34.枢密会議
グラーツ王国軍、作戦室。
石造りの部屋は昼でも薄暗く、壁に掛けられた地図だけが、灯りを受けて浮かび上がっていた。
オルフェンはその前に立ち、腕を組んでいた。いつものような笑みはない。
「……で?」
軽い調子の声とは裏腹に、視線は鋭い。
「どうなった」
向かいに立つ参謀が、一通の報告書を差し出した。
「レーヴェン王国の貴族が、動きました」
オルフェンは片眉を上げた。
「貴族、ね。前線じゃなく?」
「はい。軍ではありません。貴族院です」
その言葉で、部屋の空気が一段落ちる。
「つまり――」
オルフェンは言葉を選びながら続けた。
「あちらでは、戦場の話をする前に、政治が始まった、ってわけだ」
参謀は頷いた。
「辺境伯セルヴィオに関する疑念が、正式に議題に上がっています」
「ほう、疑念?」
オルフェンの値踏みするような疑問を受けて、参謀は一拍置いた。
「──このまま全軍を一人に任せ続けていいのか。その疑念です」
オルフェンは、ふっと小さく息を吐いた。
「なるほど。上手いなあ……」
誰かが首を傾げる。
「上手い、とは?」
「罪を問わない。裁かない。でも、信用はしていない」
地図の上に指を伸ばし、レーヴェン王国の王都を軽く叩く。
「だってそれ。無罪でも拘束できるやつでしょう」
参謀が続ける。
「問題になっているのは、この書簡です」
差し出された羊皮紙の写し。
全文ではない。だが、核心だけは抜き出されている。
オルフェンは読み上げた。
「――王都に混乱が生じた場合、
前線の軍を一つにまとめ、
王国の秩序を守るため、
私が責任を負う用意がある、か」
一瞬、沈黙。
「……これさ」
オルフェンは紙を戻し、苦笑した。
「普通に読めば、当たり前のことしか書いていない文章だね」
「はい」
「でも王都から見ると?」
参謀は静かに答えた。
「軍をまとめるのは自分だと書いてある、そう読めてしまいます」
「王じゃなく。王太子でもなく」
「ええ。だから――」
「うん、そうだね。だから『危ない』」
オルフェンは言葉を引き取った。
「反逆じゃない。でも、放っておくのも怖い。結果――」
地図から指を離す。
「呼び戻し、拘束する」
「はい。説明のために」
「説明、ねえ」
その言葉に、誰かが小さく笑いそうになり、すぐに黙った。
いかにも曰くありげな偽造書簡を作成し、レーヴェンの貴族派の手に渡るよう裏で工作したのはオルフェンだからだ。
オルフェンは背を向け、肩越しに言った。
「で、セルヴィオが前線から消えると、どうなる?」
即答だった。
「指揮系統が乱れる」
「判断が遅れる」
「現場が迷う」
将校らの言に、オルフェンは頷いた。
「逆に、戻ってきたら?」
「どうでしょうか。貴族派からなんらかの制限が加えられるものと見ます」
「つまり」
オルフェンは軽く肩をすくめた。
「どっちに転んでも、前線は弱くなる」
誰も否定しない。
「戦わなくても、条件は整ったってわけだ」
オルフェンは地図を見つめたまま、静かに言った。
「戦争ってのはね――
剣を抜かなくても、有利にすることができるものさ」
外では、朝の鐘が鳴り始めていた。
◆
貴族院での話し合いは、ほんの短い時間で終わった。
その日の議題は一つ。
辺境伯セルヴィオ・ヴェン・ザーヴェルを、このまま前線軍の最高指揮官に任命してよいのかである。
慎重論が多数派を占める中、セルヴィオは黙して何も語らず、結論は宙に浮いたままだった。
彼は途中から、いや議会が開かれる前から不穏な空気を感じ取っていた。
「これは、貴族院だけで決める問題ではない」
議長の一言で、議題は王城の奥へ送られることとなった。
◆
枢密会議──
王国で最も重い決定を下す、御前会議の場だ。
枢密会議が開かれる広間は、王城の中心部にある。
厚い石壁。高く小さな窓。
外の景色も、時間も、切り離された場所。
ここで決まるのは、税、貴族の処分、王族の婚姻、王位継承、宗教問題など、多岐にわたる。
もちろん戦争については他でもなく、そして──
誰に軍を預けるか、という判断も下される場だった。
出席者は決まっている。
国王と王妃。
大公としての王太子。
二大公爵家から一家。
三大侯爵家から一家。
宰相。
レーヴェン教区を束ねる、光祖教大司教アナスタシウス。
貴族院議長。
そして、大伯であるグランベール伯。
最後に、辺境伯セルヴィオ・ヴェン・ザーヴェル。
本来なら、この場でセルヴィオは「前線軍の総帥」に正式に任命されるはずだった。
前線の指揮を一手に担う、最高責任者。
戦場では、王の代理として命令を出す立場だ。
戦果、信頼、実績──
誰もが、この国には彼以上の人材はいないと分かっている。
だが同時に、この場の全員は、もう一つの事実も知っていた。
セルヴィオが、密かに王家の血を引く存在であるということを。
それが、この会議を歪ませていた。
◆
最初に口を開いたのは、グランベール伯だった。
「辺境伯がこの国一番の戦上手であることに、異論はございません」
誰も反論しない。それは事実だからだ。
「しかし──優秀であるがゆえに、問う必要があります」
伯は続ける。
「王権と軍権。その均衡が、崩れかけてはいないか。それが貴族議会でも重要視されました」
王権とは、王の力。また、王国を動かす集合体である貴族の力も含まれる。
軍権とは、軍を動かす力。
本来、この二つは分かれていなければならない。
戦争中であっても、軍は「王」の命令に従うべき存在だからだ。
王太子が口を開く。
「辺境伯は、常に王国のために戦ってきました」
それは庇いの言葉だった。だが、決定打にはならない。
王妃も慎重に続ける。
「この場で疑念を深めることが、国益になるとは思えません」
「辺境伯が治める領土は、北のノルディア王国、西のグラーツ王国に対する備えではないか」
王太子の言葉に、王妃の眉が少しだけ動く。王妃はノルディア王家の出身である。
「グラーツ王国が軍を発するのであれば、国境地域を守護する辺境伯が動くのは必然であろう」
王太子の擁護は続く。
「だからと言って、毎回、辺境伯が軍を率いるという必要性はございますまい」
貴族院の議長が言う。
グランベール伯は、貴族院議長と目配せをすると、静かに一通の書簡を差し出した。
「ならば、こちらをご覧ください」
受け取った貴族院議長が、書簡の一部を読み上げる。
「──王都に混乱が生じた場合、
前線の軍を一つにまとめ、
王国の秩序を守るため、
私が責任を負う用意がある」
広間が静まり返る。
侍従官の手によって、王から順に回覧される。
署名は、確かにセルヴィオのものに見えた。
グランベール伯が問う。
「申開きはありますかな、辺境伯」
セルヴィオは最後に回ってきた書簡を手に取り、それを見て少し考えてから答えた。
「よろしい。お答えしましょう」
羽扇を口元へと運び、静かに姿勢を正した。そして、順を追って説明する。
「第一に、この書簡は、他国──グラーツ王国の策謀と考えられます」
ざわめき。
「第二に、筆跡と署名は、私のものを真似た偽造です」
最後に、セルヴィオは決定的なことを言った。
「なぜならば。私の正式な署名には、必ず、小さな針穴を開けています。この書簡には、それがありません」
王の命で、侍従官が王城を走る。
国王宛、王妃宛、王太子宛、貴族院宛、大司教宛……過去の書簡がさまざまに集められる。
確かにどれにも、署名の脇には一目見ただけではわからないほどの、針で突いた小さな穴があった。
では、この書簡は偽物──その事実は、誰の目にも明らかだった。
だが、グランベール伯は引かなかった。
「とはいえ、それで疑念が消えたとは申せませぬ」
伯は続ける。
「このような文が存在しうる、という事実そのものが問題なのです」
つまり──
この文章が本物かどうかではない。
こんな文章が存在した、という状況を生んでしまったこと自体が危険だ。
そういう論理だった。
最終的に出された結論は、こうだ。
セルヴィオ辺境伯を、しばらく王都に留める──である。
積極的に留置を求めるグランベール伯と貴族院議長。
辺境伯に同情しつつも、しばらく王都に滞在したほうが……と消極的姿勢の公爵家・侯爵家・宰相・大司教。
全体的に慎重論であることは、王家であっても覆しようがなかった。
また、先のグラーツとの戦争で、レーヴェンが勝利したことで「我が国は精強。辺境伯でなくとも勝てるのでは」というような空気も後押しをしていた。
果たして、セルヴィオは前線に行くことができなくなってしまった。
前線軍の指揮官には、貴族派からローデリク・ヴェン・ヴァルゼイン伯爵が選ばれた。
その如何ともしがたい状況の中、王太子レグナートの脳裏には、先日のセルヴィオとの会談が思い出されていた。
「私でなければならない戦いが続けば、いずれ国が歪みます」
よもや、義兄上はここまで読んでおられたのか──。
ここでは作品を書くにあたって設定した内容を記載しておきます。
架空世界なのですが、なかなか現実世界の感覚から離れられず、デタラメな部分も多数存在します。
レーヴェン王国の貴族制度まとめです。
※前回の 第4話 の内容よりも、もう少し具体的なものです。
※King や Duke などのスペリングがありますが、説明のための便宜上のものです。本文への登場予定はありません。思わずルビで使っちゃっていたらごめんなさい!
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■ 王族位階
◆ 国王(King)
•王国の最高統治者。
•軍事・外交・立法・叙爵の最終決定権を持つ。
•士爵の叙任、寄騎の割り当て権を保持。
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◆ 大公
本文では すべて「大公」 と表記するが、内実は以下の二種に分かれる。
① 大公(Prince)=王太子
•王位継承者。
•生前に王位を譲られていない限り、実権は限定的。
•政治・軍事への関与は「王の代理」「補佐」という形を取る。
•現在のレーヴェン王国で 唯一存在する大公。
② 大公(Grand Duke)=前王
•王位を退いた前国王が便宜的に名乗る称号。
•実権は持たない。
•現在のレーヴェン王国には 前王は存在しない。
※本文では状況に応じて
「王太子」「前王」と併記することはある。
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■ 高位貴族 ※王族に準ずる家格
◆ 公爵(Duke)【2家・世襲】
•建国王の王弟家、建国王の次男家を祖とする。
•王族に準ずる家格。
•複数伯爵領、あるいは一地方一円を統治。
•方面軍司令官、王国枢要職を担うことが多い。
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◆ 侯爵(Marquis)【3家・世襲】
•建国の功臣を祖とする家系。
•初代「暁の騎士」アルベルト・(ヴェン・)ルミナス=グラーフを祖とする家を含む。
•王国東西南北の要衝、重要街道、防衛線を預かる。
•数伯爵領相当の規模。
•師団長級の軍務、政務双方の要職に就く。
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■ 伯爵位階 ※地方統治の中核
◆ 辺境伯(Margrave)【特例・世襲】
•爵位上は「伯爵(の大伯)」と同列。
•国境地帯の軍事・開拓・外交を一手に担う。
•戦時権限は侯爵級。
•方面軍、あるいは師団規模の軍を直接指揮。
•ザーヴェル辺境伯家が該当。
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◆ 大伯(上級伯爵)【世襲】
•伯爵の中でも特に家格が高く。序列も高い。
•建国初期から王権に協働した元土豪を祖とする。
•複数子爵家を束ねる。
•ザーヴェル家(本領)、ヴァルゼイン家などが該当。
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◆ 伯爵(Count)【世襲】
•一地方(郡)を統治。
•複数の子爵・男爵を従える。
•成り上がりで到達できる最上位の爵位。
•軍務では連隊長、地方軍責任者。
•軍馬政官など専門官職を兼ねる家もある。
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■ 下級貴族
◆ 子爵(Viscount)【世襲】
•複数の男爵領・士爵代官地を束ねる。
•数村〜一小地方を支配。
•軍務では大隊〜連隊規模の指揮。
•特定軍務(例:軍馬官)を世襲する家も存在。
•ツェルバハ家が代表例。
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◆ 男爵(Baron)【世襲】
•一〜二村を所領とする下級領主。
•軍務では中隊規模の指揮。
•地方の実務・治安維持を担う。
•多くの若手騎士の目標となる階級。
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■ 騎士階級 ※正式には貴族ではない
◆ 士爵(Knight/騎士爵)【非世襲】
•正式には貴族に含まれない。
•王から叙任される「王国騎士」。
•封土は持たない(王領の代官として村を預かる場合あり)。
•軍務では小隊長、寄騎として運用される。
•功績と推薦により男爵への陞爵が可能。
士爵の区分 ※いずれも 主君は国王
•近衛騎士(王直属)
•王宮騎士(宮中勤務)
•辺境騎士(王領代官)
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■ 補足:寄騎制度との関係
•士爵以上の者は、王命により他家(上位貴族)の軍事指揮下に附属されることがある。
•寄騎は陪臣ではなく、主君はあくまで国王。
•家格・封土・法的身分は保持される。




