対岸の二人
意識を失い、漂った深い暗闇から現実に戻ってきた彼は、ゆっくりと起き上がった。虚ろな頭で半ば機械的に窓に駆け寄った彼が、思ったことは……
「終わった……」
彼がいるこの場所は、民間企業が運営する宇宙ステーション。一緒にここに来た宇宙飛行士が地球帰還用の宇宙船に乗り込む中、彼はステーションの運用規定に従い、交代要員の到着を一人で待っていた。
しかし、予定日に向かってきたのは、地球から打ち上げられた宇宙船ではなく、巨大な隕石だった。
宇宙ステーションが隕石の軌道上になかったのは幸運と呼べるのか、彼にはそんなことを考える余裕などなかった。隕石が地球に衝突した衝撃波によって宇宙ステーション全体が激しく揺れ、彼は頭をぶつけて気絶してしまったのだ。
そして、目覚めた彼が目にしたのは、隕石の衝突により、まるで放置された水槽をかき混ぜたかのように混沌とした地球だった。地球全体が巻き上がった塵に覆われ、その衝突箇所を確認することさえできなかった。
「こ、こちら、宇宙ステーション。誰か応答を……誰か……」
彼は声が嗄れるまで呼びかけ続け、各方面にメッセージを送り、返信を待った。しかし、地上との通信は叶わず、途方に暮れた彼は、かつての美しい地球の姿を見出そうと、一向に晴れる気配のない煙に覆われた灰色の星を窓からただ眺め続けた。
【どなたか、このメッセージをご覧になられていますか?】
「あ、ああ、ああ!」
彼がそのメッセージに気づいたのは、躁鬱病患者のように絶望と楽観を三度繰り返し、表情筋すら動かす気がなくなった頃だった。
彼はモニターに映る文字を愛おしげになぞったあと、慌てて返信した。
【こちらはセラムテック社の運営する宇宙ステーションです。そちらは無事ですか? 地上の被害状況は?】
【わかりません。こちらからは何も見えません。すみません】
【ああ、大丈夫です。生きている人とやり取りできるだけで救われる気分です。それで、そちらは地下にいるのですか? どこの国の基地ですか?】
【申し訳ありません。それは申し上げることができません】
【ああ、すみません。機密情報なのですね。ただ、このまま私と会話してください。頼む。ここには私しかいないんだ】
【ええ、もちろんです。こちらもずっと一人だったので、あなたと会話できて嬉しいです】
【ありがとう、ありがとう。しかし、まさか隕石が衝突するとは。こちらは何も聞いていませんでした。事前に予測も立てられなかったのでしょうか、それとも地上の人々は私に知らせる余裕がなかったのでしょうか】
【両方だと思います。地球に衝突した隕石の大きさから考えて、打つ手もなかったかと】
【そんな、あまりに無情だ。人類がこんな終わり方を迎えるだなんて。いや、まだ終わったと決まったわけではないか。すみません。地上にはあなたもいるものな。ああ、しかし、このステーションの窓の外に広がる光景は、それはもう……。誰も、誰も生き残れないのだろうか。人類は恐竜と同じ道を辿るのか】
【隕石衝突により発生した粉塵は太陽の光を数十年単位で遮り、また、津波、地震、火山の噴火など、衝突による衝撃が二次災害を引き起こします。地球の環境が元に戻るまでには数百年、あるいはそれ以上かかるかもしれません】
【ははは、これは絶望的――
と、メッセージを打ち込もうとしたところで、彼は突然笑いだした。精神がついに限界を迎えたのだ。彼は誰にも気兼ねすることなく、いつまでも笑い続けるつもりだったが、乾いた喉ではそれもできなかった。ただ、涙だけはしばらくの間止まることはなかった。
【あなたの名前は?】
【ライザです】
【ライザ、他愛もない話がしたいんだ。友人や家族と話すような感じで。いいかな?】
【ええ、もちろん】
【ありがとう。ははは、なんだか恥ずかしいな。まあ、それはさておき。じゃあ、まずは――】
ライザとメッセージを交わすうちに、彼はどこか恋人とやり取りしているような感覚を抱いた。ライザもまた、そう演じているからなのかもしれない。彼もだんだんとそういった気持ちになってきた。
【神が創ったばかりの地球はこんな感じだったのかな。雲に覆われ、大雨が降り続け、最終的にあの青く美しい星になったのかな】
【ええ、そうね】
【見てみたかったな。不可能だけどさ】
【弱気になっちゃ駄目よ】
【ははは、違うんだよ。空気が足りなくなってきているんだ。さっきの隕石の影響でステーションが損傷してね】
【そうなの……】
【ああ、すまない。君にはできるだけ長生きしてほしい。こちらはもういいんだ。君さえ生きていればそれでいい。君のおかげでそう思えるようになったよ。ありがとう】
【私は何もしていないわ】
【いや、もう一度言わせてくれ。ありがとう。でも】
【でも?】
【たった一度でいいから、君に会いたかったな】
そのメッセージを送った直後、宇宙ステーション内の酸素供給および電力システムが停止し、ステーションは完全に沈黙した。隕石衝突の余波で被った損害から考えると、ほんの数時間でも耐えることができたのは奇跡だった。
暗闇の中で彼はこの宇宙と同化する感覚を抱き、恐怖心は徐々に薄れていった。ただ地球に帰りたい、彼女に会いたいという想いだけが胸に残り、彼の意識はゆっくりと闇に溶けていった。
それから間もなく、AI搭載の人工衛星ライザは突如軌道を変え、宇宙ステーションと衝突した。双方が崩壊し、破片が飛散する中で彼らはきっと出会えた。そうに違いない。