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暁の騎士  作者: 満波ケン
第二章 馬上の青年
17/45

17.揺らぐ槍、揺らぐ胸

大陸暦三〇二年、赤の節。


「敵の斥候部隊が認められました。重歩兵を中心とした構成で数は約三十!」


乾いた熱が陣の幕を膨らませ、砂混じりの風が喉をざらつかせた。

遠くで鳴く鳥の声さえ、今日は落ち着きなく聞こえる。


見張りの報告に、エーベルハルト男爵は即座に立ち上がった。


国境線に陣を敷いて久しい。

ツェルバハ子爵の寄騎の男爵・士爵が輪番で陣地の警備に当たっていたが、この日はエーベルハルト男爵の担当であった。


昨年から続く小競り合いは絶えず、今日もその続きに過ぎぬはずだった。

レーヴェン王国北西部を束ねるザーヴェル辺境伯の情報では「白の節には決戦が来る」とある。


それまでの小戦は、どれも“大きな波の前触れ”にすぎない。


「……セリーヌ」

男爵は視線を向けず、脇に控えていた娘へ声を掛けた。


「はっ」

直立して侍衛の役目を果たしていたセリーヌは、さらに背筋を伸ばした。


「おぬしも出よ」

「はっ」

ついにその時が来たのだと、胸の奥が短く跳ねた。


側にいた家臣が、驚きに眉を上げる。

「しかし、まだ初陣には――」


「敵は小規模。見学させるだけだ。武勲を求めるわけではない。戦場を知るには良い機会よ。……私も出る」


娘を信じる想いと、無理をさせたくない想い。

その両方が滲んだ言い方だった。


「槍兵二十、弓兵二十、騎兵十を集めよ。――我らエーベルハルトの強兵を見せる」


「応!」


家臣らは一斉に立ち上がり、陣内はすぐさま準備の喧騒に包まれた。


セリーヌも兜を抱えて陣帳を飛び出す。

緊張で胸が締めつけられるようだったが、それでも歩みは迷わない。


「馬を……頼みます!」


呼びかける声が少し震えた。


その様子を、隣の陣帳から出てきたアルノルトが見ていた。

視線が交わると、セリーヌは短く頷いた。


(……震える)


指先だけが言うことをきかない。

けれど、訓練で染みついた手順だけは、勝手に身体がなぞっていく


己の手が確かに震えている。

にもかかわらず、なぜか兜はうまく被れた。

愛馬が曳かれてくると、従士の手を借りて馬上へ上がる。


「アルノルト、あとは頼む」


同じく騎乗した男爵が声を掛け、アルノルトが承諾するのを聞くや、「出るぞ!」と陣外へ飛び出した。


セリーヌを含む兵がそれに続く。



エーベルハルト軍が出陣して間もなく。


「重歩兵だけ……と言うのか?」


アルノルトは急報を届けた見張りに確認した。


「ああ。奴らは重歩兵のみ、三十ほどだった」


「妙だと思わんか」

アルノルトは低い声で疑問を呈した。

「これまでの小戦、グラーツの斥候は重歩兵と、それに随伴する重騎兵とが一組になっていた」


「確かに……」

見張り兵も、脇に控えるシロウも同意する。


「では今回、重騎兵はどこにいる」

アルノルトは腕を組み、顎へ指を当て沈思した。


「まさか……伏兵」

シロウが息を呑んで言う。


「それよ。此度(こたび)たまたま騎兵がいないなら良い。だが伏兵なら――」

赤の節の熱風の中に、微かな寒気が混じった。


アルノルトは即断した。

「万一を考えて後詰を出す。十騎で上等、五騎でもいい。騎馬兵を優先させろ。シロウ、ラウエンの者を中心に招集を」


「はっ」

号令が飛ぶとシロウは周囲へ声を掛けはじめた。

にわかに陣が騒がしくなる。


「私の馬を引け!」

従士へ声を掛けると、アルノルトは陣帳の中から自らの兜を持ち出した。

慌てて引き出された馬の首筋をさすって落ち着かせると、鞍上にひらりとまたがる。


従士から馬上槍(ランス)を受け取ると、脇にたばさんだ。

次々と集まってきた騎兵が周囲へ並ぶ。


アルノルトを含めたラウエン四騎、エーベルハルト二騎、ツェルバハから三騎。

計九騎。そこへ徒で随伴するシロウが加わり十名。


「アルノルト殿、我らも助力を」と、ツェルバハの平騎士らが加勢を申し出てくれる。

「ご厚意、ありがたく!もし深読みのしすぎであれば笑ってください」

「なあに、その時は一緒にエーベルハルト卿に叱られようぞ」

軽口を交わすも、騎兵たちの眼差しは鋭く、気は引き締まっている。


「重騎兵は、エーベルハルト卿の軍ではなく、この陣を襲うやもしれん。警戒厳に――出る!」


九騎と一人は、陣を駆け出した。


陣地から交戦地点までは、騎馬ならすぐの距離だった。

それでも、間に合うかどうかは馬の脚次第――。



男爵軍は国境線近くの平野に槍列を敷いていた。


セリーヌは男爵の右斜め後方に位置する。

手綱を握る指先が震えている。


「セリーヌ様、ご無理はなさらず」

男爵を護衛する騎士から声が掛かる。


「……ええ。無理はしないわ」


兜に収まりきらぬ白銀の髪が、肩へ散った。


やがて間合いに敵兵が入った。


「弓、放て!」

男爵の号令で、矢戦がはじまる。

相手には弓兵が少ないのか、撃ち返される矢の数はわずかだった。


手傷を負った相手が少数、列を離脱していくのが見えた。


「槍構え!」

その声に、鎧の金属がこすれる音が方々で鳴る。


「来るぞ!」

最前線の槍兵が叫ぶ。

指呼の間に迫ったところで、敵重歩兵が突っ込んでくる。


長槍がぶつかりあう衝撃が響く。

どうやら戦いは優勢である。

相手は矢戦に怯んだか、動きが鈍い。


「槍兵、前へ!」


勢いに乗り、こちらの槍兵は前進を重ねていた。

このまま推移できれば追い散らせるだろう……エーベルハルト軍の誰しもが勝利を確信した。


その最中――


「敵騎兵、右よりッ!!」


草原の奥から土煙が立った。


地面が遅れて震え、蹄の衝撃が腹の底を叩いた。

金属の擦れる音が、土煙の向こうから唸りのように迫る。


鉄の塊、重騎兵。

数は五騎。しかし喧騒の中、完全な奇襲となる。

前軍が進出した間隙に突っ込んできた。


「なっ……!?」


男爵が振り向くや否や、突撃が中軍の槍列を崩す。

護衛らの槍が弾かれ、盾が転がる。


敵影は鎧や外套(マント)の装飾から察したか、男爵、そしてセリーヌに迫ろうとしていた。


馬が怯えていななき、足が乱れた。

セリーヌは父を守らんと槍を構えたが、迫る騎兵を前に身体が固まった。


「――いや……!」


声にならぬ声が漏れる。


その瞬間。


「エーベルハルト軍に助力せよーーーーッ!!」


アルノルトの大音声が響き渡った。


小勢ながら、軽騎兵が襲歩で駆け込む。

アルノルトは先頭で槍を構え、その後ろには息を合わせた八騎と一人。


「光のご加護をッ!」

アルノルトの吶喊に、騎兵らも鯨波を重ね、斜め側面から進入する重騎兵の、さらに側面を突いた。


アルノルトは槍に力を込めると、敵先頭の重騎兵へ突き立てた。

相手は男爵へ向いていたため防御が遅れる。

脇腹を貫かれ、たまらず重騎兵は落馬した。


慣性で突き抜けたアルノルトはすぐ反転し、駆け戻る途中でシロウから予備の槍を受け取る。


エーベルハルトの中軍はこの間に体勢を立て直し、残る重騎兵四騎を半包囲した。


作戦の失敗を悟った敵は鐘を鳴らして退却を開始した。

前衛の重歩兵も散り散りに去る。


深入りした重騎兵五騎のうち、二騎が血路を開いて退却、二騎が降伏し、一騎がアルノルトに討たれた。



戦は終わった。

自軍も相手も損害は想定より少なかった。


エーベルハルト男爵はアルノルトのもとへ近づくと、馬上から深く頭を下げた。


「恩に着るぞ、アルノルト。よくぞ支えてくれた」


アルノルトは馬を降り、兜の前を跳ね上げ、膝を折る。


「軍を乱すようなおこない、大変申し訳ございません、男爵さま」


淡々と、しかし誠意のこもった声。

夕陽がその横顔を赤く染めた。


セリーヌは黙ってその姿を見つめていた。


胸が高鳴る。

恐れは、誇りと憧れに溶けていった。

トゥンク…

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