22.侵入
●チトセ
大陸暦三〇二年時、十三歳。実兄のシロウとは四つ違い。
極東の島国「瑞穂国」の白都出身。黒髪と黒い瞳を持つ。小柄であるが、その身長に合わない刀長の刀を使っている。社流という剣術を修めている。居合を得意とする。
大陸暦三〇二年、白の節。
ブリューナ丘陵の戦いから、二日が過ぎた。
丘の周囲にはまだ戦の残滓が濃く残り、兵たちはなお戦後処理に追われていた。
アルノルトは、新たに持ち込まれた戦場遺棄物の確認に余念がなかった。
槍、剣、盾、弓、矢、矢筒、兜など、多岐にわたる。
それらを、レーヴェン王国のもの、グラーツ王国のものに仕分け、使えるもの、もう使えないもの、また鋳潰せば再び利用できるものに細分化していた。
その作業をようやくすべて終えたところで、ふと、近くでツェルバハの熟練兵たちが語り合う声が耳に届いた。
「敗残兵ってのは、散って逃げるだろう。目立つ街道沿いを避け、森や山に流れる奴も多い」
「森や山で賊になるものもいるって聞いたが、うちとグラーツは商隊の往来も稀だから賊になっても旨味は少なそうだな」
「いや、厄介なのは俺たちの国に入られることさ。暴行や略奪もそうだが、万一たどり着いた先で村でも焼き払ってみろ。今回奴さんは負けちまったから、そういうのが、そいつらの功績にもなりかねない」
「なるほどなぁ。なにか事を起こしてグラーツに戻れれば英雄ってわけか。狙う輩がいてもおかしくないな」
「一番危ないのは、無防備な村さ。女や子どもしかいない家を狙う輩もいる」
ブリューナ丘陵の東は、針葉樹の深い森だ。
追手を撒くために、そこに逃げ込んだ敗残兵がいたとしても不思議ではない。
そして、なによりもアルノルトを不安にさせたのは次の一言だった。
「人の習性ってのは不思議なもんで、川沿いに下っていくやつがほとんどなんだよな」
「はあ。グラーツとは真逆の方向だな」
確かに、川沿いに下流へ向かえば集落に出られる可能性は高い。
では、その下流にはなにがある?
国境緩衝地帯の尾根を分水嶺として、東の針葉樹林を抜けた小川が流れ着く先。
(……開拓村だ)
肩が震えた。もしかしたら森林の切れ間から、直接村を見ることができるのかもしれない。
水の流れに沿って二日・三日かければ開拓村の西端にたどり着くことも不可能ではない。
何かの予兆を感じた。
気付きを与えてくれた熟練兵たちに感謝しつつ、説明のつかないざわめきが胸の内に広がる。
「父上。村へ戻る許可を……!」
ヘルマンは陣幕の整理を続ける手を止め、息子の真剣な眼差しを見て、その推論を聞いた。
「お前の推測にも一理ある。確かに、少数のグラーツ兵が、東の森へ逃げ込んだのは確認されている。そしてその後、そやつらがどうなったのかは誰も知らん」
その言葉にシロウは「私も」と進み出るが、すぐにヘルマンが首を振った。
「いま、お前は私の護衛だ。ここを離れてもらっては困る」
「……承知」
それこそ、身を潜めていた敗残兵が、破れかぶれに指揮官格を狙う……という事も少なくないのだ。
ラウエン家で一番腕が立つ護衛が、当主のもとからいなくなるのは避けるべきだろう。
「もちろん俺も、子爵さまから預かった任務を放棄するわけにはいかん。任務には人足が必要だから、兵らもまだ帰すわけにはいかん」
結果として、アルノルトひとりが、帰村の許可を与えられた。
彼は、愛用の槍と剣を持って馬を駆り出すと、すぐさま陣を離れた。
蹴りこむようにして馬を走らせる。
(早く……!)
杞憂であればいい、そう思いつつも焦燥感が募る。
国境線から開拓村までは、通常の行軍速度であれば街道を使って半日かかる道のり。ブリューナ丘陵からだと、ほぼ一日かかる。
だがアルノルトは巧みな手綱さばきで馬を極限まで走らせ、ときには短絡路も用い、できるかぎり短い時間で駆け抜けていった。
冷えた空気が喉を刺し、息が白くほどける。
鞍の衝撃が腿に響いても、痛みを数える暇はなかった。
◆
曇天の空で、月も星も見えない夜だった。
白の節の夜風は今晩だけ妙に生暖かく、虫の声がまばらに響いていた。
ラウエンの屋敷では夜の祈祷を終え、ちょうど就寝の支度を整えている時であった。
そのとき、外で犬が一度だけ吠え、すぐに黙った。
続いて、砂利を踏む音が複数、門のほうへ滲むように近づいてくる。
「おい、開けろォ!食いもん出せッ!」
外から怒号。続いて、窓硝子の割れる音。
その音に混乱のあまり正妻と第二夫人が悲鳴を上げ、子どもたちが泣き出す。
「奥へ!皆さん、奥の部屋に!」
チトセは指示を飛ばすや部屋に戻ると、すぐに刀を握り、玄関へ駆けた。
数人で息を合わせて蹴っているのだろう。
それなりに頑丈に作られている扉も閂も、耐えきれそうになかった。蹴られるたびに、みし、みしと悲鳴を発していた。
玄関の扉が破られる直前、チトセは刀に手をかける――
扉が破られるや、勢い込んで飛び出してきた一人の喉笛を、抜刀の勢いで斬り、血の海に沈め、続くもう一人を瞬時に突き伏せた。
だが、敵はまだ……ひい、ふう、みい……五名以上はいる!
ほんの少しの間、敵は怯んだような様子を見せたが、やがて相手が年端もいかぬ少女一人であることがわかって、下卑た笑いを浮かべた。
「これはこれはお嬢さん。お一人ですかぁ」
中心と思われる賊が、確認するように言葉を紡ぐ。
チトセは答えないが、額から一筋汗が流れ落ちた。
先程は不意を突いて二人斃すことができたが、ここからはそうはいかない。
数的な不利を、どうやって覆すのか、チトセには良い策が思い浮かばなかった。
「おい、こいつ以外に戦えるヤツはいないみたいだ。裏にも回れ」
聞き慣れているレーヴェンの訛りではない。聞き慣れぬ訛りの共通語だった。
それに応じて、複数の足音がし、建物を回り込もうとしている。
食料庫に繋がる裏口の扉は表玄関に比べて脆い。
(焦るな、焦るな……落ち着け。何よりも大事なのは主家の家族を守り抜くこと!)
時間を稼げば、察知した村民が助けに来てくれる可能性も上がる。
「油だ。火を付けろ」
さすがにチトセもぎょっとした。
男の指示に、一人が頷く。屋敷の外壁は全体的に石材で作られており防火性が高い。だが、硝子窓を破られ、そこから火を投げ入れられてはひとたまりもない。梁はもちろん、扉、卓、椅子、床の敷物など、可燃物も少なくない。
なによりも煙が出るし、その煙で、守るべき人たちが半狂乱となってしまうかもしれない。
玄関の三人を倒す、
火をつけようとしている一名を、火が投げ入れられる前に倒す、
裏に回った複数名を倒す。
一対一であれば、おさおさ劣るものではないと自負しているが、さすがにこの膠着状況に打つ手が思い浮かばなかった。
「来いよ、女ァ!」
一人が石を投げつけ、チトセは避けようとしたが――
同時に聞こえてきた、裏口をガンガンと蹴りつける音に気を取られ、避けきることができなかった。
「っ……!」
脇腹を強打。一瞬、呼吸が止まり、刀の切っ先がわずかに落ちる。
肋が軋む。息を吸うだけで痛みが走り、視界の端が白く滲んだ。
それでも彼女は、切っ先を持ち上げるため、両の手に力をこめた。
三人の敵が、笑いながらじりじりと迫る。
チトセが睨みつけるようにして切っ先を持ち上げた、その背後で――
荒れ狂ったような蹄の音と、砂塵が舞うのが見えた。
◆
その刹那――
中庭に槍を投げ捨て、馬上から飛び降りるアルノルト。
玄関から漏れる怒声と泣き声が、夜気を裂いていた。
着地ざまに、アルノルトは一瞬の躊躇もなく灯りの方向へ駆け込む。
腰の長剣を鞘走らせ、グラーツ兵へ飛びかかった。
玄関ホールは、長剣を存分に振り回せるほどではない。
生まれて十五年、この家に住んでいるのだ。
そのため、アルノルトは迷うことなく、突きを放った。
賊の一人がそれをかわそうとするが、圧倒的な速度で迫るアルノルトの剣を避けきれない。右胸を貫かれ、致命傷を負う。
チトセはそれを認めるや、アルノルトに驚き、目線を切ってしまった賊の喉を瞬時に刺突した。
残った賊は、悟ったように「ちっ、俺も運がねぇ」とつぶやき、一呼吸するあいだに、アルノルトに突き殺された。
「アルノルト様っ、裏手にまだ!」
そのチトセの言葉に、血飛沫を浴びたアルノルトが頷き、瞬時に踵を返す。
口笛で馬を呼び寄せると、ひらりと鞍に飛び乗り、まるで風のように駆けていった。
チトセは、火を放とうとしている賊を探すため、屋敷から出て首を巡らせる。
状況を悟ったのか、松明と火打ち石を投げ捨て、一も二もなく逃走を図る背中が見える。
チトセは抜き身のまま、滑るように地面を走り、賊に追いつくと、背中から袈裟懸けに斬り下ろした。
それほど時を置かず、屋敷の裏からは断末魔があがり、それを聞いたチトセは安堵のあまり、地面へとへたり込むのであった。
◆
戦いが終わると、アルノルトは駆け寄り、チトセの肩へ手を置く。
「……遅くなって、すまない。……よく守ってくれた。本当に」
チトセは首を振ろうとしたが、脇腹が痛み、息が漏れた。
それでも、胸の奥が温かくなる。
兄以外の誰かに――本気で、自分が“助けられた”と感じたのは、生涯で初めてだった。
戸惑いと高鳴りが混じった感情が胸の内で渦を巻き、言葉が出てこない。
アルノルトの視線は、以前よりどこか柔らかい。
チトセはその変化を感じ、胸がぎゅっと痛むように高鳴った。
◆
やがて騒動を知った村人たちが集まってくる。
奥の部屋に隠れていた正妻や第二夫人が駆け寄ってチトセを抱きしめ、子どもたちも泣きながら彼女にしがみついた。
普段であれば、真っ先に兄の胸に飛び込んでくるであろう妹や庶弟が自分のところに来ない……。
アルノルトは胸がちくりとし、何気なく窓硝子に映る自分を見て悟った。
頭のてっぺんから足のつま先まで血みどろだ。
この恐ろしい姿に抱きしめられたいと思う者はいないだろう。
そんな中で、老使用人は震える声でアルノルトに礼を述べる。
アルノルトは「いや、お前もよく母上らを守ってくれた」と労いの言葉をかけてやる。老使用人は気が抜けたのか、おいおいと泣き出していた。
夜風が通り抜け、油と血の匂いを運んでくる。
(ここも戦場の匂いがする)
静けさを取り戻しつつある村で、アルノルトはふと夜空を仰いだ。
見えない星の在り処を探すように、そっと拳を握りしめる。
(もう二度と……ここを、こんな目には遭わせない)
胸の奥で、静かな誓いが燃え続けていた。
第二章完。




