8
キャラバン隊長のブルーノは、砂漠地帯の王族もかくやという豪奢ないでたちだった。
光沢のある絹の羽織の縁取りには、複雑に刺繍された金糸。
指には卵ほども大きさのある緑柱石の指輪。
日焼けした肌は笑うと深い皺をつくるので、かなり年上に見えるが実際は三十手前だという。
「辺境伯様、ご無沙汰しておりました」
「ああ、遠いところをご苦労だった。先日話していた我が領の工芸品の輸出について、もう少し詰めて話したい」
「もちろんでございます。ところで、こちらの姫君は?」
ブルーノは私の首元をチラチラと見てくる。魔術宝石を身に着けていることが、すぐにわかったようだ。
「堪え性がないな、楽しみはもう少し先延ばしにしようと思っていたんだが」
「はは、高貴な方のようにお上品ぶっちゃいられません。好機を逃さないせっかちさがなきゃ商人は務まりますまい」
「紹介しよう、ロゼット嬢、こちらへ」
手招きされて進み出る私を、ブルーノはまじまじと見つめる。
「キャメリア侯爵家のロゼットと申します」
「ほうほう、あのロゼット様ですか! それはそれは……」
私はかるく小首をかしげてみせるが、アリエル様は眉間に皺を寄せた。
「ブルーノ、あまり失礼な態度を取るようなら、彼女には帰ってもらうが」
「そんな殺生な! 失敬、あまりにお美しい姫君なので、浮かれてしまったようだ。私はしがない旅商人のブルーノ。おかげさまで、まあ食うには困らない生活をさせてもらっております。ご挨拶のキスをお許しいただけますかな」
ちらりと、アリエル様の方を見ると、困ったような顔をしている。
「……許します」
手を差し出すと、かなりしっかりと手を握られて口づけされた。
「……!」
手の甲に、ぬるりとしたものが這うのを感じた。もしかして、手を舐めた……?
ブルーノはゆったりとした動作で姿勢を戻すと同時に、長い袖で手の甲をするりと撫でていった。
やっぱりこの人、わざとだ……。
私は鳥肌を立てる。
身を固くする私に、アリエル様はチラリと怪訝な目を向けた。
「もう気付いていると思うが、彼女の首にあるのは呪いを弱める魔術宝石だ」
「ほう、実物を見たのははじめてです。呪いにかかっているという方も。長く旅してきましたが、たいていそういう話は作り話や詐欺のたぐいです」
ブルーノは若干疑わしそうに私を眺める。
「状況から察するに、現在彼女の呪いはかなり強まっている状態だ。俺は呪いのたぐいには耐性があるから何ともないが、この宝石を外した状態だと、普通の者なら妙な抵抗感を覚えるだろう」
それを聞いてブルーノはケタケタと笑い出した。
「まったく、辺境伯様ときたら。上品なお顔でこれだからおもしろい。よろしいでしょう、お望みは何ですかな」
「東側諸国の政治情勢」
「ふむ、私はあくまで商売人ですから。我が一族に有利な情報をお出しするかもしれませんよ」
「むしろそうしてくれた方が助かる。誰の立場かもわからない情報などろくなものではない」
どうやらアリエル様は、ブルーノを純粋な商売相手としてではなく、貴重な他国の情報の入手先のひとつとして重宝しているようだ。
「ロゼット、頼めるか」
私は頷くと、首のチョーカーを外す。
ブルーノ様は、無表情でこちらを眺める。
「どうかな、人によっては何も感じないかもしれない」
「……あ、ああそうですね。少し遠くてわかりにくい気もしますな。もう少し姫君に近づいても?」
言いつつブルーノは、ぐっと距離を縮めてきた。
「ああ、何となく気持ちの揺れを感じます。これは、興味深い」
ちょっと、近すぎやしないだろうか。
私は半歩後ずさるが、ブルーノはさらに一歩踏み出て、
「なにか、惹きつけるようなものを感じます。これは香り、いや違うな」
ブルーノは私の二の腕をつかみ、自分の方へ引きつけようとした。
「おい、何をやっている!」
アリエル様が私の肩を後ろ側からつかんで引き戻す。
「ロゼット、早くこれを」
驚きで咄嗟に動けなくなっていた私は、アリエル様に言われてあわててチョーカーを付けなおした。
「おかしいな、ここにいるのは大商人ブルーノではなかったか? 本物なら貴婦人に無礼な振るまいをするほど無文別ではあるまい」
アリエル様の怒気に満ちた声に、ブルーノは慌てて弁解する。
「いや、いや、大変な失礼を。しかし、辺境伯様も強い呪いだとおっしゃっていたではないですか。誘惑に抗えなかったのですよ」
「そうだとしても、たちまち理性をなくす程ではない」
「そうおっしゃらずに。呪いなどなくとも、女神のごときご婦人の魅力に、世の男がどうして逆らえましょうや」
私の頭に、『せくはらおとこ』という文字が浮かぶ。
――ああ、いるよね。こういう最低な奴。
そう前世の私が囁いて、私は若干冷静になった。
代わりに隣のアリエル様がヒートアップしていた。
「君はロゼットのことをいったい何だと思っているんだ」
「いやもちろん、高貴なお生まれの方だと把握しておりますとも。しかし、辺境伯様も少し過保護ではありませんかな。市井の男どもの中では、こんな私でも紳士だともてはやされるのです。いつまでも籠の鳥では、将来お困りになるのでは?」
なるほど。ブルーノの知る噂の中では、私は罪を犯し、いずれ平民落ちする娘という認識なのだろう。
私はアリエル様が道化よろしく見せびらかしてきた、落ちぶれて取るに足りない女。
そんな女のことを、大事に扱う必要もないだろうと。