プロローグ
「……最低」
立花柊季が初めて頬をぶたれたのは、春風香る高校の入学式だった。
中高一貫で進学し、今年高校一年となった柊季には彼女がいる。
その関係は一ヶ月程前の卒業式から続いているが、決して釣り合いの取れた二人ではなかった。
柊季の彼女――大森桜は何に置いても完璧で、それでいて美しい。
ふわふわと風に靡く黒髪のロングヘアーは見る者を魅了し、降りたての雪のように白い肌は穢れを知らない滑らかさ。高い鼻梁と弾力のある桃色の唇を備え、長い睫毛は大きな瞳を一層際立てている。
学校を同じくすれば彼女を知らない者はおらず、その噂は輪をかけて多方面にまで流れている程。
だが噂はあながち間違ってはおらず、テストでは常に上位、どのスポーツでも彼女を差し置いて右に出る者はいない。周りに振り撒く笑顔も一級品だ。
快活で面倒見の良い性格も魅力の一つだが、唯一欠点があるとしたら柊季を彼氏に持った所だろう。
平凡で取り柄の一つもない、そこら辺に転がる石ころ程度の柊季とはあまりに対照的で、二人の関係は嘘だったと言われればすんなり受け入れられてしまいそうな程だ。
しかも、告白は桜の方から。
柊季だって、この現状を夢だと言い聞かせてしまう程だ。
なので、入学式の終わりに桜を屋上へ呼び出し、問いただした。
「どうして俺なんかを選んだのさ」
一ヶ月間、聞くに聞けなかった事柄だ。
勇気がわかず、無意識のうちに押し沈めていた。
「どうして、かぁ」
茜色の空を背後に、彼女は指を口元に考える素振りを見せる。
「だ、だっておかしいだろ。桜みたいに完璧で女神様みたいな女の子が、平凡でなんの取り柄もない俺を選んでくれるなんて。しかも、会話もあまりしたことなかったのに」
一ヶ月間秘めていた思いが、決壊したダムのように一気に溢れる。身ぶり手振りで言葉を連ねる柊季の様子を桜はなにも言わず見つめていた。
「それに、その……キスとかしたことないし、いや手を繋ぐくらいはあるけど……」
「もしかして、私と付き合うの……嫌だった?」
たじろぐ柊季に畳み掛けるように、桜は続ける。
「今までずっと、そんなこと考えてたの……?」
「あ、いや、少し……」
つかつかと距離を詰める桜。逆光と前髪で表情はわからないが、唇は縫い付けられたように固く結ばれている。
「……最低」
ノーモーションから繰り出された平手打ちは綺麗に弧を描き、柊季の左頬を赤く腫らした。
そのまま踵を返し、屋上の戸を開いた桜は目尻に雫を浮かべて振り返った。
「……本当に、好きだったのに」
最後に溢した言葉は柊季の耳に届くことなく、風と共に消えていった。