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午後二時。
あおいとりが太平洋に出るとスマホの電波は立たなくなった。船内のWiFiは回線が混雑して動画がまともに見られないぐらいには、使いにくい。
ソラが船内を見て回るらしいので、イレブンは追従する。イレブンは学校でもソラの腰巾着だった。
六階のショップで土産物を物色する。イレブンはソラがあおいとりのグッズを買うとは思えない。代わりに何か買おうか。悩んでいると、船は現金支払いだったか、クレジット支払いが可能なのか気になってきた。
「船って現金しか使えないんだっけ? やべぇ、今新札しかなくて。使えるかな」
「新札?」
「まぁな。え、知らない? 七月に新紙幣が発行されたばかりなんだ。俺、もらったんだ。母さんに。今日の旅行代」
「引きこもりのくせに、最先端かよ。フェリーって、クレジットも対応してなかったりするから、新紙幣も無理なんじゃね?」
ショップに同い年ぐらいの少女がやってきた。あるいは年上で二十歳ぐらいか。どちらにしろ、童顔だ。
「君たちってフェリー初心者なの?」
イレブンとソラは面食らう。いきなり高飛車に話しかけられた。
ソラも負けずにメンチを切る。
「あぁ? なんか文句あんの?」
「てか、ダサ。君たちって子供みたい」
「お前も子供だろうが」
「あたしは十九だから」
「だから成人ってか。俺らも十八……だろ? イレブン?」
「ああ、十八は成人だ」
どうしてソラが自分の年齢に自信がないのか、いまいち飲み込めなかったイレブンだが、生意気な女子をやっつけてやりたい気持ちがむくむくと膨らんできて、そんなことはどうでもよかった。
少女は丸顔で黒髪のボブヘアー。前髪を七三分けにしていて、昭和っぽい。眉毛は茶色で柔らかく垂れているが、目が大きくて力強い印象を受ける。言いたいことは全部言うと目が語っている。ムカツク大人びた雰囲気を感じた。低い鼻のくせに口が大きくキュート系に見えるのも、ムカツク要因かもしれなかった。身長は低く一五〇センチぐらいだろう。
「そもそもね、現金以外も使えるから、今どきのフェリー舐めないでよ」
どうしてそう上から目線なのかとイレブンが見下げていると、「あんた不良?」と率直に聞かれた。不良と聞かれてはいそうですと答える不良はいない。
「だとしたら余計ダサイんですけど」
少女はそそくさとあおいとりのぬいぐるみを買って行った。
「あいつも子供だな」
「違いねぇな。じゃ、俺ちょっと部屋で休むわ」
ソラには深く聞かなかった。本当は今日、無理して来てくれたのかもしれない。
イレブンはスイートルームの近くにあるスイートラウンジに向かった。自室で一人籠るのも良かったが、ここのものは無料で飲み食いができるようで、しばらく居座ってみた。人もいなかったので、快適に過ごせそうだ。二つあるソファの内、窓際寄りのソファへ座った。スイートなラウンジだけあって、テレビが二台あり、雑誌もある。
午後三時になった。イレブンは、もう一度海でも見てこようかと思ったが、ソラと離れて一人でいると、どうにも不安になる。一人で長時間海を見ていたら、あのとき海に落ちた記憶が蘇りそうで怖かった。海が怖いだけじゃない。あの日、聞こえていたはずの仲間の声が、一人ずつ消えていくあの夜の波の音が忘れられない。
薬の時間はまだ早い。消炭先生のアドバイスにより減らされた薬の量が不安だ。
ラウンジに誰か来た。――またあいつだ。
「は? 君、まさか間違ってないよね? ここって、スイートルームに泊まる人専用のラウンジなんですけど」
「俺、スイートだもん」
「うわ、最悪」
「何か問題ある?」
「君は何号室よ」
「何で教えないといけねぇの。てか、あんたこそ誰」
「あたしは……。ふん。君に言っても信じないでしょ」
「なんかすごい使命でも担ってるような言い方だな」
「馬鹿にされるからやめとくのよ」
「ふーん。まあいいや。コーヒー飲む?」
「え、淹れてくれるの?」
「セルフだし」
「もう、なんなの!」
「名前ぐらい言えよ」
「は? 君は誰なのよ」
「俺? イレブン」
「イレ? なんて? コンビニ?」
「ちげーよ。十一って書く。それで、イレブン。あんたは?」
「内仮屋澪」
「変な苗字。うん? 内仮屋? 聞いたような」
「内仮屋海運株式会社の社長令嬢よ」
「自分で令嬢とか普通言う??? てか、このフェリーの会社か」
「そうよ。だからいつもスイートルームに泊まるのよ? 君はいつもスイートルームに泊まれる?」
イレブンはまずいことに思い至った。内仮屋海運株式会社がクルーザー衝突事故の海難審判で勝訴し、ソラに損害賠償を請求した結果、払えなかったソラは少年刑務所に入れられたのだ。澪はそのことをどう思っているのだろうか。さっきソラといたときに澪はソラのことを知らない様子だったが。イレブンは緊張した面持ちで澪を見つめる。
「いや、まあ。今日はじめて乗ったけど」
「ふふふ」
優位を得たと思っているのか、澪はイレブンが腰かけているソファとは別のソファに腰かけてご満悦の様子だ。
イレブンはあくまでも見知らぬもの同士の自然な会話を心掛ける。実際、初対面ではある。
「いつもスイートに泊まるって言ってもさ、この船飽きたりしないの?」
「嫌な気持ちを思い出すこともあるけど、まあ、海は好きだから」
――おっと? まさかあのときも乗ってたとか言わないよな?
イレブンはクーラーの効いたラウンジで嫌な汗をかく。座っているソファがぐにゃりと輪郭を歪めて液体になった感じがする。慌てて踏ん張るとどんと床を蹴ってしまった。
「え? 何?」
「いや、何も。くらっときただけ」
「どこか病気なの?」
「別に」
「まぁ、あたしも船酔いはするけどね。もっとたちの悪い症状もあるけど」
「嫌な気持ちってやつか?」
イレブンは踏み込んでみた。女の子は悩みを聞かれると、自分から話したくなるものだ。
「あたしね。火が怖いの。この船は昔、乗っ取られたことがあるの。知ってる?」
「あれだろ、ぶつけられたんだろ?」
原因はこちらにあるのだが。
――しっかし、マジか。俺ら加害者と被害者が同じ船に乗ってんのか。
「え。なんの話をしてるの? あおいとりシージャック事件のことよ?」
「シージャック?」
「十年前の事件だから忘れられても無理ないよね。簡単な話、乗客が放火したの。後でただの乗客じゃなかったことが分かったけど」
あおいとり一代目の事件のことを話していたらしい。イレブンは自分の勘違いにひやりとする。自分たちの犯した罪と、無関係で少し安心したが、油断はできない。一代目のあおいとりの事件が事故などではなく、放火だったとは知らなかった。
「つまり火がトラウマなのか?」
「まぁね。今日はライブを見に来たんだけど、船内だから演出の火花は出ないかなって思って」
「そんな一瞬の火も駄目なのか」
「家のコンロとか、手持ち花火も全然駄目」
「てかさ、ライブって主催者はお前のとこの会社なの?」
「場所を貸してるだけよ」
「出演するアーティスト全然知らねぇんだけど。どれがおすすめ?」
「『autumn leaves』よ。あたし追いかけてるの。まだまだ売り出し中のアイドルだけど」
「アイドルは興味ねぇな」
「あっそ」
――そういえば、出演者の中にアイドルなんていたかな。
「あ、澪ここにいたの?」
スイートラウンジに顔を出したのは四十代ぐらいの女性だ。
イレブンは長居し過ぎたと思った。少し話しただけなのに、嫌な汗が脇の下に溜まっていた。ソファから立とうとしたが、女性がラウンジの出入口を塞いでいる。
女性は澪と同じボブヘアーだが、澪と違って茶髪だ。アイシャドウやアイライナーで目を大きくしているが、そんなことをしなくても元々目は大きい方だろう。この強く訴えかけるような目の力は澪とそっくりだ。高い鼻と大きな口は日本人では珍しく、西洋人的な美しさがある。身長も一七〇ぐらいありそうだ。黒地に青の花柄のブラウス、白のタイトなパンツ、白のハイヒールと服装は洗練された感じがする。
この女性、見覚えがある。
「お母さん。もうお風呂入ったの? じゃああたしも行こうかな。じゃあね」
まさか手を振られると思っていなかったイレブンは若干、顔を背ける。
「え、あなたは」
美しい女性の剣幕が鬼のように変わる。この表情は、嫌と言うほど海難審判でも、テレビのニュースでも見てきた。
「あおいとり衝突事故の子よね。覚王ソラって子と一緒に乗ってた」
イレブンは女性の威圧感に負け、逃げるように立ち上がる。
「あ、はい。女社長さんですよね」
「あなたがあおいとりの利用者だなんて知らなかったわ。反省してたら普通、二度とうちの船には近づかないもんじゃないの?」
「ちょっとお母さん」
澪のフォローも空しく、女性は色白の顔を真っ赤にする。
「だいたいね、あなたの父親もクルーザーを所持していたんだから、免許のない者に運転させる罪に問われるの。あなたを訴えなかったのは、あの覚王って子があなた以上に非常識でどうしようもない人間だったから」
「ソラのことを悪く言うのも分かります。でも、もう罰は受けてます」
「もっと受ければいいのよ。ふんっ」
イレブンがソラを擁護する最適な言葉を探している内に、内仮屋海運株式会社の社長は娘の澪を伴ってラウンジをあとにした。
強烈なユリの香水が香った。