始まる異世界生活⑤
ゆうに二時間。ようやく掲示板の前が空いた。
「さてと。俺の初戦を飾るのはどのクエストだって……アレ?」
掲示板には2つしかクエストが残っていない。朝見たときには100枚くらいあったように見えたのだが。
「まぁ仕方ないか」
残り物には福がある精神で、2つのクエストを見比べた。
「オオトカゲの幼体駆除。報酬は1匹につき520ソフィア。報酬は参加人数で分配。依頼主はレーザ街役場……」
俺はもう一方のクエストを見る。
「リーベラの街まで隊商の護衛。報酬は40万ソフィア。依頼主はネプラ商団。なになに? 移動中の宿泊費は負担しない、と」
俺は今この国の金を一切持っていない。隊商護衛の方が報酬は弾むが、移動費が必要なためこのクエストは受けることができなさそうだ。
となると、こっちのトカゲの方だな。
俺はトカゲ退治のクエストに手を伸ばし。
「「あっ」」
同時にクエストが横から引っ張られた。
見ると、シャツに赤いミニスカ、黒いマントに小さなとんがり帽子を被った女の子がクエストを掴んでいる。
年齢は俺と同じか少し下。茶髪のボブに青い瞳の美少女だ。
思えば、この街に来てからかわいい人しか見ていない。街を歩いていた人とか。受付のライラさんとか。この子とか。
「え~と。どうしましょうか」
少女がか細い声で言ってきた。
「……このクエスト受けたいのか?」
少女がこくりと頷く。
……困った。俺はできるだけまとまった額の金が欲しい。だが参加人数が増えれば報酬が減ってしまう。きっとこの少女も同じ考えだろう。
俺は少女に慎重に提案した。
「とりあえず、そこの席に座って話し合おう」
「わかりました。じゃあ、テーブルに座ったらいっせーのーでで放しましょう」
「よし、わかった」
俺と少女はそれぞれクエスト用紙の端を摘まんで、ゆっくりと近くの席に着く。
お互い油断なく見つめあって。
あれ、なんかドキドキするんですけど。
「いきますよ?」
変な汗をかく俺をよそに少女が言う。
「いっせーのーでっ」
二人の手を離れたクエストは、ふわりとテーブルの真ん中に落ちた。
少女はまだ目をそらさず俺を見つめてくる。
ヤバい。運動なんかしてないのにどんどん鼓動が早くなる。さっきから汗も止まらないし。このままだと恥ずかしさのあまり死んでしまう。
いや待て!
博識な俺は男女が10秒見つめ合うと恋に落ちると聞いたことがある。
今がチャンスだ、戦闘開始!
「「………」」
すでに五秒はたっていただろう。6――7――8――
「「…………………」」
もう少し。9――
ふいっと、少女はクエストに目を落とす。
「俺の負けだよ……」
俺は無意識にそんなことを言っていた。すると少女はぱあっと表情を明るくして。
「いいんですか? ありがとうございます!」
「ち、違う! そっちじゃない。こっちの話だ」
「……なんですかそれ」
少女は浮いた腰を落とした。
これだけは譲れないのだ。今日金が手に入らなければ、さすがに明日が危うい。本当に餓死してしまう。
「これ。参加人数に制限がないだろ? 2人で一緒にやるというのはどうだろうか」
「うぅ、でも」
「これを見てくれ」
俺は渋い顔をした少女にさっと財布の中身を見せる。ちなみに2千と51円入っている。
「俺は1ソフィアも持っていない。昨日も何も食べてないんだ。頼む……報酬はそっちが6割持って行っていいから」
少女は、悩まし気に、いまにも消え入りそうな、本当に切ない声で。
「……7割です」
ポツリとそう言ったのだった。
童貞の俺では、そんな声に反論なんてできない。
「わ、わかった。よろしく頼む」
「よろしくです」
少女はふんわりとした笑顔で、握手をしてくれた。
あぁ、この子の手やわらかいな。と、俺は報酬の7割を持っていかれる悲しみを忘れるように、心地いい握手をかみ締める。
クエスト受注のカウンターに行くと、そこにはハットがいた。
「おはようございます、キョウヤさん。さっそくお仕事ですか?」
「おはよう。そうだな。さすがに今日は働かないと。それより、今日はライラさんいないのか?」
クエスト受注のカウンターは他のカウンターよりも大きく、8人の受付がいるが、ライラは見当たらない。
残念、ライフさんの顔が見たかったのに。あわよくば罵声を1つ……
そんな俺に、ハットが厨房を指し。
「ライラさんなら今日は厨房でコックをしていますよ。ここの職員は1週間ごとに部署を交代するんです。僕はクエスト受注の当番ですね」
「そうなのか」
俺は考えた。金を得たら、ライラさんの手料理が食えると。
「よしハット。このクエストを頼む。あの子と行ってくるけど、報酬はあっちが7割、俺が3割で分けて渡してくれ」
俺はバンとカウンターにクエストを出し、向こうでくつろいでいるとんがり帽子少女を指した。
ハットはクエストを見て苦笑交じりに頷く。
「はい。承りました。……7割って結構取られましたね。そういえば昨日会員証を渡し忘れていました。こちらで預かっているので、帰ってきたらお渡しします。では、このクエストだと、300ソフィアになります」
よし、ライラさんの手料理のために頑張るぞ……今なんつった?
ハットは俺をじーっと見て言ってきた。
「どうされました?」
クエスト受けんのにも金かかるとか知らないんですけど。
俺はハットにたまらず聞いた。
「え? クエスト受けんのに金かかんの?」
「そういえば、キョウヤさんは初心者でしたね。ギルドではクエストを出していただけるよう各所に交渉に行ったり、クエスト終了後の報告をしたりしているんです。これらは本来冒険者自身がするものです。それを肩代わりしていますので、クエスト受注前に手数料をいただくんですよ」
知りたくなかった異世界リアル事情に、俺は耳を塞ぐしかなった。
そんな俺にハットが助け舟を出してくれる。
「本当は良くないんですけど。手数料を貸して、クエスト終了後の報酬から引くという方法もありますよ? 今回のクエストは難易度が低い分、手数料も低いですから。中には報酬より手数料の方が高くて赤字になっちゃう人もいますけど、きっと大丈夫です」
ハットは優しいうえに仕事までできるようだ。
くそ。ハットが女の子なら間違いなく狙ったのに。
「じゃあ、その手数料前借りで頼む」
「はい。じゃあこちらで手続きをしておきますね」
ハットはクエスト用紙にハンコを押すと、笑顔でカウンターの奥へ入っていく。
ふと後ろの男性冒険者たちから、ヒソヒソ声が聞こえてきた。
「今日も世話好きハットは平常運転だな」
「ああ。冴えない顔してるくせに、妙に女に人気があるんだよなあいつ」
「俺の仲間のエルザも頑張ってるとこがかわいいとか言ってたぞ」
ハットの容姿はイケメンではない。女の子のような柔らかさを持った顔だ。身長が小さいこともあり、女性だけでなくそういったご趣味の人たちにも受けがよさそうである。
ハットの野郎、俺よりモテるというのかけしからん。ハットには後で飯を奢らせよう。
俺が理不尽な決意をしていると、奥からハットが戻ってきて筒状の何かを渡してきた。
俺がこれは何だと聞くと、ハットは一緒に行かれる女性が教えてくれますよと言う。
とりあえずそれを受け取って、俺は少女の元へ戻った。
「受注したぞ。それじゃ行こうか」
「はい。よろしくお願いしますね」
俺たちはギルドを出て、オオトカゲが出るというセレクト大森林へ旅立った。