生きるモチベーションの話。
目標のない人生は、モチベーションを失う。
こどもの成長のために頑張って働く。
他人のために生きるというのも、またひとつのモチベーションとなる。
私の場合、いい歳こいて独身平民で、何の目標もないわけだが、母親が超絶問題ババアなので「こいつを残して先には死ねない」くらいの感覚で、現在も生きている。
こんなことをいうと、こいつ、最終的には心中とか企むんじゃね?とか思われるかもしれないが、うちの母親は「そんなことするくらいならお前だけ死ね。私は絶対に生きるで」くらいは言えちゃうひとなので、よくもまあ、親子でここまで感性の合わない人間もいるものだ、と笑ってもしまう。
とりあえず、モチベーションは大事だ。
たとえ、稼いでいようとも、貧困に喘ごうとも、虚しさは独り身を公平に蝕む。
思えば、私は昔から意欲に欠ける男だった。
学生時代も、学校に行くために、別にそこまで好きではない女の子を自分の中で好きと設定し、その子に会うために学校に行く、みたいなノリを自分で作って、なんとか通学していた。なのでクラス替えのたびに、当然のごとく好きな子も変わるという節操のなさだった。
自分でも巧いモチベーションの作り方だな、とも思っていたが、これにはひとつ欠点があった。それなりに好意があるという設定で過ごしていたので、相手の方もこちらを意識しだし、相手から告白してくるというパターンが、何度かあった(周辺も含め)。
だが、実際に付き合うとなると話が違う。
あくまでも学校に行くための「設定としての好き」であって、実際にプライベートの時間にまで、その子に食い込んできてもらいたいわけではない。私は「ひとりの時間」こそが最も重要で、学校や仕事に行くためのモチベーションとして、そういった存在が必要というだけに過ぎないのだから。
かつては存在しなかった言葉だが、近年「蛙化現象」という言葉が登場し、「俺の感情、まさにそれ!」と、もっと早くこの言葉が生まれてこなかったことを、残念にも思った。
で、こんな人間だからこそ、他人と付き合っても長続きしない。そのくせ、人当たりは悪くないから勘違いもされる。の繰り返しで現在に至る。
―― 独り身なのも、自業自得だね。
自分自身で、そう仕向けているのだから。
で、いよいよである。
そろそろ新たにモチベーションを作る方法が見当たらなくなってきた。完全に引きこもって貝になるか、永遠の眠りにでもつきたい気分だが、やはり気がかりなのは母親だ。
むしろ、この母親のおかげで私は生かされているのかもしれない、と思うと、大きなストレスによって、逆に生かされているという、よく分からない喜劇的な構図が浮かび上がる。やはりこれは度重なる蛙化の報いか、何かなのか?
これから未来を生きる若者のために、少しでも役に立つ、生きる目標みたいなものでも見つけなきゃな。生産性も未来もない、老人を生きる糧としていたら、老人よりも先に心が死んでしまう。前途ある若者の……子ども食堂とかへの寄付とか、そのへんからか?
芥川が自らくたばったのは、見えないストレスがモチベーションを超えたのが原因かな、とふと。母親へのストレスだけじゃなく、本来はモチベーションとなるはずの名声も、ストレスとしての割合の方が高くなり、許容値を超えた。そんなところか。




