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大陸中央の恋物語

大陸中央の恋物語【落花流水物語】

作者: あやぺん

 最近やたら転ぶので心配する両親に強めに「行きなさい」と言われて薬師所へ来て小一時間。緊急患者ではないし金持ちでも貧乏平家でもないので待たされている。

 そうして名前を呼ばれて小部屋で薬師とお話。


「効くか分かりませんが他にないので支払えるならいくつか薬を出します。出来ればご両親と一緒にまた来て下さい」


 何の病気とも言われず効くかも分からない薬とは意味不明。評判良しだしたまにお世話になっている薬師所だけど若い薬師だから外れ?

 薬は要りませんと帰宅して夜に両親と兄に話をしたら週末土曜、女学校が終わった後にもう一度行って別の薬師指名にしようと母に言われた。

 3日後、私と母は再度同じ薬師所へ行って前回の薬師とは別の人にして欲しいと頼んでまた待ち時間。

 今日はすぐに呼ばれた。頼んだのにまた同じ薬師。彼女は悲しそうな表情で「お母様と一緒ですので本日は話します」と告げて私の病気の説明をした。


「石化病? それは年寄りが掛かる病気です! 娘はまだ15歳です!」

「たまにある痺れや転ぶようになった事に関節のむず痒さや痛みにまぶたにわずかな変色。怪しいです。進行が遅い人はこのまま何年ということもありますが早いと数日、来月ということも」


 ……えっ?

 私の目の前はわりと真っ暗になった。石化病は知っている。なにせ祖父が亡くなった原因だ。

 だんだん体が動かなくなって寝たきりで食べられなくなり老衰みたいに死亡。合間は日によって痛い。呼吸が苦しくなる事もある。目が見えにくくもなる。

 体をさすったり動かなくならないように一緒に散歩したり色々した。


「は、半年⁈ 半年だなんて! 義父はなんだかんだ長生きしました!」

「若年ですとあまり良い噂を聞きません……。最近の様子からすると数日かもしれないと覚悟して下さい。若い方は急変します。運が良くて今と変わらず半年、さらに良ければ1年程度です」


 この後のことはあまり覚えていない。この病気に薬はない。国を上げて研究調査されている。私にも母にも祖父の時の知識がある。

 痛みが減りそうな薬はこれ、あれ、とその時の症状に合わせるくらい。

 自分にその薬が合っているかも大事。同じ薬でも効果的な日もあればない日もある。

 動く、さする、揉む、温める、鍼など症状緩和で誤魔化す。祖父がそうだったから知っている……。


「大丈夫よサリア。治る方法を探すから」

「お母さん」

「サリア、大丈夫だから」

「無いよ。知っているでしょう?」

「サリア」

「運がかなり良くて1年。あまりに早いと数日って……。元服は出来るかな……」


 今は夏の終わりで紅葉が舞い落ちる秋に私は成人になる。それで年末に女学校を卒業。我が家は茶道門豪家のわりと中の下という家。

 男性や夫婦部門は兄で私は女性部門を受け継いで暮らしていく。

 女学校を卒業したら祖母がしている子ども教室を引き継ぐ。そうしながら2年間くらい花嫁修行。それからお見合いをして出来ればお婿さんに来てもらう。2年後でなくてもお申し込みがあれば検討。

 それが当たり前に続く私の人生だったのに……。


(また桜を見られるのかな……)


 母と無言で家に向かいながら私は途方に暮れた。


(数日かもしれない……。あの人……。いつも楽しそうな優しい桜の君……)


 本日は土曜日で今は14時過ぎ。あの専門高等校から出てきた事のある人は今日も学校で夕方まで授業のはず。


「お母さん」

「サリア、大丈夫だからね」

「出掛けてきます」


 母に名前を呼ばれたけど走り出した。私が走れるのはいつまでだろう。

 走って、母に捕まえられたくないから路地を通って走って、走って、思い出の場所を通り過ぎて走って、人生で初めて男性の通う学校の門脇に立った。

 女学校への通学は変な男性に惚れないように町内会の大人達が順番に見張る。見張られる。このような事は本来不可能。

 ジロジロ、ジロジロ見られてとてつもなく恥ずかしいので俯いて下校者が現れないかチラチラ確認。

 カンカンカンカン! と刻を告げる鐘の音。午後4時だから死時間。それなりの家の若い女性は家に入りましょうという時刻。

 4は死の文字。死を避けて幸せになろうと願いや魔除けの為に4あわせの4とも呼ぶ。だから4番地は存在しなくて幸せ番地と書く。

 ちょっとした旅行で行くだろうと思っていた幸せ番地へ行かないで死ぬ可能性大だなんて。赤鹿乗り体験をしてみたかった。

 しばらくして生徒達が下校を開始。男子学生達にジロジロ見られて全身が熱くてならないけれど必死に彼の姿を探した。


(見なりは平家であまりで……リスみたいな……)


 桜、ひらひら、ひらりと舞い落ちる中、登校中の私は転びかけて彼に帯を持たれて助かった。

 彼は一言「危なかった」と告げた後に私を立たせてくれて何も言わずにサラッと去っていった。

 ありがとうございますとなんとか告げたら、振り返った彼はとても優しい笑顔。

 光ったような桜の花びらが彼の顔の前を横切ったのであの日から私は桜好き。

 それまでは桜茶や桜漬けが苦手だし毛虫が嫌なので嫌いだった。


(桜の君……。居ない……)


 私は庶民のお嬢さん。格上のお嬢様達と違って皆と共にゆるゆるの見張りの登下校。だから文通お申し込みされる友人もいた。

 文通お申し込みは付き添い人にするのが常識だけど私達よりも格下の身分の男性だと知らないので本人に直接の事もある。

 そのように誰かが誰かに声を掛けられたりするので私が男性とそのくらいの接触があっても不思議なことではない。ましてや人助けだ。

 だから見張られていても避けるべき身分違いの恋は始まるもので私もその1人。

 その後から登校中に彼を探すようになり見つけた。私とは住む世界の違うと分かるあまり豊かでは無さそうな身分の男性。

 いつも誰かと楽しそうに笑っていて、時々誰かを助けている。


(来た……)


 転んだ人、難癖喧嘩をふっかけられた人、迷子、歩きにくそうな年配の人。サラッと手助けしているのを何度も見た。彼の目の前で鼻緒が切れた女性が羨ましかった。

 話しかけたかったけれどはしたない行為だし見張りもいるから当然無理で今日まで来た。


(数日かもしれない……)


 名前を知りたい。ありがとうと伝えたい。いつも見ていて感心していて優しい人だと思っていましたと、せめてそのくらいは伝えてからこの世を去りたい。

 欲を言えば文通してみたい。身分差だと着物で分かるから便りが無くなればお嬢さんの気まぐれだと思ってくれるだろう。

 さらに言えば茶屋で一緒に何かを食べてみたい。いつも楽しそうなので話をしてみたい。

 話かけられなくてつかず離れず後ろをついていった。少しして彼は友人達と解散して1人になった。好機とはこのこと。


(下街の方向……。なんだろう……)


 彼は笑顔で佃煮屋の男性従業員に話しかけて手紙を受け取った。

 それからお店の奥へ入って少しして竹刀袋と剣術道具鞄らしき物を持って出てきた。下校する他の生徒達は既に持っている人も居たのになぜ佃煮屋。この佃煮屋の息子?

 そうは見えない。彼は平家男性、その中でもさほど豊かではない人に見える。勇気をふり絞って近寄ってみた。


「——つもありがとうございます。本当、あれこれ面倒。しょうもないです。実力で黙らせるならまだしも。手紙もありがとうございます」

「君には助けられたから通学中はずっとでええからな。深く尋ねる気はないけど君はどうする気なんだ? 余計なお世話かもしれないけど心配で。どこの方か知らないけどどう見ても無理だろう君達は」

「んー、まあ、ずっと待ってくれるなら。そもそも何もです。約束とか何も。お互い分かっていて少し一緒にいるだけなので。稽古があるんで失礼します」


 何の会話がサッパリ分からず。彼が歩き出したので後ろに続いてこのままでは家から遠ざかると大きく息を吸った。着物を両手でギュッと掴んで目をつむる。


「あ、あの! そちらの藍色の着物の方! すみません!」


 小さな声しか出なくて彼は私に気がつかなかった。

 彼の通う専門高等校は元服年からならお金を払って試験に受かれば身分関係なく年齢制限なく通える。

 兵官になる道の1つである学校なので強いと入りやすいところ。彼のような見なりだと成り上がりたい人。

 彼の見なりだと小、中、高等校のいずれかやどれも通えない人だから働きながらお金を貯めて独学で試験勉強をして武術系技術を磨いて入る。彼が気になるから私は勉強した。


 背は高いけどうんと高くはないし体格も平均的。優しいし雰囲気も丸いから強くなさそうなのにあの学校の生徒なのは不思議。

 あの学校の生徒は制服がないので歩いていると学生か分からない。年齢制限がない学校なので余計に。

 鞄は役人っぽいけど身なりが違うので専門高等学生さんかな、とそう見抜くしかない。

 剣術道具袋や竹刀袋を持っていてこの辺りを歩いていると「あっ、あそこの学生さん」と結びつく。

 彼はいつも鞄を持っていない。手で直接筆記帳や竹筒を持っている。剣術道具袋や竹刀袋を持っているのを見たのは夏前。だから彼が学生と分かるまで少し時間が掛かった。


(あの佃煮屋さんにいつも預けてる? しょうもないとか実力でって道具や竹刀に何かされた? 酷い。兵官になるのにそれは犯罪)


 あの学校を卒業して採用試験と下級公務員試験に受かると地区兵官か警兵になれる。それか下級公務員試験は関係のない戦場兵官。他にもそれらの兵官になる方法はある。

 下級公務員試験の独学は難しいから通う場合が多いそうだ。あとは地区兵官や警兵になる為の推薦状の取得。

 親やかなり近い親族のツテコネがないと入手出来ないからあの学校の成績などて手に入れるしかない。

 早歩きになってしまった彼を慌てて追いかけた。仕事の帰りや夕方の安売りに参加する人達で人の往来が多くなる時間。彼がどんどん遠ざかっていく。

 

「待っ……」


 足がもつれてよろめいて転ぶと思ったのでしゃがんだ。しゃがんだというよりも崩れ落ちたみたいだった。


「待って……」


 来週月曜でも間に合う?

 この足なのに間に合うだろうか。私はいつまでこの手で筆や鉛筆を持てるだろう。


「お願い……」


 来週月曜でも間に合うと信じたい……。でもまたきっと話しかけられない。今日この足で来週月曜なんてある?


(どうせ身分差だからとか、あの学校は兵官さんになるから家業的に無理……。そのような事は無視して勇気を出して文くらい渡してみたら良かった……)


 ほろり、ほろほろ、ほろりと涙が流れて落ち始めた。薬師所で放心して、母と並んで歩きながら茫然として、今悲しみが襲ってきた。

 

(来週月曜の私は歩ける? 今から歩ける? 走れたのに急にこんな……)


 一寸先は闇という言葉が脳裏に過ぎる。

 私は来年も再来年も元気でそこそこの家でも庶民は庶民だから結婚相手はこの人! と勝手に決められない。両親が許した人達とお見合いをしてその中から選んで選ばれる。

 結婚して母のように子育てをしながら兄と共に家業を守っていく。

 王都外の遠い所では戦争をしているような国で生きているから、それはうんと幸せな人生。それが私に待っていると思っていた。


「す、すみません、すみませんお嬢さん。フューネ家のお嬢さんではないでしょうか。兄上の友人の妹さんだと思いまして。クレマ・ノドスと申します」


 影が落ちたと思ったら話しかけられた。目鼻立ちがはっきりしている強面で桜の君とはわりと逆。

 ノドス家のアルマは兄の元同級生。昔も今もたまに我が家へ遊びに来る。


「た、立て、立てますか?」


 手拭いを乗せた手を差し出された。直接は触れません、という意味だ。


「帯……」

「えっ?」

「帯を持って助けていただきたいです……」

「は、はい! そうですね! 触れません!」


 そうではなくて単に思い出の帯掴みと思っただけ。思ったよりも足に力が入らなくて私はよいしょ、というように持ち上げられた。

 立てた。まだ立てる。私はまだ自力で立てた。とても安堵。


(桜の君は力持ちだったんだな……。この方はお兄さんよりも逞しく見えて桜の君の方が華奢に見えるのに……)


 クレマの顔を見上げた。照れ顔をしている。私も少し照れる。


「ありがとうございます」

「別人かもしれないと思ったのですが似ていらっしゃたので。お一人に見えますがこのような時間にどうされました?」

「……。いつ歩けなくなるか分からないので淡い恋心をほんのわずかでもお伝えしたくて……。無理でした」


 私のことを兄達経由で知っているようだけど私達は初対面。なのにこのような台詞を吐くなんてバカ。おバカさん。


「えっ? ええっ? あ、あの!」


 一度止まった涙が溢れてほろほろ、ほろりと落下していった。手拭いを両手で差し出されたので両手で受け取って顔を埋めた。


「う、うえええええん……」


 私は大人にすらなれないかもしれない。先程の足の様子だと明日歩けなくなるかも。怖い。怖い。怖い。

 しばらく泣いて「すみません、帰ります」と口にしたら遅くて危険なので送ると言ってくれた。

 泣いたのが恥ずかしくて遠慮したけど歩こうとして厳しくて彼がいないと帰れないと判明。

 やたら足に力が入らなくてよろよろするので恥ずかしくてならないけれどクレマの腕を掴ませてもらって歩くことになった。ゆっくり、ゆっくりと歩く。

 これでは夫婦くらいでないと大変破廉恥な腕組みだ。でも二度と歩けないかもしれないと思ったらおぶってもらうのは嫌だった。

 父や兄以外の男性の背中なんて恥ずかしいのもある。


「遅くてすみません。日が暮れてしまいます」

「いえ! いえあの、その、失礼ですがご病気なのでしょうか。いつ歩けなくなるか分からないと口にしましたしこのご様子なので。心配です」

「……はい。本日分かりました。石化病になってしまっていたそうです」

「い、石化病ですか⁈ ご年配の病気です!」


 夕焼け空が血の色に見えてくる。世界は地獄のようだなんて思う日が来るなんて。


「若くてもあるそうです……」


 初めて会った人に話す事ではないのについ口にしてしまった。


「本日分かりましたって……今日分かったんですか。今日分かって……それで先程のような事を。淡い……」

「はい」


 これ以上話しかけられないようので私も話しかけないことにした。


(月曜日に枝文を贈ろう……)


 両親に言う。私にはもう見張りは要らない。学校も必要ない。楽しそうに過ごす友人達とその明るい未来なんて見たくない。どうせもう通えなくなる。


(早そう。多分早い……。明日も覚悟……)


 予感がする。私の人生はもう長くなくて大好きになった桜は二度と見ることができない。


(大好き……。そうか。淡いではなくてとても慕っていたの……。話した事もないのに……)


 ミンミンミン、ミンミンと蝉がうるさくてならない。

 彼等は何年も土の中で過ごして暗い土の中から外の世界へ出てもすぐに死んでしまうという。なのでうるさいくらい許す。

 でも今は耳障りでお前も同じだと誘われているみたいで不快。今日から私は蝉嫌い。元々蝉爆弾が嫌いだ。


 ジジジジジジッ!


「ひ、ひゃあ!」


 嫌いだと思ったところに蝉爆弾!

 よろめいたらクレマの胸に体がぶつかってしまった。ほぼ同時にえいっというように彼の下駄が蝉を蹴り飛ばした。


(仕方ないけど、仕方ないけど、嫌いだけど可哀想。せっかく外の世界に出られて一緒懸命生きている。もう飛べない。あまり動けない。私はああなる……)


「大丈夫ですか?」

「あの蝉は私です。可哀想……。でも何も出来ません。私と同じ……」

「えっ? すみません!」

「すみません。つい。蝉爆弾は嫌です」

「はい」

「助けてくれてありがとうございます」

「いえ」


 蝉はぬくぬくずっと土の中で暮らし続けていたかったのではないだろうか。外の世界は危険があるしすぐに死んでしまう。


(紅葉なら庭にある紅葉の枝文……。紅葉。紅葉草子?)


 ふと気がついた。紅葉草子は身分格差が原因の悲恋の物語。ゆっくり、ゆっくりと歩きながら思い出す。


(無理だろう君達は……。桜の君と誰か……)


 その後の会話もだ。


(ずっと待ってくれるなら……。彼はあの身なりで兵官さんになろうとしている……。地区兵官と警兵は似たようなもの。地区兵官か戦場兵官……。あの身分から成り上がり……。待ってくれるなら……)


 少し一緒にいるだけ。彼は誰かといる。無理だろう君達は。ずっと待ってくれるなら。約束とか何も。お互い分かっていて少し一緒にいるだけなので。


(紅葉草子の手前? 身分差? 私みたいに誰かが桜の君を見つけた? それか逆?)


 隣の教室のあの酒屋のお嬢さん、あの方には下街恋人がいるんですって。

 下街恋人なんてはしたない。兵官学生さんらしいって。それで噂のキスまでしたって!


(……桜の君? 別人? あの兵官学校の学生さんとはたまにある話。桜の君とは別の人の事かも。あの酒屋のお嬢さん。誰……)


 恋人がいるなら枝文を贈っても受け取ってもらえないかもしれない。受け取って前向きな返事なら噂の火遊び下街男性。


(それもありかな……。長くないんだし……)


 噂のキスも知らずに死ぬならボロボロにされてみたい。優しい人だから慕ったのに二股するなんて嫌い、となるかもしれない。

 下街男性の二股と私達の二股の意識は異なる。同時に文通したらもう不誠実。それは優しくない人だ。

 でも女学生も「縁談は戦争」と同時並行したりする。男子学生でもいるらしい。そんなに親しくない同じ教室の同級生が怒っている話を耳にした。


(そうか。恋は知って死ねる。恋は知っている。噂の失恋を出来るかもしれない。噂のキスは無理かな。白無垢を着て参進の儀をしたかったな……)


 ぼんやり、ぼんやり、ゆっくり歩いて町内会の地域に入ると母が頼んだらしき私を探している人がいて声を掛けられてクレマは私のせいで迷惑を被った。

 私は慌てて兄の友人で怖い思いをして助けてもらったと説明。それでクレマに家まで送ってもらった。玄関前で母がオロオロしていて反省。

 お教室の夜部門の前だから父と兄が心当たりのある場所に私を探しに行ってくれているそうだ。母に抱きしめられて少し泣いていたら兄が帰宅。


「サリア! どこへ行っていたんだ!」


 悲しい顔で怒鳴られてまた反省。


「……。死ぬ前に初恋の君に一言……」

「は、はつ、初恋の君? 死、死ぬなんて言うな! 大丈夫だ! 俺が探すから!」


 クレマの腕掴みや母の腕の中という支えが無くなったのでまた上手く立っていられず。私はまたしても崩れるように座り込んだ。


「サリア! 大丈夫か!」

「サリア、大丈夫?」

「力があまり入りません。痛くはないです。少し痺れています」


 良かった。明日もう歩けないかもしれない。桜の君に最後に会えた。

 彼は紅葉草子に入り込んでいる疑惑。それなら失恋する。入水するのは物語だからで普通は背中を向けてお別れだ。

 地区兵官だと区民を守る治安維持の要。地区兵官達は便利屋小間使いみたいな面も持つ。

 戦場兵官だと最前線ではない戦場で少し上の立場。


(地区兵官だと良いな。きっと似合う。小さな事ばかりだけどあんなに誰かを助けている人を見たことがない……)


 私はまたしても声を上げて泣いた。ずっと待てるなら、と彼は口にしたけど苦虫を噛み潰したような顔をしていた。

 相手はきっと待てない女性。家業で婿取りとか何かある。嫁にいけかもしれない。

 すんなり地区兵官になれるなら三年間安月給の試用期間。推薦状を獲得出来なければ戦場兵官から地区兵官を目指すしかない。

 だからきっと彼は待って欲しい人。相手の家業は継げない?

 学がないとか家柄など反対されるだろう。でも地区兵官を何年も続けたら評価が変わる。

 あの身なりであの学校に入れる人達は皆努力家。だから学校を辞めて相手の家業系の奉公人になって婿入りを許されるようになるという道もある。きっと逆境を跳ね返せる人。

 でも相手女性は待てない。


 待てる。私なら家業をしながらずっと待てるのに。兄がいるから絶対に婿ではない。

 待たなくてもお嫁さんになって通って仕事が出来る。むしろ安月給の期間助けられる。

 両親が反対するなら仕事をしながら桜の君を信じて待ち続ける。私なら紅葉草子にならない。


(待てるのに……。私の体は待てない……)


「うわあああああん」


 枝文を贈っても辛くなるだけだ。私にも桜の君との未来はない。誰ともない。

 両手で軽く足を叩きながら動いてと念じてみる。走れたのに、歩けていたのに動かない。

 しゃがんでくれて私の頬を撫でていた母に縋りついた。そこに父が帰宅して目が合って号泣されてしまった。私が泣きすぎのせい。

 兄に抱き上げられて家の中へ運ばれて、まだ残っていた祖父が使っていた塗り薬を「試しに」と母が足に塗って揉んでくれた。

 夕食は喉につかえてしまったけどなんとか半分食べた。祖父の時と同じくお風呂は入った方が体が温まって良くなるかもしれないので手伝い人のタイと母に支えられて入浴。

 父と兄は緊急事態と言って今夜のお教室の夜の部を休みにした。休みにしてくれた。


(早い。思ったよりも早いかもしれない……)


 入浴効果は虚しくも無し。むしろ手が少し震えて力があまり入らなくなった。


「お兄さん、筆を持てなくなる前に皆に手紙を書きたいです……」


 兄に自室の布団へ運ばれながら両手を見つめて握ったり開いたり。祖母に父と母もついてきてくれているからこれだけで伝わるだろう。


「サリア、手がどうしたの? 手が動きにくいの?」

「そうみたいです。どんどん転ぶようになるはずです。足が上がりにくくて階段に引っ掛かるとか……。今みたいに痺れたり痛痒かったり色々ありました。毎日楽しくて気にしてなかった……」


 今朝まで元気だったのに声まで出にくい。目はまだ大丈夫みたい。

 座椅子の背もたれがあれば座れるようで安堵。筆や硯に紙を用意してもらって一人にしてもらった。困ったら呼んで、と祖父が使っていた鈴を母が置いていってくれた。

 祖母、父、母、兄、親しい友人達。書けば書くほど手の力が抜けていくし痛むし痺れる。少し迷って桜の君にも送ることにした。


(お兄さんに届けてもらおう……)


 お礼。地区兵官になったら沢山笑顔を作りそうです。少し迷って今年の春逢へりし君に恋ひにてし、と(つづ)ってみた。


(恋ひにしては余計かな。龍歌は大袈裟……。来年は来ないからこの続きは要らない……。桜は見られない……。咲いていなくても毎日桜が咲いていましたみたいに続ければ良いか。桜の君へと書いたから……)


 もう二度と桜は見られないけれど貴方のおかげで最後まで桜を見られて幸せでした。ありがとうございます。最後、は余計だ。書き直そう。


(ずっと見られていたなんて怖いかな。嫌かな……。でもいっか。もう会えないから反応を見なくて済む……。顔がこわばっているから変な顔かも。会いたくないな……)


 名前も書かなくていいや。朱色の墨も使って別の紙に少し練習してから手紙に桜の枝と花を描いてみた。

 花は1つで蕾も1つ。ずっと待つ人なら花が咲いて2輪になるけど待てない人みたいだから蕾。

 地区兵官が似合うから相手の家業を継ぐために一から出直し、みたいな事になりませんようにという願いを込めた意地悪。

 それでいてこの蕾は一緒に咲けない待てない私。

 紅葉の枝は却下。枝文にはしない。彼と出会えた桜の季節なら良かったのに。

 全ての手紙を机に並べて、自分で這って布団に行って眠ろうと思ったけれど寝たらそれきりもあるかもしれないと思って鈴を鳴らした。

 家族が全員来てくれたので「明日もあると思うけどおやすみなさいを言いたくて」と伝える。

 順番に抱きしめられている時に少し目が霞むなと思った。

 そうか。こんなに急に変化するのか。祖父はゆっくりゆっくりだったけど最後は確かに突然目がほぼ見えなくなったと言った。

 薬師が急変と言ったけどこんなに早いの。


(痛い。あちこち痛いな。お祖父さんも痛そうだった。これか。これが何年も出たり消えたりは辛かっただろうな。突然変化した後は転がり落ちるみたいに亡くなるなら私にはある意味残酷ではない病気……。これは年配の方は辛いな……)


 日に日に迫ってくる死なんて恐ろしい。良くなる日もあるから期待するのに次の日に酷かったり。その繰り返しだなんて辛い。


(代わりに心の準備ややり残した事は出来る……。ある程度長生きした後……。私は若いしやり残した事も出来ない……)


 痛みがあると告げて薬師所で購入してきた効くか分からない痛み止めを飲ませてもらった。粉の色や匂いが祖父と同じものな気がする。あまり変化ない。

 寝ようと思ったけどこれが最後の眠りかもしれないから怖くて家族で一緒に寝たいと頼んだ。なにせなんだか息がしにくい。


「そ、そんなに⁈ 息がしにくいって! い、医者だ! 医者を呼ぶから待ってろ!」

「お祖父さんと同じですお父さん……。お医者様は忙しいので無駄な時間を過ごさせてはいけません……。何も出来ません。それよりも行かないで」

「ま、待った。待ったサリア。それなら呼ぼう。近い友人達を呼ぶ」

「行かないでお兄さん。側にいて欲しいです」


 眠いな。そう思って桜の君への手紙はどこのなんという佃煮屋さんなら渡してくれそうとかあれこれ伝えてしょぼしょぼする目を擦りながら眠りについた。

 ハッとしたら目が覚めて、生きていたと思った。


(夕暮れ……。あのまま翌日のこの時間? 何日か経った? 動かないし痛い……。激痛ではなくて良かった……)


 家族は皆居た。少しぼやけているけれど分かる。ずっと居てくれたのだろうか。

 話しかけられたけれど返事があまり出来ない。掠れ声が出てくる。昨夜よりも息苦しい。


(私は大人になれないのか……)


 両親に学校終わりの友人達が来ていると言われて会うかと問われたので一目会ってありがとうだけ伝えたいと話した。

 長くないなら家族と過ごしたいから短く。本当は皆はずるいと泣き喚きそうだからだけど。

 それで短時間友人達に会って、もう喋れないという事にしてもらってありがとうは両親から伝えてもらうことにした。

 仲良し2、3人ずつが3組で3回友人達と会ってわざわざ来てくれていつ起きるか分からないのに居てくれたんだと嬉しかった。ずっと居てくれたみたい。

 そのまま黄泉の国行きではなくて起きられて良かった。


 髪を編み込んでくれて皆で買ったという鈴蘭の髪飾りも飾ってくれた。鈴蘭は幸せを祈る時の花だ。

 最後の皆が部屋から去った後に兄に「どうしてもと言うので」とクレマと2人きり。

 昨日会ってお世話になったけど何かと思ったら告白だった。

 龍歌を贈られて元服したらお見合いを申し込もうと思っていたと言ってくれた。両親同士の許可は出ていたと。


「初めて……です。噂の告白を……知れて幸せ者です」


 小さな途切れ途切れの掠れ声しか出ない。ありがとうございますと続ける。

 いきなり泣いたり病気の事を言ったり面倒くさい女性で歩くのもゆっくりで疲れさせたのにうんと優しかった。

 私はこの人と夫婦になっていたかもしれない。


「いえあの、こちらこそ、その。……照れていないでもっと早く文通……」


 お見合いの許可が出ていたから文通も出来た。簡易お見合いを早くして付き添い付きでお出掛けしていたかもしれない。

 身分差で話すのも難しそうな桜の君よりも優しい目の前にいる人を慕っていったかもしれない。


「噂の……」

「はい」

「キとスをしてから……。旅立ちたいです……。嫌でなければ……」

「……はい」


 元服祝いの振袖を祖母のものにするか母のものにするか悩んで両方試しに着てみた事がある。

 白無垢は無理だった。だから死装束は少し白無垢風にして欲しいと頼んである。参進の儀は無理。

 噂の恋をして、噂の恋をされて、噂のキスをして、もう心残りはないな……。

 死にたくないと心の中で叫び続けるけど悔いはない。あとは家族にずっと側にいてもらう。

 少しクレマと手を握り合って家族と再会したら胸が痛くて苦しくなった。祖父みたいに静かに終わらないの……。


「旦那様、お嬢様に贈り物です」


 耳が少し遠いけど聞こえた。


「知らない方でその、身なりもと思ったのですが返事ですと申されたので預かりました。言われた通り会いませんと」


 身分で返事?

 手伝い人タイの姿はぼやけている。桃色が沢山。


「サリア、サリア平気? 聞こえる?」


 首を縦になんとか動かした。痛いのに胸を掻きむしる事すら出来ないなんて。


「手紙よ」


 白と黒は見えるけど手が動かないし読めない。母に見えない、となんとか伝えた。


「貴女が言った桜の君みたい。桜よりって書いてある。ありがとうございます。探したけれど無くて、でも調べたら秋にも桜があったと分かって秋にも桜が咲いていましたって。秋桜(こすもす)よ。秋桜が沢山。見える?」


 言われてみればこすもすは秋の桜。桃色が沢山としか見えない。

 兄は私に一目会わせてあげたいからそういう風に告げて手紙を預けると言ったけど、優しい人はきっと人が亡くなるのは悲しむ。

 私はあのいつも楽しそうな笑顔が好きだった。誰かを助けた後の笑顔もそう。だからやめてと言った。

 彼からみてかわゆいかも分からないから自分なりにうんと綺麗にした姿しか見られたくない。それはもう出来ない。

 だからお見舞いに来てくれそうな事は言わないで欲しいと頼んだ。返事も要らない。なのに兄は何か言ってくれたみたい。

 桜の君はあの笑顔通り、誰かを時々助けてくれていた通り、素敵な人みたい。母が聞かせてくれた手紙の内容もとても優しかった。

 どうか彼が幸せになりますように。いや、きっと幸せになる。


 桃色が綺麗。秋なのに桜の中で終われるとは果報者。

 ひらり、ひらひら、ひらりと桜舞う。昨日は絶望してこの世は地獄だなんて思ったのに綺麗な景色。

 桜、桜、見渡す限り桜という春の定番曲、文学万年桜の桜吹雪(おうふぶき)の調べが聞こえてきた気がした。

 最後の最後まで幸せだったけど私の短い人生とはなんだったのだろうか。何も為していないし何も残していない。

 私の意識は遠のいていった。



——約10年後——



 何を見ているんですか? と問いかけられて素直に手紙を見せた。

 年月が過ぎて紙は色褪せてしまったけれど文字も絵もまだまだ見える。

 彼女に見せるつもりはなくて、また秋が来るなとぼんやりしていた。


「まあ、素敵な桜の絵です。つまり古い恋文ですね」

「人伝で渡されたんですが亡くなりそうだから一言で構わないので返事をと頼まれました。頭を下げられて会いたくないし返事は要らないと言われたけど妹の為にどうしても返事はって」

「私が読んで良いのですか?」

「ええ。ほら、妬いた初恋話と繋がっているので」

「……えっ⁈ その方は亡くなられたのですか⁈」

「いえ、別の方です。それでここ」


 地区兵官、というところを指で示した。


「相手も自分の家族も両取りなら戦場兵官で一気に成り上がりもありかなと。でもあちこちで期待されているのは地区兵官。戦場兵官経由もありかと悩んでいたけど背中を押されました。元々背中を向けるつもりでしたけどこれでもう完全に決裂です」

「こちらの文はお別れのきっかけかつ地区兵官への決定打ですか」

「ええ。胸に響きました。桜の君だなんて……。守る為に傷つけるのは同じでも雑用係は地区兵官だけの仕事です。転んで助けたとか、そういうの。面と向かってこう評価されたのは初でした。だから春と命日近くの秋にお線香を上げさせてもらっています。今度一緒に行ってくれませんか?」

「困りました。我が家が助けられた事や祝言出来たお礼をしたいですが妬かれそうです」

「優しい人だから悲しむので病気だとか死に際だと言わないで欲しいと言ってくれたそうです。そういう優しい女性は怒りません。どうしてもお線香を上げて欲しいと頼まれて行って、返事を送った日に亡くなったと聞きました。それから拒否されないので行っています」

 

 探したけれど秋に桜なんてなくて、どうしたものかと考えたけど当時の学のなさだと分からなくて、賢そうな人に聞いたら秋桜と言われた。

 これは妻に言えないけれど贈った秋桜を受け取った時に彼女は「元気な私ならずっと待てるのに……」と口にしてくれたそうだ。

 彼女の家族になんの話だと問われたけれど言いたくないから言わなかった。

 手紙は直接受け渡しはほとんどしていないし、人目につくところで逢瀬を重ねた事はないし事情を彼女が知りそうな誰かどころか家族や友人に語った事もない。

 彼女はどこで何を聞いたのだろうと思ったけど、この手紙を仲介した佃煮屋の友人が少し勘づいていたからそれかもしれない。


 ずっと待てる。


 あの時欲しかった言葉はかなり胸に響いた。どうせ何年も結婚なんて無理な生活だから、成り上がって目標の人生が訪れるその日までこの優しい女性を恋人と思って過ごすのもありだなと。

 なにせ待ってくれると言ってくれた。自分の進みたい道を応援してくれた。

 お互いに譲れなくて捨てた小さな小さな小さな悲恋の相手よりも余程嫉妬されそうなのでこれは妻に見抜かれるまで言わない。

 でも勘が良いからそのうち気がつきそうなので先回り。変に勘ぐられるよりも良い。

 顔も声も知らない触れた事もない優しい恋人。俺は初の恋人は誰かと妻に問われたらこの秋桜の君だと言う。


「届けたお返事は読めたのでしょうか? 読めていたら良いです」

「目が悪くてもう読めなくて、家族が代わりに読んでくれたそうです」

「まあ。それなら絵か何かは見られなかったのでしょうか」

「俺が絵を描いたと思うんですね」

「ええ。この素敵な絵に何か返すかと」

「描けないので代わりに秋桜をなるべく集めて届けました」

「では秋桜の君ですね。こちらの方は。そうですか。紅葉はやめて秋桜を飾りましょう。探してきます。秋桜は優しくて美しい方。花言葉はそうらしいです」

「一緒に散歩して探しましょうか。探して欲しいです」


 季節は秋。大陸煌国には四季があるので王都内の場所によっては見渡す限り紅葉。けれどもふと目につくのは秋桜。秋以外にも見かける。

 知らないうちに見つけてもらって苦しい時に気持ちを救ってくれた。秋なのに白い紙の上に美しい桜。

 桜の君というのもあって、元々好きでも嫌いでもなかったけれど桜を好むようになった。

 妻と初めて会った日に彼女が着ていたのは桜柄の着物。桜がひらひら舞う季節に出会った。


 妻が口にする命や生活はどこまでも繋がっていて始まりも終わりも存在しないとはこういう事もだと思う——……。

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[気になる点] なし。 [一言] 涙が。。。
[良い点] こうくるかって感じで号泣しました…(ノω・、) 声も届かない、足まで、そして自分ならって思うのにどうにもならないって辛すぎました サリアが一番可哀想なんだけど当て馬みたいになってしまった上…
[一言] メタくそ泣きました(T^T) 初恋の話かと思ったら違くてそうだった。 関わり薄い話だなと思って流し読みして、そんなことないなと思ってガッツリ読み直して結果大号泣。 こういうお話も素敵に書…
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