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取り戻せないスターダスト - 2

錦糸町、うらぶれた通りの一角。似たようなビルとビルとの隙間に挟まれてひっそり建つ、一際みすぼらしい4階建ての雑居ビル。埃に塗れ蔦に絡まれた、廃墟と勘違いされかねない建造物の最上階フロアは、朝から賑やかな声に満ちていた。

最も高く昇った時でさえ陽が当たっているのか怪しいオンボロビルには全く似つかわしくない喧騒は、もしも通行人がいたら、足を止めて何事かと見上げたかもしれない。

しかし、どれほど騒ごうとその声が生きている人間に聞かれる事はないのだった。通りすがりのサラリーマンだろうと、一体何の業種なのか2階と3階に入っているテナントの従業員だろうと、4階フロアの扉から漏れる声、窓から窺える光のいずれも知覚する事は不可能である。狭くて暗くて汚い廊下の先にある扉は開かず、たとえ無理にこじ開けて押し入ったとて、そこには夜逃げ後10年経過したかのような、文字通りのガランとした空き部屋が広がっているだけ。

正しく4階の扉を開き、内部へ踏み入る事ができるのは、部屋の本来の住民達――冥府の事務所員のみである。


「何の騒ぎだ」

「あっ、所長!」

「おお、真神くん!」

「あー……所長……」


三者三様の返事が、事務所内でも最奥にある扉からのっそり這い出してきた真神を迎える。

全体に無気力であっても、一応、後ろ手に扉を閉めるだけは閉めた真神は、昨晩までとは一変した室内の光景に、ただでさえ不機嫌そうに見える眉を一層寄せた。表情の変化らしい変化はそれだけで、あとは普段の電池切れしたかのような無表情に戻ってしまったから、それ自体もまた割と珍しい出来事であったと言える。

安物のテーブルには皺ひとつ無いクロスが掛けられ、中央には大皿に盛られたナッツを始めとするおつまみ類。逆さまに伏せられたグラスは綺麗に磨かれていた。まだ空いているスペースには、これから何か運ばれてくるのだろう。

道路側に面した窓のブラインドには少しずつ位置をずらした折り紙の花や星が飾られ、紙製のリボンが渡され、同じような装飾を施された本棚には「新人歓迎会 西園寺死ん太郎デス彦(26)様」の横断幕が貼られている。

飾り付けのおかげで余計に狭苦しく感じてしまうものの、とにもかくにも、やりたい事の体裁は整っていると言えた。


「はいっ、西園寺さんの歓迎会です! まだやってなかったなぁって思って!」

「そういった経緯で少年が企画してくれた。

私がこの事務所に来てからじきに一週間、正確には人間の暦でじきに一週間、更に正確に言えば6日間となる。入社直後の緊張も解れ始め……といった時期だ、歓迎会を開催するには適した頃合いだろう」

「いつ緊張したんだよいつ、あんたがいつ」


パーティー会場と化した事務所内を食器や飾りを手に忙しく動き回る少年、それを自ら手伝う西園寺、現れた真神を前にすっかり恐縮しているカーラが、それぞれ答えた。止めるは止めたんですよ、と嗄れ声で真神に告げるカーラを他所に、宴の支度は着々と進められていく。

騒がしい。といっても所詮は複数人で作り出せる程度の騒がしさではあるが、それでさえこの事務所では少し前まで無かった事である。真神とカーラ。比較対象に問題があり過ぎるとはいえ、ここでは随一と呼べる明るい性格をしている少年だが、ひとりでは放てる光にも限度がある。ところがそこへ西園寺という、光を受け止めて投げ返す、いやさ四方八方へ狙いも定めず投げつける男が乱入した為に、一旦盛り上がり始めると際限がなくなっていた。

騒がしさというより何か起こる事自体を厭う真神にとっては全く歓迎できない事態に違いなく、案の定この場の空気に冷水を浴びせかける一言が、ほとんど動かない唇から漏れる。


「俺は許可した覚えはない」

「私が受け入れた!」


真神が低く呟き、西園寺が朗々と応じる。

空中分解した応酬にカーラは翼で頭を抱え、少年は作業の手を止めて二人を見た。


「祝う者がいて祝われる者がいて、かつ両者が祝賀を花開かせる舞台を希望している。ならば開催に必要なものなど他に何もいるまい」


肝心の参加者という存在を一切無視しつつふんぞり返る西園寺に、とりあえず真神は怒ろうとはしなかった。というよりいつだろうと真神は怒らない。単に億劫だからであろう。

質素ながら飾り付けの進んだ事務所内を、右から左へもう一度ゆっくりと目を走らせると、お前は歓迎会のような前時代的な行事はしないものだと思っていた、と真神は言った。


「時代の急先鋒が、案外アナログな思考をしているのだな」

「古今東西連綿と続いてきた習慣には、良いものもあれば悪しきものもある。その善悪の属性は極めて主観的、かつ流動的であり、この場においては良いものだと私は判断した。ならば実行するだけだ」

「すげえ……所長と会話を継続させてる……いやコレ会話なのか……?」


混乱からか、カーラは頻りに首を左右に傾げながらソファの背凭れ上を落ち着きなく動き回った。普段ならばいい加減にしろこの馬鹿と怒鳴って蹴りのひとつも繰り出していた事を考えれば、事務所で一番といっていい常識と良識を備えたカラスも西園寺の破天荒な言動に慣れてきた、または毒されつつあると言えた。まだ一週間も経っていないのにである。


「会場設営も含めて、準備が完了するまでの時間は残り30分前後と見ている。

すまないがそれまで待っていてくれたまえ」

「俺は参加しない。歓迎会を開く事も歓迎会について考える事も面倒だが、既に開かれつつあるものを閉じるのは余計に面倒だ。後はお前達で勝手にやれ」

「ふむ、いいかね真神くん。これは私の歓迎会だ。少年が計画を立て、私は開催を受諾した。ならばこの『新人歓迎会 西園寺死ん太郎デス彦(26)様』計画の根幹は、半分が開始点である少年にあり、もう半分が終着点である私にある。つまり少年と私さえいれば計画は完遂できる以上、他の全ては外野に過ぎないのだ!

すなわち真神くん! 所詮は歓迎会計画におけるたかが外野に過ぎない君がどう意見したところで、『本日、事務所で西園寺死ん太郎デス彦(26)の歓迎会を開く』という少年と私の計画に影響する事はない。黙って参加したまえ外野」

「お前は何を言っているのか」


真神ともども外野扱いされたカーラが、限界を超えたあまり却って冷静になった口調で問い質すと、西園寺はやたら背筋の伸びた美しい姿勢で振り返り、ははは、と快活に笑った。


「安心してくれたまえカーラ嬢。

君は歓迎会計画を知るや多少のぼやきをこぼしただけで率直に参加を表明した、実に感心すべき良い外野だ。ちなみに外野としての性質の良し悪しが計画に影響する事は別に無いと考えてもらっていい」

「最初の賞賛にカケラでも意味があったのか教えとくれよ」

「うん? 掛け値なしの賛辞だが」


どうも自分の知っている賛辞と西園寺の知っている賛辞とでは単語の持つ意味が異なっているのではないかと、この短期間で都合何度目になるのかも覚えていない疑問をカーラは抱いた。助けを求めるように、白羽混じりのカラスは黒々した眼を真神へと向けたが、こちらはこちらで周囲一切を拒絶する倦怠の中にいる。

救いなどなかった。

そこへ控え目に割り込んできた可愛らしい声に、カーラはこの状況下でまたひとつ頭痛の種が増えたのを知る。少し前までなら控え目どころか自己主張をする事自体を少年は控えていて、そこにカーラがひと声かけて促す、この構図が出来上がっていたというのに、いまや言いたい事は遠慮がちながら割と自ら最後まで言う。

西園寺が来てから最も大きな変化を遂げ、今も遂げつつあるのは、間違いなくこの少年だった。お茶汲みを始めとして、やる仕事を片端から肯定してもらえるというのは相当大きな励みなのだろう。真面目に健気に働き続ける姿はカーラも見てきていたから、その傾向自体に異論はないのだが。


「あっ……あの、実は歓迎会プログラムに所長からの挨拶も入れようと思っていて……」


何事にも限度はあるのではないかと、遠くなる意識の片隅でカーラは思う。

うわあ、と言おうとしたのであろう嘴からは、かあ、という良く響く声が漏れた。一瞬でも、ただのカラスになりたかったのかもしれない。悩みを知らない、野に生きるただのカラスに。

ドブ川のような灰色をした、真神の目が動いた。

日頃表情さえ変えない男が放つ、いつにない負の迫力に、ひゃっと少年は小さく叫び、細い肩を縮こまらせた。それを庇うようにして、西園寺が二人の間に立ちはだかる。思い切れない少年の背中を押すのが西園寺ならば、押した結果事態を悪化させるのも西園寺であった。今更ながらそれを思い出した瞬間、カーラは以後の対応を全て投げた。


「いいアイディアだ。真神くん、スピーチもまた人を束ねる者に求められる重要な能力であり職務である。この私、西園寺死ん太郎デス彦(26)、ニックネーム『ゼロ』を最大限に歓迎する言葉を期待しよう」

「あ、ありがとうございますっ!

所長のスピーチが開会の挨拶の次だから……西園寺さんの死神装束のお披露目は何番目に差し込みましょうか?」

「ふむ、そうだな。挨拶を終えた所で一度歓談を挟み、その後でというのが適切だろう。まあお披露目といっても、既に二度皆の前で着てしまっているのだがね」

「だいじょうぶです、披露するならそれはいつだってお披露目なんじゃないかとボク、思いますっ!」

「その通りだ少年。いつもながら君の発想の柔軟さには、この私といえど目を見張るものがある」

「ありがとうございます! それに、こんな事もあろうかとお洗濯とアイロンがけもやっておきましたっ!」


ふくふくした顔をぱあっと明るく輝かせる様は、里芋というより林檎といった風に見えた。

無言だった真神が、やはり無言のままそんな騒ぎに背を向ける。歩いて戻る先は言うまでもなく自室だったが、あと一歩という地点で足を止めると、眼を瞑ってぐうぐう寝たふりをしているカーラに告げる。


「俺は寝る。時間になったら起こせ。起こさなくてもいい」


地を這うような声を鍵にして、ばたん、と扉は閉じられた。

瞬時にぱっちり開いた眼で、それきり物音ひとつ立てなくなった扉をぽかんと見詰めるカーラ。やがてじわじわと追いついてきた理解、そして湧き出る底無しの驚愕に、カーラの嘴があんぐりと開いていく。


「うっそ……参加してくれんの……?」


相手が西園寺である以上、ここで幾らごねても無視しても絡め取られて泥沼に陥るだけなのは目に見えている。それはカーラや真神でなくとも、多少なりとも西園寺に関わった者なら誰でも判断できる事であったが、その点を考慮しても尚、真神の口から極めて消極的とはいえ参加を承諾する言葉が出てきたのは予想外だった。

暫しの放心状態の後、カーラは己の認識に修正を入れた。

西園寺が来てから目立った変化があったのは少年だと思っていたが、あるいは真神もそれに引きずられて――。


「見たまえ少年、これがシャンパンタワーだ!」

「すごいです! 全部湯呑みですけど!」

「うるっせえー!!」


度々こんな事をやっているおかげで、会場設営は遅々として進んでいない。

仕事となれば常に全力、真剣でない者を軽蔑する天才児は、催し物での脇道には案外と寛容であるらしかった。


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