婚約を解消するように言いにきたご令嬢が、お嬢様の信者になり変わっていく件
「こちらに殿下の婚約者の方がいらっしゃるのですわね!」
「な、ダルデ公爵令嬢! いくらなんでもお約束のない方をお嬢様にお繋ぎ出来ません」
「いいえ。わたくしは殿下の婚約者候補の筆頭でしたわ。直接お目見えできなければ納得できません! 社交界に顔も出さない引きこもり令嬢が!」
お嬢様の婚約者関係の方ですか。面倒ですね。従者が乱暴に扉を開けると、お嬢様が私の方を見て首を傾げました。誰でも入れる王宮の温室でのお嬢様のティータイム。邪魔されるとは、許しがたきことです。
「どなた?」
ほわりと笑って私に向かってそう言うお嬢様は、最近隣国で開発されたと言うスプリングの入った、お嬢様にぴったりの可愛らしいソファーに腰掛けています。小首を傾げて愛らしく見上げ、私はお嬢様のためにソファーを導入した英断を自画自賛いたしました。開発されたという隣国の聖女様に祈りを捧げたくなるほどに。
「いえ、お嬢様。お嬢様が言葉を交わす必要のない客人です」
私がそう言うと、お嬢様は困ったように笑っておっしゃいます。
「お客様なら、丁重にお迎えしなくてはならないわ」
ぜぇぜぇ、と淑女らしからぬ様相でお嬢様の前まで現れたダルデ公爵令嬢は、お嬢様のお姿を見て、目を丸くなさいました。
「あら、お客様? わたくしと一緒にお茶を楽しんで行かれない?」
そう言ったお嬢様がダルデ公爵令嬢に微笑むと、毒気を抜かれた様子のダルデ公爵令嬢は、案内されるがまま、お茶会の席につきました。兄以外兄弟のいないお嬢様は、年上のダルデ公爵令嬢に嬉しそうに笑いかけます。
「お初にお目にかかります。シャルフィール嬢でいらっしゃいますか? その、マライアルト公爵家の、第一王子殿下の婚約者でいらっしゃる……」
「第一王子殿下……?」
可愛らしく小首を傾げたお嬢様に、私が説明を挟みます。
「先日ご挨拶したミュリアル様です」
「あぁ!」
納得した様子のお嬢様がこくりと頷きます。
「そうですわ。わたくし、ミュリアル兄様の家族になると教えられましたわ」
お兄様がお二人に増えるの、と嬉しそうに笑うお嬢様に、ダルデ公爵令嬢が私を見て不可解な表情を浮かべました。
「……マライアルト公爵家の姫君といえば、わたくしと同じくらいのご年齢の、引きこもり令嬢ではなくて?」
「……マライアルト公爵家にはお嬢様以外姫君はおりませんよ」
笑顔を貼り付けた私を疑うような視線で見ていたダルデ公爵令嬢に、お嬢様がこてりと首を傾げて言いました。
「あら、もしかしたら、お兄様と勘違いしたかもしれませんわ! お兄様がとても愛らしいお姿でいらっしゃるのを見かけたことがございますの」
お嬢様の言葉に、私は目を見開きます。
「お、お嬢様? いつ、どこで、兄君の女装姿をご覧になったのですか?」
「女装……あのマライアルト公爵令息が……」
対外的にはその麗しい姿で貴公子扱いされているおぼっちゃまの女装と聞いて、ダルデ公爵令嬢が目を見開いていらっしゃいます。
「お兄様が歩いて門から出ていくのをお部屋から見たことがありますわ。とても愛らしかったけれど、わたくしがお兄様を見間違えるはずありませんわ」
くすくすと笑うお嬢様のお姿を見て、私は決意いたしました。おぼっちゃまが女装して情報収集に出ることを止めないと、お嬢様に悪影響が出てしまうと。
「マライア、お茶が少し……」
「まぁお嬢様。大変申し訳ございません」
お嬢様に指摘されるまで気づかないとは側近失格です。私は、お嬢様のお茶に蜂蜜をたっぷり加えます。
「その、姫君のようなご年齢の方にそのようなお茶はあまりよろしくないのではなくて?」
ダルデ公爵令嬢が心配したようにそう言いました。
「わたくしが、マライアにねだったのです。皆様のようなお茶が飲みたい、と。でも、確かにまだ早かったかもしれませんわ」
頬に手を当ててそうおっしゃるお嬢様に、私は反論します。
「こちらのお茶はお嬢様の健全な成長を妨げないように、隣国の聖女様が開発したかふぇいんれすというお茶をご用意しております。ご心配は不要ですよ」
「あのかふぇいんれすを!?」
ダルデ公爵令嬢が口に手を当てて驚きます。お嬢様にかふぇいんれすのお値段をお知らせするつもりはありません。冷たい視線を送ると、ダルデ公爵令嬢は気がついたようで口を閉ざしました。そして、決意を秘めたようにお嬢様を見つめて口を開きます。
「あの、わたくし、申し訳ございません。第一王子殿下にシャルフィール様という婚約者ができたと聞いて、取り乱してしまいました。わたくし、第一王子殿下をお慕いしていて、婚約できると思っていたものですから……」
「お慕い……?」
初めて聞く文言に首を傾げたお嬢様に私が説明をします。
「大好き、という意味ですよ」
ぱぁぁぁと顔を輝かせたお嬢様は、ダルデ公爵令嬢に向かって駆け寄って手を取りました。
「まぁ! ミュリアル兄様のことが大好きなのね! わたくしと一緒だわ! わたくし、貴女ともこんやくしたいわ!」
わくわくという顔でそんなことを言われたダルデ公爵令嬢は、目を回しながらお嬢様を見つめます。お嬢様の愛らしいお手で握られるなんてなんと羨ましい……。
「こ、婚約は男女でないとできなくて……」
そこまでいうとお嬢様が大きな目をさらに大きくして、悲しそうな表情を浮かべました。
「なら、わたくしのお姉様にはなってくださらないのね……」
目から涙がこぼれ落ちそうなお嬢様を見て、ダルデ公爵令嬢は慌てたように言いました。
「お、お姉様にはなれないけど、マーヤお姉様と呼んでくださる分には構いませんわ」
「マーヤお姉様!」
満面の笑みでダルデ公爵令嬢をお姉様と呼ぶと、ダルデ公爵令嬢がとろりと溶けた笑みを浮かべて、お嬢様の頭を撫でました。
「マーヤお姉様、わたくしのことはシャルとお呼びください! お兄様もミュリアル兄様もシャルと呼んでくださるの!」
「シャル様……」
「はい! マーヤお姉様!」
お嬢様にねだられて、お嬢様を膝の上に乗せたダルデ公爵令嬢がお嬢様にお嬢様のお好きなお話を読み聞かせていると、焦ったようにミュリアル第一王子が現れました。
「シャル! 無事か!」
ミュリアル第一王子と争うように、おぼっちゃまとご両親であられる公爵夫妻が現れました。
「あ、ミュリアル兄様、お兄様! それに、お父様とお母様まで! 今、マーヤお姉様にお本を読んでもらっているのですよ!」
それに遅れて国王夫妻とダルデ公爵が現れました。そのお姿にこてりと首を傾げたお嬢様がいいます。
「あら、国王のおじさまと王妃のおばさま? はじめましてのお方もいらっしゃるわ」
「マーヤシュワル! 何をしている!?」
ダルデ公爵が目を吊り上げてそういうと、お嬢様はその迫力にびくりと震えて目を潤ませます。
「ダルデ! シャルが怯えているではないか。シャル、おいで? 国王のおじさまだよ!」
「陛下! ここは父親の私が、シャルお父様だよ、おいで?」
お嬢様は愛らしい真っ白い髪をふるふると振って、ダルデ公爵令嬢に抱きつきます。
「マーヤお姉様……」
潤んだ目で見上げられたダルデ公爵令嬢が、ダルデ公爵に反論します。
「シャル様が怯えますわ。おやめになって、お父様」
「な! シャル、おいで? ミュリアル兄様だよ?」
「殿下。シャルは私の妹です! シャル、お兄様のところにおいで?」
ぶんぶんと首を振ったお嬢様が、ダルデ公爵令嬢にさらに抱きついて言いました。
「マーヤお姉様のこと、だれもおこらない? わたくし、マーヤお姉様にいっぱいお本を読んでもらって、お茶会をしていただいたのよ?」
胸を張ってお茶会をしたというお嬢様に、王妃様と公爵夫人がふふふ、と笑います。
「シャル、大丈夫よ。ダルデ公爵令嬢とお友達になったのね。年上のお友達ができてよかったわね?」
にこりと笑うお母様の姿に安心したように、お嬢様がたたた、とミュリアル王子の元に走ります。
「あのね、ミュリアル兄様のこと、シャルも大好きだけど、マーヤお姉様も大好きなんだって!」
「まぁ!」
顔を真っ赤にしたダルデ公爵令嬢に、ミュリアル第一王子がお嬢様の頭を撫でて、ブレスレットをつけました。
「これ、悪い人がシャルに近づかないように……」
「あ、これもしかして、マライアが前にくれたやつとお揃いかしら?」
嬉しそうに足についたアンクレットを指差すお嬢様のお姿に、淑女が足を見せることの注意を教育過程に追加することを決意しました。
ゆらりと揺れるお嬢様のイヤリングに気がついたミュリアル第一王子の視線に、お嬢様は胸を張って言いました。
「これは国王のおじさんと王妃のおばさんがくれたの!」
防御の魔法陣のついた魔術具に、ミュリアル第一王子が目を丸くします。お嬢様の指には指輪がたくさんついていて、小さな子どもらしく愛らしい姿ですが、それは全て魔術具です。
「……マーヤシュワル嬢。其方にはまけないからな」
ミュリアル第一王子から手を離して、マーヤお姉様、と引っ付くお嬢様のお姿を見て、ミュリアル第一王子がそう言いました。そのお姿を見て、ダルデ公爵令嬢はにっこりと笑います。
「あら、シャル様にお姉様と呼ばれるのはわたくしだけですもの」
相変わらずその愛らしさで人々を夢中にさせるお嬢様に、感服する思いでお嬢様のお姿を見守りました。