ロリババア
高二の夏に訪れた田舎は、まったく絵に書いたような田園風景で、四方を山々に囲われて、それが柵となりこの田舎を狭めているというのに、まばらに散らばる家と家との間隔を、起伏の緩い田畑が連続し、埋め尽くすこここそが宇宙であるかのような、果てのないような空気が充満するこの夏の田舎が、私にはどうも不気味だった。不気味だったというのは、この場所に到着してからまもなく浮かんできた感想であり、あとで散歩に出かけたさいにまたしてもこの不気味を、こんどは身をもって実感することとなった。ここでは山から建物に至るまでの風景すべてが遠く向こうにあるため、私がいくら歩こうとも、風景の方は近づきも離れもせずじっと動くことがなかった。幼い頃に空港で動く歩道を逆走していたときのような、しかし夏の日差しのせいもありそれほど愉快な体験ではなかったのを覚えている。
無限の田舎を散歩してわかったのは、ここは決して宇宙などではなく、私は歩いた分だけ先へ進んでいるという事実で、気が付いたときには遠くお隣だった家の庭先にまで辿りついていた。されど飽き足らず私は暇人で、そのまたお隣、またお隣と自分の足を休めようともせずに、一度は宇宙とも思われたはずの田舎の最端、ある方角にそびえる山のふもとまで、疲れを知ることなく歩き続けていた。そしてこの木々の生い茂る山のふもとに、私は神社を見つけたのである。
熱心に手入れをする人はいないのか、この神社はボロボロだった。鳥居に掲げられた名前は汚れてしまいもう読めず、手水舎の水もとうに枯渇し葉が溢れ、神社の命綱であるはずの賽銭箱でさえすでに四角四面を保っていなかった。あんまりな神社の様子に、立ち入っただけでも引き返したくなるほどの寒気が私を襲ったが、そうともいかない理由が、壊れた賽銭箱のとなりに寝転んでいたのである。それは裸足の女の子だった。詳しい名称はわからないが和装をして、帯の結ばれた背をこちらに向け寝転ぶ女の子がいたのだ。オンボロ神社で目撃したせいもあって、熱中症かなにかで倒れこんでしまっている、あるいは死体であるといった嫌な想像が私の頭の中を巡るが、巡ってばかりの私より、当の女の子の方が行動は早く、寝たまま一々振り向くうごきもしないで私のことを呼び止めるのだった。
「おぬし、ここでなにをしておるのじゃ。地元の人間でさえ、ここへ迷い込むのは稀だというのに。こっちへ参れ。」
その声は思いのほか低く、子供である彼女が酒や煙草をのもうとも見過ごしてしまいそうなほど落ち着いた響きがした。しかしその声に幼さがまったくないかと聞かれるとそうではなく、その背丈のとおり、小柄なせいの地声の高さみたいなものはたしかにあって、私はこのとき、そこに寝転んでいるのはロリババアなのだと確信した。この時点ではまだのじゃロリであるだけかもしれなかったが、私には絶対にロリババアなのだという変な自信があった。ロリババアというのは、専ら創作でしか使われない、キャラクターのもつ属性の名称である。つまり実在の人にたいしてロリババアなのだとラベル付けを行う機会はないはずであるが、声質といい口調といい後姿といい、まったく創作で見た通りの人が目の前にいたのだから、私はこの人をロリババアと呼ぶしかあるまい。
ロリババアの言うことに従って近寄っていくと、彼女は遠目にみるよりもさらに体が小さいようだった。ロリババアは横になった体勢から起き上がり、そのまま座り直して私の顔を見上げた。その顔は見上げている状態も相まってまさに童顔といった風でかわいらしく、これは大人にいうのとは違う意味で、パーツの一つ一つがわらべの顔のものだった。しかし唯一、そのロリババアの目だけは、嘘でも子供のものとは言えない代物で、人を一瞬にして見抜くかのような細くしぼった黒目を、私の目とじっと合わせて離さなかった。そんな目を向けられた反作用か、私はいつかに読んだジロリの女を思い出した。そして目の前にいるロリババアもそうなのだろうかと、ロリババアにジロリ型を当てはめ、しかしすぐにそれは見当違いであるような気もした。どちらにせよ、高二の同い年にこのような目をする女子はおらず、また以前付き合っていた彼女もこんな目を見せたことはなく、とにかく私はなすすべがなかった。私はロリババアを知っているようで何もわからなかったのだ。
「これ、なにを突っ立っておる。わらわの隣に腰をかけぬか。」
「ああ、はい。失礼します。」
ぎこちない言動の私を、ロリババアは「そこまでかしこまらんでもよいじゃろう。」と少し笑っていた。
私が音痴なところをみせたのは単に緊張からであったが、図らずも会話の潤滑油となっていたようだ。話す内容に変わったことはなく、お互いの自己紹介をかるくしたあとは、何が好きかとか何をするのかとか、そこから広がってあれはどうだこれはダメだと会話はあまり途切れなかったように思う。
以前付き合っていた彼女がいると言ったが、その子と話すのとロリババアと話すのとでは、会話の内容はさして変わらない。違うとすればその意図で、年の近かった彼女は私のことを理解しようと、何が好きか何をするか、その何にこだわった。おなじように私も彼女のはなす何にこだわったし、そしてなによりそれが楽しかったのを覚えている。一方ロリババアはというと、ロリババアの主眼はそこにはない、日常会話を背景に、私の呼吸の周期や話すリズム、そのリズムの崩れる瞬間や元に戻る瞬間を絶えず観察していた。気のせいかもわからないが、会話をすればするほど、私はロリババアに心を許すようになっていた。あまり初対面では口にしない、失敗談や思い切った冗談をポロポロこぼしていたのは、ロリババアが私のリズムを見抜き、そのテンポに合わせに来てくれていたからかもしれない。
いや、今からすれば、本当は観察も考えもなかったのかもしれない。真に何も考えないのであれば、こちらがそれを見抜くためのとっかかりすらもなく、残されるのはただ何もないという底なしに目を向けるということのみである。その底なしを覗いて、ある人はロリババアにひれ伏し、ある人はロリババアに攻撃をしかけ、またある人はロリババアに居心地のよさを覚える。そういった術でもって私は化かされていたのだと、今になって考えが至り、そのためにこれだけの文字数を使わされたのも術中であるのだと少し悔しい思いである。
さんざんロリババアの、いわばババアの部分を語ってきたが、この日はロリっぽいかわいい一面も見ることができた。会話のある一幕をおえたところに、ロリババアが、ほれ飴をやろうといって、私に透明な袋に入ったピンクの飴玉を差し出してきた。人並みに飴が好きだった私は、ありがとうと礼をいって素直に受け取り袋を縦に破いた。そして袋から飴玉を手に取ると、なんと飴玉がまん丸な石ころへと変化してしまい、どういうこと、と驚きながらロリババアの方を向くとさっきまで私の手にあった飴玉を、今まさに自分の口へ放り投げてしまおうという仕草をしていた。飴をくれるんじゃないのか、返してよ、と私が不平を言うと、何をいっておる、飴玉ならおぬしが手に持っておるじゃろう、とロリババアは小さな指で私の方を指し示した。促されるままに自分の手を見ると確かにそこには石ころではなくさっきまでのピンクの飴玉が親指と人差し指の先につままれていた。だが次の拍子にその飴玉は私の指ごとロリババアに食いつかれてしまったので、結局私はからかわれただけで飴玉を食べることができなかった。
その日の晩は祖母の家に泊めてもらえることになっていた。帰ってから夕飯のとき、祖母と祖父にきょう出会ったロリババアのことを話してみた。とうぜん相手はお年寄りのため、ロリババアと言っては通じないのだろうし、神社で小さな女の子と会った、くらいにとどめて説明をした。すると祖母も祖父もはじめは不思議がったが、つぎにはリアルかつ現実的でないことをいった。
「この村にそんな子がいるなら、ここの老人総出でかわいがるだろうに。ねえお父さん。」
「ああ。」祖父は酒を飲んで寡黙になっていた。
夕食を終えて風呂に入り、私は火照った体を冷まそうと外へ出ていった。明かりなんてもののない田舎の夜は暗いというより闇といった感じで、センサー付きライトの照らす玄関から数メートルを離れては危険だった。また邪魔な光のないおかげで、空を見上げると星々が輝いて映った。そうだよこれが田舎だよ、私は夜の今と昼間の不気味とを比べ、安堵した。もうこの田舎から、一切の不気味は去っていったのだった。