの背も、二周目には、ほんの少しだけ、揺れに身を任せられるようになっていた。


「すごい……!僕、今、ちゃんと乗ってるよね?」

「はい。立派に騎乗なさっています」


鹿毛の背の上で、少年の茶色い瞳がきらきらと輝く。



しばらくの騎乗を終え、コンラートが馬から降りる。


「どうでしたか」

アルノルトが尋ねると、コンラートは息を弾ませながら、にかっと笑った。

「怖かったけど……すっごく楽しかった!ありがとう、アルノルト!」

握手を求められ、アルノルトは少し驚きながらも、その手を握り返した。

「いえ。コンラート様が頑張られたからです」

「また来てもいい?その……そのときも、教えてくれる?」


アルノルトは、ほんの一瞬だけ考え、それから、真っ直ぐに少年を見て頷いた。

「はい。僕でよろしければ、いくらでも」


コンラートの笑顔が、ぱっと花のように開く。

「じゃあ決まりだ!僕、また来るよ。そのときまでに、もっといろんなことを教えてよね、アルノルト!」


「……努力します」


馬丁たちがくすくす笑い、平騎士たちも、どこか柔らかい目で二人を見守っていた。

ここでは作品を書くにあたって設定した内容を記載しておきます。

架空世界なのですが、なかなか現実世界の感覚から離れられず、デタラメな部分も多数存在します。

今回は主人公が所属する王国の貴族制度です。


●レーヴェン王国の貴族制度 

[公爵] 世襲。方面軍・大州を統括する大領主。複数伯爵領〜一地方一円。方面軍司令官、枢要職。王族に準ずる家格を持つ。


[侯爵] 世襲。境界地方や重要街道の防衛と統治。数伯爵領相当。師団長、軍務・政務の要職。王国東西南北の要衝を預かることが多い。


[伯爵] 世襲。一地方(郡)を統治し、複数子爵・男爵を束ねる。一郡〜数子爵領。連隊長、地方軍責任者。軍馬政官など専門官職を兼ねる伯爵もいる。


[辺境伯(特例)] 世襲。国境地帯の軍事と開拓を一手に担う。伯爵以上〜侯爵相当。方面軍/師団規模の軍を率いる。爵位としては伯爵と同列だが、戦時権限は侯爵級。


[子爵] 世襲。複数の男爵領・代官村を束ねる地方領主。数村〜一小地方。大隊〜連隊の指揮。ツェルバハ家のように特定任務(軍馬官)を世襲する家もある。


[男爵] 世襲。一つ〜二つの村を所領とする下級領主。村一〜二つを治める。中隊の指揮。子爵家の寄騎であることも多い。


[士爵] 非世襲。王から代官として村を預かる騎士。功績により叙任。村一つ(代官)を治める。小隊長、寄騎。功績と推薦があれば男爵へ陞爵可能。

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