四半世紀前の師範
ボウリングでプロになったAが初めて知る事実。
Aがプロボウラーになってから数年経ち、ボウリングの師範であるBが寿命を全うしかけている。Bは何とか会話可能である。
「逝く前に、Aに謝らんとあかん事がある。」
「謝らんとあかん事て何ですか?」
「許してもらえるとは思うてへんけど、このまま墓場には持っていけん。」
「両親が死んでから面倒見てくれて、ボウリングも教えてくれたお陰でプロなれたんです。どんな事でも許せるに決まってるやないですか⁈」
Aは幼少期に両親が交通事故で死亡し、その後は両親の昔からの知人であるBが親代わりとなって育て上げた。Bは元プロボウラーで、ボウリングが好きなAにボウリングを教え込んだ。
「謝らんとあかん事ていうのは…………」
Bは最後に残された力を絞り出すようにゆっくり喋り始めた。
「25年前、儂はマイボールを持って歩道橋を步いとった。その時、手滑らせて球を転がしてもうた。止まりかけたけど、下り坂に入って急降下し始めた。歩道橋から出て車道に転がり、そこに通り掛かった車は避けようとした。しかし、その車は壁に突撃して大破した。その事故が起きた歩道橋は南町の焼き鳥屋さんの手前んとこや。」
「25年前……南町焼き鳥屋さん歩道橋……それて…?」
「そや、その事故の車に乗ってたんがAの御両親なんや。ほんま、申し訳ない。残り僅かな儂を恨んでくれ。」
Aは突然の話に事実を受け止めるのに時間を有し、一瞬Bを恨んだ。不謹慎でありながらも今迄の印象のままBが死んでくれた方が良かったと思った。Bの容態が急変した。Aがナースコールを引き、医者と看護士が飛んで来た。
「もう思い残す事はない。Aの御両親の元に行ける。」
「Bさん、恨んでません。今迄有難う御座います……」
Bは息を引き取った。Aにとって大切な師範である事には変わらないので自然とこの言葉が出た。
Aは両親の眠る墓の隣にボウリング球型墓石を建て、焼き鳥屋さんで購入したローストターキーをお供えした。
感謝が憎しみを塗り替える事もある。