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指切りの船  作者: 影津
9/23

3-1

 午後七時。


 乗客の転落事故があったにもかかわらず、船は変わらぬ速度で航行を続けた。フェリーには医務室がないので、急病人が出ると港に引き返すことがあるが、そうならなかったのでイレブンは良かったと思った。しかし、不思議だったのは、飛行機と同じように船内放送で医者を呼び出すアナウンスがあるはずなのに、なかったことだ。


「医者は必要なかったのかな」


 イレブンは六階に向かいながらソラに聞いた。


「軽傷なんじゃね? あいつを引き上げたとき意識あったじゃん。大丈夫ならそれに越したことはないだろ。腹減ったー」


「そうだな」


 イレブンはまだ食欲不振気味なのでソラに合わせて嘘をついた。


 レストランが開く時間になったので、ソラといっしょに食べに行くことにした。レストランは六階アトリウムと直結している。まだほかの乗客は来ていない。ライブは八時から、六階アトリウムで開催されるので、それに合わせて食事をする予定の客もいるのだろう。


「俺たちが一番乗りみてぇだなイレブン。やべーぞ。美味そうだ」


 食事はバイキング形式で、ホテル並みの豪華さだ。


 生ハムとキウイのサラダ、スモークサーモンとオリーブのカナッペ、しらすとチーズのカナッペ、ブルーベリーとマルカルポーネのカナッペ、カクテルグラスに入ったエビのカプレーゼ。寿司、肉寿司、ローストビーフ、豚の丸焼き、手羽元の照り焼き、小籠包、酢豚、麻婆豆腐、スペアリブ茶漬け、四川チャーハン、大学芋、杏仁豆腐、ウインナーと玉ねぎの濃厚クリームポトフ、フォアグラハンバーグステーキ、魚介のフィデウア、トマトのガスパッチョ、天然鯛のリゾット、剣先イカのフリット、ガーリックバケット。バスク風チーズケーキ、ミックスベリーとチョコのアイスケーキ。


「とりあえず全部食うか」


「いくらソラでも全部は無理だろ」


「一品ずつ減ってたら俺が手をつけてた証拠になって、一番乗り感がもっと出せるかなって」


「まあ、冷めないうちに食べれるってのは、いいかもな」


「よっしゃ、俺全部取ってくる」


 ソラが盆を持ってはしゃぐので、イレブンはのんびり選ぶことにした。


 誰かがやって来た。振り返って見れば、忘れられない色黒の男がいた。


「おお、こんばんは。君はさっきの、イレブン君じゃないですか! また会えましたね。本当助かりました。命の恩人です」


 六車(ろくしゃ)本気(まじ)だ。一人で来たところを見るに、(かち)木田(きだ)はまだ復活していない。

「命の恩人だなんて。勝木田さんの具合はどうですか?」


「あいつはもう落ち着いてます。ただ、人前でやらかしたことにだいぶ傷ついてしまって。一応はあとで来るはずです。船内ビュッフェですか? すごいですね。一緒に見てもいいですか?」


「ああ、いいですよ。ソラいいよな?」


「うい」


 六車は少年のように屈託なく笑った。


「いやー、男旅はいいですね。自分、マジって呼んでもらっていいですよ。六車って、変ですよね」


本気(マジ)も変わってると思うけど。俺らよりお兄さんなんで、六車さんって呼んでいい?」


「呼び捨てで構わないですよ。六車って気軽に呼んで下さい。ところで、イレブン君とソラ君も二人旅? 二人は同じ高校ですか?」


「まあ、私立の偏差値めっちゃ低いとこっすよ」


「そんな謙らなくても。大阪ですか?」


「大阪市にある『金高高等学校』ってとこ。勉強せずにサッカーとかしてたよ。もうやめたけど」


「サッカー部ですか。いいですね。俺と勝木田は同じ『大阪長居高等学校』の普通科で水泳部でした」


「まさか、それでさっき飛び込んで助けたの?」


「まぁ、あいつも溺れるわけがないって、確信がありましたから。結果、俺もみなさんに迷惑をかけてしまいましたが」


「とっさに飛び込んだんだから、すごいことだよ」


「いや、船舶免許を持とうとしている人間は、飛び込んで助けるのが駄目なことぐらい分かってるんで。だから俺は駄目な奴です」


「船舶免許を取るの? 二級? それとも」


「特殊の方です。勝木田がすでに持ってて、俺も取りたかったんですけど。あんなことがあって」


 二級船舶免許は、エンジンつきヨットやクルーザーの操縦に必要な国家資格だ。五海里(9.26km)まで船で行くことができる。イレブンの周囲では父親とソラの父親が取得していた。


 一方、特殊とは特殊小型船舶免許の略で、いわゆる水上バイク免許・ジェット免許のことだ。


「水上バイクに乗るの?」


「乗せてもらってたっていうのが正しいですね。水上バイクは一人が免許を持っていたら、ほかの人は無免許でも同乗できるんで。ただ、五年前に事故にあって、それからは乗ってなくて」


「事故?」


 六車は急に口ごもる。心なしか、このときはじめて六車はイレブンの左手小指がないことに気づいたようだった。


「でも、俺たち泳げるんで夏は泳いで満喫してます。水泳部は勝木田に誘われて入ってみただけなんですけど、勝木田は全国大会行くぐらいの実力者で、五十メートルを二十四秒で泳ぐんですよ。あ、さっきあんなことがあったばかりなのに自慢しても駄目ですよね」


「何か特技があって羨ましいっす」


「イレブン君は何かないの? サッカーはどうしてやめたんですか?」


「サッカー部はソラにつき合って入っただけ。今、俺らどっちも学校行けてなくて」


 六車が驚いた顔をするが、それ以上は気を使ってくれたのか尋ねてこなかった。気まずくなって、イレブンは自分の本当の趣味を思い出した。


「ああ、ギターやってたんだ。これもやっぱり、今はやってないけど」


「マジですか! あ、自分の名前がマジだと、こういうとき面倒ですよね。笑ってます? 笑ってますよね」


 イレブンはこの船に乗ってからはじめてげらげら笑った。人の名前で笑うなんて不謹慎なのは、自分の名前でよく分かっているのにだ。


「俺は高校卒業した後すぐ、専門学校でボーカルの勉強をしてるんですよ。今、休学中ですけど。その、一緒に演奏したいですね」


「学校で勉強するってことは、マジなんですか?」


「マジですよ」


 それから二人でげらげら笑うと、両手の盆に料理をどっさり積んだソラも笑いに混じる。


「面白い話してんな」


「ソラさんも大阪ですか?」


「俺はイレブンの近所に住んでる。大阪市生野区なんだけど、ちょうど東大阪市との境目で、イレブンは大阪府東大阪市になるんだぜ」


「じゃあ分かりますか? 俺、『NEO日本エンターテインメントアカデミー大阪』のボーカルコースなんですよ。テレビでCMとかしてるでしょ?」


「最近テレビ見てねぇから」


 イレブンは慌てた。少年刑務所ではテレビが制限されているはずだ。ソラは一週間前に出所したばかりだから、最近のことを聞かれたら何も答えられないだろう。


「ああ、俺知ってるよ。音楽の専門学校って言ったら、やっぱりそこだよな」


 イレブンはソラをなだめるため、早く食べようと提案し、美味しそうな見た目のものをほどほどによそった。意外にも六車が一番小食なようで、皿の半分ほどしか食材が乗っていない。


「少なくないですか?」


「キッチンから視線を感じて」


 イレブンはこのときになってはじめて、異常に気づいた。静かすぎるのだ。これだけの食事を用意しているというのに、ホールスタッフが一人も見当たらない。バイキングは、スタッフも慌ただしく動いているイメージがあったが。


「気のせいですかね? まあ、いいや。席に着いて食べましょう」


 六車は両手を合わせて礼儀正しく食べ始めた。


 イレブンはスモークサーモンとオリーブのカナッペを舌に乗せる。鼻に甘さのある刺激臭がした。


「ちょっと腐ったニンジンみたいな味がするんだけど」


「気のせいじゃね?」


「ソラは何食べてんの」


「生ハムとキウイのサラダ」


 ソラの歯茎からバリバリ音がする。


「それ、本当にサラダ?」


「なんか硬いけど、美味いからいいじゃん」


 そう言ってソラは、ぺっとテーブルに何か固形物を吐き出した。木片だ。


「異物混入してんじゃ?」


「そうか? フォアグラいっしょに食う?」


 ソラの口にしたフォアグラハンバーグステーキに、昆虫の尻と足が突き出ているように見える。


「おい、ソラちょっとそれはやめた方が」


 ソラがそのまま肉を噛み切ったとき、キチン質のエビの皮が割れたときのような音がした。ソラは顔をしかめてそれをテーブルに吐き出す。ゴキブリだ。それを見た六車も無言で口から赤いスープをあんぐりと垂れ流す。トマトのガスパッチョ(冷静スープ)だったはずのそれは、血に変貌していた。


 背後で誰かが息を呑む音が聞こえた。


 勝木田が来ていた。六車が口を真っ赤にしたまま振り向く。せっかく回復した勝木田は、再会早々に失神した。


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