第四話
3/24 少し修正を加えました。
3/25 誤字報告を反映させて頂きました。ありがとうございました!
3/26 ちまちまと微修正しました・・・
3/30 誤字、修正しました。ありがとうございました
「あの噂のせいで、君は領主代理を降ろされるんだろ?でもあの噂は君の父上が流した嘘だ。本当にひどい人だな・・・」
アレクシスは思わず拳をぎゅっと握った。
「マクシミリアンも動いたし、それからクラビス殿下にも相談した。でも駄目だった。あれはもう覆らない」
「そうですね。これで父が交わした約束は果たせなくなりました。ですから、マクシミリアン様との婚約は辞退させていただきます」
嗚咽を何とか堪えながら、謝罪の意味を込めて丁寧にお辞儀すると、アレクシスは困ったような顔をした。
「それについてなんだが・・・君は嫌だと思うけれど、形だけでいいから、なんとか婚約を継続してもらえないだろうか?」
その思わぬ申し出に、驚いて顔を上げた。
「このままだと、君は地位も身分も奪われてしまう。でも婚約を継続してくれるなら、私もマクシミリアンも表立って支援できる。もちろん、婚約は折を見て君の瑕疵にならないように解消する。だからどうか私に、償いをする機会を与えてくれないだろうか?」
そんな望外な事を、何故申し出てくれるのか不思議に思って
「どうしてそこまでして下さるんですか?・・・」
そう問いかけるとアレクシスは、俯いて顔を赤らめた。
「あの終業式の日に初めて君の涙を見て思った。あんなに悲しそうな涙を流す人が、本当に悪い人なんだろうかと。それがどうしても気になって、調べてみて分かった。君は正しい人で、護ってあげなければいけない人だって・・・」
そしてその日のうちに、レティシアはマクシミリアン侯爵家のタウンハウスに引き取られることになった。
***
新学期が始まり、レティシアはアレクシスと共に、マクシミリアン家のタウンハウスから学園へ通った。
ミレーヌ嬢も普通に通学していたが、彼女の処分は、同級生の将来を閉ざしたくないとレティシアが願った事もあり、学園長からの訓告という軽いものに留まった。
「ハミルトン嬢は反省しているようですが、またレティシアに何か仕掛けて来ないとも限りません。だからなるべく目の届くところに置いておきたいのです」
アレクシスがそう強く願ったのをクラビス殿下が聞き入れて、レティシアは殿下たちと行動を共にするようになり、昼休憩や放課後は殿下に与えられた執務室で過ごすようになった。
ただ、新学期になって殿下の周りは慌ただしくなっていた。
“クラビス殿下をランカスト郡の臨時領主に任ずる”
兄である王太子が王位を継いだ後、殿下は王弟としてその補佐に付く。それに備えた王弟教育が本格的に始まり、王領であるランカスト郡の経営を任されたのだ。
“アレクシスの願いとはいえ、こんなに慌ただしい執務室でレティシア嬢をどう扱ったらいいものか・・・”
正直、彼女の事を持て余していたクラビス殿下は、とりあえず側近候補たちと策定したばかりの予算計画書の確認をお願いした。今後、その予算案に従って王領の経営に着手する。
“書類の分量的に、数日は潰してもらえるだろう”
彼女は部屋の隅の机に座り、見慣れぬ道具を鞄から出すとパチパチと乾いた音を立てながら何やら作業をし始めたが、数刻もしないうちに書類を手に戻って来た。
“やっぱり貴族令嬢にお願いするにはふさわしくない仕事内容だったかな”
彼女の表情が読めず、事務官に与えるような仕事を割り振られた事で機嫌を害してしまったのかと心の中で苦笑していると
「数字の確認は終わりました。いくつか計算間違いを修正させて頂きました」
返された書類をパラパラめくると、少なくない箇所に朱で修正が施されていたので驚いた。でもまだ何か言いたそうだ。頷いて促すと
「数字を確認しながら予算案を拝見しましたが、いくつか懸念事項がございます」
そう言って、殿下の手元の書類を受け取りページを手繰る。
「まずはこの農機具の整備費ですが、この予算では難しいと思います。海岸部で進められている干拓事業の影響で農機具の価格が高騰していまして・・・」
静かに話す彼女の指摘はどれも的確なもので、それを聞くクラビス殿下はじめ側近候補たちは心底驚いた。
でも考えてみれは当たり前で、彼女は現場で鍛えられた叩きあげで、しかも彼女ほどに領政の末端に至るまで目を配って来た領主など、王国中を見渡しても稀だろう。その日のうちに、レティシアは王領経営の補佐に抜擢された。
***
「では先週の進捗について報告してくれ」
アレクシスに促され、向かいのソファーに座るレティシアは報告を始める。
「はい。まず懸案だった街道整備の状況について報告します・・・」
これは二人だけの定例会議だ。
あれから二年、二人はクラビス殿下の元で、協力して殿下が任された王領の経営を補佐してきた。
それまでの経緯もあったから、当初二人は互いに距離を取ろうとした。でも卓抜した事務処理能力を持つレティシアと、現場統率に秀でたアレクシスはどうしてもペアを組まざるを得ず、そうして一緒に仕事をするうちに、やがてお互いの優秀さを深く理解するようになった。
「二人で仕事をするなら情報共有はしっかりやっておけよ。そうだな、週の初めに会議を開いたらいい。報告、連絡、相談。ホウレンソウだな」
クラビス殿下の一声で、この週初めの会議をすることになったのだ。
この二年で彼女の悪評はすっかり打ち消された。
マクシミリアン侯爵は、ファミリス伯爵が実の娘を陥れるために、有りもしない噂を広めたと暴露して盛んに非難した。これは敵対するランズドルフ派を貶めるのが目的だったのだけれど、それであの噂は信ぴょう性を一気に失った。
ちなみにこの事は王の耳にも入り、ファミリス伯爵の領地と爵位の返上は時間の問題と目されている。
でもレティシアの噂について、決定的だったのは彼女の優秀さが広く知られるようになった事だ。
「こちらが、現在のランカスト郡の財政状況です」
王弟教育の成果報告会で、財務報告書を読んだ国王陛下が驚いた表情を見せた。陛下はどんな時でも威厳を保ち、何物にも動じない事で有名だったから、居並ぶ大臣たちは驚き、そしてその報告内容を知ってまた驚いた。ランカスト郡はこの二年で目覚ましい発展を遂げていたのだ。
「この成果の立役者は、ここに居るアレクシスとレティシア嬢の二人です」
そしてクラビス殿下がそう公言した事は、あっという間に貴族たちの知る事となった。
「先週の報告は以上です」
「ありがとう。では、続いて連絡事項を」
「はい、ランカスト郡東部の湿地帯ですが、土地改良に当初想定していた以上の資材が必要になり追加発注しました・・・」
几帳面にまとめられた明細を手渡され、レティシアからの連絡を聞きながらアレクシスはいちいち頷いた。
「・・・連絡事項は以上です」
「ありがとう。今日も有意義な情報共有が出来た。ご苦労様」
アレクシスが目礼すると、その雰囲気から堅苦しさが僅かに緩んだ。それを確認すると、レティシアはソファーを立ち、アレクシスの隣に静かに座り直した。
報告、連絡の後は、こうやって並んで紅茶を飲みながら、様々な相談事を話し合うのが常になっていた。
「相談するときにはお互いの立場に歩み寄らないといけない訳だろ?そのためにはアレだな、まずは物理的な距離を縮めるのが第一歩だよ」
こんな風に隣り合って座るようになったのは、クラビス殿下にそう言われたのがきっかけだった。アレクシスは彼女が隣に座るのを一瞥し、目の前のティーカップを取って紅茶をゆっくりと口に運んだ。
「何か相談したいことはあるか?」
それから、カップを手に隣のレティシアに向けたアレクシスの表情は、端正だけれど氷のような冷たさを纏っているように見えた。でもレティシアは、それが冷たさで無いことをこの二年で知っていた。
彼は幼い頃から大人たちに囲まれて、領地や侯爵家について様々と学ばされた。だから子供である事を許されず、その為に感情を表に表すことが苦手になってしまったのだ。
それはレティシアも同じで、二人とも周りから氷に例えられたのは同じ根っこを抱えていたからだ。
「私からは特にありません」
するとアレクシスは、そうか、とつぶやくように言ってまた紅茶を啜る。でもその雰囲気がいつもと違うから、おかしいな、と思っていたら、二度三度と紅茶を啜った後
「私からはちょっと相談事がある・・・」
アレクシスが躊躇いがちに口を開いた。
「卒業まで半年を切ったな。だから、そろそろ卒業パーティーの準備をしないといけない」
「そうですね。パーティーの運営はクラビス殿下が責任者になるでしょうから、私たちも忙しくなりそうですね」
するとアレクシスが驚いたような目を向けるので、レティシアも驚いてその目を見返してしまった。
「あぁ、パーティー運営の準備もしないとな。うん、そうなんだけど、なんていうか・・・私たちも準備しないといけないだろ?卒業生なんだし・・・」
あぁ、そう言われればそうだと今更ながらに頷くと、何故かアレクシスの顔が赤くなっていて戸惑った。でもその理由はすぐに知れた。
「相談なんだが・・・卒業パーティーでは、婚約者としてあなたのエスコートをさせてもらえ・・・」
アレクシスの言葉はだんだん尻すぼんで、最後は全く聞こえなかったけれど、レティシアは顔がかぁっと熱くなるのが分かった。
「はい、喜・・・」
レティシアの声も消え入る様にか細くなって、でもアレクシスは更に顔を真っ赤にして俯いたからきっと伝わったんだろう。
「じゃあ、衣装を揃えないといけないな。これから、いろいろ相談して・・・」
やっぱり最後は何を言っているのか聞こえなかったけれど、アレクシスが彼女を見て微笑むから、レティシアも微笑んで頷いた。
誰かが今の彼らを見たら、きっと心臓が止まるほどに驚くだろう。二人のこんなにも柔らかい表情を、誰も見たことが無かったから。
唯一、クラビス殿下だけは例外だ。殿下こそ、ビックリするくらいに不器用な二人が、わだかまりを乗り越えて笑い合えるように、事ある毎におせっかいとしか言いようの無い画策を仕掛けて来たのだから。
でも彼らのそんな表情を見ても、やがて誰も驚かなくなるだろう。二人は今ではお互いを深く信頼して想い合っていて、だからそう遠くない未来では、こんな表情を当たり前のように見せ合う事になるのだろうから。
これにて完結です。お読みいただき有難うございました。
ホウレンソウは思いっきり日本語ですが、これは彼らの言語を意訳したものです。偶然、彼らの世界でも「報告・連絡・相談」は、略されて野菜の名前で呼ばれていたのでした(汗