始まる異世界生活⑦
カサカサ………カサ………
ひょっこりと、愛らしいトカゲが草むらから顔を出した。
トカゲはダックスフンドくらいの大きさで、オレンジ色の鱗と黄色い縞模様が入っている。くりくりとした大きな黒目が特徴的だ。
「キョウヤさん! そいつです! それがオオトカゲの子供!」
「なにぃ⁉」
俺は腰の剣の手をかける。
瞬間、トカゲは俺たちの殺気に気づいたのかサッと草むらに駆けていった。
「まぁてええええ」
俺はトカゲの後を追う。後ろにハルが付いてくるのを確認して森の奥へ。
トカゲはすばしっこくてなかなか追いつけない。切りかかろうとする度にクイッと方向転換する。
俺はイライラして追いかけるのをやめ、近くに落ちていた石を拾ってトカゲを狙う。石を持つ手に十分にためをつけて。
「俺の集中力、なめんなあ!」
俺は縦横無尽に動き回るトカゲに石を投げつけた。
トカゲの足の筋肉をよく観察して、これから右に動くことを予測。投げられた石は寸分違わずトカゲに命中した。
しかし、俺のか弱い筋肉から放たれた石は、なんの殺傷能力も持っているわけがなく。
キキ……キィイイイイィィィ――
トカゲは石に激昂して俺に反撃してきた!
「ひゃああああ……い、いた! いたたたたっ」
トカゲは俺の足をガブガブとかじっている。靴のおかげで牙は刺さっていないが、いたい、痛い、地味に痛い。
まるでエンドレスで足の小指を角にぶつけ続けているような……
「くっ、こいつ!」
俺はついに腰の剣を引き抜く。
初めてこの剣の全貌を見た。鞘や柄と同じく真っ黒い刀身。刃部は小さな光が瞬いている。時おり尾を引く光が流れては消えていく。まるで夜空を切り出して鍛え上げたようだ。
なんか聖剣より魔剣じゃね? でもかっこいいからよし!
てかそれどこじゃない、いたたたた。
俺は剣を振りかぶり。
「おっも!」
鞘から剣を抜いた瞬間、俺はその重さに耐えられず剣先を地面に落としてしまった。
剣の自重だけで地面がめくり上がり、陥没する。
あれ……なんか鞘にしまってる時より重くない?
「く、くっそ……うおらああああぁぁ」
雄叫びを上げて踏ん張るも、剣を少し浮かせるだけだ。
「キョウヤさん……?」
遅れてやってきたハルが、俺の状態を見て固まる。
俺の足先をトカゲがかじり、俺は剣の重みと痛みに四苦八苦する中、少女がそれを黙って見守る状況。
「ちょっ、ハル助けて! 痛いし重い!」
「わかりました! 任せてください!」
ハルは自分の胸をポンと叩き、背中の杖を構える。
やっぱ魔法使いかっこいい!それより今、確かにあの子の体の一部が揺れたように見えた!
俺のよこしまな視線にハルは気づかず、魔法の詠唱らしきものを始める。そして一際通る声で。
「『フル・ハイナ・シュバイス』‼」
やべえ、久しぶりに中二心をくすぐられた!
俺はどんなことが起きるのかしばらく目を見張る。
しかしいつまで経っても変化は見られない。
「…………………? 何も起こらないぞ?」
俺はトカゲに足をかじられたまま、ハルに聞いた。
「これは水の高等魔法にして、私にしか使えない固有魔法『フル・ハイナ・シュバイス』です」
ハルは胸を張って言う。
だが俺はそんな彼女に訝し気な視線を送る。
「なあ、その魔法どんな効果があるんだ?」
「はい。服の中をちょっとだけムワッとさせる魔法ですが」
そんなことを誇らしげに言うハル。
それってつまり――――
「使えねえじゃねえかあああああああ」
「なんてこと言うんですか! ひどい! 怒りますよ!」
俺たちはワチャワチャしながら、結局ハルが持ってきた短剣を借りて、俺がトカゲにとどめを刺した。
ハルがトカゲの死体を袋に入れているのを見て、俺が何をしているのかと聞くと、モンスター討伐の報告にはモンスターの死体の一部をギルドに提出しなければならないらしい。
トカゲ肉は売れるから全部持って帰るそうだ。
俺はふと気づいた。
1時間20分かけてトカゲ1匹。
クエスト報酬はトカゲ1匹の討伐につき520ソフィア。街に帰る時間を計算すると森で働ける時間はあと5時間ほど。仮に1時間に1匹倒せるとすると、あと5匹のトカゲを倒せる。報酬は3120ソフィア。手数料を引いて2820ソフィア。
報酬の分け前はハルが7割、俺が3割と約束したから……俺の取り分は846ソフィアになる。
時給換算すると…………………時給106ソフィア。100円ショップで買い物もできないではないか。
なんてこった。
俺は絶望した。
地面に突っ伏す俺を見て、ぷりぷりと怒っていたハルが心配そうに声をかけてくる。
「どうしたんんですか? キョウヤさん……私の魔法を馬鹿にしたことは許しますから。ほら元気出してください」
「あ……うん。ありがとうね」
なんだろう。悩みの一部に励まされるこの感じ。君が報酬半分ずつでいいって言ってくれたら全部解決するんだけどな。
俺はかわいらしく小首をかしげるハルに、そんなことは言えなかった。
だって嫌われたくないから!
俺はどっこいしょと立ち上がり、地面に置いたままだった剣を5分もかけて鞘にしまい込む。
剣を鞘にしまうと、俺がどうにか持てるくらいには軽くなった。鞘に何かの魔法が掛けられていて軽量化されているのかもしれない。
ハルが不思議そうに俺をのぞき込んで言う。
「その剣。そんなに重いんですか?」
「持ってみるか? 言っとくけど、めっちゃ重いぞ」
「はい! 望むところです!」
ハルはこの剣に興味があったのか、嬉しそうに笑った。
俺は腰から剣を鞘ごと抜き、そっとハルに渡す。
「きゃっ⁉」
「おい、だいじょぶか!」
俺が手を離した瞬間に、ハルは剣の重さに耐えられず、剣を取り落としてしまった。地面にめり込む我が聖剣。
俺は瞬時にハルの手を握る。握りしめる。
「ケガはないか!」
「はははっ、はいぃ」
俺の突然の行動に顔を赤面させるハル。
男慣れしてないんだな。かわいらしいじゃないか。俺も女性と手を握りしめたことがあるのはお母さんくらいだが。
俺は不自然にならないギリギリまでハルを手を握り、堪能してから離した。
ハルはしばらく呆然としながら、思い出したように俺の剣を拾おうとする。
「ごめんなさいキョウヤさんっ。あなたの剣落としてしまって」
ハルは柄に手をかけて拾おうとするが、顔を真っ赤にさせるだけで剣はびくともしない。
そういえば、これと似たような光景を昨日見たような。
「俺の剣は気にするな。お前の手に傷がつくほうが、国家的大問題だ」
「え、えー。なんですかそれ」
俺はハルの肩をポンとたたき、代わりに剣を拾って腰に差す。
もたもたしながらも剣を拾った俺に、ハルは羨望の眼差しを向けてきた。
なんだろう。女の子にこうゆう風に見られるのは悪くないな。
「すごいです! こんなに重い剣を持てるなんて、ステータスはどうなっているのでしょうか?」
「えーと。俺の記憶によれば、腕力はF……だったかな」
ハルは口をぽかんと開けて。
「私と……握手してください」
え? ナニコレどういうこと? ついにモテ気が来たのか?
「おう。いいけど」
俺はそっとハルの手を握る。本日3回目。嬉しい。
「いきますよ……?」
ハルは控えめに言った。
いきます……何を?
俺が不思議に思っていると、ハルの白くて細い腕がきゅっとしまり。
「いで! いたいいたいちょっとおお⁉」
「あ! ごめんなさい!」
ハルはぱっと手を離した。
赤くなった手をさする俺に、ハルが申し訳なさそうに口を開く。
「あなたが腕力がFだなんて嘘をつくので……。その、私の腕力はCだから強く握ったらなにか反応を見せてくれるかな~と」
俺がFで、ハルが……C? あれー。えー。びー。しー。でぃー。いー。えふ。だから、ハルは、俺より、2個も、腕力上なのね。
俺が衝撃に打ちひしがれていると、何やら悟った顔のハルが力説する。
「わかりました。わかりましたよキョウヤさん。あなたがわざわざ能力を隠すってことは、きっと何か理由があるんですよね。その剣といい、その格好といい。ええ分かりますとも」
「……? えっと?」
何かを勝手に理解した様子のハル。俺が本気で何のことやら分からないのを、演技だと思っているらしい。
二人でよく分からない茶番を繰り広げていると草むらから。
ガサガサ――ガサガサガサ――
近くの草むらから大きな音がした。