江戸、火事、落命
第三十話 ある日の思い出
__________
「……剣一、初夏は知っているか?」
町の喧騒から少し離れたお屋敷の一室。
座布団に座っている彼は片眼鏡を拭いて話した。
オレはその時、その優雅な彼の方向を見た。……あの時の目に飛び込んできた太陽の光は今でも覚えている。
「陰暦の四月くらいのことだろ?」
「そうだけど……剣一、昔の話ではなく、今の話をしなさい。何度も言っているでしょう」
「……しょうがないじゃん。古い文献ばっか読ませた面狐が悪いよ」
「ふふ……それもそうだな」
面狐、という名前は本名ではない。
だが、初めて出会ったときからこの呼び名だ。これは面狐にお願いされたことだ。
面狐は結構なお金持ちで、医師をやっている。しかし、稼いだお金はオレの服代、治療費、食費などに使ってくれている。
……赤の他人だったのに。
「……剣一、その服は気に入っているか?」
「いきなり何だよ。……まぁ、薄緑は嫌いじゃないけど」
「そうか」
面狐は、どこから仕入れてきたのかわからない物をたくさん持っている。あの片眼鏡だってそうだ。かけている人は見たことない。
「面狐は?面狐はいつもその羽織と着物じゃないか」
「これは医師の服装だ。いつでも出られるように、ね」
「ふぅん。……あ、今日は用事があるから遅くなるよ」
「そう。あまり遅くならないように。人斬りに出会っちゃうよ」
「……それ、誰に向かって言ってるんだよ。皮肉ならここで斬ったっていいんだからな」
オレは面狐に刀を向けた。……そうだ。何とだって言うが良い。オレは面狐に出会うまで人を斬って生計を立てていたんだからな。
「おやおや……剣一には愚問だったみたいだね」
「……面狐を斬るわけないじゃん。ばか」
呟きながら刀を収める。
「ん?何か言ったかい?」
「何も言ってない!行ってきます!!」
「ふふふ、行ってらっしゃい」
縁側に座っていた面狐は少しだけこちらを向く。右目を隠し、左目に片眼鏡をかけており、エボニーカラーの髪を後ろで括っている。なんとも異質な医師だった。
____城下町____
「……面狐に新しい服、買ってあげるために言ったのに……」
オレは城下町を歩きながらブツブツと呟いていた。もうすぐ夕方だ。早く買って帰らなければ。
「……お金がない。誰か……斬ろう」
オレは家が並んでいる道に進んだ。
すぐに人を斬りたがる癖はどうしても治せない。
「……あ」
異様な煙の臭いが鼻についた。
____火事だ。
まだボヤ程度だが、このままいけばこの辺一帯は火の海になるだろう。
どうしてここに来るまでに煙の臭いがわからなかったのかって?この辺は餅屋や花火師など、火を使うところが多いらしく、混じってしまった可能性が高い。
十五人前後の人が集まっている。どうせどちらかの店の人が火を消し忘れたのだろう。
と、彼らの話の中に「かわいそうに、まだ主人が残っているのに……」と聞こえてきた。
「……助けるべき、か」
人を斬っても、財産がなければ意味がない。ここは人助けするしかないか。
面狐がいつも言ってた。自分より他人だと。この話を手土産にしたら喜んでくれるかな?
オレは人々を掻き分け、火が出た建物の前に立った。
「お前は、巷で噂の人斬り!?」
「うるせぇ、どけ!」
オレは鞘に収めたままの刀で騒ぐ輩を突き飛ばした。彼は尻餅をつき、悲鳴を上げてどこかに去っていった。
「……くそ、観客……じゃなかった、証人がいなけりゃ話にならねぇじゃねぇか」
オレは舌打ちをしたあと、建物の扉を開けた。まだ煙は完全に充満していないようだ。
「吸うのは得策じゃない。さっさと探さないと」
ちら、と右を見る。下駄が置いてあった。煤けているのでところどころが黒い。恐らく花火師の家だろう。
しかし、それが真実ではない可能性がある。江戸の火事とは、ただの片付け忘れの他に、人間関係の縺れで恨みを買った人の家に放火されるということも多々ある。それが火事と喧嘩は江戸の華といわれるものだった。そうなるほどに江戸は繁栄しており、栄華の象徴であるということだろう。
「げほげほっ!これは……粉?うどん屋だったのか?」
突然、小麦粉のようなものが喉に入り、思わずむせた。
とりあえずその主人を探さねば。
たとえボヤでも江戸の建物はすぐに燃えやすく、油断できない。
「おーい!どこにいるんだよ!?」
建物の奥の方に向かって声をかける。だが、声が聞こえることはなかった。
「本当はいないんじゃねぇの?」
そう言って振り返ったときだった。
石の床に、二つの火打ち石が落ちてきた。
____嫌な予感がする。
瞬時に火花が飛び散り、部屋を舞っている粉から粉へと飛び火した。
……粉塵爆発だった。
「うわっ!!」
熱い。息を吸うと喉が焼ける。
こんな狭いところでこんなことやるか、普通。……それに、オレの善意を逆手に取って嵌めるなんて。あの群衆の中に奉行がいたこと、気づいてさえすれば。
後悔してももう遅い。
意識も、命も、一瞬で吹き飛んだ。
「……かわいそうに、まだ____が残っているのに……」
さっきの女の声が聞こえる。
だが、視界は暗いままだ。
……では、なぜ?
「……魔除けはしていないようだな」
もしもここが地獄なら、その地獄の奥底から聞こえてくるような声がした。
「……」
「あーあ、喉焼けてやがる。……仕方ない、今回だけだぞ」
暗闇の中から、細く、白く、爪が長く黒い、ゴツゴツした手がヌッと出てきた。キリストではないが、まるで悪魔のようだ。
視界は暗く、赤いはずなのにそれだけは鮮やかな白だったのだ。
「……吸って……吐いて……」
……何だこの動作は。どうして変な奴にこんな普通の動作を求められないといけないのか。というか喉が痛い、痛すぎる。
「あとは頑張ってくれ」
____しかも見捨てられた!!!
そいつが離れた途端、布のようなものが剥がされた気がした。あいつが何だったのかはわからない。だが、嫌悪感は拭えなかった。
「……何だったんだ……それに、どうして煙の臭いなんて出てたんだ?まさか……」
軋む体を無理矢理動かし、立ち上がる。
足元がフラつくが、なんとか歩ける。
……あの群衆どもに話を聞かねば。
オレはほぼ廃墟になった家の壁を伝って足を引きずり、歩き出した。
玄関近くまで来てみる。
すると、話し声が聞こえてきた。
「……あの人斬りはこれでもう始末できただろう。皆、協力感謝する」
「いえいえ。私たちもあの人斬り……強盗殺人犯には手を焼いていたので……それに、もう怯えないで生きていけるだけで十分です」
……そういう計画だったのか。
さっき聞こえたのは、自然な爆発だと周りの人に思わせるための芝居だったのか。
まぁ、この家は焼けたから持ってくものなんて無くなったが……。
「でもあいつが死んでくれて清々したな!」
「……誰が死んだって?」
扉に背を向けた誰かが笑って言ったところでそいつの肩を叩く。残っていた七、八人は目を見開き、蜘蛛の子を散らすようにどこかに行ってしまった。……一人、奉行だけを残して。
「お、お前……どうして生きているんだ?」
「それはオレが聞きたいよ。あと……どうして火事の臭いなんて撒き散らした?」
オレは胸ぐらを掴む。オレより背が高いので、こうしか出来なかったのだ。
「し、知らねぇよ!こっちはただ粉を撒き散らしただけだ!」
「……それは本当か?」
「あぁ、本当だ!」
そう言って彼は腕を振り払って行ってしまった。
「……まさか、な……」
……まさかあれが死を運ぶ神……死神だなんて、この時はまだ思いもしなかった。
どうも、グラニュー糖*です!
現在、「怪奇討伐部完結直前・pixivと同じところまで進める祭り」を開催しております!
こっちでは表紙を載せられないことが本当に残念ですが、楽しんでいただけると幸いです。
本当はイラストを見て読むほうが良いんですけどね!
なお、pixivからそのままドンしてるのでルビやら何やかんやがpixivのコマンドのままになっている場合があります。それを見つけた際はお手数ですがお知らせしていただくととても嬉しいです。もちろんコメントなどもお待ちしております!
ではでは〜




