待ちぼうけ~300年待った狐は今日も問う~
『お、置いてかないって…言ったのに、なんで…?』
グスグスと涙に濡れた瞳であの人を見る。
ピキピキと音を立てて光が弾ける。
それは私と彼を繋いでいた楔。
私と彼を繋ぐ、大切な鎖。
『ごめ、ん』
血だらけになって、ボロボロの彼はいつもと同じ優しい笑みを浮かべて私の頬を撫でる。
大きくて、いつもは暖かい筈のその手に必死に縋り付くも、彼はただ笑って謝るだけだった。
『やだっ!お願いっ!わ、私も一緒に…!』
『…すまな、い』
『なんで…やだ、1人はやだよ…』
『大丈夫、だからーー…』
手を伸ばすもそれは空を切るだけで届くことは無い。
パキン…!
その瞬間一際大きな光が弾けて、私は…。
◆◆
陽の光が瞼を照らす眩しさに目を覚ました。
「…また、か」
深い溜め息をひとつ零す。
今日は、彼の命日だ。
だからだろう…あの時の夢を見た。
あの時幼くてひ弱な私はいつも彼の陰に隠れていた。
いつも彼に守られていた。
彼が死んでからずっと、夢を見る。
弱くて愚かな私と、優しくて暖かい彼との最後の時を繰り返し繰り返し…忘れてはいけないと、脳に刻み込むように。
何度手を伸ばそうと、何度叫び泣いても、彼には届かない。
辛くて、悲しい夢を。
彼が死んでから、300年目がたった。
私はすっかり大人になっていて、あの時のひ弱な守られるだけの存在だった私はもうどこにもいない。
今ではもう、私に勝てるものも少ない程強くなった。
1人、強くなってしまった。
サクサクと音が鳴る。
私は1人森の中を歩いていた。
辺りは薄らと霧がかかり、耳が痛くなるような静寂に包まれている。神聖な気に満ちたこの先で彼は眠っている。
「…お久しぶりです」
森が開けた先、ポッカリと空いたその場には何も無い。
ただ草が生い茂っているだけの寂しいそこが彼の墓だ。
彼が最後に眠りに落ちた場所だ。
ゆっくりと中心部に向かう。
彼の好きだった酒とツマミを置いて、その場に座る。
彼がいた時は飲めなかったその酒を盃に注ぎ誰もいない正面に置いた。
「…今日で300年。時が経つのは早いものですね」
お気に入りのグラスに注いだ酒をグイッと煽りポツリと言葉がこぼれ落ちた。
「私は、貴方のせいで今日も一人ぼっちです…私は、何時まで待てばいいのですか?いつまで…生きればいいですか?」
答えは返ってはこない。
唯一、その答えを知る者は最後勝手な願いを押し付けて死んでしまったから。
300年前、彼は陰陽師をやっていた。
私のような妖を殺す、言わば天敵の彼は酷く変わり者だった
陰陽師としての力は充分あった癖に妖を殺すことはなく、寧ろ怪我をした妖の怪我を治し行き場をなくした者達を己の式として居場所を与えた。
彼は己の式を戦う道具としてでは無く守るものとして置いたのだ。
式とは、陰陽師の盾であり矛であるはずなのに。
彼は彼自身が盾と矛となり我らを守った。
その行いが必ずしも妖達に良いものとして映る訳では無いのに。同業の陰陽師達に殺されると分かっていたくせに。
彼は、そんなことは微塵も気にせず。
ただ穏やかに笑っていた。
馬鹿だと思った。
阿呆だと、何度も言った。
だが、その言葉を聞いても彼は困ったように笑うだけでどんなに止めろと言っても聞くことは無かった。
そんな彼の事が、私は好きだった。
仲間の式達もそんな彼の事を慕っていた。
馬鹿で阿呆だが、優しくて暖かい彼の事を…。
だが、彼は死んだ。
殺されてしまった。
同業の、彼の幼馴染だった男に。
異端だと、裏切り元だと言って。
彼をズタズタに引き裂いて殺した。
彼は殺される前にと、式の全てを解放した。
逃げろと言って。
生きろと言った。
だがそんな言葉を聞く者は一人もおらず、仲間はみな彼を守ろうとして殺された。
その中でも1番ひ弱で幼い私は彼の腕の中で最後まで守られて生き残ってしまった。
仲間と共に戦う事もできず、
大好きな人に、とっても大切な人にただただ守られて…
無力で愚かな私は1人生き残ってしまった。
死のうと思った。
死にたいと思った。
けれど、彼の最後の望みを叶える為にそれは出来なかった。
1人は嫌だと泣いた私に彼は最後、笑って私に言った。
『大丈夫、だから…君は生きて。生きて、待ってて』
生きろと言われた。
生きて、待っていてくれと…。
彼のその言葉は私を縛り付ける。
それは、呪いのように私を蝕んでいる。
馬鹿で阿呆な、優しくて愚かな彼の最後の言葉。
大好きな貴方の言葉を、私は忘れない。
忘れられない。
生きろと言われた。
だから苦しくても悲しくても生きてきた。
待ってろと言われた。
だから待っている。
雨の日も
風の日も
暑い日も
寒い日も
ずっとずっと、待っている。
だが…いつまで?
いつまで私は1人、ここにいればいい?
彼も仲間もいないこの場で、この世界で取り残された私は今日も一人ぼっち…
こんな私の事を彼はどう思っていたのだろう?
どう思うのだろう?
「ねぇ、私はここまで1人で生きましたよ」
「私は…いつまで生きればいいのですか?」
「私は…いつまで待てばいいのです…?」
今日も、答えは返ってこない。
ふと、一陣の風が吹き抜けた。
空を見上げれば雲ひとつない晴れ空が拡がっている。
私は1人、それを見いげていた。
彼はいない。
彼が死んで300年。
私はこの場所でずっと彼を待ち続けている。