表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪役伯爵令嬢のホウレンソウ  作者: エビマヨ
1/4

第一話

誤字報告いただきありがとうございます!

ご指摘の箇所、修正させていただきました!!

【あらすじ ”氷の悪女”→“氷の悪女”、お話し→お話】 学園の中庭に設えられたガゼボの前で侯爵令息であるアレクシスが仁王立ちしていた。その彼に男爵家令嬢であるミレーヌが、怯えたような目をしてしなだれかかっている。


 そんな彼らの前に立つレティシアはひどく憔悴して見えたけれど、その美しさは際立っていた。


 腰まで届くプラチナブロンドの髪は艶やかに煌めき、化粧っ気のない白い肌は滑らかで、長いまつげが翳を差す瞳は澄んだ翡翠の色をしていた。


 でもその顔はいつものように無表情で、せっかくの美しさは寧ろ近寄り難い雰囲気を作っていた。そのせいで、周りからは冷血で傲慢な人だと誤解され、敬遠されていた。


“きっと私は、今も氷のように冷たい顔をしているんだわ”


 それが分かっていたから、レティシアはアレクシスの凍えるように冷たい瞳だけをじっと見返していた。今ミレーヌ嬢に視線を合わせたら、きっと彼女を怖がらせてしまう。




 彼女の顔から表情が消えたのは八歳の頃。

 

 ファミリス伯爵家の一人娘であるレティシアは、王都から馬車で三日ほどの領地で、当主である母に育てられた。伯爵家は正統である母が継いだのだけれど、入婿である父はそれを面白く思わず、王都のタウンハウスで別居していた。


 だからレティシアは父を知らなかったけれど、厳しくも優しい母の元で幸せな幼年時代を過ごした。でも彼女が八歳のとき、そんな母が儚くなってしまった。


「レティシア、しばらくお家を留守にするけど良い子でいてね。ルーファスたちの言うことをちゃんと聞くのよ」


 その年の夏、ファミリス領のある王国西部が長雨に見舞われて深刻な不作となった。備えが十分だったファミリス領は盤石だったけれど、隣領では飢饉になって逃れてくる流民が溢れた。そんな彼らの救済のため、母は自ら領境の村へ出張って陣頭指揮を執ることになった。


 母はレティシアをぎゅっと抱きしめていつものようにキス攻めにすると、馬車に乗り込んで出立していき、老執事のルーファスに手を繋がれてそれを見送った。


 それから半月後、主人が不在でも穏やかだった領主館が、慌ただしく物々しい雰囲気に包まれた。


「レティシア様・・・」


 その白髪と同じくらい蒼白な顔をしたルーファスが唇をワナワナ震わせながら、レティシアの前に立って言葉を絞り出した。


「ご当主様が・・・お母様がお亡くなりになりました」


 隣領の飢饉は深刻で多くの餓死者を出していた。その躯を苗床にして疫病の種が育ち、それが持ち込まれて領境の村で死病が流行した。母は村人を救おうと奔走したが、自身も罹患して命を落としたという。


「・・・お母様のご遺体は?」


 母を亡くした実感もないまま、幼いレティシアの頭の中は真っ白で、かろうじてそれだけを問うと、ルーファスは崩れ落ちるように跪いて慟哭した。


「既に火葬されました。ご遺体が新たな疫災の源にならぬよう必ず村で焼くようにというのが、ご当主様の最期のお言葉でございました」

 

 それを聞いて、レティシアは声を上げて泣き続けた。母の姿を、その亡骸すら見ることが叶わない悲しみもあったけれど、母の最期の言葉がレティシアに向けられたもので無かったことが、何よりも切なくて悲しかった。




 母の死を受け、幼いレティシアは当主代理となった。正式に当主に就任するのは十八で成人してからだ。父は当主の座を継ぐことを辞退した。


「ダリル様はあんなにご当主の地位を望まれていたのに、どういう風の吹き回しだろう?」


「あの方のことだから、きっと良からぬことを考えてるのよ」


 母を失い笑わなくなったレティシアを気遣い、使用人たちはそれを彼女の前では話さなかったけれど、廊下や井戸端での会話は耳に入った。幼い彼女にはその意味は分からなかったけれど、やがて父の狙いを思い知ることになる。



 

 ルーファスが庭に小さな花壇を造ってくれた。はっきりと言わなかったけれど、それが母のお墓代わりなのだと分かった。疫病では沢山の人がいっぺんに亡くなるから個人の墓を作らないのが慣習で、領主であったとはいえ母の墓も、それに倣って作られなかった。


 その花壇に母が好きだった花を植えようと、苗を買うためにルーファスと久しぶりに街へ出た。


 すると人々の彼女を見る目が以前とは違っていて、冷たく、悪意を含んでいるのを幼いレティシアでも感じ取れた。


「苗はまた別の機会に買いに来ましょう。こんど種苗の商人をお屋敷に呼びます」


 ルーファスが急に屋敷へ引き返そうとしたとき、汚い身なりの男がフラフラと近づいてきた。


「おまえ、あの女領主の娘だな?」


 男が口を開くと、瘴気のような憎悪が放たれて足がすくんだ。


「あのバカ領主が隣の領民なんかを招き入れたせいで疫病が流行っちまったんだ。しかもお前は、病が根付いた村から逃げるのを禁じただろ?そのせいで沢山死んだ。うちのかかあと息子たちだって死んじまった。おまえが・・・おまえが殺したんだ!」


 そう言って男は、地べたの石を拾い上げてレティシアに投げつけた。


「お嬢様、お逃げください!お屋敷まで走って!」


 花屋は領主館の近くだったから、うかつにも護衛を連れてきていなかった。男を止めに入ったルーファスが殴り倒されるのを見て、レティシアは悲鳴を上げながら逃げ帰った。

 

 疫病は領境に留まらず、領内に拡がる勢いを見せた。だから村や町で患者が出ると、領兵が出て封鎖して住民の移動を厳しく禁止した。それでも逃げ出す者は後を絶たず、その中に病種を宿す者もいて、疫病は領内全域で蔓延した。


 業を煮やした領兵たちは、逃げ出そうとする住民を捕まえては、見せしめとして大勢を処刑した。領主である母を失い指揮系統が混乱していたから、そんな非道がまかり通ってしまったのだ。


 そして病が蔓延する町や村の封鎖も、逃げ出そうとした住民の処刑も、領主代理の名のもとに行われたから、レティシアという母を失って悲しみに暮れる幼い少女の名は、領民たちの憎悪と怨嗟の対象になった。


「あんな混乱した時期に当主などなるものではない。矢面に立ったら領民に恨まれるだけだ。それこそ、鍛冶屋の炉から熱鉄を拾い上げるようなものだ」


 後々になって、父がそう言っていたのを知った。


 その事件以来、レティシアはめったに館から出なくなり、その顔から表情が消えた。大勢の人が彼女を恨んでいると思ったら、心の内を誰にも見せられなくなってしまった。



***



 あれから六年が経った。


「下半期の収支報告書です。ご確認ください」

 

 レティシアの前にルーファスが書類の束を置くと、彼女は表情も変えずに算盤のコマを弾き数字を確認し始めた。この算盤は遠い東の国のもので、ルーファスが幼いレティシアのために買い求め、使い方を教えてくれたものだった。


「確認終わったわ。数字は合っています」


 あっという間に計算を終えて承認のサインをするレティシアに、ルーファスは慣れていたから驚かなかった。


 この六年、彼女は必死になって領地経営を学び、知識と経験を吸収した。そして十四歳になった今では、領主館から的確な指示を出しながら、当主代理として領を立派に切り盛りしていた。


「二毛作の効果は十分出ているようね」


「はい。それに綿花の栽培も順調です。来季はいよいよ、領内で木綿の生産に取り掛かります」

 

 彼女は出入りの商人たちから新しい農法の情報を仕入れ、数年前からそのいくつかを実用に移していたのだけれど、そのおかげで税収は確実に増えていて、報告書をもう一度見直すと収支は十分な黒字を保っている。


「それでも、やっぱり今季も収支ゼロね・・・」


 でも最後のページをめくり、そこでレティシアは小さくため息をついた。報告書の最後のページの最後の段に書かれている王都のタウンハウスからの支出に、黒字はすべて呑み込まれていた。


「お父様には贅沢を控えていただくよう何度も手紙を出しているんだけど・・・寧ろ浪費の度合いが進んでいるようだわ」


 ルーファスが淹れてくれた紅茶を飲みながら、今度は大きなため息をついた。


「学園にはタウンハウスから通うことになるから、時間をかけてお父様を説得してみます」


 次の春から、彼女は王都の貴族学園へ通うことになっている。だから近々、父の住むタウンハウスへ移ることになっていた。

 

「でも、くれぐれも無理をなさいませんように。赤字になっている訳ではありませんから、今の状態でも領はなんとかやっていけます」


 ルーファスが心配そうな顔を向ける。


 領に引きこもっていたから、物心ついてから父と顔を合わせたことはない。顔すら思い出せない父とは書面でやり取りするだけだ。そんな限られた交流でも、父がレティシアを快く思っていないことはありありと分かる。まさに敵地に乗り込んで父を窘める訳で、ルーファスに心配顔を向けられなくても困難なことだと分かる。


「でもタウンハウスの浪費が抑えられたら、もっと産業に投資できるでしょ?それに食料の備蓄だって今より効率的に進められるわ」


「それもそうですが・・・」


 ルーファスは小さく切り分けたプディングをレティシアの前にそっと置いた。

 

「そんなことより、お嬢様は学園を楽しんでください。領のことは私達に任せて、同年代のご学友を作り、楽しい学園生活をお過ごしになったらよろしいのです。これまで一生懸命頑張ってきたのですから」


 ルーファスはそう言ってくれるけれど、領民から石を投げつけられた記憶は、今も楔のように心に打ち込まれている。


“あのとき行われた非道のために、私やお母様は恨まれている。だから私は領に尽くさなければ。せめてお母様を悪く言う人が出ないように”


 いつも以上に顔の筋肉が強張るのを横目に、ルーファスは話を続ける。


「学園には婚約者のアレクシス様も同級生として通われるのですから、この機会に交流を深めるのがよろしいかと思います」


 レティシアが当主代理に就く際に、八歳の幼子というのは異例だったから、父は有力者たちに根回しをして、そしてアレクシスの父であるであるマクシミリアン侯爵が後ろ盾になった。その見返りに、レティシアはアレクシスの妻となり、後に彼らの子がファミリス家を継ぐという筋書きが出来上がっていた。


“私の知らないところで決まった話だけど、でも決まったからにはそれに従う。それが貴族としての正しい振る舞いだわ”


 そう達観する彼女は、アレクシスという青年と一度も顔を合わせたことがない。これまで領地経営に奔走するばかりで、年頃の女の子の暮らしとかけ離れた生き方をして来た彼女が、彼と上手く関係を築けるかとても不安だった。


「お嬢様ほどにお美しい方なら、きっと大切に扱ってくだいますよ」


 ルーファスはニッコリと微笑んだ。この老執事は、折ある毎にレティシアを美しいと褒めてくれるのだけれど、それがお世辞だと分かってはいても、今は少しだけ心が暖かくなった。彼女も正直、将来の夫となる人がどんな人物なのか、楽しみに思う気持ちがあったのだ。


 その時レティシアの表情がほんの少し緩んだ事は、きっと側で仕えてきたルーファスにしか分からなかっただろう。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ